英会話教室の恋
大学生のリン子は、学校帰り、友達と映画を観に行った。
大の洋画ファンであるリン子は、その日もご機嫌な様子で映画館から出てくる。
「あ~面白かった~! やっぱり〇〇(洋画俳優)は最高だな~!」
歩きながら大きく伸びをする。
この映画友達は、同じ大学ではなく、映画館で知り合った女友達だ。
「それにしても、本当にリン子って映画好きだよね~ それも洋画ばっかり」
「俳優がみんなカッコよすぎよ!」
「そんなにかな~」
「日本の男にはないワイルドさがたまらないっていうか~」
そういったセリフはすでに耳にタコ状態の友達。
「リン子って彼氏も外人じゃないと駄目?」
「あったり~ いつか絶対外人の彼がほしい~」
「だったら手っ取り早くアメリカにでも留学したら?」
するとリン子が、くすと笑い、もったいぶる様に。
「それがね~ いたんだ。イケてる外人さん」
「え? どこに!?」
驚く友達にリン子は話す。
頭の中は完全に妄想の世界といった様子。
「学校にいたのよ。〇〇の講義で一緒になるんだけど、この人がカッコいいのよ~」
「どこの国の人? 名前は?」
「アメリカ人で、ソデルっていうの。結構日本語も上手でさ~ 優しい感じなのよ」
「え? 話したことあるの?」
「うん。彼いつも5、6人のグループで行動しているんだけど、そのグループの一人と知り合いでね」
「すごいじゃない! ならチャンスがあるわけね」
「それがなかなかうまくいかなくてね。ひとつ問題があるのよ……」
「問題?」
「そのグループの人たち、とにかく凄く頭がいいのよね。英語もみんなペラペラだし。私だけよ。ソデルと日本語で話しているの」
「本当に?」
「本当よ。でも彼、優しいから私と話をする時は、私にあわせて日本語で喋ってくれるんだけど、ほかのグループ仲間が来た途端、英語の会話が始まるの。まるで映画を見ているみたいなね。字幕なければ分らんって話よ」
「それは仕方ないわね」
「英語で話している時の彼は、やっぱり活き活きして見えるのよ。だけど完全に私は除外されちゃうわけ。私英語劇的に苦手だし……」
「その人たちってどういう関係が?」
「以前アメリカにホームステイしてた時にソデルの家に世話になったらしいのよ。けっこう長い期間行っていたらしいわ」
「英語うまいはずね?」
「うん。でもホームステイが終わった後も、ソデルが日本の事、彼らの事が忘れられなかったみたいで、ついには日本に来ちゃったってわけ。彼の実家は結構な金持ちらしいわ。お父さんが会社の社長やってるとか」
「へえ~ それじゃ玉の輿?」
「まあね。でも私はお金とか関係ない。純粋に彼が好きなのよ。それに時々思うの。あの人は運命の人じゃないかって」
「でも、そんな協力なライバルが近くに沢山いるんじゃ希望少ないわね」
「グループのみんなはただの友達としか見ていないとは思うけど、私も隙をみてアタックしていくつもりよ」
「へえ~ その恋の行方。私も気になるわ。また進展があったら教えてね」
「OK~」
そんな話をしながらリン子は駅で友達と別れた。
帰宅するため、いつもの電車に乗り込んだ。
今日は映画のために、普段より2、3時間遅れの電車となった。
「――今日も楽しかったけど、疲れたな~」
座席に座り、そんなことを考えながら周りをキョロキョロしていた。
時間が遅いためか、電車内はガランとして人の姿も少ない。
そんな中、一人の外国人の姿が目に止まった。
外人とみると、すぐに全神経を集中させてしまうリン子の癖であるが、今回は特別であった。
それは見慣れた人物。
まぎれもない、ソデルであった。
リン子は驚いた。すぐに駆け寄り、声をかけた。
「偶然ね」
「あれ? リン子~」
話を聞くと、彼も毎日この電車に乗るという。
リン子とは時間帯があわなかったため、これまでは出くわすことがなかったのだ。
なんという偶然。
思わぬ偶然で上機嫌になったリン子は、ソデルとの話に夢中になった。
今日観てきた映画の事、大学での事など話題は尽きなかった。
「――これは神様が与えてくれたチャンスに違いない!」
リン子の気持ちは高ぶる。
話をしている内にソデルとの距離が縮まる感覚を覚える。
いつまでもこうしていたかったリン子だが、ソデルは2つ目の駅で降りた。
リン子は残念そうながら、満面の笑みで手を振った。
ソデルもそれに返した。
傍から見れば恋人同士に見えるシチュエーション。
まさかこんな所で、ソデルに会えるなんて。
それに彼とのツーショットは初めて。
「――これは運が向いてきたかも! 今度から学校終わっても、どこかで寄り道をして時間を合わせよっと」
そんなことを考えながら、しばらく興奮がおさまらなかった。
翌日大学でソデルに会った。
先日の電車内での偶然の話。
楽しそうに話す二人は、とても良い雰囲気である。
この調子でいけば、リン子が夢にまで見た、初の外国人彼氏ができるのも夢ではないと思えるほど。
しかし、そんな時間もほんのひと時。
お馴染みのグループが姿を見せると、リン子にとっては厳しい現実を突きつけられることになる。
穏やかな日本語の会話が一転。ハイテンポな英語に早変わりする。
活き活きとした英語を話しだした途端、ソデルがより溌剌として見える。
リン子と話す時の日本語は、そうとう気を使っていることが分かる。
ソデルが英語でどういったことを話しているのかは、グループの中でリン子と仲のいい一人に通訳してもらう形で教えてもらうのが精一杯であった。
リン子は内心悔しかった。
「――私も英語が話せれば、ソデルとの距離は今よりさらに縮むのに」
そして決心した。
「――決めた。英会話教室に通おう!」
リン子は自宅から近い、最寄り駅近辺の英会話教室に通うことにした。
そして週4日レッスンを受けることになった。
「――いつか私も、あのグループの中に入って、ソデルと話せるようになってやる! 頑張るぞ~」
意気込みは並々ならぬものであった。
しかし英会話の経験のないリン子。
緊張のレッスン初日。
リン子の指導に当たったのは、ソデルと同じアメリカ人のR先生だった。
「初めまして。あなたの担当になったRと言います。どうぞよろしく」
「よろしくお願いします」
頭を下げた。
先生だけあって日本語も慣れたものだ。
しかも、まだ若い上に結構カッコよく、リン子のタイプでもあった。
その時リン子は後悔する。
「――どうして今まで気付かなかったんだろう…… もっと早く英会話始めていればよかった。そうすればソデルとの距離も近づくし、先生だって外人さんだものね~」
外国人と触れ合える。
それだけでリン子にとっては月謝以上の価値があることである。
R先生が、この教室のシステムについて話した。
「ここでは、日常生活で使う言葉を重点的に学んでいくというコンセプトから、まずは普段通り日本語で会話をします。次に、今話したことと同じ事を、今度は英語で話すというスタイルをとっています」
「へえ~」
「では試しに一回やってみます」
R先生はそう言うと。
『あなたの家はこの近くですか?』
『はい。徒歩20分くらいです』
先生の質問にリン子は普通に日本語で答えた。
「そうしたら今話した会話を今度は英語に直して発音しなおします」
R先生は英語で話した。
『(英語)アナタノ イエハ コノチカクデスカ?』
「それに対し、あなたの先ほどの答えも英語にしてみます。『(英語)Yes アルイテ20フン クライデス』さあ、リン子さんも言ってみて」
リン子は先生を真似て発音した。
『(英語)Yes アルイテ20フン クライデス』
「上手ですよ。どうです分かりましたか?」
「はい」
リン子は、この教室のシステムを理解した。
分かりやすく、実践的である点が気に入った。
「では続いて、『リン子さん。今日は何をしましたか?』」
『映画館に行き、映画を観ました』
「OK。では今の会話を英語でいきます。『(英語)リンコサン。キョウハ ナニヲ シマシタカ?』」
リン子は先生の後に続いて発音した。
「OKです。続いてあなたの答えを英語で『(英語)エイガカンデ エイガヲ ミマシタ』さあどうぞ」
リン子は後に続いた。
「OK~ どうです? 分かりましたか? こんな感じで進めていきます」
「なんだかちょっと楽しくなってきました」
「そうでしょう? リン子さん。あなたは英語の素質がありますよ。とても上手です」
先生に褒められてしまった。
長年の洋画ファンは決して無駄ではなかったようだ。
「ところで『リン子さんは、どうして英会話を始めようと思ったのですか?』」
『それは…… 友達にアメリカの人がいて、彼と英語で話せたらいいな~と思って』
『そうですか~ もしかして、その彼の事が好きなのですか?』
『ええ? わ、分かります? 実はそうなんです。だから、いつかは英語で自分の気持ちを伝えられたらいいなって』
『それは素晴らしいですね』
リン子はついつい口を滑らせてしまい、内心恥ずかしかった。
「はいそれでは今の会話を英語でいってみましょう!」
「ええ~! 今のもですか!?」
「もちろんです。それがこの教室のルールですから」
リン子とR先生は一緒になって笑った。
初日のレッスンを終えたリン子。
「――この調子で練習すればみるみる上達するはずだわ。ソデルと英語で話す日が楽しみ~」
今後は、大学でソデルに会う楽しみだけでなく、電車の中でも会うことができ、帰りにはR先生との授業もある。
リン子の楽しみは、この数日間で何倍にも膨れ上がった。
幸せな日々。
その3つのローテーションは、リン子の毎日を輝かせた。
学校内。
かつては、ソデルと話すことを楽しみにしていた講義の時間も、最近ではひたすら英会話の勉強をしていた。
ソデルはあのグループに任せて、今は英会話を磨き、いつか自分も胸を張って、その中に入ろうと決めたのだ。
その日が来るまで、リン子は空いた時間を見つけては、英会話の本を広げていた。
ソデルのグループの中でも、リン子と親しい友達も、その様子を見て。
「リン子また英会話の勉強? そんなに頑張ってどうするの?」
「決まっているでしょ。私みんなみたいになるの」
「熱心ね。でも私達は一時期ずっとアメリカで暮らしていたわけだから、喋れて当然よ」
「私も喋れるようになりたいのよ。ほら、私、洋画とかも好きだから英語ペラペラな人とかに憧れるのよね」
「そうなんだ。まあ頑張ってね」
そんな会話を交わすことが多かった。
リン子はグループの誰にも、もちろんソデルにも英会話教室に通っていることは話さなかった。
もちろんソデルのことが好きだということも秘密である。
一緒に映画を観に行く友達には、唯一喋っているのだが。
また、最近キャンパス内ではソデルと話すことのないリン子だが、帰りの電車の中で一緒になることは多いので苦痛は感じなかった。
それに英会話教室で、R先生とのレッスンもある。
まるで洋画スクリーンの中に入ったみたい。
そんな気さえしていた。
しかしそんな幸せな日々も長くは続かなかった。
ある時期を境に、電車内でソデルの姿を見かけることがなくなった。
気がつけば大学にも来ることもまれで、始めは体調を崩したなどの理由で休んでいるのかと思っていたのだが、ついにはまったく来なくなってしまった。
リン子が友人に聴くと。
なにやらソデルの父親の会社が経営難なのだという。
完全に親の金に頼り生活してきた彼にとって、親の仕送りがなくなれば大学を辞めざるをえない。
彼はただちにアメリカに帰り、親の会社を手伝うということになったらしい。
リン子はその話に驚いた。
「ソデルはもう、アメリカに帰ったの?」
「たぶんね。携帯つながらなくて確認は取れないんだけど、アメリカに着いて、気持ちが落ち着いたら連絡くれるって」
リン子は目の前が真っ暗になった。
ソデルがいなくなってしまったら、英会話の勉強はどうるなのか……
すべてが無駄になってしまう。
とても信じられなかった。
リン子の顔色を見た友達が。
「どうしたのリン子!? もしかしてだけど…… あなたソデルの事が好きだった?」
「ええ?? それは……」
図星をつかれ戸惑うリン子。友達の感は鋭い。
「やっぱりそうか~ 最近英会話に熱心になっていたのも、そのためね」
「う、うん……」
リン子は観念した。
「残念だったわね。もう彼には会えないと思う。キッパリ諦めて、新しい恋見つけたほうがいいと思うよ。キャンパスには男いっぱいいるし」
彼女はそう言うとリン子の前から去っていった。
リン子はしばらく呆然としていた。
気持ちを切りかえるため、久々に友達を誘い映画を観に行った。
映画が終わり、一息つくと、さっそく友達にソデルのことを話した。
唯一彼の事を話している人物。
「え~! 大学辞めちゃったの?」
「うん。なんかすごいショックでさ~」
「せっかく運命の人見つけたのに」
「本当よ。みんなは、男なんていくらでもいるから、また新しい恋見つけろなんて言うけど……」
「みんな分かっていないのね。リン子の外人に対する執着心」
「そういうこと。外人さんなんて、そう何処にでもいるものじゃないし。なんか心にポッカリ穴が開いちゃった感じ」
「仕方ないわね。でも英会話教室の先生がいるじゃない?」
「R先生ね」
「そうそう。その先生がいればいいじゃない。またソデルさんみたいな人と出会うときのために、今は英会話頑張ればどう?」
「そうかな……」
友達の言うとおりである。
ソデルがいなくなったとしても、リン子の楽しみが全て奪われたわけではない。
まだ英会話教室のR先生との楽しいレッスンがある。
新しい運命の人に出会える日まで、今は辛抱。
それも悪くないかなと思えてきた。
リン子は励ましてくれた友達に礼を言い、別れると、今日はさっそく英会話の日であることを思い出し、電車に乗った。
友達のおかげで気がだいぶ楽になった。
晴れた気持ちで英会話教室に入った。
しかし晴れた気持ちは、長くは続かなかった。
悪いことというものは連鎖するものだ。
この日の担当は、なぜかR先生ではなかった。
日本人の先生。それも中年の男の先生。
ここの経営者ではないかと思えるほど、教師どころか、英会話に精通しているようには見えない。
いったいどういうことなのか?
リン子はここに通い始めて数ヶ月、ずっとR先生とレッスンをしてきた。
訳が知りたかった。
話を聞くと、親会社のほうで人手不足になり、外国人教師数名が移動になったというのだ。
R先生もその一人であった。
そのためこの教室では、逆に人手不足になり、普段はレッスン指導には当たらない日本人の先生が代わりを務める事態になっていた。
がっかりだった。
なぜ悪いことが続くのか。
唯一の楽しみだったR先生とのレッスン。
それまでなくなってしまうのか……
リン子は全身の力が抜け落ちるようであった。
そしてレッスンが始まった。
おやじ先生が言う。
「では始めましょう。『あなたが英会話を始めようと思ったきっかけは何ですか?』」
またそこからスタートするのか…… ため息が出た。
『暇だったからです』
「そうですか。では今の会話を英語に直して発音しましょう」
リン子は先生に続いて発音した。
なぜだろう…… まったく楽しくない…… 当然か……
リン子は思った。
するとおやじ先生が。
『暇だったから? おかしいですね…… 確か、好きな人に告白するためでは?』
リン子はその一言に驚いた。
『な、何でそんな事を!?』
『R先生から小耳にはさみました』
リン子は心の中で叫んだ。
「――信じられない! R先生どういうことよ!」
「はい。では今の会話を英語でいきましょう」
リン子の気持ちを察する様子もなく、英会話にこだわるおやじ先生。
もはやリン子にとって英会話はどうでもよかった。
「先生。ほかにR先生からはどんな話を!?」
「別にほかはないですよ。では英語で発音……」
「ちょっと待ってください! 英会話はいいので、少しR先生のこと教えてください」
「そうですか? 分かりました」
驚きのあまり立ち上がってしまったリン子だが、気持ちを落ち着かせ、座りなおした。
『R先生は人気がありました。移動が決まったあとでも、ここに残りたいと言いました。特にあなたとレッスンができなくなることは、心残りだったようです』
『本当ですか?』
『ええ。しかしこれは仕方のないこと。最終的には、彼にも承諾してもらいました。しかし彼からあなたの事は色々聞きました。とても頑張り屋さんだとか……』
『R先生……』
リン子の気持ちは複雑であった。
R先生のレッスンが好きだったのと同時に、R先生も自分のことを、そこまで親身に思っていてくれたなんて。
少し嬉しかった。
しかし、その雰囲気をぶち壊すように。
「では今の会話を英語でいってみましょう!」
リン子は呆れた。そして立ち上がると。
「もういいです! 今日はちょっと気分がのらないんで、帰ります」
「おや、そうですか?」
リン子は建物から出てきた。
気持ちは晴れない。
ソデルだけでなく、R先生までもいなくなってしまった。
これからは、以前と同じ、洋画のスクリーン上にしか楽しみはない。
リン子は肩を落とした。
楽しさの絶頂かと思いきや、まさかの振り出しへの逆戻り。
家に帰って、ゆっくり考えようと思った。
その後、幾度か英会話教室に通ったリン子であったが、おやじ先生とのレッスンに魅力を感じることはなく、次第に休むことが多くなり、ついには行かなくなった。
教室には学業が忙しいからと理由をつけた。
ここ最近の急展開には、立ちくらみがするくらいだ。
落ち着くまでには、少し時間がかかりそうだった。
そして今回の一連のことは、きっぱり忘れよう決めた。
しかし、時間が経てども、リン子はソデルのことが忘れられなかった。
それを見てか、幸福の神様は、再びその幸運の歯車を調節し始めた。
それはある休日の昼。
一人で買い物に出かけたリン子は、街を歩いている途中、思わず目をとめた。
目の前に確かにソデルの姿があった。
もうアメリカに帰ったものと思い込んでいたが……
幻かとも思った。
しかし声をかけると、彼も驚いた表情をみせた。
「もしかして、ソデル!?」
「リン子! 久しぶり!」
「驚いたわ! 人違いじゃないわよね!?」
「もちろん、本物だよ」
意外にも元気そうな様子。
流暢な日本語も健在であった。
最後に大学で会ってからからは、ふた月以上が経っていた。
聞きたいことが山ほどあった。
彼の話によると、父親をなんとか説得して、日本に残ることにしたのだという。
始めは反対されたが、彼の日本にいたいという気持ちがようやく伝わったのだという。
しかし仕送りは一切なしという条件付きなのは当然であった。
全て自分で稼いで、復学なり自由にすればよい。
それだけのことだ。
彼は必至になって職を探した。
しかし現実は厳しかった。
大学卒業ならまだしも、中退では難しいのか。
一時アルバイトをしていたが、言葉がひとつの壁となった。
日常会話は不自由しないソデルだが、やや専門的なことになると、日本語では対応できないことが多かった。
上司や客とのやり取りがうまくいかないことが多く、悩んだそうだ。
また、彼はバイトしつつ、大学に復学したいという希望があったため、時給を上げてもらえないかと要求したのだが、受け入れる場所はなかった。
バイトは、早い時で2週間ほどで解雇されることもあった。
次の仕事は決まっていない状態だという。
その話を聞き、リン子は同情した。
「大変だね」
「仕方ないよ。父さんの会社はもっと大変なんだから。これくらいで落ち込んではいられないよ。だからもう少し頑張ってみるつもりさ。それでも駄目な場合は、アメリカに帰ろうと思う……」
「そうか…… でも本当は日本にいたいんでしょ?」
「もちろんだよ。日本好きだからね」
リン子は知恵を振り絞った。
自分もソデルには日本にいてほしい。
帰ってほしくはない。
それに偶然にもこうして会えたわけだ。
これは神様のご意向ではないか。
すでに何かしらの道は用意されているのではないか?
そんな気がしてならなかった。
それほど、この偶然の出会いにリン子は運命的なものを感じていた。
そして閃く。
「そうだ! ねえソデル。私が知っている英会話教室があるんだけど」
「英会話教室?」
「そう。そこね。今外国人教師が足りなくて困っているらしいのよ。あなた行けば絶対に優遇されるわ!」
「それ本当!? 場所はどこ!?」
リン子は詳しく教えた。
自分の通っている教室ということは言わなかった。
「ありがとうリン子! 今からでも行ってみるよ!」
「うん。頑張って!」
リン子の一言によって、ソデルの目に輝きが戻った。
礼を言うと、ソデルは歩きだした。
リン子も後押しする言葉をかけ、その後ろ姿を見送った。
そこで気づく。
「――いけない。せっかく会えたのに、連絡先聞かなかった…… でも英会話教室に行けば会えるから、大丈夫よね」
そう信じた。
もし彼があの英会話教室に雇ってもらえたら、自分の先生になるかもしれない。
それどころか、彼を家に招くこともできるかもしれない。
リン子の心は弾んだ。
同時にソデルの幸運を願った。
またひょっこり顔を出してみよう。
そう思った。
翌日、大学でリン子は友達から誘いを受けた。
ソデルのグループの中で、唯一リン子と気の合う友達である。
「ねえリン子。今週のクリスマス、みんなでパーティーやるんだけど、あなたもどう?」
「パーティー?」
「そう。みんなで楽しく盛り上がろうってわけ。クリスマス何か予定あるの?」
「特に何もないけど……」
「じゃあ来るでしょ?」
「うん。行ってみようかな」
そのグループの集まりに誘われるのは初めてだったので、やや戸惑いはあった。
それもパーティーとなると、自分の柄ではない気がした。
今年のクリスマスは、例の映画友達と映画でも観に行こうかと考えていたのだが……
それよりも、今のリン子の頭の中はソデルのことでいっぱいであった。
その友達やグループの人には、街でソデルに会ったことは話さなかった。
学校が終わったので、久々に英会話教室に顔を出すことにした。
ソデルがどうなったか、気になってしかたなかった。
同時に楽しみでもある。
教室に連絡を入れ、着いたのは夜だった。
入るとおじさん先生に見つかり、声をかけられた。
「久しぶりですね~ リン子さん」
「お久ぶりです」
頭を下げた。
するとおじさん先生が目を丸くして。
「それより、先日この教室に来たソデルさんだけど、あなたがここを紹介してくれたんですって?」
「もしかして彼、採用になったんですか?」
「もちろんだよ。本当に助かりました。人員不足だったから」
「それはよかったです」
ほっとして、肩の力が抜けた。
「もし君が希望なら、彼を担当にするけどどうしますか?」
「お願いします」
迷うことなかった。
ソデルがリン子の教師になる。
理想の展開だ。
そもそも、この教室に通いだした理由は、ソデルと英語で会話することが目的で、彼には内緒にしておくつもりであったが、こうなれば話は別だ。
するとおやじ先生が小声で聞いてきた。
「もしかして、彼が例のあれかい?」
「はい?」
「ほら。あなたが告白するつもりだった外国人」
「ほっといてくださいよ」
まったく、まだ覚えていたのか……
その場は適当にあしらった。
教室で待っていると、ソデルが元気そうな顔を出した。
「おおリン子!」
「来ちゃった。私今日からあなたの生徒だから」
「驚いたよ。リン子がここに通っていたなんて」
「それにしても、よかったわね採用してもらえて」
「そのことは本当に感謝しているよ」
心の底から楽しいと思える二人の会話は久しぶりだった。
ソデルが言う。
「リン子と話していると、つい会話が弾んじゃうけど、今はレッスンの最中だから、きちんと英語でも話さないとね」
「そうね」
笑って答えた。
『この教室は長いの?』
『そんなことないわよ。結構休んだりしてたしね。あなたには内緒で勉強していたの。いつか驚かせてやろうと思って』
『そうだったのか~』じゃあ今のを英語でいってみようか」
すっかりこの教室のスタイルに馴染んでいる様子。
『(英語)ココニ ドノクライ カヨッテイルノ?』
リン子も続けて発音した。
そして聞いた。
『ここにはずっといられるの?』
『もちろん。事情を話したら、給料も相談にのってくれるって。だから、また大学に戻ろうと思ってる』
『本当!? よかったわね!』
『すべてリン子のおかげだよ』さあ、ここまでを英語で言ってみようか」
「うん」
リン子は笑ってしまった。
すでに一人前の教師になっているソデルがおかしかった。
R先生のレッスンを受けているようだ。
英語に訳し終えると、再びリン子が。
『そうだ。今週のクリスマスの日に、グループ仲間とパーティーがあるんだけど、ソデルも来ない?』
『本当に?』
『うん。みんなあなたのこと心配してたから』
『最近連絡取ってないから』
『急に顔を出したら、みんな驚くかもね』
そのリン子の言葉を聞き、ソデルは言葉に詰まった。
今度ばかりは、すぐに英語で… とならない。
仲間のことを思い出し、込み上げるものがあるのだろうか。
「どうしたのソデル? 英訳して」
「ああそうだったね。ごめん」
『(英語)コンシュウノクリスマスニ パーティーガ~』
リン子は英語の発音をすると、話を続けた。
『じゃあ、あなたが来ることはサプライズっていうことで、みんなには内緒にしておくわね。場所は○○に○時だから、ぜひ来て。みんな喜ぶと思うわ』ってちょっと長かったわね。英語で話すの大変そうだね」
しかしまたしてもソデルはすぐには英訳しなかった。
何か考え悩んでいる様子。
「どうしたのソデル? 英訳しないの?」
するとソデルはこう言った。
「ごめん。今のは英訳できない……」
「どうして? そんなに難しかった?」
「そういうことじゃないよ。ただ、英訳したくないだけ…… 僕が」
「どういうこと?」
リン子には意味がわからなかった。
ソデルは真剣な表情でリン子にこう言った。
『リン子。クリスマスの日なんだけど…… 二人で会えないかな』
『二人で!?』
リン子は自分の耳を疑った。
『みんなとのパーティーも楽しそうだし、僕もみんなのこと好きだから早く会いたい気持ちもあるけど、できればその日はリン子と二人きりで過ごしたい。ダメかい?』
リン子は突然のことに驚いたが、嬉しかった。
自分の口からでなく、ソデルの口からそのような言葉が聞けるとは。
涙が込み上げてくる。
そして迷うことなく答えた。
『うん。いいわよ』
『本当に? ありがとう』
ソデルはリン子の手をそっと握った。
「じゃあソデル。今の言葉、英語でお願い」
「OK」
二人に笑みが戻った。