5 少女の父親
静寂が部屋を満たしていた。
猫の言葉の意味が、僕にはさっぱり分からなかった。
あの子のお父さんはもう、死んでいる。
それが事実だ、猫はそう言ったのだ。
仁が、呆れたような、怒っているような、困惑しているような、様々な感情がごっちゃになった声で言った。
「言ってることはよくわからんが、もっと早く言うべきじゃないのか?」
猫は文字通り頭の上にハテナマークをだして、さっきまでの雰囲気が嘘のように言った。
「聞かれなかったみゃ?」
それも、首を傾げながら。
・・・再び訪れた静寂の中で、仁は大きなため息をつく。
その後、嘆くようにあー、と何の意味もなくつぶやいて、
「結局、なにがどういうわけだ?」
そう問いかけた。
猫は今になってさっきの雰囲気を醸し出すが、もはや意味はなかった。
微妙な空気ではあっても、重要なことには変わりないので、僕たちは猫の言葉に意識を集める。
猫はそれを確認したあと口を開いた。
「お嬢のお父さんはもう亡くなっている。これは間違いなく真実だみゃ。けど、暴走していたころのお嬢のお父さんが残したものがあるみゃ」
「残したもの?」
仁の言葉に猫は頷く。
「そう、残したものみゃ。お嬢のお父さんは、自分をプログラムとして残していたんだみゃ」
猫の言葉を聞いた僕は、さっきの仁のように眉を寄せていた。
人をプログラムとして残す。つまりそれは、
「フルコピーか・・・」
僕が考えているのを見透かすように、仁がつぶやいた。
仁も同じ結論に到達したようだった。
ーーフルコピー
それは、人間の人格を完全にコピーし、データとして残すこと。また、残されたデータそのもののことだ。
これをする事は簡単ではない。そもそもこの行為は法律で全面的に禁止されているし、人間をコピーするなんてそこそこ大きな施設が必要だ。
ちなみに禁止されている理由はクローンと同じような理由だったと思う。
「何のために?」
そう問いかけたのは仁だ。
猫が答えるのは早かった。
「さあ、わからないみゃ。自分の死んだ後のことを考えていたのかもしれないみゃ。もしかしたら、機械だけで魔法を使うためかもしれないみゃ。・・・これはもう、作った本人にしかわからないと思うみゃ」
わからないという猫の回答に、仁はそうかとつぶやいて手帳に目を落とした。
手帳を見ている仁を横目に、僕は猫に質問する。
「ってことは、今施設の一番上にいるのはあの子のお父さんのフルコピーってこと?」
猫は、俯きがちに頷いた。
「お嬢のお父さんが亡くなったあと、あいつは現れたみゃ。そのときには施設のメインコンピューターは掌握されてて、施設の出入り口はコンピューターで管理していたから、お嬢と姐さんたちは閉じこめられたんだみゃ。本当にいつの間にかで、気づいた時には遅かったみゃ」
手帳から顔を上げた仁が、猫の方を見る。
「・・・逃げ出すことになった理由はそれか」
猫は頷く。その流れで、猫は逃げ出すことになった詳しい原因を話し始めた。
「閉じこめられたあとの施設は、まるでどこかで見た、完全管理された社会のようだったみゃ。・・・姐さんたちは、いつの間にか現れた警備ロボットに脅されながら、研究を続けることになったみゃ。・・・お嬢も、機械関係に才能があったから、機械を作らせられたりしたみゃ。・・・それでも、隙をついて少しずつ、本当に少しずつ、姐さんたちは逃げ出す準備を進めていたみゃ」
「そうして準備して決行されたのが今回の作戦だったってわけか」
仁の言葉に、猫はそうみゃ、と肯定した。
仁は、手帳になにか書き込んでいる。
書き終えたのか、仁は顔を上げた。
「これで聞くことは聞いたよな。・・・ネコも、もう言うことはないか?」
「ないみゃ」
仁は猫の答えを確認したあと、
「それで、あの少女の事情はわかったわけだが、理由を聞いた限り、早くあの少女を追わないと危ないんじゃないのか?」
そう言った。
--その言葉に僕は固まる。
随分長い間話していた気がするが、考えてみれば当たり前だ。最初からどこかきな臭さがあったのに、なにを悠長に話していたんだ、僕は。
勢いよく立ち上がり、出口の方向に向かおうとする。
そんな僕を、猫が止めた。
「急ぐ必要はないみゃ」
猫はそう言う。
その言葉に僕は猫になにか言ってやろうと口を開こうとする。
だが、それは仁の言葉に遮られた。
「どういうことだ」
猫は、現状をわかっていないのか随分とゆっくりした速度で答えた。
「お嬢は、戻ってくるみゃ」
それを聞いて僕は足をとめる。
猫の言葉に、確信が見て取れたからだ。
僕にはさっぱりその確信の理由が分からなかった。だから、率直に問いかける。
「何で? あの子がここに戻ってくる理由なんてないじゃないか」
猫は、僕の目を見ている。
「あるみゃ。・・・理由ならあるみゃ」
猫の予想外の答えに、僕はその理由を求めた。
「それは・・・」
猫はそこで答えるのをためる。
・・・まだためている。
・・・いい加減イライラしてきた。
僕のその様子を感じ取ったのか慌てて猫は答える。
「それは・・・施設までの道を聞いていないからだみゃ」
よくわからない確信を元に猫は自信満々に答える。
「・・・へっ?」
その答えに僕は気の抜けた声をだしてしまった。
ここに施設から来たのだから、戻ることも出来ると思うのだが。
その疑問は、部屋の中に響く呼び鈴の音に遮られた。
固まっていた僕に代わって仁が対応する。
仁が扉を開けた。
・・・そこには、常連とも言えるあのおばあさんと、その後ろで縮こまっているあの少女がいた。
「ほら、言った通りだったみゃ」
猫は笑いながら、唖然としている僕に向かって、そう言った。