死んだはずだよお富さん
角田,お前…なぜ.
…生まれ変わったのさ.
元気だったか,宏明.
ガバと布団から飛び起きた僕は,自身を包んでいた布団が小水によってじっっとりと湿っていることに,そして
夢であったことに気が付いた.
お父さん,便所虫はどこから来るのですか.
父はしかめ面を見せながらこう,答えた.
飯が不味くなる.
宏明,食事時にトイレットの話をするんじゃない.
父は角田が逝ったあの日以来,便所虫の話を特に嫌っていた.
時折,思うことがある.
便所虫等と言う不可解な存在が,この世に有って良い筈が無いと.
虫が言葉を操り,人間と共生し,そして文化に根付いていると言うことに.
この現代社会において,彼らが現実として存在しているという事に.
文化と言う側面から見れば,便所虫と極めて近い存在が世にはある.
それは所謂,妖怪や付喪神という存在である.
便所虫と彼らが異なる点は,その存在が確かなものとして認知されているか否かを置いて,何ら本質的には変わりが無い.
実際のところ便所虫についても,我々人間と共生していると言う事実より他,その生態を含む殆どの事が分かっておらず,彼らのその在り方はまさに妖怪そのものである.
多くの家庭に住まい,そして我々と高度なコミュニケーションを取れる.
そんな状況にあるにも拘らず.
時折思うことがある.
幼子が抱く,一種の妄想ではないかと.
現実との区別がつかぬという事はすなわち,現実を生きていないことと同義である.
これほどに恐ろしい事は無いのだ.
僕は生きているつもりだ.
しかし,僕がまだ,まともな認知能力や自我が無い曖昧な存在であるのだとするならば,いつか近い将来,今の僕は自我の芽生えと伴に消える事となるだろう.
僕の感情も,僕の思い出も.そして僕の誇りも.
僕は生きているつもりだ.
生きるために,便所虫は居なくてはならない.
存在して良い筈が無いのだが,しかし,居なくてはならないのだ.
僕は僕自身のことが,未だ良く分かっていない.
そして,分かっていはいけない.




