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大国の魔女

 魔女、というのはせつな的なもので、実はとても不便な人種です。



 と言いますのも、彼女達は人間離れした力や美貌を手に入れるため、


 神以外の悪いものに魂をささげます。



 悪いものに魂を握られた人間はとても美しく、強くなりますが、


 その輝きはせいぜい数年もてば良い方で、


 たいがいは悪いものに魂をかじられ、すぐによぼよぼのおばあさんに成り果ててしまいます。


 美と力の全盛期はあっという間に過ぎ去り、あとは死ぬまで魂をしゃぶられ続ける、


 さながら悪いものの飴玉としての人生です。


 運が悪いと老婆の姿のまま、百年近く生きる魔女もいるのですから、


 悪いものにうかつに近づくものではありませんね。



 …でも、なかには例外も居ます。


 悪いものに魂を握られながら、美と力の時を長く長く謳歌した魔女。


 今回はそんな、魔女の物語。





 昔々、とても強く、大きな国がありました。


 その国ではなにより神の教えが尊ばれていたので、国民は清く正しく生活し、


 決して悪いものに触れてはなりませんでした。



 ですからありもしない声が聞こえる、と言ったならすぐに耳を切り落とされましたし、


 暗闇の中に何か恐ろしいものがいる、と言ったならすぐに目を突かれ、光を奪われました。



 人々は家の外ではいつも口をふさぎ、自分の心のおだやかなことを証明するため、


 面白くもないのに笑顔を浮かべています。


 たとえ不安や恐怖を感じてもそれを表に出すことができないので、


 人々の心はいつも不満でいっぱいでした。



 あるとき、そんな国に一匹の竜がやってきました。


 竜と言ってもあの、翼のはえた、火を吐く大とかげではありません。


 その竜には翼がありませんでしたし、火の代わりに腐った血の雨を吐きました。


 身体もとかげとは似ても似つかぬずんどうで、まるで黒い蛇のようです。


 そしてその城塞のような大きな体を近くで見たならば、


 多くの人の影が組み合わさって出来ていると知れました。



 竜はこの国に攻め滅ぼされた、小国に住む人々の魂だったのです。



 こればかりは人々も笑顔を浮かべてはおれず、


 兵士達といっしょにフォークやスコップを持って立ち向かいました。


 しかし竜の身体は既にこの世のものではありませんから、切ることも叩くこともできません。


 降りそそぐ血の雨に田畑は真っ赤に染まり、家は腐り、井戸や川の水も飲めなくなりました。



 しまいにはその国の王は戦うのをあきらめて、竜に言いました。


 「我々はもうお前をたおそうとはしない。降参するからどうか鎮まってはくれぬか」


 「愚かな王よ、ワタシはお前達に攻められ、殺され、

  憎悪にまみれて死んだものどもの魂から生まれた。

  お前達の国が血の海に沈むまで鎮まりなどしないぞ」


 王は降り注ぐ血の雨を浴びながら、声を張り上げます。


 「お前はたしかに死んだ人間から生まれたかもしれない。

  だが死んだ人間そのものではないのだろう。

  何か望みがあるはずだ!」


 「望みだと?あぁ、あるとも」


 竜は血の雨を吐くのをやめて、王のはるか頭上から、国中に響くような声で言いました。


 「この世でもっとも幸せなことは、他人を愛することと自分の子を授かることだ。

  ワタシは不幸な魂の寄せ集め……

  王よ!ワタシに花嫁をよこすのだ!!」




 竜のこの申し出に、王と王の家来達は大あわて。


 なにしろ恐ろしい竜の花嫁になりたがる女など、国中探してもいるはずがないのですから。


 お城の会議室で、ふだんはにこにこ笑いしか浮かべない大臣が、


 ぎりぎりと歯軋りしながらうなります。


 「あんな竜に嫁がせたら、花嫁はとても生きてはいられまい。

  きっとひと呑みにされてしまうぞ」


 「国で一番貧しい家の娘をやったらどうでしょう。

  どうせいなくなっても親以外、悲しみませんよ」


 騎士団長の意見に、王は首を振ります。


 「たとえ貧しくとも親が泣くなら竜にはやれん。

  子を親より先に死なすなという、神の教えに背くことだ」


 「では、親のいない娘を嫁にやりましょう。

  戦争で親を無くした娘がいくらでもいます」


 「勇敢に戦った兵士の娘を竜にやれるものか。

  彼らが何のために戦ったかを思えば、私は悲しみに心を裂かれてしまうだろう」


 王がため息をつくので、家来達はみんな暗い顔になってしまいました。


 結局民の誰を竜の嫁に選んでも、隣人を愛せよという神の教えに背くことになるのです。



 暫く沈黙が続いたあと、不意に大臣が声を張り上げました。


 「そうだ、北の森に住む、おばばを嫁にやればいいぞ!」


 おばばというのは、この国でも有名な悪い魔女です。


 人を脅かしたり騙したりするのが大好きで、一度は神の像に羊の糞を塗ったことさえありました。



 王はしめたと膝を叩き、大臣に顔を向けます。


 「なるほど、魔女は神に背く最悪の咎人。

  我々の隣人ではないし、家族もいないと聞く」


 「ただ問題は、老婆など嫁にやって竜が怒らぬかどうかですが…」


 「なに、布でも被せておけばよいでしょう。

  どうせひと呑みにされるのだから、竜も気付きゃしません」


 騎士団長の言葉に王も頷き、兵士達に、すぐにおばばを捕まえてくるよう命じました。




 三日後、王はようやく逃げ回るおばばを捕らえ、


 鎖で縛って頭に黒い布を被せ、竜の元に行かせました。


 兵士に剣で背中をつつかれながら、おばばは街のどまんなかにたたずむ、


 黒い竜の前に進み出ます。


 家の陰から多くの人々が見守る中、兵士が剣をさやに収め、おばばから離れてゆきました。


 竜は太いかまくびをもたげて、おばばに顔を近づけてゆきます。



 (喰われるぞ…)


 人々がごくりと唾を呑みこんだ時、不意に竜が凄まじい雄叫びを上げ、


 おばばに血の雨を浴びせました。


 あっ!と人々が思う間もなく、おばばの頭から黒い布が吹き飛び、


 老婆のしわがれた顔があらわになりました。



 場の空気が緊張する中、おばばは平気な顔で暗雲のような竜を見上げます。


 「あーぁ、バレちゃったねぇ……」


 「おのれ、何たること。

  年老いたお前が、ワタシの花嫁になれるわけがない。

  王よ、民よ、お前達はワタシを裏切った」


 そう言って再び血の雨を吐こうとする竜に、おばばは【おぉっと!】と声を上げて、


 竜の視線を自分に戻させます。


 おばばの顔が、ふゆかいそうに歪んでいました。


 「外見で人を判断するのかい?

  あたしはあんたをちゃんと男として見てるのに、そりゃぁあんまりだろう」


 「ワタシは自分の子が欲しいのだ。

  老婆よ、お前のその身体では子を産むことはかなわぬではないか」


 「やってみなきゃ分からないさ。

  それとも何かい?あんたはそこらの物陰に隠れてる、

  気合も根性もない低劣女でなきゃ、相手にできないのかい」



 腐った血にまみれながらふてきに笑うおばばに、人々は呆れて声も出ません。


 いくら負けず嫌いとは言え、こんなに大きな竜にさえ強がるおばばは、


 なんと愚かで、馬鹿なのかと。


 人々は初めからおばばがひと呑みにされるのを望んでいましたが、


 このやりとりを聞き、ますます竜におばばを呑んで貰いたくなりました。



 一方竜はと言えば、おばばの挑戦的な物言いにひどく感心したようで、


 長く太い身体でおばばを囲み始めています。


 竜の強烈な威圧感に、おばばの魂をかじっていた小悪魔も慌てて地面の中に逃げてしまいました。


 「なるほど、言われてみればそのとおり。

  お前はこの国のどの女よりも勇敢で、素晴らしい花嫁なのかも知れぬ」


 「そうさ、あたしは勇敢さ。

  臆病な嫁には臆病な子どもしか産めないよ」


 にやりとおばばが笑った途端、竜はまるで竜巻のように地面を滑り、


 物凄い大風を起こしておたけびを上げました。



 たまらず目を塞いだ人々が、再びそこを見たときには、


 おばばも、竜も、きれいさっぱり消えうせていたのです。





 こうして恐ろしい竜と忌々しい魔女はいっぺんにいなくなって、国中が歓喜し、神に感謝しました。


 おばばを竜の花嫁に推した大臣は英雄となり、


 おばばの背を突いて竜に会わせた兵士は国一番の勇者とたたえられます。


 おばば以外の女を決して花嫁に選ばなかった王は最高の名君と呼ばれ、


 人々は本当に久しぶりに、心の底から笑顔を浮かべました。



 でも、国の誰一人として、竜とともに消えたおばばに感謝したり、


 涙を流したりした者はいなかったのです。





 それから時はながれ、竜に荒らされた田畑は少しずつよみがえり、


 血に染まった川も以前の清らかさを取り戻しはじめました。



 一年も経ったころ、王のもとに一通の手紙が来ました。


 その手紙は東の国の女王が出したもので、


 自分たちこそが神に選ばれた最高の人種であるから、おとなしく領地を差し出し、


 自分たちの家来となれ、という内容でした。



 王はこの無礼な手紙に腹を立て、逆に東の国を攻め滅ぼしてやろうと思いました。


 手紙の返事も出さず、その日のうちに国でもっとも強い兵隊を東の国に派遣します。


 その兵隊を率いるのはあの、以前おばばの背に剣を突きつけた兵士です。


 王は今まで数え切れないほどの国を滅ぼしてきましたので、


 東の国の女王は明日にでも首を切られ、地獄に落ちるだろうと考えていました。



 しかし次の日の朝、王は大臣の金切り声で目を覚ましました。


 まるであの黒い竜が現われた時のように取り乱している大臣を、王はねまき姿のまま一喝します。


 「えぇい、うるさい!朝っぱらから何をそんなに慌てているのだ!?」


 「お、お、王!兵隊が帰ってきました!」



 王はベッドの上に座ったまま、にんまりと薄笑みを浮かべます。


 「そうか、そのようすでは女王はさぞ酷い死に様をさらしたようだな。

  我々をあまく見た者はみな、そうなるのだ」


 「何を言っているのです!酷い死に様は兵隊の方ですぞ!

  誰一人として、生きて帰ってはおりませぬ!」


 目を丸くする王の部屋に、国一番の勇者の首が運ばれてきます。


 両目をえぐられ、舌を抜かれ、一切の皮をはがれたそれを見て、


 王は大臣とまったく同じ金切り声を上げました。



 東の国に住む人種は、実は【ガヨナン】と呼ばれる恐ろしい人喰いの戦士達で、


 数は少ないのですが、ふつうの人間の何倍も大きな、狩猟民族だったのです。


 王はあわてて女王へ謝罪の手紙を送りましたが、いまさらガヨナン達が剣を収めるはずもありません。


 ぞろぞろと蟻の行列のように攻めて来る東の軍勢に、国を上げての防衛が始まりました。



 以前の黒い竜はただ血の雨を降らすだけで直接人を害する事はなかったのですが、


 ガヨナン達は戦争を、食べ物を得るための遠出同然に考えているほどですから、


 兵士も村人も、男も女も区別なく襲い、たいらげてしまいます。


 小さな村はたちまち侵略者達の食事場と化し、


 前線におもむいた兵士達も次々に彼らの毒牙にかかってゆきました。



 「あぁ、こんな馬鹿なことがあってよいものか。

  ここは神の国、神に愛される国だぞ。

  あんな無法者どもにいいようにされてよい国ではない」


 嘆く王に、騎士団長が汗を拭きながら言い訳をします。


 「なにぶん、あのガヨナンどもは男どころか女さえクマのように体が大きく、

  人間の身体など簡単に引き千切ってしまうのですよ。

  その上あの女王の賢いことときたら、どんな罠も奇襲もたちまち見破ってしまうのです」


 「黙れ!あんな闇色の野獣どもに勝てないのに、

  敵を誉めるやつがあるか!」


 大臣に怒鳴られ、騎士団長は縮こまってうつむいてしまいました。


 それならば大臣に何か良い考えがあるのかといえば……


 いいえ、何も思いつかないのです。



 一年前と全く同じ顔でいつまでもうなっている家来達に、


 王は強く息を吐き出し、立ち上がりました。


 「こうなったら兵士の出し惜しみは無しだ!

  全ての民と兵士達でもって、総攻撃をかけてやる!」


 王の宣言に、家来達は一気に青ざめ、とんでもない、と王にすがりつきます。


 「そんなことをしたら国が保てなくなります!

  この国を狙うのはガヨナンだけではないのですよ!」


 「えぇい、離せ!こうして尻込みしているうちにも民は次々と殺されておるのだ!

  どうせ滅ぶなら、戦ってから滅んでくれるわ!!」



 王はどうしてもそう言って聞かないので、最後には民には内緒で、


 家来達の手で地下牢に幽閉されてしまいました。





 そうして国の半分近くがガヨナン達に滅ぼされた、ある日のこと。



 闇色の肌と血のような髪をしたガヨナンの女王は、


 食べきれないほどの獲物にほくほくしながら、


 薄赤い肉のへばりついた髑髏でお酒を飲んでいました。



 ガヨナン達の髪は多くが肌と同じ黒色か、濃い茶色だったのですが、


 この女王だけは血と花弁を混ぜた染料で、どす黒い赤に染め上げています。


 手足のカギ爪も同じ染料で綺麗に色をつけておりますし、


 そうとうにおしゃれ好きのようですが、


 かといってその身体は他国の王のようにたるんではおらず、


 美しく、張りのある、凶悪な重圧を放つ形に鍛え上げられているのでした。



 そんな女王が髑髏酒を楽しんでいると、


 人間の皮で作ったテントの中に、ガヨナンの男が駆け込んできました。


 「族長(ガヨナン達は王のことをこう呼ぶようです)!

  外に変なヤツが!!」


 「【変なヤツ】では分からん。男か?女か?」


 ほんのり頬を桜色に染めた女王に、兵士は片膝をついて答えます。



 「女だ!しかも、綺麗な女だ!」


 「それじゃあさっさと捕まえればいいだろう。

  何故わざわざ報せに来たのだ」


 「それが、なんだか、怖い女なんだ!」


 堂々と恐怖を口にする兵士に、女王はぴくりと眉を震わせます。


 上機嫌だった顔から、すぅっと笑みが消えてゆきました。



 女王は座っていた石の玉座から立ち上がり、髑髏の杯を、ものすごい握力で握り潰します。


 「そいつは、私より怖いのか?」


 「分からない。族長の【怖い】とは違って……不気味な【怖い】なんだ」


 「ほぅ、それじゃ、この目で確かめてやろう」


 女王は手の平から骨のかけらを地面に落とし、兵士と一緒にテントを出てゆきます。



 ガヨナン達の陣地は滅ぼした村を取り込むように作られていて、


 そこかしこに大小の人皮のテントが建っていました。


 空気は塩と肉の焼ける臭いに満ちていて、


 たくさんの闇色の戦士達が生活しています。



 兵士に案内されて陣地の北端に来た女王は、


 こちらに背を向け、ガヨナン達が積み上げた、屍の山を見上げる女を見つけました。



 女王は肌の上から、狼と鹿の皮で作られた鎧を着ていましたが、


 目の前の女は女王からすれば信じられない程肌の露出する服を着ていて、


 淫らがましい白い身体には、背中と腿にまるで蛇のような刺青が彫ってあります。



 風になびく長い金の髪に、


 女王は呆れたように兵士に問いました。


 「お前はあんなチビで、下品な女を怖いと言ったのか?」


 「違う、族長。あの女、凄く恐ろしい顔をしてるんだ。

  俺、喰われるかと思ったほどだ……何とかしてくれ。

  あいつ、俺の見張り場に居座ってるんだ」



 馬鹿な、と女王は舌打ちし、兵士をそこに残して女に近づいていきます。



 ところで女王は女をチビだと言いましたが、それはガヨナンから見ればの話で、


 ふつうの人間としては決してチビではなく、むしろ、少しのっぽな方です。


 鉄の靴を履いた脚はすらっと長く、ほどよく脂がのっていて、


 髪もまるで名馬の尾のようにさらりとしています。



 毛先に少しばかりはねっけのある女王は、そんな女の背後に立つと不意に嫉妬心を起こし、


 風になびく金髪をがっしと掴んで引き寄せました。


 「ぎゃっ……!」


 とたんに潰れた豚のような悲鳴が上がったので、女王は安堵します。


 (なんだ、やはりどうってこともない、ただの女じゃないか。

  どんな気丈な女もこうして髪を引いてやれば、品のない、豚と変わらぬ声を出す)



 そのまま顔を喰い荒らしてやろうと口を開けた女王は、


 しかし、濡れた鉄鋏のような眼に睨まれてぎょっとしました。


 髪と顎を掴まれて女王の胸にもたれる女は、まるで人形のようにととのった顔をしているのに、


 そこにはあまりに醜悪で、ねじまがった心を象徴するかのような…


 どす黒く、邪悪な色がはっきりとにじんでいたのです。



 この女は、毒だ。



 女王は獣のように、直感で悟りました。


 自分が捕らえた女の中には、毒と言ってよいほどたくさんの、


 におい立つような悪い血が流れている。


 それは一瞬にして美女の面影を粉々に打ち砕き、


 この国の誰もが恐れる、人喰いの女王を圧倒したのです。






 −それから、数日後。


 王都の寸前まで迫っていたガヨナン達が突然踵を返し、東の国へ戻っていったのを、


 人々はいぶかしみながらも、神が奇跡を起こされたのだ、と歓喜しました。


 この国の人々は根は強く真面目でしたので、敵さえいなくなればまた


 自分たちの力で豊かな暮らしを取り戻す事ができます。


 荒らされた田畑はまた耕せばよい、壊された家はまた建てればよい。


 死んだ人は決して帰っては来ませんが、彼らの分も幸せに生き、働く事が最高の弔いであると、


 民の全てではありませんが…多くの人々が確信していました。


 それは戦争のたえない大国に生きる人々の、もっとも健気な心のひとつだったのです。



 ですが、そんな民の思いとは裏腹に……


 かつての王の家来達は、国が自力でよみがえる事など


 期待してはいませんでした。



 「生き残った国民の数に対し、国の領土はあまりに広大すぎます。

  人のいない土地はいずれ隣国にかすめとられてしまうでしょう」


 いつもの会議室で、難しい顔をした騎士団長がやたらと低い声を出します。


 彼の視線の先では、王を地下牢に幽閉してから急に偉そうになった大臣が、


 ふんぞりかえって王の席に座っていました。


 「では、その土地に住まわせる人間を仕入れてくればよい。

  そこはひどい土地なのかね?」


 「もちろんです。ガヨナン達が喰い荒らした土地ですから、

  草の芽ひとつ残っていませんし、土も死肉を吸い、腐っています」


 「よしよし、実に結構。

  騎士団長よ、私の言うとおりにすれば、この国は一年で前の強さを取り戻すぞ」



 大臣は王から全権をあずかったと嘘をつき、


 周辺の弱い国に移民受け入れの報せを送りました。


 貧しい村人や自分の家を持たない流れ人は、


 大国の民になれると聞いて、大喜びで国境を越え、やってきます。



 ところが彼らにあてがわれるのは、ご存知のとおり……


 戦争で全てを失った、死肉のこびりついた荒地でした。



 豊かな土地で畑を耕せると思っていた移民達は怒って自分の国に帰ろうとしましたが、


 見張り役の兵士達に剣や槍でうちのめされ、


 囚人同然にその土地に閉じ込められてしまったのです。



 罠にはまった人々は奴隷にされ、無理やり死んだ土地で働かされ、ひもじい思いをしました。


 移民を出した国はこの事態にすぐに気づきましたが、


 ただでさえ戦争好きな大国に文句を言う勇気も力もなく、ただただ、沈黙していました。




 そんな日が、三ヶ月も過ぎたころ。


 国の東端の土地で捕まった移民がひとり、


 夜も遅くなってから、寝床から起きだしてきました。


 移民達は薄い一枚の布で身をくるみ、空の下、じべたに転がって眠るのが常です。


 この幼い少年もついさっきまで枯れ木の根元にもたれていましたが、


 あんまりお腹が減って眠る事もできないので、見張りの兵士のキャンプに行って、


 何か恵んでもらおうと思ったのです。


 (なるべくかわいそうな声をだそう。

  やさしい兵隊さんなら、干し肉をくれるかも知れない)


 少年は兵士達が移民を人間と思っていないのを知っていましたし、


 そう思え、と命令されているのも分かっていました。



 ほんの数分、何もない地面を歩いていると、少年はふいに誰かの影を見つけました。


 その影がまるい月を背に酒瓶を下げていたので、


 少年はおそるおそる、それに近づいてゆきます。


 影は兵士の鎧ではなく、なんだか赤黒いマントを羽織っているようなのですが、


 少年はこのさい誰でもかまわないと、すぐそばまできて声をかけました。



 「旦那様。もしこのいやしい奴隷を哀れと思われるなら、どうか……」


 「物乞いはあっち行きな」


 マントの人物は鉄の靴をかちりと鳴らし、若い女の声で命じました。


 少年は少し驚いた顔をしたのですが、鉄の靴で蹴られるのが怖いので、仕方なく踵を返そうとしました。


 ところが。



 「おまえ、あたしの【荷物持ち】かい?」


 再び声を返してきた女に、少年はさっきよりもっと驚いた顔で振り返ります。


 女はどこからか赤黒い、大きなつばつきの帽子を取り出して、頭にかぶりました。


 「【荷物持ち】にならないか、って聞いてるんだよ」


 「…おねえさん、僕は奴隷なんです」


 鉄色のめずらしい瞳が、少年を見返してきます。


 「奴隷って、誰の奴隷だい」


 「…王様の、奴隷です」


 「ふん、それじゃあたしが王様から、おまえを盗んでやろう。

  あぁ、そうさ。お前はあたしに盗まれて、魔女の荷物持ちになるんだよ」


 勝手にどんどん話を進めてゆく女が魔女を名乗ったこともあって、


 少年は細い足であとずさり、首を横にふり始めます。


 魔女はその様子ににんまりと笑み、マントをひるがえしました。





 −ガヨナンに滅ぼされた地域は、それから数ヶ月で見事息を吹き返し、


 綺麗な水が出る、植物の育つ土地になりました。


 移民達の血のにじむような苦労が、一年近くかかってようやく実ったのです。



 これには当の移民達だけでなく、全ての国民が喜び、国の再生を祝いました。


 お城でも玉座に座った大臣が、手放しで移民達を褒め称えます。


 「移民どもめ、血塗られた土地をよくぞここまでにしたものだ」


 「大臣のお言葉どおり、本当に一年で全てが元通りになりましたな…

  しかし、移民達はこの後どうするおつもりで?国民として迎え入れるのですか?」


 「まさか。正統な神の民の血筋を汚すつもりはない」


 大臣の顔から、喜色が消えました。


 騎士団長がにやりと、何が面白いのか唇を歪ませて笑います。


 「…彼らには奴隷として未来永劫、我々のために土地を耕してもらう。

  作物は王都へ上納させる。全てだ」


 「御意。奴隷には木の根でもかじらせておきましょう」



 大臣と、彼の家来達が大笑いする中、ふいに兵士が一人、玉座の間にやってきて、声を上げました。


 「若い女と供が一人、門の前に来ております。

  王の客人だと申しておりますが」


 「んん?王の客人………王は病に伏せっておられる身だ、私が代わりに謁見しよう」


 大臣は機嫌が良かったので、さして考えもせずそう言います。



 ややあって、大臣と家来達は石床を歩いてくる女の姿に仰天しました。


 なにしろ女は胸元と腰だけを隠す布切れのような淫らな服を着ていて、


 他には鉄の靴を履き、マントを羽織り、つばつきの帽子をかぶっただけという……


 およそ王に謁見しようという者の服装ではなかったのです。


 「無様な!衛兵!この女を今すぐ城の外に……」


 「まぁ、待て待て。話ぐらい聞いてやろう」


 激昂する騎士団長をいさめる大臣は、


 女の姿に驚きながらもまんざらでもなさそうに腕を組みます。


 長い金髪を指で掻き揚げる女は意地が悪そうでしたが、大臣が赦す程度に美女でした。


 女のすぐ後ろを布袋を背負って歩く少年も、小奇麗で、


 子猫のように愛らしい顔をしているのです。



 女は大臣達の前に来ると、帽子を脱ぎ、優雅に一礼してみせました。


 「皆様方、わたくし【おばば】と申します」


 「オババ…?なんと、そのように美しいそなたにそのような名をつけるとは、酷い親もあったものだ」


 軽く笑う大臣に、おばばは礼をしたまま、うつむき気味ににたりと笑います。


 その顔は醜悪な色に歪んでいて、不幸にも大臣達はそれに気付きませんでした。


 「それで、我が王に何の用かな?」


 「ご褒美を、いただこうかと」


 やれ、何のことかと自分を見る大臣達に、おばばは礼を崩し、腰に手を当てて彼らに笑いかけます。


 供の少年の可愛らしい顔が、かすかに震えだしました。



 「そう、先ずは竜の花嫁となり…あたしを産んだ、お母様の分」


 「なに!?」


 ぎょっとする相手を、おばばは笑顔のまま、根目つけます。


 「次に…ガヨナンの侵攻を押しとどめた……あたし自身の分」


 「……」


 「…全部【神の奇跡】で済ませられちゃぁ、たまらないねぇ……」


 おばばの両腿を這う蛇の刺青を見つめながら、大臣はぐ、と唾を呑みました。


 忌まわしい魔女と竜が本当に子を産んだなど、誰も想像すらしなかったのです。



 大臣は玉座に座ったまま、あえて笑みを浮かべ、動揺を隠すように訊きました。


 「それで、どんな褒美を望むのだ?おばばよ」


 「決まってるだろ?これだよ、これ」


 人差し指と親指で金貨の形を作るおばばに、大臣は声を上げて笑いました。


 笑って、笑って、



 悪鬼のような形相でおばばを指さし、叫びました。


 「殺せぇえッ!!悪魔の娘だ、切り刻んで滅ぼすのだァッ!!!」


 すぐさま騎士団長や兵士達が剣を抜き、おばばに向かってきました。


 怯えて自分のマントにすがりつく少年を撫でながら、おばばは笑みを消して……


 薄い唇を、音を立てて裂き破りました。



 頬肉の裂ける音と、顎の外れる音が響き、


 おばばの喉奥からあの忌まわしい、腐った血の奔流がほとばしります。


 向かってきた騎士団長達がどす黒い流れに呑み込まれ、あたりに腐った赤が満ちてゆき……


 さながら洪水のように、お城を腐った血が埋め尽くしたのです。





 「……ねぇ、おばば様」


 血塗れの少年が、金貨や宝石が山のように積まれた馬車を操りながら、振り向きます。


 その視界には自分たちの業ゆえに真っ赤に染まった王城と、


 素っ裸で財宝風呂を楽しむ魔女がいました。


 おばばは俗物的な嬌声を上げ、全ての指に大好きなルビーの指輪をはめています。


 「…この国、これからどうなるのかな……」


 「さぁね、お偉方はみーんな血の海に沈んじまったからねぇ。

  またどっかから新しい指導者が現われるだろうよ」


 「……移民を解放してくれると、いいんだけど…」


 「なるようになるさ。ま、あたしがガヨナン達を止めなきゃ…

  おまえ達もあんな目には遭わなかったんだけれど」


 ちっとも負い目を感じていないおばばの笑顔に、


 少年は首を振り、前を見据えて悲しそうな顔をしました。


 「…戦争でも、なんでも……人が死ぬのは、悲しいです……

  何故人は殺し合うんだろう」


 「人は全てを赦せないのさ。それが原因だよ。

  自分の民、自分の一族、自分の仲間、自分自身……

  何かを守ろうとするのは、他の何かを殺そうとする事さ」


 「…そうでしょうか」


 「そうだよ。

  まぁ、ヤツらの場合……ちぃっとおイタが過ぎたのかもしれないけどねぇ」


 少年は背中に、底冷えのするような怨嗟を感じ、もう一言も喋りませんでした。




 その後、お城の地下牢に入れられていた王が生きて見つかり、国はまた王の手に委ねられました。


 王が心を入れ替えたり、戦争嫌いになるような事はありませんでしたが、


 彼は国の復興に尽力した移民達に国民と同等の権利を与えました。



 そしておばばはどうしたのかと言うと……


 自分の母親が住んでいた北の森に宮殿を構え、


 荷物持ちの少年と、ガヨナンの女王を供として、


 末永く悪さをして暮らしたそうです。

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― 新着の感想 ―
[一言] キーワードでゲド戦記を連想しましたが、こちらのほうがすごくダークで総会ですね(^^;) 先生の作品は異型のキャラクターたちがめちゃくちゃかっこよくて好きです。また書いてくださらないかなぁ… …
[一言] ブラック童話としてよくまとまっていて、面白く読ませていただきました。 ガヨナンという固有名詞は出さなくてもよかったかもしれませんが、雰囲気のある響きで、個人的には好きです。
[一言] オチにもう一捻りが欲しかった。
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