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バブル景気の終わる頃、偶然と勘違いによって男友達がたくさんいる女の子と恋人になった

作者: みなぎ

僕達は第二次ベビーブーム世代として生まれ、中学高校は受験戦争の最前線を生き延び、学歴主義が崩壊して就職氷河期に直面した悲運の年代。


そんな僕達が、年号が平成に変わった頃の、バブル経済が崩壊していく中で過ごした恋愛の物語。


まず最初に僕の自己紹介だけれど、身長が少し高くて多少勉強が得意というだけの至って平凡な男だ。異性に一目惚れされるようなイケてる顔でもなく、運動や芸術面も特に秀でたものもない。女の子から精々マジメそうとか誠実そうとか褒められるのがやっとのモテない男だ。


趣味もアニメやゲームといったオタク系で中学時代はあまり話の合うクラスメイトは居なかったけれど、進学校の高校に入ると嗜好や趣向が合う友人がたくさんできて嬉しかった。


こんな僕なので、中学から高校にかけての6年間、女の子と一度も付き合ったことはない。仲良くなったり好きになった子はいたけれど、告白する勇気もなかった。


そんな僕が、高校1年生の時に初めて話をして、そして仲良くなった女の子がいる。名前は田中さん。田中さんとは高校一年のときに同じクラスとなり、さらに偶然にも同じ部活になった。これがきっかけで、僕と田中さんは仲の良い女友達になった。



その田中さんだが、クラスの男子に尋ねれば半分以上が「可愛い」と答え、残りは「ふつう」と答えるくらいの容姿だと思う。ちなみに僕の意見は前者だ。田中さんは学業もスポーツも平均以上の成績で、中学では演劇部の部長をしていたらしい。そんな彼女だが、とにかく男子に人気があった。理由は彼女の容姿というより、その卓越したコミュニケーション能力にあったと僕は思う。


まず田中さんはとても話し上手で打ちとけ上手だった。初めて彼女を見た時からとても話しやすい印象を持っていて、実際に初対面の頃から気さくに会話する事ができた。僕や田中さんの通っていた高校は進学校だったが、当時は男子生徒の数の方が圧倒的に多く、僕も含めてオタク気質の男子も多かった。


そんな男子は同じクラスや部活であっても女子と雑談するのはなかなか難しいものだが、田中さんは誰にでも分け隔てなく気軽に話し掛けてくれた。言いすぎかもしれないが、この一点だけでも奥手な男子にとっては女神のような存在だ。



それに加え、田中さんは聞き上手で褒め上手でもあった。思い当たる人も多いと思うけれど、男というものは女の子に自慢したがる生き物である。高校男子でも「テストで●位だった」「□□を買った」「スポーツで入賞した」「美術で賞をもらった」といったように、大なり小なり他の人より秀でた所を主張したり威張りたい性質を持っていると思う。


特に進学校ともなるとその傾向は強い。田中さんはそんな男の稚拙な自慢話を笑顔で嬉しそうに聞いてくれる上に、必ずそのあとに褒めてくれるのだ。



そして田中さんは会話の盛り上げ方も上手だった。勉強やスポーツだけでなく、美術や旅行の話など、話題の引き出しがとにかく豊富だった。また当時流行っていたトレンディドラマに歌番組、アニメや漫画といった娯楽についてもばっちりだった。どれもこれも男子が話題にしやすいテーマだ。


お兄さんの影響でそういう方面にも詳しくなったらしいけれど、とにかく男子が好む趣味にとても理解が深かった。また自分が知らない話題についても、興味深そうに聞いてくれたものだった。



あと高校生なのに田中さんはシモネタを振っても大丈夫だった。これも彼女のお兄さんの影響があるとは思うけれど、本当にすごいことだと思う。ちなみに色気づいた高校男子というのは、得てして女の子に興味津々で、成長期でもあるので性のことにもこれまた好奇心旺盛だ。


とはいえ中学や高校で彼女が作れるような男子ならともかく、普通の高校男子は女子と会話することすら難しいものだ。たとえ多少仲良くなった女の子ができても、その子にシモの話などできるはずがない。ウブな男子高生なぞ、同じクラスの女子と話をするだけでも緊張する生き物だ。ちなみに女子と会話をしない自称硬派な男子もちらほら居たが、それもまた女性への興味の裏返しだったと思う。


しかし田中さんはこれまで述べたように、男にとって話がしやすい女子だった。それだけでも貴重な存在なのに、部活の先輩が繰り出すシモネタや色ボケ話を、少し恥じらいながらも上手に乗ってくれるのだ。多分、先輩たちも可愛い女の後輩が良い反応をするのが楽しかったのだろう。それゆえ田中さんがいる放課後の部室では、スケベで有名な先輩がいろんな話をしてくれたものだ。


部室で僕と同い年の女の子が、先輩たちのエロ話を自然に聞き出し、それを広げる。ただでさえ先輩たちの語るシモ系の話に僕は興味津々なのに、僕と同い年の女の子がその話を転がしていくのだ。この人は本当に何者なんだろうと当時は思ったものだ。



そして最後だけれど、田中さんの真にすごい所は、男子と一緒に行動するのに何の抵抗も遠慮もないことだった。3回くらい部活の関係で休日に田中さんと2人で出掛けたことがあるが、当時彼女などいなかった僕にとってそれはデートのように思えた。たまたまだけれど図書館で2人で勉強したこともあった。


でもそれは僕だけじゃなかった。同じ部活の男子も田中さんと2人で遊びに行ったり一緒に勉強したりしていた。それを実際に見ていたお蔭で、田中さんはもしかして僕に気があるんじゃ……と勘違いしないで済んだ。逆にまったく気負いもなく年頃の男子と2人きりになってしまえる田中さんを尊敬したし、デートのような体験をさせてくれた田中さんにお礼を言いたいくらいだった。



そんな田中さんだったので、僕のような同級生だけでなく先輩たちにも人気があった。高校2年生の時、前年に卒業した先輩が放課後に学校に来て、親に買ってもらった車で彼女を遊びに連れて行く姿も何度も見た。なお景気が絶好調だった当時、大学生が車を持っているのはよくあることだった。


とても失礼な表現なのは重々承知しているけれど、田中さんというのは天然のキャバ嬢のような女の子だった。今の表現ならばコミュニケーション強者になるだろうか。


あまりに天性の聞き上手、そして褒め上手。そこそこ可愛くてシモネタも同伴も拒まないという、高校生にして完成度の高いキャバ嬢。自力で彼女を作れるような恋愛勝者の男子には人気はなかったけれど、逆に女の子に縁がない大勢の男子には絶大な人気を持っていたのが田中さんだった。


実際、「田中さんって俺に気があると思う」と勘違いした男子がクラスだけでも3人は居たし、1年生の間に4人から告白されたと本人から聞いている。僕は幸いにも田中さんと同じ部活に所属していて、彼女の本質をある程度わかっていたから良かったものの、もしそうでなかったら勘違い男子の一人になっていただろう。


ちなみに田中さんは2年生の頃に、同じクラスの男子と付き合い始めていた。ただ本人たちがそれを隠していたので、彼氏がいる事を知らずに田中さんに告白した同級生や先輩もいた。結局田中さんは高校時代に3人と付き合ったものの、どれも数ヶ月で別れてしまっていたらしい。このあたりの話は後日、田中さん本人だけでなく当時の彼氏からも直接聞いているので、極めて正確な情報だと思う。



なお僕や田中さんの通っていた高校は県で一番の進学校だったので、付き合っている男女がすることは登下校や休日の勉強を一緒にするというのが精々で、頑張っても手を繋いで歩く程度だった。天然キャバ嬢である田中さんもまた、高校時代は清く正しい交際にとどまっていた。


ごく例外的に一線を越える男女も中にはいて、放課後になると人がいない教室や部室で体を密着させベタベタしているカップルも確かに居ることには居た。ただ負け惜しみではないが、羨ましいとはあまり思わなかった。


なぜなら当時は平成になったばかりの、世の中では学歴主義だの受験戦争だの言われていた時代。そんな進学競争の最前線にいた『進学校の生徒』にとって、性的関心よりも良い大学に入る方がよほど重要だったのだ。もちろん両立できる人もいた。高校卒業より早く童●を卒業し浪人せず早●田に受かった先輩も知っているが、現役で受験に保健体育の実技までこなせるような人はほとんど居なかったと思う。


逆に彼女にうつつを抜かして成績がガタ落ちした奴もいたし、受験の妨げになるからといって別れたカップルも知っている。一部の進学校に限られてしまう話かもしれないが、彼氏彼女を作ったり遊んだりするのは大学受験がうまくいってから、という風潮があったように僕は感じる。



さて、そんな一部の男子に絶大な人気を持っていた田中さんだが、彼女からみた僕は同じ部活の一人に過ぎなかっただろうし、僕にとってもそれは同じだった。僕は理系で田中さんは文系だったので2年生のときに別々のクラスとなったし、3年生になって部活動が終わると田中さんとしゃべる機会もほぼなくなった。その頃は携帯電話もなかったので、今のように気軽に連絡が取れる方法もない。


田中さんの事を思い出すこともないまま秋に入り、その頃には多くの生徒が受験勉強に明け暮れていた。当時の受験戦争は本当に殺伐としていたし大変だったけれども、それでも高校生活の終わりが近付いてくるのに一抹の寂しさを感じていた。


─────


年が明けてセンター試験が始まり、自己採点のあとすぐに私立大学の試験に突入する。それが終わると国公立の大学入試だ。僕は私立はすべて合格したものの、残念ながら本命の国立大学に落ちてしまった。本命より偏差値が1つ下の大学を後期で受けて合格し、そこに進むことにした。ちなみに田中さんの本命は筑●大学だったらしいが、校内の合格発表リストに彼女の名前は載っていなかった。


今とは違うかもしれないけれど、当時は実力テストや大学受験の結果はすべて廊下に貼り出されていたので、誰がどの大学に受かったかを生徒全員が簡単に把握できた。なお僕らはベビーブーム世代なので受験生の数は過去最多に近く、さらに学歴主義が先鋭化していた時代だったので、みんな少しでも良い大学に入る事を熱望していた。


結果、滑り止めの大学に進むことを良しとしない人も多く、僕のクラスでも半数以上が浪人する事を選んでいた。ただでさえ人数が多い現役生徒に、前年までの浪人生まで混ざっての大学受験は本当に厳しいものだった。受験者数は過去最多を更新し続けたその時代、浪人はなんら珍しいことではなかった。



その年の合否発表が終わり、自由登校となっていた3月のある日、僕は学校の廊下で久しぶりに田中さんと会った。軽い挨拶の後、当然進路の話になった。僕は本命は落ちたけれど後期で受かった国立大学に進む予定だと話すと、彼女は滑り止めの私立大学に進むか浪人するかで悩んでいた。


「僕は早く社会に出たいから浪人しない。本命に落ちたのは悔しいけど、一年もまた受験勉強をしたくないし、大学の勉強の方が楽しそうだし。あとやっぱりお金がかかるのは親に悪いから国立にする」


僕たちが卒業する年、バブル景気の崩壊が始まったばかりだった。不良債権という高校生にはまったく馴染みのない単語がニュースで飛び交い始めた頃だったが、それでも銀行は倒産してなかったし、住専問題も表沙汰になっていなかった。株価に加え別荘やゴルフ会員権の価値が下がり始めたのが目立つ程度で、そもそもバブルなんて言葉すらほとんど使われていなかったはずだ。


だからテレビを含め多くの大人たちは「かならず景気は持ち直す」「少し時間がたてば株価は戻る」と楽観視しているようだった。そんな頃だったので世間的にはまだ私立大学の方が人気が高く、同じ偏差値の大学だったら国立より私立に行く、という風潮が根強く残っていた。


僕の親はバブル景気に良くも悪くもあまり影響がない職業だったが、逆に株や投資にも縁のない人間だったので家計はそれほど裕福ではなかった。また僕は小学生の頃からある会社に入ることが夢だった。その会社は東京の一部上場企業だったので僕はなるべく東京の有名大学に入りたかったし、とにかく早く大学を卒業してその会社に就職したかった。


大学は通過点でしかなかった僕に浪人するという選択はなく、また東京の私立大学も魅力ではあったものの、ただでさえ物価の高い東京に住むことを考えると学費の安い国立大学を選ぶのが当然だった。


僕はそんな理由を含めて自分の進路を説明した。家はそんなに裕福ではないし、受験勉強するより早く大学を卒業して働きたい。多分、そのころでは少数派の理由だったと思うが皆無だったわけでもない。高校で一番の親友だった佐々木君は受験を県内の国立大学一本に絞って見事に合格したが、理由はやはり家計に余裕が無かったからだった。


ただ僕や佐々木君のような人間は少なかったようで、地方の国公立大学は世間一般として人気は低く、多くの同級生が都会の私立大学を進路に選んでいた。偏見かもしれないけれど、地方の国公立大学に進む人間はあまり裕福ではないという雰囲気がまだ時代として残っていたような気がする。


その頃には廃れ始めた言葉だけれど、当時まだ「国易私難」なんて言葉があったし、テレビでは「私立大学の学食ランキング」「女子が合コンしたい私立大学は?」「人気アナウンサーの出身大学は?」といった人気競争を煽る番組がたくさんあったのを覚えている。それくらいに都内の私立大学は人気だったのだ。


田中さんの受かっていた私立大学もまた東京にある△△大学で、箱根駅伝で毎年見る名前だし、30年近く経った今も人気があると思う。その大学に入るために浪人する先輩もいたくらいなので、滑り止めとはいえ現役合格なら充分な成果だと僕には思えた。


また田中さんが言うには、父親は誰でも知っている大企業に勤めていて金銭面でも余裕があるので、両親はその私立大学で良いよと賛成しているらしい。彼女の本命である筑●は、当時は陸の孤島と言われるくらいに僻地で遠い場所だったので、それも田中さんの両親にとってマイナスイメージを持っているらしかった。


浪人して筑●大学をもう一度受験するか、東京の滑り止めに行くか。久しぶりに会った僕に相談するくらい、田中さんは悩んでいた。


「僕だったら東京を楽しみたいけどな。鈴木先生の言葉を信じると、この先の景気がもっと悪くなりそうだから、早く就職した方が良いと思うしね」


鈴木先生というのは現代社会の教師で、一年生の頃のクラス担任だ。まだバブル崩壊が始まる前からずっと「今の日本はおかしい。こんな景気は続くはずないし、景気が悪化したら想像を絶するほど不景気が待っている」と言っていたのは鈴木先生だけだった。その授業を受けたころは景気が最高潮のときで『バブル』という言葉すらなかったのに、鈴木先生だけが正しく現実と未来を見据えていた。


1990年頃までの就職活動は完全に売り手市場で、1人で何十社も内定が出ただの、Tシャツの格好でも合格しただの、面接会場が高級ホテルで豪華な食事が奢られただの、地方の大手メーカーが内定者に通勤用の新車がプレゼントされただの、今では信じられないくらいに景気の良い話ばかりだった。


そんな中で、あと数年後には景気は悪化し就職は相当難しくなると警告していた鈴木先生は異端児で、周囲の誰もがそれを戯言とか冗談だと受け取っていたように思える。



僕は鈴木先生の授業が大好きで、一人だけ「今の景気はおかしい。君たちが大学卒業する頃には保たないかもしれない。だから各自、それぞれ強みを持つように励みなさい」と授業中によく警鐘を鳴らしてくれたその存在がすごく印象的だった。景気が一気に悪化するとは思えなかったものの、なぜか親も鈴木先生と同じような意見だったので、僕はその言葉をなんとなくだけど信じていた。田中さんも一年生の時に同じクラスだったから、鈴木先生の忠告や警鐘を覚えていたようだった。


僕の言葉を神妙な面持ちで聞いていた田中さんは、まだ思い悩んでいた様子だった。ただいつも笑顔でモテない男たちのアイドルだった田中さんが、暗い顔をしているのが妙に気になった。それに彼女とこうして二人っきりで会話をするのも今日が最後だと思ったので、僕は励ますつもりでこう言った。


「田中さん、いつも笑顔が可愛かったから、今の悩んでる顔はあまり似合わないね。納得できないなら浪人するもの有りだと思う。ただもし△△大学に行くんだったら、東京で僕と遊んでよ」


一字一句正しいかは流石に覚えていない。でも「笑顔が可愛い」と言ったのは確かだ。我ながら高校生の身でよくそんなセリフをと思うが、田中さんに恋愛感情がまったくなかったから言えたのだろう。田中さんはいろんな男子に告白されてるから、これくらい言われ慣れているだろうと思ったし、その時の僕は相当軽い気持ちだったのは確かだ。


そもそも僕は田中さんと2人きりで出かけたことはあっても2人きりで遊んだことはない。他に部活やクラスの男子が交じる中で一緒に遊んだ事があるに過ぎない。どうせ高校を卒業したら田中さんと会うこともないだろうと思っての、ただのその場しのぎ、社交辞令を言っただけなのだ。


他にも少し話をした気がするが、その辺りは覚えていない。ただ僕は一切そんなつもりはなかったが、このセリフが田中さんにとって『僕が告白した』事になっていた。なぜだかわからないが。


─────


そんな会話をした日から大学に入学するまでおよそ半月くらいしかなかったが、とにかく大忙しだった。その中で特に困ったのが下宿先だ。僕はベビーブームの世代で、進路が決まったのが一番遅い時期だったので、大学や不動産屋が掲示していた良い物件はすべて埋まってしまっていた。結局、大学玄関の掲示板に最後まで募集が残っていた「築30年、家賃4万円」という少し怪しげなアパートに住むことにした。


忙しくも新たな生活に向けて心地よい緊張が続く3月も終わる頃に、田中さんから電話があった。携帯電話などなかった当時なので、かかってきたのは家の固定電話だ。昔はクラスの連絡網という仕組みがあって、そのプリントがあれば同級生の住所や電話番号がわかるようになっていた。とはいえ田中さんから電話をもらうのは初めてのことだった。


「私、△△大学に行くことにした」


△△大学というのは、東京の私立大学。つまり彼女は浪人ではなく進学を選んだのだ。内容はともかく、なぜ報告とはいえ僕に電話をかけてきたのかが分からなかった。「そうなんだ。僕も第一志望に落ちたから、仲間ができて嬉しいな」とかそんな事を適当に言ったのを覚えている。問題、というか衝撃はその後だ。


細かいニュアンスは違うかもしれないけれど、言われた内容と、その時に自分がどう思ったのかはよく覚えている。


「それで、電話であれなんだけど、返事をしないのもどうかと思って。いろいろ悩んだんだけど、OKということで良いかな?」


(え?何の事?返事?OK?卒業後に部活の連中で何か集まろうとか、そういう話があったっけ?)


瞬時にいろいろと記憶をほじくり返すものの、本当に何のことか分からなかった。仕方がないので、聞き返した。


「ほら、告白してくれたでしょ。断るなら返事はしなくてもいいと思ったけど、今ちょうど彼氏はいないし、私も悪くないなと思ったし、ならなるべく早く答えた方が良いかなと思っで電話しちゃった」


「え?告白って─────」


何のことだか、本当に分からなかった。田中さんに悪くないと思われているのは嬉しかったが、僕から彼女に恋愛感情はない。誰かと間違えているんじゃないかとさえ思ったくらいだ。


「ほら、あの卒業式の前の週に廊下で。告白だよね」


電話のくぐもった声。瞬時にその時の会話を呼び起こし、ようやく思い出す。可愛いとか、僕と遊んでよとかそんな事を言った。ただ僕は告白したつもりは当然無いし、好きだとか付き合ってとかを言った覚えはない。なぜ社交辞令のようなセリフが告白に変換されたのか、今でもわからない。


それに田中さんは可愛いとはいえ僕の好みとはちょっと違っていたし、一緒の部活を通して彼女が天然キャバ嬢のような存在だと知っていたので相性も合わないだろうと思っていた。好きか嫌いかの二択なら好きと答えるが、あくまで田中さんは女友達だったのだ。


しかし、何の偶然か、彼女は僕と付き合っても良いと言ってくれた。それに僕はその時点でも女の子と付き合ったことがなかった。


棚からぼたもち、天佑、僥倖、そんな言葉が僕の脳裏に浮かぶ。受験も終わって大学生活が始まるとはいえ、僕の進む大学は理系学部のみで女子がかなり少ない。また外聞的にも女性に圧倒的に人気がなく、合コンしたくない大学の上位であることもすでに知っていた。


高校時代に女性に縁がなかった僕が大学に進んでも、彼女ができる確率は相当に低いだろう。ならこのチャンスをモノにした方が得ではないか?どうせすぐ別れても、彼女が居たという事実は残るわけだし……と、ここまで瞬時に判断した。多分、田中さんの発言から一秒も掛かっていないと思う。本当にその時の僕の脳みそはフル活動し、思っても見なかったセリフを即座に吐いた。


「うん、田中さんのことが好きです。お願いします」


我ながらヒドいと思うが、こうして田中さんの勘違いと僕の損得計算によって、恋愛感情がほとんどないまま彼女と付き合うことになった。なお僕らのように卒業に合わせて告白しカップルになった同級生は知人友人だけでも4組は居た。でもみんな3年保たなかったし、僕と田中さんも例外ではなかった。


─────


結論から言う。大学生活と同時に始まった田中さんとの付き合い。最初の一年は良かった…と思う。いろいろ問題はあったけれど、それは僕があまりに幼稚で未熟で馬鹿で女心に疎かったから仕方ないと思う。ちょっと我慢すれば十分に幸せだった。


二年目に、それまで我慢し続けていた違和感が隠せなくなってきた。いろいろ頑張ったけれどひどくなる一方で、何をやっても払拭できなかった。どうやっても駄目で、その時の僕には解決できなかった。


三年目に入ると、僕は田中さんと別れる事ばかり考え、とうとうそれを口にした。友達関係に戻ろうと何度も伝えた。しかし彼女は頑としてそれを受け入れてくれなかった。彼女は僕と結婚するつもりだとまで言った。それはとんでもない事だった。僕は彼女と一緒に居たくなかったし、彼女から逃げまくった。合鍵を渡してしまっていたのでアパートには帰れず、最後の方はなんと実家に逃げ帰ったくらいだ。それほどまでに彼女が自分と同じ部屋にいることが嫌で嫌でたまらなかった。



なぜそんな顛末になってしまったのか。それは僕も悪い。きっかけはともかく、付き合い始めてからも僕の至らなかった点は重々承知しているし、反省している。


ただ最も駄目だったのは、僕も田中さんも『小さな事を我慢してし続けてしまった事』だろう。『我慢』を『努力』と履き違えてしまったのだ。我慢はなんにも解決にならず、ただ問題を先送りしているだけに過ぎない。それが分かっていなかった。


お互いが「自分が我慢していれば大丈夫だから。今は言わないでおこう」とか考えてしまって、でも結局そうした小さな不満が溜まっていき、最後に我慢しきれなくなって喧嘩になってしまう。それを何度も繰り返してしまった。


相手に嫌われたくないから我慢する。その我慢が爆発して喧嘩して、でも根本的な部分が解決できないまま、また同じことを繰り返す。


僕はどんどん嫌になって、解決を諦め別れを選んだ。彼女はどういう心理なのか不明だけれど、それでも僕との交際続行を選んだ。僕達の仲はこじれにこじれていった。


もう一度書くが、我慢すれば良いというのは健全な恋愛関係ではなかった。それなのに僕と田中さんは結局小さいことを我慢して不満を溜め込んでしまったのが致命的だった。我慢するのではなく、お互いに注意して、それを修正すれば良かっただけなのだ。修正できなかったとしても修正しようと努力すれば展開は変わっていたかもしれない。


しかし僕は「こんな事を言うと機嫌が悪くなるかな?」「言っても仕方ないかな?」「そのうちわかってくれるかな?」とか考えて我慢してしまった。それが駄目だったと思う。我慢は環境を変えたくないという後ろ向きの考え、努力は環境を変えるための前向きの考え。似ているようで何もかも違うものなのに。



ただ、付き合っていた当時、不可解に思った事がある。田中さんは天然のキャバ嬢として男心を掴むのに長けていたのに、なぜ恋人である僕の気持ちを分かってくれなかったのだろうか?と。


今なら理解できる。田中さんは『男心が分かる』のではなく、『無意識に男心を掴むことが出来る』だけの、年相応のただの未熟な女の子だった。『無意識に男心を掴むことが出来る』ものだから、彼女は何も思っていない男から好意を向けられるし、意図していないのに自分のことを好きだと勘違いさせてしまう。『男心がわからない』から付き合っていた時に僕が不快に感じた事に気づかないままだったのだ。僕はきちんと不満を口に出して彼女に伝えるべきだった。


ちなみに後日、僕の前と後に田中さんと付き合っていた人たちと実際に会って話をした事があるが、やはり二人とも僕と同じ思いをしていた。僕を含め、田中さんと付き合った男は自分から別れを切り出し、別れた後もあまり良好とは言えない関係になってしまうのがオチだった。


彼女が10代のころ一番長く付き合ったのが僕だし、最初に深い関係になったのも僕だ。だから僕が田中さんに男心や男の考え方をきちんと伝えていれば良かったのだとも思う。でも高校卒業したばかりの男で、そこまで女性の心理に精通し、女性の考え方を修正できるやつがいるとしたら、それは相当な恋愛熟練者だろうし、そんな能力をもっている男なら自分好みの女性とさっさと付き合っていると思う。


結局、田中さんは奥手で恋愛が不得意な男子ばかりにモテており、そんな恋愛初心者の男子に田中さんの剛な性格をどうこうできるほどのスキルはない。だからみな同じような理由によって、田中さんと別れるべくして別れたのだと思う。



この後は、僕と田中さんが付き合っていた二年ちょっとの思い出話と、それを通してどれだけお互い通じ合っていなかったか、何を我慢してしまったのかを語ろうと思う。お互い分かってくれるだろうという甘えがあって、でも本当ならばきちんと口に出して伝えなければならなかったのに、それをしなくて失敗した情けない話だ。


─────


大学生活。僕は築30年というアパートの一室を借りた。一階が大家さんで、二階に2部屋あって、手前側の201号室が僕の部屋だった。家賃は都内で当時一月4万円という破格の値段。


比較対象として高橋くん ──同じ高校出身の裕福な友人だ── が世●谷区にアパートを借りていたが、その家賃が一ヶ月で19万円だった。僕と高橋くんは違う大学だけれど同じ沿線上にあって、距離もほんの数駅という近さだ。つまりピンキリある大学下宿先において、高橋くんがピンで僕がキリだ。


ただ僕のアパートは古いだけで、中身はそこそこ綺麗でとても満足だった。台所は広いしトイレと風呂は別だし、風通しが良かったので冷房がついてなくても問題なく、駅も大学もなんとか徒歩圏内でまさに掘り出し物だった。とはいえ景気がまだかろうじて良いその時代に激安アパートの需要は少なかったようで、201号室は数年ぶりに僕が住むことになったが202号室はその年も空室のままだった。


僕と同じ地方から東京に出てきた田中さんは、アパートではなく親戚の家に下宿することになった。その家はJR中央線のとある駅から徒歩10分程度の所にある一軒家で、敷地内にある離れが彼女の住まいとなった。その離れはもともとその親戚のお嬢さんが大学時代に住んでいたけれど、卒業して使わなくなったのでそこを間借りしたという事だった。


離れといっても台所や風呂まで備わっていて、小さな一軒家のような環境だった。ただその下宿先から田中さんの通う大学まで結構距離があり、彼女は乗り換え2回の片道40分の通学となっていた。



さて大学が始まると、何もかもが新しい環境になるため、日々はあっという間に過ぎる。そんな中、地方から出てきた学生ははじめての一人暮らしになるため、まず朝昼晩の食事だけでも大変だ。当時はコンビニ弁当は高い上に美味しくなかったので、料理スキルの無い人間は途方に暮れることになる。昼は学食、夜は外食、朝はパンかもしくは食べないといった同級生が結構いた。女子でもいた。それくらい、毎日の食事の支度というのは大変なのだ。


僕は母親から料理を叩き込まれており、自炊が結構楽しかった。ただ友人関係に影響するので昼はなるべく学食を利用したが、朝晩の食事は自分で用意できるようになっていった。一方で田中さんは、朝晩の食事は本宅の親戚と一緒に食べているとのことだった。


ようやく一人暮らしに慣れ始めた頃に5月の連休が来る。その時に僕は田中さんと深い仲になった。高校時代から何人も彼氏がいた田中さんだったが、実はキスすらした事がなかったのは意外中の意外だった。大学生になるまでは清い交際までと決めていたらしく、初めて僕の部屋で一晩を過ごした時にそれを教えてくれた。


ちなみにお互い初めて同士だったので、行為自体は全然うまく行かなかった。最初から最後まで本当にギクシャクしてて、最後になんとか入るまでは出来たものの、痛がるわこっちも全然気持ちよくないわで、入れただけですぐ結合解除となった。ただ卒業できたという達成感と根拠のない自信はついた。



僕にはよくわからないが、体の関係が出来ると女性はとてもベタベタしてくるものらしい。僕も真似してベタベタしたかったものの、モテたことのない男の情けなさというか拒まれる事が怖かったので、こちらから積極的に接触することが出来なかった。ただ田中さんと心理的だけでなく物理的な距離も縮まったということは実感していた。


個人差はあるだろうけれど、18歳で受験が終わって一人暮らしとなれば、それまで抑圧されてきた性的欲求は半端ない。ただ僕は初めて触った女性の裸体を思い出し、その感触を思い起こすだけで、その欲求を満たす事ができた。それまでの写真(エ●本)や映像(ア●ルトビデオ)では絶対に味わえない視覚と感触。それくらいに女性の裸体を生で見て触ったという感動と満足感はすごかったのだ。もちろん今でも女性の体とは美しいし素晴らしいものだと思う。



彼女の体が十分に成熟して充実した結合動作が行えれば最高であるものの、勘違いから始まった交際なので高望みはしなかった。というか卒業させてくれてありがとうという感謝がまずあったので、彼女にそうした面で無理強いはしなかったし、そのうち上手く行けばいいや程度に考えていた。


達観していたというより、まずモノを入れるだけでも何十分もかかるし、入れてもかなり痛がるんで、その間にこちらの気持ちは完全に萎えてしまうのだ。2回目以降も血は出ないものの、入口が少し裂けて切れていたのを見てしまい、こりゃ無理だと早々に悟ってしまったのも大きい。


とはいえ裸同士で抱き合える仲になったわけで、そうなれば愛情も湧くし、これからも大事にしようと考える。はじめての付き合いなので、舞い上がってキザなセリフや戯言もたくさんしゃべる。ただ僕はいいかげんな性格なので、田中さんに何を言ったかよく覚えていない。しかし田中さんは記憶力がとてもよくて、僕が何を言ったのか何をしたのかを本当によく覚えていた。


─────


さて、高校時代は天然のキャバ嬢としてモテない男の良き話し相手だった田中さんだけれども、大学に入ってどうだったろうか?彼女の進学した先は男子女子が同じくらいの人数で、人気のある私立大学なので、彼女の存在は目立たなくなるだろうと思っていた。しかしそれは間違いだった。


彼女は彼女だった。男を褒めるのが上手、男の話を聞くのが上手、男と一緒に歩くのを気にしない。笑顔が可愛くて化粧っ気もあまりないところも受けが良かった。そして場所は東京、どこもかしこも楽しい所だらけだ。


田中さんの通う大学は渋谷や新宿に近い。カラオケ、居酒屋、ブランドショップ、おしゃれなカフェ、ビリヤードやダーツも出来るバー、新宿アルタ、渋谷公会堂、いろんなお店やイベントがある。そしていくら人気のある大学だからといって、そこに通う男がすべて彼女持ちだったわけではない。


田中さんは相変わらず、その大学のあまりモテない男子に人気があり、同じ学部やサークルの男と一緒に東京のいろんなところに遊びに行くようになった。彼女はそれをデートとはまったく考えておらず、きちんと僕に「同じゼミの男の子とカラオケに行った」「サークルの男の先輩と渋谷に行った」と事後報告してきた。


僕もそれを浮気とは受け取らなかったし、相変わらずだなと思った。ただ、心配にはなった。送り狼という言葉がある通り、悪意のある男だったらマズイよなとか、下世話な事を考えた。


田中さんは彼氏がいることをまわりに公言しており、だからこそ気兼ねなく同じ大学の男と遊びに行っていたのだと思う。あとこれは推測だが、彼女は男の下心にまったく気付いていないようだった。ただ幸いにも勘違い男による今で言うストーカー被害やそういう目に遭うことはなかった。


僕は僕で高校時代から田中さんのそういう性格を知っていたし、そもそも付き合うきっかけが偶然と勘違いだった事もあり、彼女の遊び方には文句を言わなかった。ただちょっと控えてほしいかなとは思ったが。とはいえお互いの大学や下宿先は電車で一時間はかかるため、ただ会うだけでも結構大変だったし、彼女の遊びに毎回同行できるほどお金もなかったので結局は思うだけで何も言えなかった。


あと大学になってわかったことだが、田中さんは東京の街がとても大好きで、高校時代までテレビや本の中でしか見たことのない渋谷や新宿を歩き回るのが楽しくて仕方がなかったようだ。東京の複雑な鉄道網を完全暗記した彼女は、時間の許す限りいろんなところに遊びに行っていた。また彼女は買い物や外食も大好きで、おしゃれな服やバッグがどんどん増えていった。


僕は大学での勉強がとても気に入り、講義はすべて休まず出席していた。生活に慣れてくるとすぐにアルバイトを探し始め、とりあえず拘束時間が短めで時給が良い家庭教師をすることにした。従兄弟から原付バイクを譲ってもらい、アパートを拠点にして東京のいろんな場所を訪ねていった。


大学はそこそこサボって電車を足に東京のいろんな所でお金を使っていく田中さんと、大学皆勤でバイクを足にお金をあまり使わないで東京見物をする僕。同じ地方から出てきたのに、日々の遊び方が最初から違っていた。それでも一年目は恋人同士として甘い時間を何の疑問もなく過ごしていたと思う。


─────


田中さんは離れとはいえ、親戚の家に下宿させてもらっている。そのためか、僕が彼女の部屋に行くことをあまり望んでいなかった。彼氏がいる事を親戚を通して親に伝わってしまうのを避けたかったのと、僕との会話とかが外で聞かれてしまうのが嫌だと本人が言っていた。そのため彼女の部屋に初めて訪れたのは、夏休みも終り近くになってからだった。それまで泊まりになる時はすべて僕の部屋だった。


親戚が旅行で居ないという9月の連休に、初めて彼女の下宿先にお邪魔した。塀に囲まれた広めの敷地で、2階建ての本邸と平屋の離れ、そして車が3台は置けそうな庭があった。東京23区と隣接する市にあるそのお宅は、見るからに立派に見えた。


離れである彼女の部屋も賃貸とは全く違う、本当にただの家という感じだった。広めのキッチンに八畳の居間、そして奥に広い寝室。居間には立派なサイドテーブルがあり、そこにビデオ内蔵のブラウン管テレビとスーパーファミコンとパイオニアのオーディオコンポが置いてある。寝室にはこれまた立派なベッドとソファがあり、壁に洋服ダンスが2つと木製円形のハンガーラックが備え付けられていた。


「家具は前からあったんだよ」と田中さんは言うものの、築30年の僕の下宿とは比較にならないくらいの豪華さだった。こんな立派な所に住んでいる彼女が、彼氏の部屋とはいえボロアパートによく泊まれるよなぁと変に心配になった。そんなことより、その後に彼女から言われた言葉に驚いた。


「二ヶ月くらい前に、山田くんがこの部屋に遊びに来たんだよ。山田くんは★大学に通ってて、たまたま電話があってお昼を一緒に食べて、夜はこの部屋で桃鉄して出前のピザを食べたんだ」


山田くんというのは高校の同級生だ。僕は同じクラスになった事はないが、一緒に生徒会をやっていたので話をしたこともある。★大学もまた東京の私立大学で、この田中さんの下宿から結構離れた場所にある。


「え?2人で遊んだの?」


「うん。軽い同窓会ってことで誘われて、私が★大学に遊びに行って学食でお昼を食べて、新宿で遊んで夜までこの部屋でまた2人で遊んだの」


理由はわからないけれど、何となくショックだった。彼女の部屋に初めて入ったのが僕ではなかった事、彼女が男2人を平気で部屋に入れた事、それをずっと知らなかったこと。どれもこれも嫌だったし、不安になったし、恐怖にもなった。でもどう訊いて良いのか分からない。


「山田くんは大丈夫だった?」


「え?えっとね、なかなか帰ろうとしなくて大変だったかな。10時過ぎてももっと遊ぼうとか、終電がなくなっちゃうから今日は泊まってっていい?とか言ってきて困っちゃって。でも母屋のおばさんが部屋に来て、そろそろお開きにしなさいって言ってくれたから、その後はすぐに帰ったよ。多分、私たちの声が外に聞こえてたみたい。今日はおばさん達はいないけど、あまり大きな声は出さないようにね」


「……その後、山田くんと遊んだ?」


「ううん。先月くらいにまた遊ぼうって電話が来たけど、おばさんが山田くんのことを嫌ってるみたいだから、それ以来会ってない。多分、山田くんがうるさかったんだろうね」


僕は何も言えなかった。同じ高校だったから顔や名前はわかるし、性格もあまり良くない事を知っていた。自分のことを棚に上げて言うのも何だけど、山田くんは女性にモテそうな容姿ではないし、聞いているだけでも下心があるとしか思えない。そもそもそんな山田くんと一緒に遊ぶほど田中さんが仲が良いことすら僕は知らなかった。


まあそれはともかく、もしおばさんが居なかったら、彼女は山田くんに何かされていたかもしれない。そしてそれに気づかない田中さんが危うくて仕方なかった。でもその時の僕は、怒った方がいいのか、叱った方がいいのか分からなかった。なので普通の口調を装って忠告した。


「田中さん。それ危ないよ。山田くんに下手すると襲われてたかもしれない」


「えー?大丈夫だよ。山田くんに私は彼氏がいるって伝えてあるから」


彼氏持ちの女友達の部屋に遊びにいき、深夜になっても帰ろうとしないという時点で大丈夫ではないと思う。でももうそれ以上は何も言えなかった。ただ母屋にそのおばさんを含め彼女の親戚が居るということで、とりあえずは安心だと思うしかなかった。


部屋の様子を見回しても、僕の頭の中には山田くんがここに居たんだという思いが消えず、何も楽しくない。もし彼が暴走してたら彼女はここでイタズラか、最悪は襲われていたかもしれないと考えてしまって、せっかく初めて彼女の部屋に来たというのに不快感しか湧いてこない。


田中さんにコーヒーを入れてもらってお菓子を食べ、ゲームで遊んだりして、夕方になった。晩御飯は近くにある中華料理屋に行くことにした。その帰りにコンビニに寄って、朝食のパンを買った。夜は二人でゆっくり過ごした。お風呂は一緒に入ったものの、合体まではしなかった。その時はまだ合体しようとすると田中さんが痛がったのと、次の日は某ディ●ニーランドに行く予定でいろいろ準備があったからだ。山田くんへの不愉快な思いは残るものの、気持ちを切り替えてディ●ニーランドを楽しむつもりだった。



翌日、僕はその日がはじめてのディ●ニーランドだった。海外にも行ったことがない僕にとって、そこはまるで異国のようだった。今と違って当時のディ●ニーランドは開園時間に行けば多少は並ぶもののすんなり入園できたし、人気アトラクションの待ち時間も長くて60分くらいだった。そんなディ●ニーランドはどこもかしこも素晴らしく、まさに夢の国だった。


そんな場所を田中さんはいろいろ案内してくれる。あまりに詳しいので驚いていると、彼女はすでにサークルの男女数人で、ちょうどこの夏前にディ●ニーランドに遊びに来ていたというのだ。


それってグループデートじゃないか?と思うのだけれど、当時の僕はそう考えなかったし田中さんも同様だった。デートとは恋人と2人で遊びにいく事であり、好きでもない男子と遊びに行くのはデートでも浮気でもない。彼女自身がそう言い切る以上、僕もそうなんだと思うしかなかった。


話の上手な田中さんと一緒だと、長い待ち時間もしゃべっていればあっという間に過ぎる。そんなこんなで朝の開園時間から夜のパレードが終わるまで、ほぼ丸一日ディ●ニーランドを満喫した。とても楽しかったし、田中さんにお礼を言った。彼女の下宿先へ帰る途中、こんな事を言われた。


「また来年もディ●ニーランドに一緒に行こうね。他の女の子とかと一緒に行っちゃダメだよ」


あれ?と思った。田中さんは僕以外の男と一緒にディ●ニーランドに行ったのに、僕は田中さん以外の女友達と行くのはダメってことか?



ただ僕の通う大学は女性が本当に少なくて、僕の学部は確か4人しかいなかった。サークルも全員男子だったので、大学内で女性を見る機会すらほとんどなかった。そんな環境だったので、田中さんの言葉は気になりつつも、まあいいか程度で考えていた。


彼女は褒めるのがとても上手だ。なので彼女の部屋で僕が調理した食事をとても喜んでくれたし、美味しいと言って褒めてくれた。僕は有頂天だった。ディ●ニーランドに行った翌日の朝食もハムエッグとかを僕が作って、彼女といっしょに食べた。


多分、この頃が僕にとって一番幸せなときだったと思う。お風呂も毎日田中さんと一緒に入ったし、あまりに幸せで有頂天になっていた。だから気づかなかった。この3泊4日の間、食事の支度は全部僕がしたことに。彼女の家なのに、朝晩の食事は全部僕が用意し、洗い物もやったのだ。彼女はコーヒーや紅茶をいれるだけだった。でも何も疑問に思わないくらい、僕は盲目になっていた。


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そんな長くて楽しい夏休みだったが、僕は休み前から家庭教師と並列して別のアルバイトを始めていた。いろいろ探した結果、繁華街にある大きなイタリアレストランで働くことになった。自炊で料理が好きになり始めていたし、学校掲示板のアルバイト募集の中でそこそこ時給が良かったからだ。


アルバイト先で僕はデシャップ担当となった。デシャップとは料理を厨房からお客様の元に提供したり、後片付けをしたりするホールのスタッフだ。そこで僕は接客の基本を本格的に学ぶことが出来た。店長が有名な高級料理店で修行を積んできた人だったため、アルバイトであってもかなり厳しく接客の方法を仕込まれた。


挨拶からお辞儀の姿勢、お客様に料理を出すときのマナーやルールなど、そこで学んだことは未だに身に付いている。それくらいに厳しく、店長に何度も怒られながら徹底的に仕事を教え込まれた。


最初は嫌で仕方なかったけれど、意図せずそうした立ち回りができる様になってくると楽しくなってきたのを覚えている。それに厨房やフロアの従業員がみな良い人だったので、店長は苦手だったものの居心地はとても良かった。また閉店作業までシフトを入れると、余った料理を激安で食べる事が出来たので、食費や栄養面でも大きなメリットがあった。


閉店作業の中にはトイレ掃除も含まれており、時にはお客様の粗相で恐ろしく汚れた便器も洗わなければならない。とはいえそれも話の種になるし良い社会経験だと思えば案外ツラくなかった。他のアルバイトが忌避する閉店シフトを僕は好んで入れたので、店の従業員さんたちにも気に入られたようで、どんどん仲良くなっていった。



一方で田中さんはアルバイトをしていなかった。彼女は下宿や食事に費用があまり掛かっていないようだったし、欲しいものも裕福な親にすぐ買ってもらえるのでアルバイトする必要がなかったのだ。冬休み前に15万円のダッフルコートを新たに購入した彼女から、着るものは一生物だから良いものを買った方が良いよとアドバイスを受けた。


その頃は景気の悪化が少しずつ表面化していた時期ではあったものの、世間はまだ悲観的な雰囲気ではなかった。僕も親にお金をもらって新宿の服屋で気に入った6万円のコートを購入した。このコートは社会人になってからも長らく愛用していたので、確かに田中さんの言う通りだった。


ただ、6万円という家賃よりも高い出費が心にいつまでも重くのしかかった。親に出してもらったとはいえ、学生なんだしそんなに高いコートじゃなく、もっと安いものでも充分だったんじゃないかとも考えた。ただ田中さんのコートが15万円と聞いていたので、彼女と一緒に歩く僕も高いものを買わなければと単純に思ってしまったのだ。



そんなこともあり、冬休みは毎日アルバイトに明け暮れた。その冬は短期集中の家庭教師の募集がたくさんあり、僕は高校3年の生徒を2名ほど追加で受け持つことにした。そして夜はレストラン。賄いで安くて美味しい夕飯が食べられるし、その頃には閉店作業も手慣れていたので全然苦にはならなかった。忘年会シーズンでトイレの汚れはいつもよりひどかったものの、面白い店内事件も多かったので一長一短だった。


田中さんは田中さんで、サークルの人たちとスキー合宿に出掛けたり、実家に戻ったりで、クリスマスにデートした後は年が明けるまでは一度も会わなかった。彼女は両親に彼氏がいる事を黙っていたようで、正月に僕が実家に帰省したときも、地元で会う事はなかった。


まあバイトで忙しかった僕は、実家に戻ったのは正月の2日だけだったから仕方がない面もある。逆に田中さんは結構長く地元に居て、正月に帰省してきた高校時代の友達や先輩たちと遊んだりしていた。ここでも小さな問題が生じた。


田中さんは大学に入ってからも、高校時代の先輩と連絡を取り合うくらいに仲が良かった。そして大学に入って僕と付き合い始めた事も先輩たちに話していた。そこまでは良い。ただ部活の先輩たちは、かつて田中さんとシモネタでやりとりした事がある。そして田中さんは、未熟ながら僕とシモのやりとりがある。となるとどうなるか?


田中さん自身の体の発達が少し未熟で結合が上手くいかない事を、僕の居ない場所で冗談交じりの会話に混ぜつつ先輩たちに伝えていたのだ。ものすごくデリケートな話題だし、話すにしても女の先輩だけにするとか限定して欲しい内容だ。なのにシモネタ話を上手に転がしていた田中さんとその先輩たちとの間柄なので、そうは行かなかった。その結果どうなってしまうだろうか?


冬休みに突然男の先輩から電話が掛かってきて、「前戯はちゃんとやってるか?」とか「ローション使ってみたら?」とか言われるのだ。先輩も善意だったかもしれないけれど、僕にはとても屈辱なことだった。ただ自分のテクニックがお粗末である事もわかってはいたし、田中さんの性格上これはもう仕方ないと諦めるしか無かった。


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正月の最初の週が終わると臨時の家庭教師も無くなる。レストランも年末年始の慌ただしさが収まり、ようやくのんびりした日程に戻る。その頃には田中さんも東京に戻ってきたので、僕は明治神宮に彼女と遅い初詣に出かけることにした。正月明けにもスキーに行ったという田中さんの顔は少し焼けしていた。来週には大学後期の定期試験があるのに、随分と余裕なんだなと思っていた。


1月も中旬を過ぎると大学の定期試験がある。高校生による受験がその後に控えているので、大学生は1月末あたりまでに定期試験があり、それが終われば春休みになる。なお全ての大学がそうとは限らないけれど、留年するかどうかは1〜2年の間に大学指定の必修単位をすべて取っているかどうかで決まる。逆に言えば1年生の時に何も単位を取らなくても無条件で2年生にはなれるのだ。


とはいえ講義の割り当ての都合で、一年間ですべての必修科目を受けるのは不可能に近い。僕は1年目に受講可能な講義をすべて申請し、ほぼすべて出席した上で単位も取得した。それだけ大学の勉強が面白かった。


田中さんも同じ頃に定期試験で、とりあえず最低限の単位は取れたものの評価はCが多かった。当時の大学の成績は、ABCDの4段階で、Aが優、Bが良、Cが可で、Cまでなら単位が貰える。Dが不可という判定で、当然単位は貰えない。また大学によっては成績表が実家に送られるところもある。


田中さんに見せてもらった成績表はCばかりで、Bがところどころ、Aはほとんどなかった。また単位の数も本当にギリギリでちょっと心配になった。でも本人はまったく気にしておらず、「留年しなければ大丈夫。中学や高校と違って大学の成績なんて就職に影響ないよ」なんて言っていた。3年後にそれは大きな間違いだったと分かるけれど、僕もその時は彼女に同感だった。ただせっかく親から高いお金を出してもらっているのに、授業に出ないのは勿体無いんじゃないかとは思った。



そして試験が終わってしまうと、2月の半ばあたりから大学は長い長い春休みとなる。3月になれば田中さんと付き合い始めて1年になる。僕の主観ではあるものの、自分と田中さんの生活スタイルや考え方、遊び方など、まったく合っていない事に気付く。そう、僕が高校時代に感じていた「田中さんとは相性が合わないだろうな」という直感は結局正しかったのだ。それでも大学を含めて田中さんとの付き合いは楽しかったし、お互い初めて同士ということで気にならなかったのだろう。


いや違う。お互いの至らない点が、気にはなっていたのだ。その証拠に春休み中に一度口喧嘩をしてしまった。田中さんから『僕が学業やアルバイトばかり優先して彼女を大事にしていない』とかそんな事を言われたのが発端だった。


確かにレストランのアルバイトはとても楽しくなっていた。厨房の人に料理を教わったり、閉店後にスタッフを交えて徹夜でボーリングや麻雀をしたりと、毎日が充実していたのだ。スタッフには女性も多くて、もちろんおばちゃんも居たけれど、同世代の女子大生や短大生も何人かいた。その女の子達も交ざってのカラオケやビリヤードも最高だった。


田中さんが男友達とよく遊ぶとき、こんな気持ちなんだとようやく理解できた。田中さんには遊ぶ友達がいっぱい居るわけだし、僕も田中さんに会わなくても楽しかったのでそれで良いと思っていた。アルバイト先の女性に対して下心はまったくなかったものの、女性がそばにいると場が華やいで楽しかった。でもアルバイトの人たちと遊んでいることを田中さんには黙っていた。


もう一つ、その最初の口喧嘩の時に田中さんに言えなかった事がある。溜まってしまう性的要求の解決方法に困っていたのだ。下世話な内容だけれど、彼女の女性の部分はとても狭くて、そのままではまともに侵入は出来ないと考えていた。痛がる中で無理やり入れようとしても、かえって行為自体が怖くなってしまうだろうし、僕もそれはいやだった。なので指にゴムをつけて、それを挿入するようにしたのだ。


最初は指一本だけでもキツイくらいで、そりゃ僕を入れようとすれば痛がるし入口も裂けるよなと実感した。田中さんが1本に慣れてくると指を2本に増やし、入れた指を中で広げるようにマッサージしていった。それを半年くらい続けて、春休みに入った頃にようやく指が3本が入るようになった。指3本と僕のアレが同じくらいの太さと考えていたので、これで本番かと楽しみにしていたのだけれど願いは叶わなかった。


田中さんが言うには、指2本までなら気持ち良いけれど3本はまだ痛いので、もうしばらくは指2本にして欲しいと言われてしまった。それはいい。彼女がまず僕との行為に気持ちよくなってくれる方が大事だからだ。でも僕は一向に解放できないわけだ。


そう、僕はこの一年間、一度も彼女の力で気持ちよくなった事がなかったのだ。最初は女性の裸や大事な部分にふれるだけで満足だった。しかし一年も経ってしまうと、どうしたって慣れてしまう。そりゃ自分の指で彼女が快感を得てくれれば男としての達成感はある。


でもだ。さすがに彼女も僕に同じようなサービスをしてくれても良いだろう?別に入れなくても、彼女にも指や口があるわけで、そう思って田中さんにお願いした所、拒否されてしまった。いや、数回はやってくれたけれど、なんか滑々して嫌だとか顎が疲れるとかちょっと屈辱的だとかいろんな理由で拒絶されてしまっていたのだ。


一度拒否されると、次もそうなんじゃないかと思ってお願いできなくなってしまう。正直、これにはがっかりだったが、何も言えなかった。結局僕は彼女を一通り満足させた翌日とかに、こっそりトイレで自分を解放するしかなかった。


とはいえ穴が広がれば僕も満足できるということで指による拡張マッサージを頑張るものの、僕は何も気持ちよくないし指は疲れるだけだし段々と面倒になってくる。なので一度道具を使おうかと提案したが、それは絶対に嫌だと怒られてしまった。


また彼女は自分で自分を満足させるのも嫌だという。僕の指はすごく気持ち良いからと言われれば確かに嬉しくなって頑張るけれど、溜まってしまう要求を吐き出せないまま夜は終わる。彼女の姿をおかずに、自分は一人でトイレ。クリスマスでもそうだったし、春休みに入っても変わらなかった。


ここで我慢せずに彼女に言えば良かったのだ。あそこが無理なら手や口でやってくれと。彼女だってお願いや拒否をきちんとしているのだから、僕もそれをお願いする権利はあったはずだ。でも結局、駄目だった。


春休みの最初に結合の提案を拒否されて、そこで我慢してしまって、結果として田中さんと会うのが億劫になってしまった。一方でレストランのアルバイトは楽しくて仕方ない。となればそちらを優先してしまうのは当然だった。最終的には1か月以上もある春休みを、僕は田中さんと過ごすよりもアルバイトやそこの人たちとの遊びに費やしていた。そして3月半ば頃に、僕の部屋に来た田中さんと喧嘩になった。


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田中さんが何に怒っているのか、僕には分からなかった。「お互い友達と遊べばいいでしょ」としか思えなかったが、彼女はとにかく僕に対して不満があったようだ。でも彼女の話をよく聞いても、僕の何に怒っているのかさっぱりだった。僕が田中さんに不満があったように、田中さんもまた僕にいろいろ不満があったのだろうとは思う。僕だって完璧じゃないし、いやかなり欠点は多い。特に田中さんよりアルバイトを優先していたのは事実だったし。


でも結婚しているわけでもない若い男ならばそういうものだと僕は考えていたし、彼女持ちの友人やアルバイト先の人に聞いても僕と同じ意見だった。まず『自分が楽しみたい』、それが20歳になる前の男の考え方だと思う。そしてそれもきちんと田中さんに言えばよかったのだ。


なのに僕は初めての喧嘩に動揺し、怒っている彼女の機嫌を直すことに手一杯で、自分の主張や男の考え方を言わなかった。今にして思えばそれもまずかった。


口喧嘩の結末だが、田中さんの怒りの主張を聞いては僕がそれに答えて宥める。これを2時間くらい繰り返したと思う。とにかく彼女の言いたいことを喋らせて、僕は何となくごまかすというか言い訳をする、という感じだった。そのうち彼女の怒りが治まってきたようで、何となしに喧嘩が終わり、仲直りになった。


すると田中さんの機嫌が良くなり、なんと初めて彼女から行為に誘ってきたのだ。ただ僕は逆に萎えてしまった。


実は田中さんは、普段は決して自分からそういう行為を求めてこない。そういう雰囲気を僕が察して、こちらから彼女を誘わなければならないのだ。これは2年以上付き合っても変わらなかった。例外的に彼女が自分から誘ってくるのは、全部喧嘩した後だった。なぜそういう心理になるのかわからなかったし、そもそも仲直りで誘えるなら普段からそうして欲しいとすら思ったくらいだ。さらに本音を言えば口喧嘩のやりとりで僕は精神的に疲れているので、それが終わったのならさっさと自分だけの時間に戻りたかった。


とはいえせっかく機嫌が治ったのだから、それをまた損ねてもしょうがない。僕は彼女の誘いに乗る形で服を脱ぎ始める。よくさっきまで罵っていた相手とやる気になるよなと思いながらも、下半身は別人格なので見た目は乗り気だ。しかしこの時でさえ、田中さんは結合を拒んでいた。となると僕は指で彼女を満足させるしかない。


わかるだろうか、この時の虚しさを。本当にこの時は虚無感しかなく、自分は何をやってるんだろうと裸の格好で自問自答を繰り返したものだ。そう、田中さんは結合を拒むくせに、指を使ったマッサージの時は僕も裸になることを要求するのだ。


とりあえず田中さんの機嫌は良くなって、僕もその後はマメに連絡を入れるようにする。しかし根本は解決しておらず、僕はいろいろ彼女のことについて悩み始める。そんなこんなで春休みが終わると、大学の2年目が始まる。


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僕の通う大学には正門を過ぎたあたりに見事な桜並木がある。喜びにあふれる新入学生がその道を通る中、在学生によるサークルの勧誘が行われる。僕もその勧誘員の一人だったが、女の子が少ないなぁという感想しかなかった。僕は田中さんの事を誰かに相談したかったが、大学の友人で彼女をもっている人は数名しかおらず、なかなかその機会は訪れなかった。


そんな4月のある日、僕の近くに住んでいた高橋くんから遊ぼうという連絡を受ける。高橋くんは親がかなり裕福で、大学は私立、家賃は19万円、家には当時最新鋭だったプレイ●テーションとセガ●ターンの両方を持っているという、かなりリッチな生活をしていた同級生だ。変な例えだけれど、テレビドラマに出てくる大学生のような生活をしていた。


大学や下宿先が近いこともあってたまに高橋くんとも遊んだが、田中さん以上に生活スタイルが違いすぎて頻繁に会うことはなかった。ところがこの時、高橋くんに会ったことで僕に転機が訪れた。


どんな経緯でそんな話が出てきたのかはよく覚えていないけれど、高橋くんは高校時代に僕より前に田中さんと付き合っていた男子と知り合いだった。その前彼である加藤くんは高校2年生のときに、田中さんと付き合っていたのだという。僕は高橋くんに頼んで、その加藤くんと会う約束をした。


当日、加藤くんとは駅近くの安い居酒屋チェーン店で待ち合わせた。加藤くんは小柄で細身で、男の僕が見ても格好いい文学青年という印象だった。僕は身長がちょっと高いだけでスポーツマンでもない平凡そのものだったので、もしかして田中さんの男性の好みは加藤くんのようなスラッとしたイケメンなのだろうと考えた。


最初はぎこちなかった加藤くんとの会話だが、同じ高校だったことや田中さんのことなど共通の話題がたくさんあったせいか、すぐに打ち解けた。場所が居酒屋だったので喧騒に紛れる形で加藤くんに田中さんについて悩んでいる事を愚痴ってしまった。本当は加藤くんが田中さんと付き合っていた頃の話を聞きたかったけれど、最初はまず自分から話すべきだろうと考え、そうしたのだ。


田中さんは大学になっても男友達が多く僕より彼らとよく遊んでいる事、なのに僕が学業やアルバイトを優先すると不機嫌になる事、よく待ち合わせ時間に遅れてくる事、お金遣いがちょっと荒い事、そして料理がとても下手な事……シモの話はしなかったものの、それ以外でも僕は自分が思っていた以上に田中さんへ不満があったことに驚いてしまった。そんな僕の話を黙って聞いていた加藤くんは、一言こういった。


「だろ?田中さんってワガママだからさ」


ワガママ。そのたった一言で、僕の脳に電気が走った。そう、僕はその時まで、田中さんの事をワガママだとはまったく思っていなかったのだ。そうか、彼女はワガママな性格なのか……


僕があまりに納得して頷いたのをきっかけに、加藤くんが当時のことを話してくれた。加藤くんと田中さんは2年生の時に同じクラスの隣の席になり、そこから仲良くなって夏休み前あたりから付き合い始めた。夏休みは図書館で勉強デートをして、帰りに遊んで帰るようになった。


最初は良かった。話がとても楽しいし、可愛いし、向こうからいろいろ誘ってくれるので、夏休みの間はうまく行っていた。でも休み明けのテストで喧嘩になった。


「え?テストで?」


僕がそう聞くと、加藤くんはため息をついてこういった。


「2年生の一学期まで、田中さんの方が成績が良かったんだよ。だけど休み明けの実力テストで、俺の方が順位が上になったわけ。そしたら途端に機嫌が悪くなってさ……」


今はわからないが、僕の高校時代は定期テストとは別に実力テストが年に数回行われており、成績上位者に限られるがテストの結果が廊下に貼り出されるようになっていた。理系と文系それぞれ、各教科と合計の上位30番くらいまでの名前が公開されるのだ。それは成績が良い人間にとって名誉であり、やる気の源になっていた。


夏休み明けの実力テストで、加藤くんは文系の全教科合計で初めて名前が載ったが、田中さんは載らなかったという。


「はじめて俺の名前が載って嬉しかったのに、田中さんが怒ってさー。たしかに夏休み前までは田中さんの方が成績良かったし、その前のテストでも田中さんの名前が載ってたりしたよ?でも俺だって頑張ったんだし、褒めてくれたっていいじゃんねぇ?」


あの褒め上手な田中さんが、当時彼氏だった加藤くんを褒めなかった。それが信じられなかった。


「あいつ、彼氏になった男は自分より下だと思ってるんじゃない?付き合ってる間も他の男には優しいし褒めるくせに、俺は厳しいし全然褒めなくなるし、やってらんなかったよ。電話も長いし、待ち合わせにも絶対遅れてくるし、他の男子とも平気で二人っきりで遊びに出かけるし。結局3ヶ月くらいで別れたけどさ。本当ワガママだったよ」


加藤くんのセリフが、一つ一つ僕に突き刺さる。始めは田中さんと呼んでいたのに、とちゅうからあいつ呼ばわりだ。加藤くんは田中さんと短い間の付き合いだし、進学校の中で出来る男女の付き合いなんてたかが知れている。手も繋いでいないという。そんな清い交際でも、加藤くんは田中さんのワガママに愛想が尽きたという。


「あいつ、大学生になっても変わんないんだな。よく一年も付き合ってるね。大変じゃない?」


そうなのだ。大変になってきたのだ。だから加藤くんに話を聞きたかったのだ。


「たしかに大変かも……でも良いところもあるし、まだ別れるとかは考えてないけど……やっぱり田中さんってワガママなのかな?」


「俺はそう思ったけどね。最後は全然楽しくなかったし、喧嘩別れになった後、口も聞いてない。そうならないためにもガンと強く言ったほうが良いよ!」


そんな会話の後、連絡先を交換して僕は帰路についた。ワガママ、そうか、田中さんはワガママだったのか。そして昔から彼氏に優しくできない性格だったのか……


加藤くんのあまりに思い当たるセリフを噛み締めながら、僕は田中さんとのあるデートの事を思い出していた。


大学1年生のころは、僕は田中さんに会える時間ができそうになると、すぐに彼女の家に電話をかけていた。当時、携帯電話などないので、お互いの下宿先にある固定電話が唯一の連絡方法だ。しかし田中さんに電話をかけても日中は留守番電話である事が多い。夕飯を親戚の家で食べているということなので、その時間以降の20時過ぎに電話をするようになっていた。


でも電話がつながっても、田中さんのスケジュールはいつも一杯だった。それでも一年生の頃は彼女が愛しかったので、マメに連絡しては彼女に時間を作ってもらった。そんなデートを約束したある日のことだった。


その日は土曜日で、大学の講義は午前中で終わる。田中さんはサークルメンバーでどこかの店で昼食を食べるので、その後に会おうという事になった。待ち合わせは渋谷駅に午後3時。僕は10分前には到着していた。そして彼女が来たのは午後4時半すぎだった。


「ごめんね。サークルで話が盛り上がっちゃって。デザートも頼んじゃったから抜け出せなくて……」


「そっか、それなら仕方ないね。でも僕が帰っちゃうかもって心配はしなかった?」


「ううん。絶対に待っててくれると思ってたから」


その時、僕は当然怒っていた。2時間近くも待たされていて、怒っていないはずがない。質問も嫌味でしたのだ。なのに田中さんは平然と「僕なら待っている」と悪びれることなく言った。笑顔だった。この時のやりとりをよく覚えている。ちなみに彼女はいつも待ち合わせ時間に遅れ、この時のように1時間以上も待たされたことも何度かあった。全部、僕は待っていた。今みたいに携帯電話がないから、待つか帰るしかない。


それでもその頃の僕は田中さんのことが好きだった。きっかけは勘違いでも女の子と付き合ったことがなかった僕にとって、彼女は特別な存在になっていたのだ。しかし加藤くんと話をして、田中さんに対する気持ちの中に陰りが生まれていた。


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大学2年目は1年目とあまり変わらなかった。3年生に進むのに必要な必修科目と選択科目を履修し、空いた時間に遊びやサークル活動やアルバイトを入れる。そしてときどき田中さんとデート。しかし二年目になり、加藤くんと話をして、僕は田中さんとのデートや待ち合わせについていろいろ考えるようになっていた。そしてやっと気付く。田中さんは彼氏より男友達を優先していることに。



ただその時の僕も加藤くんも気付いていなかったけれど、年齢を重ねた今なら分かる。田中さんは甘えっ子だったのだ。彼氏に甘えていたからこそ、他の男にはしないような態度や扱いをしていたのだ。そして彼女は彼氏を一方的に信じていたのだ。彼氏であれば、自分がどれだけワガママを言っても許されると考えていたに違いない。


きっと彼女のお兄さんが、そんな男だったんだろう。田中さんを徹底的におだてて甘やかして、どんなに遅刻しても怒らず笑顔で待っていて、どんなわがままでも聞いてやれる存在。田中さんが考える彼氏とは、そんなお兄さんのような男だったのだろうと思う。


しかし当時の僕はまったくそんな事に思い至らなかった。加藤くんの言う通り、田中さんはとてもワガママで彼氏を下に見ている、そう考えてしまっていた。となると僕も恋愛感情が冷めてくるし、別れてもいいという選択肢も心の中に出てくる。それまで田中さんと会えそうな時間が出来るとマメに連絡をしていたのに、それもしなくなる。


そんな中、一つだけ僕にとって状況が良化することがあった。田中さんがイク事を覚えたのだ。そうなるとそちらの方面が少し盛んになったようで、やっと僕との結合にも挑戦してくれるようになった。当然キツイのだけれど、最初期の頃よりはお互いに苦労せず、そして一度入るようになれば後はすんなりとなった。最初の結合からちょうど一年経った連休に、僕もようやく結合状態での解放が出来るようになった。本当に頑張ったし報われたと思った。


でも、報われたのはそこまでだった。例えばだが、僕は田中さんと一緒にラブホテルに行ったことがない。そういう建物はそれが目的だと見え見えなので嫌だという。彼女にとって、そういう行為はそこに至るまでの雰囲気や会話の積み重ねの後に来るものであり、最初からそのためだけにしたくないという事だった。でも僕はそういう場所に興味津々で一度くらい行ってみたかった。


また相変わらず彼女からは誘ってこなかった。その上で僕が結合行為を直接的に言うのにも良い顔をしなかった。彼女にとって結合行為とは、食事をしたりお風呂に入ったりと状況と雰囲気を作り上げた先にあるものという決まりがあったようで、行為をしたいから会おうとか誘うとすごく厭な顔をされた。若かった当時の僕は、そのことにあまり納得できなかった。


男なら分かるだろうけれど、やりたい時はやりたいのだ。なのにデートするにも彼女のスケジュールが優先で、会ってからも食事を含め彼女が満足した後にようやくだ。最低な言い方だとは思うが、例えば3時間くらい空き時間があれば、ラブホテルに直行してそこで解散といった事があっても良いじゃないか?と考えることもあった。


せっかく一年かけて結合が可能になったのに、面倒な事はまったく変わらなかった。また彼女が僕に手や口をつかってくれる事も相変わらずなかった。となるとこちらも流石に最初の頃のような懇切丁寧な技術は使わなくなる。ある時、田中さんに「昔のようなマッサージをしてくれなくなったね」と言われた事があったが、そりゃ当然だとしか思えなかった。なぜ僕だけが一方的に奉仕しなければならないのか。


しかし僕はここでも言えなかった。結局、そういう行為についても彼女がすべて決定権を持っていたので、僕は彼女が行為に応じても良いと思うまで尽くさなければならなかったのだ。今なら彼女の気持ちも分からなくもないが、若かった当時は納得できないことばかりだろう。



大学2年の夏休み、僕は短期集中型の家庭教師をすることになった。教え子は高校3年生の男の子で、毎日6時間を週6日で4週間分という内容だった。そうなると夏休みの昼間はほぼ家庭教師で、夜はレストランと毎日が忙しかった。田中さんとデートできる日はほとんどなく、会えたとしても週に数時間くらいしか取れなかったが、特に何も思わなくなっていた。


当然この夏休みも田中さんと口喧嘩になったが、もうどうでもよくなっていた。彼女に対する愛しいとか恋い焦がれるような想いはすでになく、ただ何となく惰性で付き合っているような感覚だった。


逆に田中さんは、僕の部屋に来たがった。そんな綺麗でもない古いアパートにわざわざ田中さんが泊まりにくる理由だが、僕に会いたいとか夜の行為とかより、食事の事が大きかったと思う。


というのも僕はアルバイト先のレストランで、従業員割引を使って調味料を購入するようになっていた。調理をする人間には分かるだろうけれど、料理を左右する要素として材料はもちろん一番大事だが、調味料もかなり重要だ。特に調味料が良いだけで味は格段に上がる。食材は近所のスーパーの一般的な肉や野菜でも、きちんとした香辛料や調味料を使うとワンランク上に仕上がるのだ。


僕の借りていた部屋は古かったけれど、台所は広くて使いやすかった。ある時アルバイト先で教えてもらったガーリックライスと鶏肉のソテーを田中さんにご馳走した所、ものすごく喜んでくれたのだが、それ以降彼女は外食するより僕の料理をせがむようになった。ただそれは料理が美味しかったというだけでなく、世の中の不景気が影響していたのも理由の一つだろう。


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僕たちが2年生になっても景気はまったく回復せず、世間の景況感は下がっていく一方だった。ゴルフ会員権が紙くずとなり、スキー場にいくつも建てられたリゾートマンションは売り出しても買い手がなく、消費税に総量規制といった政策の影響が時間をかけてゆっくりと景気を蝕んでいた。じわじわと、しかし着実に景気が悪くなっていることを大学生の僕ですら感じ取っていた。


田中さんの父親は某大企業で働いていたが、その会社もまたバブル経済崩壊の荒波に沈みかかっていた。この数年後、巨額の負債により倒産するかどうかというニュースがテレビや新聞に出ていたくらいだ。その時はまだ90年代前半でそこまでひどくなってはいないものの、業績は毎年悪化。その結果、娘への仕送り額も一気に減らされていた。


それに慌てた田中さんは、まず奨学金の申請を決意する。しかし父親の年収が一千万円以上だったために資格なしと判定されてしまった。次にアルバイトを探し始めるが、不景気によってアルバイトの募集も激減し、さらに時給も一年前より明らかに低い。裕福な生活をしてきた彼女にとって、自分ができそうなアルバイトが時給700円代だった事に愕然としていた。


この頃、時間を作って田中さんと会っても、こんな話を延々と聞かされるようになっていた。そもそも僕が聞きたいと頼んだわけでもないし、聞いても僕に出来ることはほとんどないのに、他所様の財布情報を聞かされても困ってしまう。さらに嫌だったのが、そういう話の直後に僕の財布情報を聞いてくることだ。


でも答えなければ不機嫌になるだろうし、現実として知ってほしい面もあったので、家庭教師が90分4500円で、レストランが時給850円だと正直に答えた。「え?安くない?そんなもんなの?」と言われた事は未だに腹が立つ。


ただ両方とも基本給で、レストランは閉店シフトをすれば夜間手当が付くし、家庭教師は生徒の成績によって追加報酬が追加されることは黙っていた。説明が面倒くさかったし、基本時給でもその時のアルバイト募集では見つからないくらいに好条件だったからだ。


比較的高額なはずの運送業者のアルバイトですら時給1000円を下回り始めたのに、彼女は何を見ているんだろうとさえ思った。聞けば彼女のお兄さんが学生時代に家庭教師をした時には時給8000円くらい貰えたのだという。そりゃ4年以上も前の話だろ!と言いたかったが、これも黙っていた。


彼女は時給720円のファミレス店員をやり始めたものの、一ヶ月くらいで辞めてしまった。どうも今までお客として行っていた店で、自分がそれを迎える立場で働くのが相当に嫌だったらしい。要は従業員にはなりたくないと。気持ちはわからなくはないが、この先彼女は社会に出てやっていけるのだろうかと心配になってしまった。


そういう経緯もあり、彼女は僕の部屋に来ては料理をせがんだ。でも彼女は一度も料理をしようとしなかった。いや、過去に一度だけ彼女の部屋で料理をしてくれた事があったが、あまり美味しくなかった。感想を訊かれた僕は、イマイチだったとオブラートに包んで答えたところ、彼女はとたんに不機嫌になった。失敗を悟った僕は、一緒に料理を勉強しようよとかフォローしたけれど、それ以来彼女は料理をしてくれなくなった。どうやら彼女は自分の部屋ではたまに料理をしていたようだけれど、僕の前ではしなくなったのだ。


誤解のないように言うと、その時に彼女が作ってくれた料理は全部食べた。僕だって最初から料理が上手だったわけじゃないし、レストランのスタッフや母親からいろいろ厳しいことを言われながら腕を磨いた。料理も勉強も同じで、何回も積み重ねていくうちに上達するものだろう。なのに彼女は料理の腕を磨こうとしなかった。


─────


9月、再び田中さんと一緒にディ●ニーランドでデートをする。しかし2回目ということで新鮮さが無かったのか、昨年ほど楽しめなかった。いや、ディ●ニーランドではなく田中さんに飽き飽きしていたのかもしれない。


相変わらず田中さんは僕以外の男友達と遊び、待ち合わせするたびに大きく遅刻する。何のために彼女と付き合っているのか、本当に田中さんの事が好きなのか、本当にわからなくなっていたのだ。


そんな秋のこと。僕の誕生日に彼女は手作りケーキを用意してくれていた。気持ちはとても嬉しかった。でもぺしゃんこなスポンジとベトベトの生クリームのケーキは、あまり美味しくはなかった。ケーキは彼女の部屋でご馳走になった。数カ月ぶりにお邪魔したその部屋は、ブランドの袋や箱が山積みになっていた。


田中さん曰く、服やバッグが増えすぎてタンスに入り切らないので、買った時の袋にまた仕舞って保管しているとのこと。さすがに自由に使えるお金が減って最近はそうした買い物は控えているらしいけれど、もし奨学金を貰えていたら物はもっと増えていただろう。僕は彼女がとても同じ大学生だとは思えなくなっていた。


こうして、彼女に対する態度も愛情もどんどん冷え込みながら冬を迎える。そこで決定的に嫌な気分になった事件が、それも連続して起きてしまった。


─────


冬休みになる前に、アポなしで彼女に会いに行った事がある。たまたま彼女の大学の近くに行くことがあり帰りに寄ってみた所、これまた偶然に田中さんと会ったのだ。でも突然現れた僕に、彼女は全然喜ばなかった。


「なんでここにいるの?」と言われて軽く睨まれたくらいだ。「いや、偶然この近くに来たから、田中さんがいるかなぁと思って。もし田中さんに会えたら、一緒にどこか寄ろうかと……」と謝ったものの、なぜこんな態度を取られてしまうのか分からなかった。


電車の中で、田中さんは一度も会話をしてくれなかった。僕はどれだけ考えても、彼女が怒っている理由が見当つかなかった。彼女はアポ無しでも僕の部屋に来るし、平日でも突然呼び出してくる事もある。僕は全然気にしなかったし、予想外に田中さんに会えるのが嬉しかったくらいだ。なのになぜ逆はダメなのだろうか。


途中2回乗り換えをして、彼女の部屋の最寄り駅に着いたころ、ようやく口を開いてくれた。


「今回は許すけど、次から絶対に約束無しで来ないでよね」


その時は最後まで彼女が怒っている理由は判明しなかった。田中さんにはその日に何か予定があって、それを僕のせいでダメにしてしまったのだろうか?なら用事があると言ってくれればいいのに。別に僕と遊ぶことを強制したつもりはないし、そもそも自分はアポなしで来るのに、なぜ僕がするのはダメなのか。僕はさーっと何かが冷めていくのを感じていた。


この後どう過ごしたのか全く覚えていない。ただただショックだったけれども、この事件はまだ序の口だった。



次の事件は、クリスマスだった。その年のクリスマスイブは、田中さんと一緒に過ごした。実は当日はアルバイト先のレストランも忙しい日なのだが、特別に20時上がりにさせてもらったのだ。その日は珍しく、僕の部屋で田中さんが料理を作って待っているという事だった。田中さんの料理を食べたのは、手作りケーキの件を入れても多分5回もないだろう。


味はそんなに期待していないものの、仕事から帰ったら部屋の電気がついていて、彼女が料理を作って待っている。初めて体験するこのシチュエーションは正直嬉しかった。僕はアルバイト先で買った七面鳥のローストをお土産に、最高の気分で部屋に戻った。この時は本当に期待で胸が膨らんでいた。


田中さんには部屋にある食材は勝手に使っていいよと伝えてからアルバイトに出かけた。ただ調味料や香辛料は一般的でないものが多く、レシピが無いと用途や分量もわからないだろうから、知らないものはなるべく使わないように言っておいた。その日、彼女が作ってくれたのはシチューだった。彼女は市販のシチューの素を使っていた。ひとくち食べた。ぜんぜん美味しくなかった。


あれ?なんで市販品を使ってこんな味になるんだ?ひどく混乱した。そういえばまず、シチューの色がおかしい。ホワイトシチューなのに、茶色く濁っているのだ。もしかして僕の秘蔵の調味料を使ったのだろうか?しかし味がぼやけている。


人参もすごく固い。そして肉。唐揚げを作ろうと買っておいた鶏のモモ肉を使ったようだけれど、ぶよぶよして美味しくない。もしかして材料を炒めず、皮や脂身も取らず、液体を作って後から適当に入れたのだろうか。ぜんぜん美味しくない。本当に複雑な気分だった。


彼女も自分で作ったシチューを普通に食べているが無言だ。半年たっても料理の腕が上がっていないのかという落胆の中、なんて言って良いか分からなかった。なので何も言わずにシチューを食べ終わった。誰かと結婚するまでに料理をきちんと覚えたほうがいいよなぁと他人事のように思った。自分が田中さんと結婚するかもとは一切考えなかった。



その夜、聖夜ということで、久しぶりに行為に及んだ。僕はそれまでの事があったので「今日は2回やっていい?」と聞くと、彼女は恥ずかしそうに頷いた。今では普通に僕のものが入るし、彼女もそうした行為を喜んでくれている。


でも一回目の解放の後、僕のアレは再び立ち上がろうとしなかった。満足したのではない。まだ20歳、自分ひとりでなら3〜4回は連続しても大丈夫なのに、田中さんとは1回でもういいやという気分になってしまったのだ。当然彼女からは「もう一回しないの?」とそれとなく聞かれるが、それをなんとか誤魔化して、結局それでおしまいとなった。


その前の美味しくないシチューが悪かったのか、田中さんの体に魅力を感じなくなったのか、そのときには分からなかった。


─────


そして年明けに、最後の事件が起きる。


2月のとある日、久しぶりに彼女の部屋に行った時だった。彼女のリクエスト通りに料理を作っていた夕飯時に電話が鳴る。どうやら田中さんの受け答えから察するに、高校時代の同級生の伊藤くんからだった。伊藤くんのことは僕も知っていたが、田中さんが伊藤くんと電話をやり取りするのはその時初めて知った。


「え!すごいじゃん!おめでとう!」


田中さんから絶賛の声が上がる。なんだろう?


「えー、だって2年間も諦めずに頑張ったんでしょ。慶●も受かって、そして◇大学も合格したなんて、すごいじゃん。胸を張れるね!ホントすごいと思う」


◇大学、それは僕が受験して落ちたところだ。どうやら伊藤くんは二浪していて、今年とうとうその◇大学に合格したらしい。正直、僕もすごいと思った。僕も◇大学を目指したけれど、浪人してまで行きたいとまでは思わなかった。そうか、伊藤くんは頑張ったんだな……


ところがだ、田中さんと伊藤くんの電話はそこで終わらず、その後もずっと続いた。


「そうなんだ、来週下宿先を探しにこっちに来るんだ。じゃあ時間があったら会えるね。あ、でも4月になればゆっくり時間が取れるから、その時に会うでもいいね。よかったね。ご両親も喜んでるでしょう!」


料理が完成したので、テーブルに食器を並べていく。しかし30分経っても田中さんの電話は終わらない。久しぶりの友人との電話、しかも伊藤くんが合格したというめでたい話題。田中さんは相変わらず聞き上手の話し上手で、伊藤くんのことを褒めそやし、長々と話を続ける。料理が冷めていくのと同時に、僕の心もゆっくりと冷めていき、心の中で何かが壊れた音がした。


そんな僕の感情に気づかず、田中さんは楽しげに電話をずっと続ける。田中さんが嬉しそうな顔をするたびに、僕は◇大学に落ちた時の事を思い出す。模試では常にAかB判定で、担任の先生からも大丈夫と言われていたので、落ちたのは本当にショックだった。


原因は分かっている。得意なはずの数学で緊張のあまりに大問題が解けなかったのだ。本当にその時だけ頭の中が真っ白になってしまい、普段なら解けるはずの問題がまったくわからなくなってしまった。そしてそれに引き摺られて次の英語も出来が悪かった。結果、予想通りに不合格。逆に開き直った今の大学の後期試験は会心の出来だった。


これは縁だろうと思って◇大学を諦めた。今の大学も授業は面白いし、友達もたくさん出来た。後悔がないといえば嘘になるが、自分の選択を後悔しないと決めていた。



でも僕が◇大学を落ちた事を知っているのに、僕の目の前でそこに受かった人を何度も褒めるかなぁ? 彼氏が料理を作って待っているのに、それを30分以上も放っておいて別の男と楽しそうに電話を続けるかなぁ? 彼氏が聞いているそばで、他の男と4月になったら遊ぼうよなんて嬉しそうに約束するかなぁ? 「今、彼氏が来てて食事をしているんだ。だからまたあとでね」と言って切り上げても良いんじゃないかなあ? 


そう言いたかった。けれど、また言えなかった。言っても僕の気持ちを分かってもらえないだろうなと、考えてしまった。そして、もうこれで終わりでいいや、そう思った。


ようやく電話が終わり、伊藤くんが◇大学に合格したんだってと、嬉しそうな顔で僕に報告する田中さん。隣でさんざん聞いていたから内容は分かっている。僕をさんざん放っておいた後なのに、なぜそんなに笑顔なのだろうか。


「あれ?機嫌悪い?なんで?早く食べようよ」


やっぱり、彼女は僕の気持ちを全く分かっていなかった。僕も感情は隠していたつもりだったけれど、どうやら顔に出ていたらしい。料理を温め直して二人で食べ始める。何も味がしなかった。


これが僕が彼女の部屋に行った最後の日だった。僕は完全に彼女と別れることを決めていた。


─────


4月。無事に3年生に上がると、僕からは一切田中さんに連絡をしなくなった。自然消滅してくれればいいなとさえ思っていた。時々田中さんから電話がかかってくるものの、どうしても出る気にはなれず、留守番電話のままにしていた。


僕の電話代はそれまで毎月一万円近かったのに、その4月は基本料金以外に数百円しかかからなかった。僕はどれだけ田中さんと電話をしていたのか、そしていつも僕の方から掛けていたのかを思い知り、それもまたショックだった。あれだけ田中さんと電話でも話をしたのに、ほとんど僕から掛けていたなんて……もう、彼女の何もかもが嫌になっていた。


ただ一つ心配事がある。田中さんには部屋の合鍵を渡していた。それを早く回収したかったが、どうやってそれを言おうか悩んでいた。田中さんはアポなしで僕の部屋に来ることがある。逆に僕は田中さんの部屋の鍵を持っていない。まただ、また平等ではない。恋心がなくなってしまうと、ため息しか出ない。なぜこんなに不平等な関係だったのに僕は喜んでいたのだろうかと、自分の情けなさや心情の変化に落ち込んだりもした。



5月の連休、僕は実家に逃げた。どうしても田中さんに会いたくなかったのだ。連休中は一度も下宿先には帰らず、バイクで2時間かけて実家からアルバイト先に通った事もある。そして連休最後の日の夜にアパートに戻ると、そこには誰も居なくただ留守番電話の録音ボタンが点灯していた。


「なんで連絡してくれないの?酷いよ。寂しいよ。ずっと待ってるから、電話して」 泣きそうな声でメッセージが入っていた。僕は決心して受話器を握った。


電話は田中さんからの罵倒から始まった。仕方ない。僕が彼女を無視して逃げていたのだから。でも僕がそれくらい怒っているという事を、彼女はまったくわかっていなかった。僕が何かに拗ねているんだとか、そんな程度にしか考えていないようだった。


「もう別れよう。僕にはやりたいことがある。でも田中さんと付き合ってると、それができなくなる。だから別れて欲しい」


僕ははっきりと言い切った。田中さんからは嫌だとか別れたくないとか、いろいろ言ってきたけれど、ごめんなさいという言葉は無かった。結局、僕が嫌な思いをした時にもずっと何も言わなかったせいで、彼女はこちらの気持ちを何もわかっていなかった。


よくここまでお互い理解できないまま、2年も付き合ってこれたなと我ながら感心してしまった。何度目かのため息を付きながらも、彼女に言葉を告げる。


「僕には田中さんは必要ない。田中さんはモテるから、僕と別れてもすぐに良い人が見つかるよ。大丈夫」


そんな事を言うと、彼女はギャン泣きした。酷いセリフだろうか?でもその時の僕の本心だった。もう僕は彼女と別れた気分だったし、彼女の存在は必要なかった。


「なんでそんなひどいことを言うの!私は結婚するつもりだったのに!」


それを聞いて心が悲鳴を上げた。


(結婚?僕が田中さんと?とんでもない!僕以外の男にいい顔をして、僕を労ってくれず、料理が下手で、夜の生活もぜんぜん楽しめなかったのに!お金遣いも荒いし、大学にもあまり行かずに遊んでいて、アルバイトもすぐ辞めてしまう女の子と誰が結婚するの?僕がこんなに嫌な思いをしても気付いてくれない田中さんとはもうこれ以上一緒に居たくないんだけど!)


これが本音だったが、流石に正直には言えず、かなりぼやかして別れたい理由を伝えた。結婚するつもりが無い事ははっきり言った。何度も「ひどい!」とか「嘘つき!」とか言われた気がする。まあピロートークとかで田中さんを大事にするってよく言ってたのは確かだ。でも僕のことを大事にしてくれない人が、いつまでも大事にされるわけ無いだろと思っていた。


僕が4月になって何も連絡しなかったことを、田中さんはいつもの喧嘩の延長だと考えていたようだった。何も分かっていなかったし、僕が別れたいと考えている事を感じてもいなかった。結局、僕と田中さんは、大事なことや必要なことをお互いに伝えきれていなかった。表面だけを繕い、我慢してしまう。本当に不健全な恋人関係だった。


そういえば僕も田中さんも、お互いの下宿先のトイレで大便をした事がなかった。おならをした事もなかった。2年以上も付き合っていたのに、それが恥ずかしいものだと考えていたのだ。本当に子供のような関係だった。



その日の電話では、別れ話は成立しなかった。あまりに時間がかかりすぎて電話代が怖くなったので、一方的に切ってしまった。次の日、田中さんは僕の部屋に来ていた。駐車場から田中さんがいる事を察した僕は、部屋には戻らずアルバイト先に直行し、そして仲の良かったスタッフの家に泊めてもらった。次の日、田中さんは居なかった。


正直、その後の事ははっきり覚えていない。ただとにかく直接会うのが嫌だった。伊藤くんと田中さんとの会話のせいで、彼女を完全に嫌いになっていたのだ。伊藤くんが東京に来るなら、浮気でも何でもいいからそっちに行ってくれとさえ思った。それくらいにうんざりしていた。


何度目かの電話でとりあえず友達関係に戻ろう、一度距離をおいて冷静になろうという約束を交わして、どれくらい時間がかかったかは分からないがひとまず別れが成立した。合鍵も郵送で送ってもらい、これで僕は完全に田中さんと別れたと考えていた。


─────


伊藤くんのことが刺激になって、僕は来年に迫った就職活動に全力で備えることにした。大学の偏差値や知名度では負けてしまうが、日本の景気がどんどん悪化していく中、伊藤くんより二年早く卒業できるという利点を最大限に活かそうとしたのだ。そして田中さんと別れて本当にすっきりした僕は、気分一新に学業とアルバイトに精を出した。取得科目は万全で、3年前期の成績も申し分ないくらいに良かった。


この頃に僕はそれまでに貯めていたお金でパソコンを買った。近い将来に絶対にパソコンやインターネットの時代が来ると考え、先行投資という意味で30万円を貯金から引き落とした。就職する際にもパソコンが使える事は有利になるはず。そう思うと30万円の出費を高いとは思わなかった。


レストランのアルバイトも順調だった。とくに6月から新しく入った後輩の女の子ととても仲良くなった。彼女は同じ大学の同じ学部だったので、過去問題や参考資料をプレゼントするだけでなく、定期テストの面倒も見てあげた。ただその子を彼女にしたいとかは考えていなかった。田中さんの事が癒えるまで誰とも付き合いたくなかったし、それ以上に毎日が充実していたのだ。



夏休みに入ったころ、電話がかかってくる。受話器から聞こえる声ですぐに相手がわかる。田中さんだった。


すごかった。体温がぐっと下がり、冷や汗が出るのがわかった。受話器の向こうには届かなかったと思うが、ヒィっと小さな悲鳴さえ出てしまった。心臓が高鳴り、胃がきゅっと縮む。いやだ。単純にそう思った。手と声が震える。それでもなんとか平静を取り繕って電話に応じた。


田中さんからの電話は、「よりを戻したい」という内容だった。あれから反省して、友達?にも聞いて、自分がどれだけ甘えていたのかわかった。もっと行為にも積極的になるからもう一度恋人同士に戻ろう。そんな事を言ってきた。でもとても信じられなかったし、何より電話の相手が田中さんだとわかった瞬間に全身に起きた拒絶反応、それが僕の答えだった。


「ごめん、無理。もう付き合えない」


彼女は納得してくれなかった。またもや言い合いになり、仕方なく僕は「アルバイト先に気になる女の子が出来た。仲良くなって、一緒に遊ぶようになった。多分、その子と付き合うつもり」と嘘を言った。田中さんは激しく怒り出した。


「浮気者!アルバイト先の女の子なんて気にならないって言ってたじゃない!」


一年以上も前の、僕でさえ覚えていないセリフを持ち出してくる。まただ、また田中さんはワガママを僕に言う。田中さんは山田くんや伊藤くん、それに同じ大学の男子たちと楽しく遊んできたのに、なぜ自由になった僕が女の子と仲良くなることを怒るんだ?何も変わってないじゃないか。


そう思ったものの『ここで田中さんをもっと怒らせれば上手く別れられるんじゃないか?』と閃く。


「彼女の事が好きになったんだ。彼女も同じ大学に通ってて、一緒の部屋で勉強する仲になってる。だからもう田中さんとは付き合えない。ごめん」


その後もいろいろと罵倒された気がするが、受話器の耳をハンカチで塞いでやり過ごした。ようやく怒りが一段落したのか、田中さんの「もういい!もう友達でも何でも無い!付き合って損した!私の人生返して!」という言葉で電話が切れた。


ようやく、これでようやく彼女と縁が切れた。僕は膝から床に崩れ落ちて、それでも安堵の息をついた。友達でも何でも無い、私の人生返してとは、僕が言いたいセリフだ。でも良い。終わった。やっとこれで終わったんだ……


アルバイト先の女の子とは、結局は女友達の関係のままだった。僕は女心がわからなかったし、もし付き合えても田中さんのように豹変してしまうのが怖かったからだ。


─────


電話で別れた後、田中さんと会うことはなかった。ただ大学生の最後の頃に、直接ではないが少しだけ田中さんに絡む事件があった。


4年生になると、研究室を選ぶことになる。ここまできちんと単位を取得していれば講座はほとんどなく、必要な科目は卒研だけだ。4月中に所属する大学研究室を選び、そこで卒業論文を書くために実験生活が始まる。また当時は6月から就職活動が解禁されるので、そこから就職先が決まるまで大学にはほとんど行かなくなる。僕もすべてのアルバイトを4年生の5月までに辞め、卒業と就職活動に専念することにした。


世の中は阿鼻叫喚が始まっていた。不良債権、倒産、不渡り、そんな不景気極まりない言葉が毎日テレビで叫ばれていた。一年でこんなに変わるのかと思うくらいに景況感は悪くなったが、恐ろしいことに不景気は始まったばかりだった。


僕は小学生の頃からの希望だったメーカーに当然願書を出すつもりだったが、何とその会社は業績不振を理由に新卒採用の募集をしなかった。新卒募集がなかったのはその会社だけではない。中途のみ募集とか、人数を絞っての募集とか、大学推薦のみの募集とか、どの企業も新卒採用枠を絞っていた。後に就職氷河期と言われる時代が始まっていたのだ。


上場企業でも募集人員は限られており、財閥系大手でも新卒の採用人数が10人に満たないところすらあった。どの企業も採用試験は長く狭く厳しいものだった。とある企業の面接が終わった後に他の大学の人と雑談したが、みな本当に苦労していた。僕も何十社も受けたけれど、大半は不採用だった。


小学生の頃からの夢は叶わず、さらに世の中は不景気真っ只中。とはいえこれからの時代はインターネットだろうと考えた僕は、当時そこまで人気のなかったコンピュータ関係に進路を絞った。


学校推薦枠に応募する手もあったけれど、もしそれを使ってしまうと地方の研究所に配属されてしまう可能性が高いし、転職でもしようものなら来年以降の後輩に迷惑がかかる。東京の企業に勤めていれば、夢だった企業が業績回復して中途採用で入れるかもしれない。そう考えた僕は自力で都内での就職を勝ち取るつもりだった。



幸いにもコンピュータ大手の何社かから内定を貰える事ができた。中には当時であっても業績好調の大企業もあったけれど、実力主義を謳っていたその会社の若手説明員が暗い顔だったのでそこは辞めた。それ以外に内定をもらった2社のどちらにするか悩んでいたが、最終面接で僕のことをとても褒めてくれた会社に行くことにした。


後から人事の人に教えてもらったことだが、その会社の重役の方が僕の成績やパソコンを買って自力で勉強しているという履歴内容について大層気に入ってくれたらしいのだ。僕の大学の成績はほぼ首席といって良いくらいによく、3年間真面目に頑張ってきた事が報われたこと、そして努力を褒めてもらえた事が素直に嬉しかった。



本命の大学にも落ち、本命の企業にも行けなかったけれど、世の中そんなもんだよなぁと考えながら残り僅かな夏休みを過ごした。内定が決まったのは9月に入ってからだが、アルバイトも講義も無いという久しぶりに暇な時間ができた。秋に入り、卒業論文のために本格的に実験の日々が始まった。


とはいえ早めに就職先を決めていた僕は研究室のメンバーの中でもかなり先行して実験を進めていた。また昨年購入したパソコンのお陰でアパートでも論文を作ることができたため、年明け早々には卒業論文もほぼ仕上げてしまった。


─────


卒業論文を提出し、大学生活もあと残りわずかとなったころに電話をもらう。出ると相手は高橋くんだった。かつて世●谷区に住んでいた裕福な高橋くんは知らないうちに引っ越しており、こちらから連絡がつかなくなっていた。久しぶりの高橋くんからの電話だったが、内容は田中さんの事だった。その頃には、田中さんの名前が出ても拒絶反応は出なくなっていた。


「あのさ、実は田中さん、◎大学の人と付き合っててさ……」


ふーん、やっぱり新しい彼氏ができたんだ。そりゃ田中さんならすぐだろうな……と思いながら聞いていると、どうも話が変だ。


「何年か前に、君に頼まれて加藤くんと連絡とったでしょ。田中さんの元彼の。でさ、今度は同じ様に、君に今の田中さんの彼と会って欲しいんだけど、ダメかなぁ?」


加藤くん───それは高校時代の田中さんの彼氏で、僕が田中さんのことで悩んでいた時に、高橋くんを通して加藤くんに相談したのだ。何の因果か、今度は僕が田中さんの元彼として、その加藤くんと同じような依頼を受けている。正直気は進まなかったけど、高橋くんには以前加藤くんを紹介してもらった恩もあるので、とりあえず話を受けることにした。


今の田中さんの彼氏である佐藤くんとは、やはり都内の居酒屋チェーン店で会うことになった。高橋くんにも同席してもらった。まずは自己紹介が始まる。その中で高橋くんは金融会社に、佐藤くんは半導体メーカーに就職が決まっていた。


お酒が進む頃、佐藤くんが重い口を開いた。


「あのさ、田中さんとは4年になってから付き合い始めたんだけど……すごく可愛くてさ、大事にしなきゃと思って……」


僕は頷く。というか、よく元彼と会う気になるよな。僕だったら肉体関係のあった前の彼氏に会いたいとは思わないけどなぁ、などと考えながら話を聞く。


「田中さん、結局就職が決まらなくてさ、就職浪人するかフリーターになるしかなくってさ……」


ありゃま。田中さん、就職に失敗しちゃったか。まぁ今年の就職活動、本当に大変だったからなぁ。でも高望みしなきゃ、彼女だったらどこでも行けるんじゃ?顔も話術も良いなら受付とか地方企業とかありそうなものなのに……


そう僕が零した時だった。佐藤くんが声のトーンを上げた。


「そうなんだよ!田中さん、理想ばっかり高くてさ!東京じゃなきゃいやだ、総合職じゃなきゃいやだってさ! 俺が無謀だって何度も言ってるのに、□社とか▽社とか受けてさ!俺の大学でもその会社に何人も落ちてるんだぜ!それに彼女、大学の成績も悪くてさ!留年ギリギリだったのに、そんな一流企業に受かるわけないって!結局、ほとんど一次選考で落とされてさ……」


佐藤くんの大学は私立のトップクラスだ。OB閥も強い。そんな大学の4年生でも受からないような大企業を田中さんは受けたというのか……そりゃ無謀だ。


僕は苦笑しながらビールジョッキを見つめる。なんだか、悪い意味で変わってないなぁと思いながら。


「結局、俺がいくらアドバイスしても聞いてくれなくてさ。だんだん嫌になってきて…… で、彼女、安心のために卒業したらすぐ俺と結婚したいって言うんだよ。だけど俺の配属先って熊本だぜ?九州までついてくる気ある?って訊いたらさ、東京で就職して4年くらい働いたら熊本に行こうかなって……」


佐藤くんの就職する某半導体メーカーだが、本社は東京でも開発は熊本にある。聞けば佐藤くんは研究職採用なので、本社ではなく熊本に行くことが決まっているらしい。そして田中さんの将来計画に、聞いていて頭がクラクラしてくる。なんと田中さんは籍だけ入れて、26歳くらいまで東京か地元で自由気ままに働くつもりだという……就職先の目処も立っていないというのに……


表情を一切変えずにその話を聞いていた高橋くんが佐藤くんに尋ねる。


「夏に3人で水族館に行った時、田中さんと結婚も考えてるって言ってたじゃん。今も結婚する気あるの?」


その時の佐藤くんの顔は忘れられない。僕も田中さんに結婚願望を言われた時に、多分同じような顔をしたからだ。これは田中さんと結婚する気がなくなってるなとすぐにわかった。


「あの時はあの時で……いや、でも熊本に最初から一緒について来てくれるなら考えるよ。でもすぐにはこないのに、籍だけ入れるっておかしくない?それに……」


歯切れの悪い佐藤くんに、僕は閃くところがあった。多分結婚においてかなり重要なことだし、佐藤くんも気に病んでいる部分だろう。


「田中さん、料理うまくなった?」


途端に佐藤くんが固まる。僕の懸念はやはりあたっていた。佐藤くんの頭の中で言うかどうか葛藤があったようだが、少しの沈黙の後、とても言い難そうに口を開く。


「あまり、うまく、ない。……いや、頑張ってるとは思うよ。たまに弁当とかも作ってくれたりさ……でも、不味いんだよな……」


「田中さん、アドバイス聞かないし、レシピもあんまり良く見ずにオリジナルで作っちゃうないからね……」


「そう!そうなんだよ!あんた、前の彼氏で料理うまかったんだろ!なんで彼女に料理教えなかったんだよ!」


「いくらお願いしても、田中さん料理しようとしなかったんだよ。僕にばっかり作らせて後片付けもしなかったし、僕が料理を教えようとしても全然聞こうともしなかったし」


あーと言って佐藤くんが項垂れる。僕と付き合っていた時より、料理するようになっただけ立派だと思う。でもだ。


「料理ってさ、素直さと思いやりが大事なんだよね。あと料理の腕ってすぐに上達しないから毎日の積み重ねが必要なんだよね。田中さん、どれもこれも苦手だったから……」


そうだよなーという声とともに佐藤くんがテーブルに突っ伏す。顔がほぼテーブルに着きそうだ。代わりに高橋くんが不思議そうに訊いてくる。


「田中さんってそんなに料理が下手なの?」


「うん、あまり言いたくないけど下手だった。どうやったら市販の素であんな味になるのか聞いてみたいくらい。なんかベシャベシャな料理が多かった。結婚して食卓にあれが並ぶのかと思うと、ちょっと大変かもね」


ふーんという顔で高橋くんが首を傾げる。僕は加藤くんから聞いた言葉を思い出す。


「そういえば加藤くん、ああ、田中さんの高校時代の彼氏なんだけど、加藤くんも田中さんの事を怒ってたっけ。ワガママだって。僕も同じ思いだな。田中さん、ワガママだから付き合うのは大変だった」


「ワガママかー。確かにそんな感じはするね」


高橋くんも田中さんと同じクラスになった事があるので、彼女のことをそこそこ知っているようだ。そして高橋くんは中性的な顔つきで、高校時代からとても女の子にモテた。なんせ自分から告白したことがないのに、いつも彼女が居たくらいだ。そんな高橋くんだから、田中さんの天然キャバ嬢のようなスキルはまったく通用しなかったのだろう。


「僕の印象だと、田中さんは気分屋って感じだったなぁ」


「あーそうかも。でもさ、田中さんのワガママを受け止められれば良いんだよね。僕は心も器も小さかったから受け止められなかった。田中さんはワガママをきいてあげられる人と結婚すればうまくいくと思うよ」


その第一候補であるはずの佐藤くんは顔を上げてくれない。ただ僕もこれ以上、田中さんの事を悪く言いたくないので話題を変える。就職活動が大変だったとか、東京にいる同窓生の進路とか、高橋くんといろいろ喋った。佐藤くんは途中で顔を上げたけれど、ずっと黙ったままだった。


「来年はもっと就職活動が厳しくなりそうだよね。僕、10社落ちた時もう駄目かと思ったもん」

「確かに。S社なんか採用試験が7次まであってさ、僕は3次で落ちた。あれ受かる人間、誰だよって感じだった」

「理系でこれだから、文系だともっと大変だろうね。F社って文系は取らないって案内に書いてあったし」

「そういえばI社を受けた時、文系は一般募集だったけど、理系は総合職だったなー」


そんな事をつらつらと話していると、ようやく佐藤くんが口を開いた。


「決めた。おれ、別れる」


ああ、やっぱりか。前彼の僕にわざわざ会いに来たということだから、別れるつもりはあったのだろう。佐藤くんもいろいろ大変だったんだろうな。


そう思った矢先、何と佐藤くんはPHSを取り出し、その場で電話をかけ始めた。当時、携帯電話とPHSが流行りだした頃で、比較的安価なPHSを持っている学生もいるにはいたが僕も高橋くんも持っていなかった。


「もしもし、俺。そう。今いい?うん。そう。別れよう。無理。結婚は考えられない。だって熊本に着いてこないっしょ?いいよ。無理無理。おれ、ワガママ聞いてあげられないし。東京で他の男探して。じゃあ」


まさか、今この場で田中さんと別れ話をするとは思いもせず、しかもその勢いの良さに呆然としてしまう。僕もPHSで別れ話をすればよかったのかとさえ考えてしまったほどだ。


すぐに佐藤くんのPHSが光る。田中さんからの折り返しだろう。しかし佐藤くんはPHSの電源を切るとビールをぐいぐい飲み始める。流石に僕も心配になる。


「あのさ、酒の勢いで別れちゃっていいの?後悔しない?大丈夫?」


「ああ、大丈夫。最初っからそのつもりだったから。スッキリした。そうだよなー。なんで俺について来ない女と結婚しなきゃならないわけ?俺の人生が掛かってるってのに、考えが甘すぎだよな。就職決まってないならさ、熊本でも海外でもどこでもついていくから結婚してってのが普通でしょ?なんで△△大学のくせして、上から目線なんだよ。だから就活落ちるってんだよ。初めて出来た彼女だったからって、俺の目は節穴だった。次はちゃんと見極めなきゃ駄目だね。熊本で頑張らなきゃ。優しい女の子、いっぱいいるといいなー」


それまでの無言とはうって変わって饒舌だ。相当にストレスが溜まっていたのだろう。でも佐藤くんの言い方はひどいけれど、一理あると思ってしまった。僕たち世代は望まない受験戦争の中で少しでも偏差値のいい大学を目指した。いい大学に入れば良い企業に入れると言われてたのに、いざ就職する年になれば氷河期だ。


バブル景気は受験戦争の最中に終わってしまい、大学時代にほとんど良い思いをしていない。ただ自分の通う大学のネームバリューだけが、最後に残された誇りだった。でも学歴すら、社会に出たらあまり役に立たない事を思い知るのだが……



僕もその後は田中さんの事をすっかり忘れ、高橋くんと佐藤くんと一緒に同世代の愚痴話に花を咲かせる。受験戦争がどれだけ大変だったか、バブル期の先輩たちはどれだけいい思いをしてきたのか、就職活動でどれだけ辛酸を嘗めてきたか……結局僕たちは貧乏くじを引かされただけだったのか…… 世の中の景気と同じ様に、大学卒業間近で前途あるはずの僕たちの話題もまたどこかしら暗かった。


佐藤くんとはその後、連絡をとっていない。高橋くんとは何度か社会人になってからも会うことはあったが、田中さんの事は知らない様子だった。というか僕が田中さんの事を訊かなかった。


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あまりに田中さんの事を悪く書きすぎてしまったが、僕も本当に悪い。至らない点も多々あるし、反省もしている。僕はその反省を活かし、社会人になって出来た彼女ときちんと向き合うようにしたし、自分が完璧でない以上、相手にも完璧を求めないようにした。田中さんと付き合ったお蔭で、自分に足りなかった点や、どんな些細なことでも相手に伝えることの大事さを学んだ。



今でもたまに高校受験の夢を見る。不思議なことに、受験する時の自分は浪人だったり社会人だったりいろいろなのに、夢の中では僕は必ず本命の◇大学に合格しているのだ。だから夢から覚めると無性に虚しくなり、どっと疲れる。


そして同じくらいの頻度で、田中さんも夢に出てくる。これも状況は毎回異なるものの、よりを戻すシチュエーションだったり、今の彼女と二股をかけたり、中には田中さんとの結婚を決めることすらある。僕は無意識の中で、田中さんとやり直しを望んでいるのだろうか?


僕がよく読む小説界隈では、自分が若い頃にタイムリープして人生をやり直す話が人気だ。そういった小説が好まれる理由は社会人になるとよく分かる。僕も今の記憶を持って人生をやり直せるなら16歳あたりに戻りたい。20歳の頃は後悔はないと考えていたが、人生をやり直せるというならもう一度大学受験に挑戦したいのだ。


もちろん、ただの妄想だ。でも、もし本当に高校時代に戻れたとしたら、田中さんとまた出会うことになる。再び彼女と恋人同士になれたとしたら……


田中さんは容姿はとても良かったし、話し上手で一緒にいると確かに楽しかった。田中さんの広い交友関係で、想像していなかった人たちと知り合うことも出来た。東京のいろんなところに連れて行ってもらったし、カラオケで聞く歌声もキレイだった。そう、遊ぶ相手としては申し分ない…… 女友達としてなら田中さんは初めて会ったときからずっと最高の女性だったのだ。


そんな女性と付き合えたという幸運を、僕はまったく活かせなかったし、そのことが田中さんに申し訳なかった。



僕の手元には、同窓会のお誘い葉書がある。差出人は高校一年生のときのクラス委員で、担任の鈴木先生も来る予定だという。10年ぶりの同窓会、高橋くんも出席する。果たして田中さんは来るだろうか─────僕は悩みに悩んだ末に、出席に丸をつけた。


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