はじめての授業
厩舎を出ると、早足で行ってしまうジェダイトをわたしは必死に追いかけた。
――足が速いよ! これじゃ、かけっこだよ!
ジェダイドは薄暗い入ったことのない石造りの校舎に入り、幾つもある通路の分かれ道をぱっぱっと曲がって歩いて行く。それを追いかけるわたしは、見失わないようにするのが大変だった。
学校は外から見たとおり、幾つもの建物がところどころで繋がっていて、まるで巨大なお城みたいになっている。中も古い教会建築のようで、明かり取りの縦長の窓が廊下にところどころあるけど、やっぱり薄暗い。
ジェダイドは幾つか通路を曲がると、突然現れた階段を駆け上がって行く。
しかも、ここに来ていきなり、生徒がいっぱい!
右からも左からも前方からも、通路が合流した階段下の踊り場には子供たちが溢れかえっていた。
「ふわあぁぁぁ」
わたしは慌てふためいた声を上げながら、水色の制服を着た子供たちの間をなんとか通り抜けていく。
小学校一年生ぐらいから六年生ぐらいまでの子供たちが、カバンや教科書らしき本を手に、階段を上がったり下りたり、うろうろ、ざわざわ、ぺちゃくちゃしているのだ。
少し肌寒く感じていた校舎内が一気に人いきれで暑くなったように感じた。
「待って、ジェダイド~~」
人波に押されながらも、わたしはよろよろと階段を上がって行った。
授業開始から数分、わたしの目は広げた教科書に注がれている。
――ううーん、これはやはり夢だからなのかな?
もし、ここが別の宇宙にある平行世界とか、実在する場所なら、わたしはこの教科書を読めないはずだ。だって、どう見てもここは日本じゃないし。
でも、広げた教科書に書かれている蛇がのたくったような文字がわたしには理解できた。
――どうなってるんだろう。夢だから、都合よく変換されてるのかな。
実は、わたしにはちょっと小生意気な四つ下の弟がいる。現在、中学二年生。箸が転げても笑ってしまうお気楽女子高生のわたしと違い、弟は両親の言うことをよく聞くとても真面目ないい子だ。わたしにだけは生意気だけど・・・。
そんな弟だが夜になると、ときどき隣の部屋で寝言を言っている。
静かな深夜、突然家に響く。
「やったー!」
とか、
「わははははは!」
とか、
「うるせぇ!」
とか、ちょっと心臓に悪いんだけど、本人はまったく覚えていないという寝言。
たまにどう聞いても日本語じゃない言葉で話しているときもある。
エイリアン語みたいな・・・・・・。スタート○ックの世界に入り込んでるみたいな。
しかも、一言ではなく、結構長い間、その言語で寝言を言っている。
起きた弟に訊ねてみても、やっぱり記憶にない。
わたしの考察では、おそらく夢の中ではエイリアンとも話ができてしまうのだ!
もしかしたら、今まさに、わたしのこの状況はそういったことかもしれない。
このぐにゃぐにゃした文字がわかっちゃうんだから。アルファベットとアラビア語が混じったような奇妙な文字。
「うう~~ん」
わたしは教科書をぺらぺらとめくった。
『導暦854年、モルガナイトの一世公王にして、討伐王ベルヴィウスは二年にわたる戦いの末、ネーデレシア沿海の島において、オールドドラゴン、カレンデュラを焼殺。その頭部を持ち帰る』
って、なんか怖いこと書いてある!
「ふーむふーむ」
わたしは次のページを見た。なんか変な絵が描いてある。
犬? みたいな、大きな獣が鎖で繋がれている絵だ。よく見ると、この犬、頭が二つある。しかも、とげとげの牙の間から人の腕っぽいものが出ている気がするんだけど。
『導暦861年、討伐王ベルヴィウスは、北方で町々を蹂躙していた双頭の大狼、オルトロスによって喰い殺された』
って、またまた怖いことが!
『翌年、二世公王、囚人王フォウンによって、オルトロスは芋刺しにされた』
芋刺しってなんだろ? わたしは首をかしげた。
文字は読めるけど、意味がわからないことが多いなぁ。
「ふんふん・・・、ふむふむ・・・、うーむ・・・」
ページを繰りながら、興味深く読んでいると、突然、何かが頭にごつんと落ちてきた。
「こらっ! ブラックストーン、何唸ってるの!?」
顔を上げると、恐い顔をした中年の女性がこっちを睨んでいた。
「えっ?」
「まったく、さっきから『うんうん、ふんふん』いったい何を考えていたの?」
わたしは目をぱちぱちさせ、女教師を見返し、それから周囲の視線にも気づいた。
席についた子供たちがわたしの方を見て、くすくす笑っている。
中にはジェダイドのように、じと目で睨んできているのもいるけど。
「す、すみません・・・」
肩を落としたわたしに、キャベッタ先生(これまた美味しそうなお名前だ)は、さっきゲンコツをくれた手で、頭をぽむぽむと軽く叩いた。
「体調が悪いわけじゃないのね?」
「はい、そうです」
しょんぼりとわたしが答える。
「じゃあ、いいけど、みんなの授業の邪魔はしちゃダメよ」
「はい」
「それじゃあ、ついでにブラックストーン、43ページから読んでみましょうか」
「わ、わたしがですか?」
「何か問題でも?」
「い、いえ・・・」
わたしは椅子から立ち上がり、教科書をめくると、読み始めた。
「ええっと・・・『白銀のオールドドラゴン、ジェンシャンの助言によって、公妃シンセシアは冥府の力を手に入れた』」
冥府の力?
「なになに? 『屍鬼を操る力により、シンセシアは主大陸の無法地帯を統一し、事実上大陸の覇者となった』」
グール? なんだっけ、聞いたことがあるようなないような。ゾンビとか、ああいう系統のものだっけ?
わたしは興味を惹かれて、続きを読んだ。
「『だが、シンセシアは冥府の力に溺れ、息子である勇敢王オーセラスと対立。緋色のドラゴンを駆り、人々のために立ち上がった若い勇敢王の前に殲滅された』 そっかぁ」
わたしは息をついた。
「どこの世界も力に溺れた者の末路はこうだよねぇ」
うんうん、とうなずく。すると、横から声がかかった。
「ブラックストーン、余計な感想はいらないのよ」
キャベッタ先生だ。
「あ、はい。すみません・・・」
しょぼっとうなだれると、また周囲からくすくす笑いが聞こえてきた。
授業が終わると、教壇の前にいたキャベッタ先生がわたしを呼んだ。
「なんですか、先生?」
三十後半、もしくは四十代ぐらいだろうか。キャベッタ先生は赤毛の痩せた女性で、襟元の開いた服のせいで、彼女がわたしを見下ろすためにかがむと、銀のネックレスに下がった飾りがぶらりと前に揺れ動いた。高価そうな銀細工の翼の生えた猫のペンダントだ。
「保健のマカロニティ先生からあなたのことは聞いているけど、授業についてこれるかなと思って呼んだのよ」
先生に言われて、わたしはぐっと返事に詰まった。
どう考えても授業にはついていけないだろう。このままでは。
記憶がないどころではない。元のパールとは別人だし、いくら時間が経とうとも、今まで習ったことを思い出すことはないんだから。
パールは四年生らしいので、わたしには四年間分のブランクがあることになる。
「ええっと、キャベッタ先生、わたし、そうですね。授業についていけそうにないので、ちょっと困ってます」
「でしょうね」
キャベッタ先生が溜め息をつく。
「他の授業も同じなのよね?」
「そうです」
「どうしたらいいかしら」
先生はちょっと小首をかしげて、それから言った。
「ゴーヤン先生に相談した方がよさそうね。放課後の補習を受けるにしても、教科も範囲も広すぎると思うの。他の子と一緒にというわけにはいかないだろうし、個人で勉強するしかないかもしれないわね」
「個人で・・・」
この世界のことが何もわからないのに、本当についていけるかな。わたしは心配になってきた。
そこで急にハッと気づく。
――あれっ? なんでそんな必死にこの世界についていこうとしてるの、わたし!?
だって、もうそろそろ夢から覚めるかもしれない。そうしたら、この世界ともおさらばだ。わざわざ勉強する必要なんかない。
だけど、わたしはちょっと顔を曇らせた。
――もうそろそろ夢から覚めると思っていたけど、そんな気配ないなぁ。
夢の中で丸一日以上、過ごしたことってあったっけ? なかった気がする。
夢なら、数時間おきに場面展開したり、唐突なことが起こったりするけど、この夢はそうなってない。ずっと続いている。それに、わたしの知っている人も出てこない。みんな知らない人ばかり。
――・・・もしかして・・・・・・。
わたしが心底、しょげこんでいたのに気づいたのだろう。キャベッタ先生が微笑んだ。
「大丈夫よ、そんなに心配しないの。歴史の授業ならわたしがいくらでも時間を作ってあげるわ。他の先生もきっとそうよ。いつでも質問に来ていいから。放課後の補習も時間割をゴーヤン先生に作ってもらいましょう。思い出せなくても、なんとかなる。大丈夫よ、ブラックストーン」
やさしく声をかけられたけど、わたしはきゅっと口を閉じ、黙ってうなずいた。




