副委員長と委員長と筆跡
「あの子よ。知り合いかな?」
振り返った先には、二人いた。
一人は間違いなくクラスメイト。
もう一人はクラスメイトでもなければ、生徒でもなかった。
「あれ、風丘くんじゃない」
「早乙女? と、秦さんまで、どうして……」
私服姿の早乙女未樹と、学校の事務員の秦臣悠さんが並んで立っていた。
背の高い爽やかイケメンな秦さんは学校中の女子に人気がある。すでに結婚しているが、本気で青春を捧げている女子も少なくはない。
「学校に連絡が来た時、たまたま学校で仕事していてね。担任の先生に連絡してから俺が先にお見舞いに来たんだ」
飾らない性格に定評のある秦さんは、はにかみながら言った。男にはにかんでも仕方ないと思うのだけれど、早乙女には十分効き目があったようで、呆けて――見惚れている早乙女の顔が僕からは丸見えだ。
「わ、私はニュースで見て……」
チラチラと秦さんの見る早乙女。多分ニュースで見たから、が理由ではない。ただのきっかけでしかなく、本当の理由は点数稼ぎだろう。
成績の点数を稼いでいるのか、秦さんの点数を稼いでいるのかは知らないけれど。
「僕もニュースを見て来たんだ」
前にも車に轢かれそうになったことは伏せておいた。言う必要はなかったし、余計な心配をされると三葉も困ると思って。その気遣いが早乙女に通じるはずもなく、「あんたも点数稼ぎ?」と鋭い目線に襲われた。
睨まれる謂れはないし、早乙女と張り合うつもりは毛頭ないし、早乙女と志望校が被っているのでもないし、そもそも私立高を志望している早乙女と公立高校を志望している僕とでは必要な点数も違うのに、敵視される意味が分からない。
独走するのが好きな早乙女としては無視出来ないのだろう。
勝手に火花を散らされる早乙女の隣では、秦さんが携帯を手にしていた。
「紀伊先生が近くまで来たみたいだから、迎えに行ってくるね」
「はい!」
……豹変ぶりはさすが女子。
小学生の時に怪人二十面相を読んだけれど、そんな怪人よりも恐ろしい。
「あ、そうだ、早乙女」
「……何よ?」
ころころ変わる表情、怪人以上だ……。
僕は謎の威圧感に耐えながら持って来ていた例の手紙を見せた。
怪訝そうに手紙を見る早乙女は、「はぁ?」と心底嫌そうな声で手紙を受け取り、中を見た。
「何これ?」
「見覚え……ないか?」
「あるわけないじゃない」
「そっか……」
突き返された手紙をポケットに仕舞いながら項垂れた。この字は絶対早乙女だと推理していただけに、悔しさが募る。
「私の字に似てるけど、違う。似てるっていうか、似せてるよね。性質悪い悪戯? それともアンタが書いたの?」
「僕はてっきり早乙女だとばかり……」
「はぁ? 私がそんなことするわけないでしょ。受験勉強で忙しいっつーの。それに、私はアンタの家知らないし」
半眼で腕を組まれて、いかにも不機嫌という態度。
今の姿を秦さんに見せれば、きっと早乙女は引きこもってしまうだろうな。
「それ、直接アンタん家のポストに入れてるでしょ。私ならそんな面倒なことしない」
「え?」
「はぁ? そんなことにも気付かないで私に聞いたわけ? 信じらんない!」
貸しなさいよ、とポケットから再び出した手紙を奪い取られた僕は目の前に封筒を突き付けられた。
「住所が書かれていない時点で気付きなさいよ、馬鹿」
真っ白な封筒。
切手すらも、貼られていない。
宛先も切手も貼られていないのに、この手紙はどうやって僕の家に届けられたんだ?
そんなの、考えなくても分かるじゃないか。
「それより、三葉さんに会いに来たんでしょ? ここでなんだかよく分からない手紙の話をするより彼女に会いに行きなさいよ」
思考に沈む頭を、早乙女の言葉で戻された。キツい口調だが、おかげで本来の目的を思い出させてくれた。
手紙を出した人物を突き止めに来たんじゃない。手紙だって無意識にポケットに入れていただけだし。
「あ、うん。そうだな」
「点数稼ぎご苦労様」
数歩進んでから囁かれた嫌味に、振り返る。
「お互い様」
「言うわね……」
苦笑する早乙女というレアな表情を見てから、僕は教えてもらった処置室へと迷うことなく進む。
怪我をしただけで済んだらしく、検査入院も必要なかったとか。
ICUに隣接する学校の保健室に似た小さな部屋を除くと、三葉がベッドに腰掛けていた。
儚げな横顔。
頭には包帯。
腕や足にも包帯が巻かれていて、見た目はどう見ても軽傷ではない。
「風丘くん……」
「手ぶらだけど、お見舞い。大丈夫か?」
僕に気付いた三葉は立ち上がろうとしてよろける。
「寝てた方がいいんじゃないのか?」
「座っている方が楽なんです。それより、わざわざ来てくれてありがとう」
「ニュースを見てびっくりだよ。前にも轢かれそうになってたし」
傷が痛むのか、三葉は笑おうとして顔が歪んだ。痛むのは頭なのか腕なのか足なのか。
全部かもしれない。
満身創痍な状況で、よく笑っていられる。学校にいる時となんら変わらない態度を貫いている。事故に遭って気を引き締めたのか、僕が見たあどけない少女の姿はどこにもなかった。
「夏バテなのかもしれませんね」
憂いを帯びた微笑には、疲労の色が見えている。
クラスの誰よりも大人びた佇まいを見せる彼女との間に、埋まりつつあったと思っていた距離が広がっていた。
僕は、誰のお見舞いに来たのだったか。
クラスメイト?
それとも、
「風丘くんや」
後ろから名前を呼ぶ声がして、顔を上げた。
「紀伊先生が来たから場所を変えてお茶でもどうよ?」
早乙女が、紀伊先生と並んで処置室の入口に立っていた。後ろには秦さんがニコニコと笑っている。
というか、その口調はなんなんだ。
「お前も来たのか」
驚いた顔の紀伊先生は受け持っているテニス部の遠征から飛んできたのか、スポーツウェア姿だった。
「そりゃ、ニュースになったら来ますよ」
「俺ぁ、外にいたから秦さんから連絡来るまで全然でな。クラスメイトが駆けつけてくれるなんて、最高の委員長だな、三葉?」
「……そうですね」
疲れきった表情の三葉は、短く答えるだけ。
僕は早乙女に連れられて秦さんと三人で処置室から離れたロビーの空いたソファに腰掛けた。
夏休みといえども平日の病院には、多くの人で騒がしい。特に夏風邪を引いたらしい子どもの泣き声がうるさい。
「二人にジュースを奢るよ。待ってて」
なんとイケメン。イケメンメーターが振り切れていそうな秦さんに、早乙女の目の形が変わった。
買い出しに行く秦さんの後姿が見えなくなるまで手を振り続ける早乙女に僕はただただドン引きしている。
ツンツンした態度が早乙女の代名詞みたいなものだったのに、イケメンにはこれである。
「それで、弱った少女を目の当たりにした少年は一体どんな心境なわけ?」
「え?」
「え? じゃなくて。思春期の男子ならさっきの三葉さんを見て何か思わないわけ?」
思春期の男子って。
言い方に棘があるし、すぐに態度を変えすぎで追いつけない。
「別に、何も思わないけど……」
「はぁ!? つくづく面白みの欠ける男ね。変に達観しているというか、悟りを開いてるというか、周りに興味を示さなすぎっていうかさぁ」
つまんない、と大きく溜息を吐かれてしまっても、三葉に対して何も思わないし、言ってしまえば早乙女にだって何も思わないし、感じない。
鈴姉にも似たことを言われた。
――達観でもないし、悟っているのでもなさそうだ。しかし思考が中学生のそれじゃない。
――文学的、というにはねーちゃんは文学を知らない。純文学なんてもっと知らない。ねーちゃんの乏しい語彙力で例えるなら、表すとすれば、そう――スレている
スレていることこそ、思春期の中学生の真骨頂な気もしないでもないが、同級生にも言われると自分の方が変わっている気になってくる。
「三葉さんにしても、作った色気としか言いようがないのも確かだけどね」
「…………」
スレているのは僕よりも早乙女だった。
三葉相手に悪態をつくのは言わば早乙女の日常茶飯事ではあるが、いざ目の前で聞くと末恐ろしい恐怖心を植え付けられる。
上には上がいると早乙女と三葉を見ていると強く思うけれど、僕の上にもいたよ、鈴姉。
「作りものの色気で秦さんに見てもらえると思ったら大間違いなんだから」
足を組んで口元を手で隠しながら笑う様は、悪女という名前が相応しい。
「秦さん、結婚してたよね……?」
突き刺すような視線に耐えきれそうになかったから、先に目を逸らしておいた。案の定背中に刺さる気配。
憧れには既婚者なんて関係ないようだ。
「お待たせ」
そう言って、二本の缶ジュースを持って秦さんが戻って来た。
「ありがとうございます、秦さん!」
目の色を変える早業に、段々と慣れてきた。
早乙女とお揃いのオレンジジュースを手渡され、冷えた缶の温度が手の平から広がるように伝わる。
「ありがとう、ございます……」
「どういたしまして。しかし、君たちは優しいね。ニュースを見て飛んでくるなんて」
「そんな、当然ですよぅ~」
人体の構造的にそんな捻り方なんて出来そうにない動きをする早乙女に、爽やかに笑うイケメン事務員の秦さん。
二人から一人分のスペースをあけて座る僕は、オレンジジュースのプルタブを開けて一口流し込んだ。
――三葉と、話したい。
事故のことをもう少しだけ詳しく聞きたいのは、やはり心配だからだった。
気が抜けていたのか、それとも、狙われているのか。
手紙の差出人は、もしかしたら三葉かもしれない。
筆跡なんてその気になれば似せられる。しかも早乙女の字は印字されたような字で、真似をするのはそう難しくはない。
三葉莉胡なら、難しくはない。