3 委員長は狙われている
私は、殺される。
三年前の八月の真実に、私は気付いてしまった。
本当は知っていた。
言えなかっただけで。誰にも言えなかっただけで。
ゆえに、私は、殺される運命にある。
同じ八月に、きっと。
*****
そんな簡素な手紙が届いたのは、八月五日のことだった。
差出人の名前はなく、ただ僕の名前が書かれている。
手書きの文字は教科書の文字のように丁寧で、綺麗で、それが人間の書いた文字だと判別するまでに一瞬以上の間があった。
白に近い淡い紫の封筒に、同じ色の便箋。黒のボールペンで書いたらしい手紙。
どうしてこんなものが僕宛てに送られているのかまったく見当もつかないのだけれど、最初の一文を見て、夏真っ盛りの熱い朝から背筋が凍りつく気がしていた。
テレビの中のホラーだけで十分なくらいなのに。
殺害予告ならば時折テレビやネットで騒ぎになるけれど、殺される予告なんてものは見たことも聞いたこともない。よっぽど恨みを買っていたのか、何なのか。
誰に殺されるのか、どこで殺されるのか、いつ殺されるのか、詳しい内容は一切書かれていない。
悪戯と思いたいけれど、悪戯にしては度が越えている。
ふと、終業式の日に話していた早乙女の怪談を思い出した。
思い出してしまった。
恋人を探してさまよう女性の幽霊。
学校の裏山で女の人の声が聞こえるという元々あった怪談を進化させただけに聞こえる、疑わしい話。
怪談を信じているのではない。信憑性がないだとか、幽霊がいないと言うのでもない。
自分の目で見えないものを信じるのは、生半可な話では不可能なのだ。
決して怖いわけではない。
この手紙が、まさか幽霊から届いたのだと思ってもない。断じてないし、絶対にありえない。なんてったって手紙の筆跡に見覚えがあるのだから。綺麗すぎる文字を書ける人間は限られるし、僕の知る限り、機械を彷彿とさせる文字が書ける一人だけ。
早乙女未樹。
我らがクラス副委員長。
目立つのが嫌いだからと副委員長に甘んじる彼女は、しかし本心から目立ちたくないと思っているはずはなく――受験勉強の疲れを紛らわせる為と言ってはいたが、突然怪談を話し始めたことからも推察出来る――勉強面においてもじわじわとみんなからの注目を集めていた。
習字の腕前もなかなかで、担当教諭の顔面も青かった。
努力の天才――これは僕が勝手に呼んでいる彼女の二つ名である。
習字だけでなく、進学塾やその他数種類の習い事をしているのを知っているから浮かんだ二つ名で、みんながそう呼んでいるとは僕は知らないのだけれど。
それだけではない。
あえて『努力の天才』と呼んでいるのにはもう一つ理由がある。努力を続けることもある種の天才と分類されてもいいのではと思う僕ではあるのだけれど、そう言い切れない事情もあった。
努力をしない、本当の天才を知っている。
早乙女が機械並の実力を身につけたのであるとすると、人間らしさを残した実力を持っている『本物の天才』を知っている。
何を隠そう、三葉莉胡その人である。
内外共に完璧と言わざるを得ない誇れる我らがクラス委員長。
紙一重で早乙女を上回る実力保持者が三葉莉胡であり、早乙女と圧倒的なまでに違うのは控え目な性格だ。早乙女の実力行使で委員長にさせられているのであって、立候補して委員長になったのでは決してない。早乙女もまた、裏で操るという大義名分がないと三葉に勝てる要素がなかったらしい。
精神的に有利な立場だと思い込むことで自尊心を保ち、優越感に浸る。
それを承知の上で頼りない委員長をしている三葉は誰が見ても大人だと思うし、やはり一枚上手で、どうしようにも天才だった。
話を戻して早乙女未樹。
彼女が僕に宛てたと思われる手紙の意味とは何なのか。殺されるから助けて欲しいという意図があるのならば、回りくどい表現をせずに直接的に助けを求めるべきだ。何よりどうして僕の元へと届いたのか謎だし、もしかしたらみんなのところへと届けられているのかもしれない。
保険のようなものとも考えられる。
誰かが気にかければ、それで良い。という意図、なの、だと、思う。一人でも反応する人がいれば御の字、みたいな。
早乙女が差し出し人であれば、の話ではあるけれど。
怪談を話している最中に紀伊先生に止められただけでなく、言い負かされてしまってからクラスメイトの見る目が変わっていたのは事実だ。先生の言い方も良くはなかったと思う。気分転換に話をしようとしたのには注目を浴びたいという欲求があったかもしれないし、怪談の選択も間違っていたのかもしれない。それでも教室の中が、その時だけは明るくなったのは確かだ。もっと夏らしい海や山の話題を出していれば先生も何も言わなかっただろう。
でも、結果的に早乙女は新しい情報である裏山の女性の怪談を話した。話したくてたまらなかったのだと容易に想像出来る。それが悪いのではない。僕たちからすれば怪談だろうがなんだろうが何でもよかった。怪談を悪口だと言いきった先生は、僕たちのことなんて何一つ理解せずに現実に引き戻した。
そうだ、あの後すぐに始まったホームルームで話しだしたのは受験の話だった。あ、思い返してみるとかなり腹が立ってきた。
だからといって進んで助けに応じるほど僕も人間が出来ていない。誰かが行くだろうと他力本願な本音を優先させてしまう。
怪談を話したことで、命を狙われるようになった。
「でも、それと繋げにくいなぁ……」
怪談を話す前の約束事として、確か誰から聞いたのかを話してはならないというものがあった。誰から聞いたのかを聞いていないが、そもそも中盤をすっ飛ばしてオチを先に話して終わったのに、命を狙われる要素がどこにある?
本人に直接聞いた方が早い。
それは分かっている。
でも、聞いてしまえば関わってしまう。
それはちょっと避けたい。
面倒事に関わるのは鈴姉だけで十分だ。
僕は武勇伝なんていらない。
僕に武勇伝なんて必要ない。
二学期になれば、すべて終わった後なら、聞いてもいいだろう。
面倒事に関わるのが嫌いでも、気になるものは気になる性格だけは動かしようがなかった。その辺りは鈴姉と似ている部分だと大きな声で言っていい。しかしながら鈴姉の弟であることは率先して言いたい事実ではない。
――私は、殺される。
一体どんな気持ちで、酷く物騒な書き出しにしたんだろう。どういった気持ちで、酷く物騒な手紙を出そうと思ったんだろう。
――三年前の八月の真実
その日に何があったのかさえ見当もついていないのに、なぜ手紙が届けられたのだろうか。
僕にはやっぱり、分からなかった。
「真音、ちょっと来て! 今すぐ来て!」
一階から母親の大きな声がして、慌てた様子に釣られた僕は急いで一階のリビングに行った。父親はすでに仕事に出た後で、母親だけがリビングのテレビを見ていた。
「真音、テレビ! テレビ見て!」
興奮状態の母親は僕とテレビを交互に見て指をテレビに伸ばす。
風丘家内で最高の女子力を持つのは母親で、一週間の半分はテレビを指差してキャーキャー騒ぐけれど、どうやら今日は今までのとはまったく違うらしい。
現に今テレビに流れているのはいつもの音楽番組やドラマではなくて、ニュースだ。
事故で救急搬送されたと、キャスターが淡々と原稿を読み上げる。
『被害者は三葉莉胡さん、中学三年生と見られ、病院で手当てを受けていますが、軽傷で済んだとのことです』
「この女の子って、真音の学校の子じゃなかった!?」
自分の年齢を忘れたミーハーな職業・母親は大きな声で言う。僕はそんなことよりもテレビに注目する。
『犯人はいまだ逃亡中で、三葉さんを轢いたと思われるスポーツカーは……』
キャスターは三葉のニュースを読み終わるとすぐに次にニュースを読み上げていく。
――被害者は三葉莉胡。
――スポーツカー
いつかの日を彷彿とさせるラインナップ。
「……母さん、今から病院に行って会えると思う?」
着替える時間を入れれば今から、というわけにもいかないけれど、目の前で車に轢かれそうになったのを見てからというもの、もしかしてという予感はしていた。
ソファに座って僕の方へ上半身を向けていた母親は、唖然とした表情から気を取り戻した。
「軽傷だって言ってるし、会えるんじゃない?」
やっぱり知り合いなの? と身を乗り出した母親に「クラス委員長なんだ」とだけ残し、部屋に戻って着替えてから、家を出た。
自転車にまたがり、この辺りの地域で一番大きな病院に向かって走る。登りきっていないのに太陽の主張が頭と肌に伝わって、汗が滲む。
三葉はしっかりしていると思っていたのに事故に遭うなんて意外だ。だが、学校の外で見た三葉は気が緩んでいたように見えた。誰も放課後に三葉と会わないからだろうが、迫っている車に気付かないくらいに不注意だった。
危なっかしい。
放っておいて大丈夫なのか。
家まで送った日から、なんとなく心配していた。
『息抜きに遊びに来てもいいんですよ?』
呼んでくれていたのに、行けばよかったのに。
家にいるのに事故に遭うわけない、と高を括っていた。
夏休みに一度も外に出ないなんてあるわけないのに。
家から病院までは自転車を飛ばして二十分。隣街にある総合病院に着いて駐輪場に自転車を止める。
敷地の広大な総合病院は周辺地域から人が多く来院する。医師のほとんどが有名な医大を卒業していて、信頼も厚い。環境保全もなされていて散歩を目的に来る人も多く、春には桜が咲き誇ることで毎年新聞に載っている。緑の豊富な病院である。
何よりリハビリ施設が充実していて、院内ではリハビリに勤しむ患者の姿をよく見かける。
この病院で生まれたという話は小学校から必ず話題の一つになっている。
病院の入口では数人の記者がいたが、それを無視して受付で三葉がいるだろう場所を教えてもらう為に声を掛けた。
「あら、またクラスメイトの子?」
「……また?」
受付の女性に笑われながらも聞き返す。
僕の他に――僕よりも先に三葉のお見舞いに来たクラスメイトがいるらしい。
「まだいるんじゃないかしら? ……あら、噂をすれば」
僕の後ろを指差す受付の人。
「あの子よ。知り合いかな?」
振り返った先には、二人いた。