2 黒猫
「ヨイショっと、これでよし」
僕は逃げられることのないように犬の入ったケージをしっかりと閉めた。
振り返るとそこにはぶつかってきた少女がいる。髪は長く、その瞳は髪と同じ黒で、表情には驚きがみてとれた。
「えーっと、大丈夫ですか?」
いつまでたっても動き出さない少女を心配して、僕はたまらず声をかけた。少女は僕の声でようやく我に返ったようで、終始無言ではあったが立ち上がった。僕はその無言に警戒の色を感じてまずは身元を証明しようと自己紹介を始めるが、
「僕はこの街で自警団を・・・」
「パソコンを貸して欲しい」
そんな僕の言葉は切羽詰まったような少女の言葉に遮られた。力強い声だった。多分、僕はそのときひどく間抜けな顔をしていただろう。
「パソコンを、貸して欲しい」
少女は再びそう言った。その言葉に焦りを感じて、僕はその迫力によくわからないまま頷いていた。
「で、こうなったと」
「はい・・・まあそういうことです」
ここは自警団本部だ。僕は今、仁にことの経緯を説明していた。少し視線を横に向けると、少女がパソコンで何かをしているのが見える。
あの後、少女が急いでいるようだったので、できるだけ早く本部に帰ってきた。途中、指揮棒型のサイフォスしか知らない少女が、僕が魔法を使っているのを見て驚くという一幕があったものの、僕達は特に何事もなく、自警団本部にたどり着いていた。
仁への事情説明を終え、それを聞いた仁は理由ぐらい聞けよと愚痴りながらも、少女を見ていた僕の隣に立った。
少女は依然としてパソコンと格闘している。その後ろ姿はとても声をかけられるようなものではなかった。焦り、絶望、それと少しの希望。とにかく必死だということは、誰の目にも明らかだった。
自警団本部にキーボードの音が響く中、どれほどの時間が経ったのか、唐突にその声は響いた。
「お嬢、無事でよかったみゃ」
その声はパソコンのスピーカーから流れていた。多少驚きながらもパソコンの画面を見てみると、そこには鍵を背負った黒猫が映されていた。
少女を見てみると、明らかにその顔に安堵の感情が見て取れた。いまだ焦りの色は消えていないが、どうやら少女の目的はこの猫だったようだ。
「あれは、自立型の検索補助プログラムか? いや、けどあんなのみたことないぞ」
仁のそんな独り言が僕の耳に入ってきた。
自立型検索補助プログラムとは、文字通りのものだ。学習機能を持っていて、使用者と対話することで、使用者の求める検索結果にたどり着きやすくする。だいたいは動物の姿をしていて、対話のために簡単な応答が出来るようになっている。が、あの猫ほど完璧ではない。仁も、そこが気になっているのだろう。
少女は猫に話しかけた。
「ネコ、いまどうなってるの。姐さんは、姐さんたちは無事逃げ出せたの?」
逃げ出す――その言葉に、僕はきな臭いものを感じた。それゆえに、会話に割り込もうと口を開くが、僕がしゃべり出すより、猫がしゃべり出す方が早かった。
猫は、俯きながら言いにくそうに言った。
「あの人は、お嬢を逃がすために、囮になったみゃ」
その言葉に少女は固まる。少女は理解を拒むように続けて猫に問いかけた。
「っなんで!? あの人は私が施設から出るのを知らなかったはずでしょう! なのに、なんで逃げないで囮なんて話になるの!」
少女はひどく混乱している。少女の言葉に対して答えに詰まっているのか、猫はしゃべろうとしない。
僕は、とにかく落ち着かせようと声をかけた。
「話が見えないんだけど、とにかく落ち着かない?」
僕の言葉に少女が勢いよく振り返る。少女の目には、うっすらと涙が浮かんでいた。その顔を見て、僕は一瞬思考にもやがかかったようになるが、すぐに持ち直す。そして言葉を続けた。
「僕は、この街の自警団なんだ。手伝えることがあるなら、言ってほしい」
できるだけゆっくりと、そしてはっきりとしゃべった。逃げ出す――その言葉には、少女が何か危ないことにかかわっていると、そう予感させるには十分すぎるものだった。
少女は、その言葉に驚いた顔をするが、すぐに元の顔に戻った。なんだかこの少女の驚いた顔をやけに見るなと、そう場違いなことを考えてしまった。
少女は真剣な顔で、僕の目を見て答える。
「・・・これは、私の問題。あなたには関係ない」
それは、はっきりとした拒絶の言葉だった。ゆっくりと、はっきりと、その言葉を口にする少女。声には、確かな意志が感じられた。
けど僕は、引くことはできない。危ないことの可能性が高い。僕が少女にかかわるのには、それだけで十分だった。
「確かに関係ないかもしれないけど、まずは事情を教えてくれない? 僕は科学魔法も使えるし、何かできるかも・・・」
再び手伝いを申し出るが、この言葉は届かないと思っていた。そしてその予想はやはり当たった。
「・・・あなたには関係ない」
一言で拒絶される。予想はしていたことでも、面と向かっての拒絶は少し堪えるものがあった。
少女はその言葉の後、出口の扉へと無言で向っていく。
「待つみゃ! どこにいくみゃ」
猫が焦ったように声をかける。十中八九知り合いであろうその猫の言葉にも少女は振り返ることはなかった。
「パソコン・・・貸してくれてありがとうございました」
少女はその言葉を残して、自警団本部から出ていった。
自警団本部には、僕と、傍観に徹していた仁と、画面の中で頭を抱える黒猫が取り残されていた。
静寂に包まれる中、仁が突然口を開いた。
「で、ネコだか何だか知らないが、お前はいったい何者だ? なにがあった」
その言葉に、猫は仁のほうを見て答える。
「まずは君たちのことみゃ。話はそれからだみゃ」
猫の言葉に、ごもっともだと仁は説明を始めた。
ここが自警団本部であること、少女と出会った理由など、仁はすべてを説明した。今度はお前の番だと猫に視線を向ける仁。その視線に、猫はしゃべり始めた。
「ネコは、お嬢に作られたみゃ。正確にいうなら、改造されたみゃ。元は検索補助プログラムだみゃ」
仁は、納得したような顔をしていた。しかし猫はそれ以上を話そうとしなかった。
「どうした? あの少女については教えてくれないのか?」
仁がそう言うと、猫は口を開こうとするが、その動きは中途半端なところで止まってしまった。迷っているのだろうと、僕は思った。僕たちとはさっき会ったばかりなのだ。自分のことならまだしも、少女のことは僕たちが信用できない以上、簡単に話せないのだろう。
――沈黙がしばらく部屋を満たしていると、猫は何か覚悟を決めた顔で言ってきた。
「お嬢のことを聞くなら、お嬢を助けてあげてほしいみゃ」
猫はきっと自分では何もできないことに歯がゆさを感じているのだろう。その顔は、悔しいという感情がにじみ出ていた。その言葉を聞いた仁は僕のほうを見ながら言った。
「言われなくても団長は助けようとするだろうよ。こいつはそういう人間だからな」
仁の言葉を否定する気は僕にはなかった。けど一つだけ許すことができない部分があったので訂正を要求する。
「仁、団長って呼び方やめてくれないかな」
つまりは、こういうことである。
「この雰囲気で、気にするとこはそこなのかよ。相変わらずだな、お前」
仁はあきれているが、僕にとっては重要なことなのだ。絶対というわけではないが、僕は団長とは呼ばれたくなかった。僕は確かに団長だが、それでも、だ。
突然始まったよくわからない僕たちの問答に猫は唖然としていた。そんな猫に、僕は言葉を投げかける。
「僕はあの子を助ける。その意志はある。だから、教えてくれないか。あの少女が焦っている意味を。あの少女が何をしようとしているのかを。僕たちを信じて、教えてくれないか」
猫は急に話しかけられて戸惑っていたが、すぐに僕の言ったことを理解したようだった。
猫は、僕を指さした。
「信じるみゃ。あんたらにかけるみゃ。だから絶対に助けてあげてみゃ」
指さしながら僕に告げる猫の声はまだ少し不安で揺れていた。僕はその不安を消し去ろうと大きく息を吸い込んだ。そして、
「ああ、まかせろっ!」
そう高らかに宣言した。