委員長は笑う
誰に対しても優しい言葉を与える三葉莉胡という女の子の優しさは、僕には凶器だ。
「私は風丘くんみたいに、優しさを当然として使うことなんて出来ないから、風丘くんはやっぱりすごいと思います」
「それを言うなら、僕より三葉の方が……」
褒め合い合戦になりかけて、三葉が首を横に振って否定して終わった。聖人君子という言葉を習った時に誰もが三葉莉胡を思い浮かべたはずだろうに、当の本人は否定した。
否定というか、むしろ拒否。
「私のは、ただの物真似にすぎません。結局みんなから距離を取られているから……」
「…………」
距離を取られていると、思っていたのか。
丁寧な口調に、上品な振る舞い。
それだけで同じ中学生とは思えない大人っぽさだったから、みんな近付けなかっただけだというのに、三葉はそれを避けられていると思い込んでいたらしい。
三葉に近付けるように、早く大人になりたいと呟くクラスメイトもいるほどなのに。クラスのヒロインだと暗黙の了解で広まっているのに。
そんなこと、三葉は誰にも教えられていなかったのか。
「私はただ、憧れている人の真似をしているだけなのになぁ……」
言って、転がっていた小さな石を蹴った。僕の目の前にやって来たその石を、蹴る。
小学生の頃の無邪気な自分を思い出した。
今みたいに友達と石を蹴って、側溝や田んぼに落とさないように家まで帰る遊び。それを今、三葉としている。
得も言えぬ違和感。
「憧れている人?」
二歩進んで、石がやって来る。
「……大人で、とても優しい人。勉強も時々教えてもらっていました」
蹴り返して、また二歩進む。石がやって来る。
「ふーん」
美少女と声に出すと周囲の反応が怖いけれど、外見も内面も完璧なクラスメイトが小石を蹴って遊んでいる。サッカーの要領で、お互いにパスを出し合う。強く蹴りすぎても、三葉は上手く足で止めて、蹴り返してきた。
「私は、あの人になるの」
「……ふーん」
あの人になる、という強い意志とは異なり、強いとは性質から違う意志が瞳に宿っていた。
――怖い顔も、するんだな。
学校の中では見たことのない表情を、この数分でいくつも見ている気がする。得をしたとか、ラッキーだと思えないのはなぜなんだろうか。
僕が見ていた彼女は、一体誰だったのか。
僕に見せていた彼女は、誰だ?
僕に見せたい顔をしているのでもあるまい。僕だけに見せる理由もないし、僕が他のクラスメイトたちと何が違うのかと自問しても、特別何か違うところも見つからなかったのが結論だ。
単に学校の外では、人目が少ない場所では、素の自分を出しているだけだ。
ところで、さっきから迷うことなく三葉の隣でひたすら小石を蹴り続けているのだけれど、僕は三葉の家の場所を知らない。初めて行く場所だから帰りのことを若干心配していたのに、今歩いている道はよく知っている道だった。
「ふふ、気付きましたか?」
あることに気付いた僕に、楽しそうな顔で声を掛けた。
「ここって……」
「小学校の時のマラソンコース。その途中に、私の家があるんですよ」
「なるほどね」
見覚えがあるはずだ。
目印だと言われたポスト、神社、石碑、田んぼ沿いの川。
水の流れる音と、夏特有の匂いが気分を小学生の頃に引き戻そうとする。
「懐かしいな」
「そうかもしれませんね」
「あ、毎日通ってるんだから、懐かしいわけないよな」
「息抜きに遊びに来てもいいんですよ?」
「息抜き?」
「受験勉強の。明日から夏休みですし」
そう言って、まだ続いていた石蹴りの遊びは、三葉の番で変化を見せた。
「えい」
可愛らしい声とは真逆に、高く跳ね上がる小石。僕の目線の上まで、高く。
大人しそうな見た目に反して、運動能力は相当高いらしい。
大人っぽいのと、大人しいは別物だと知った。
高く舞い上がっている小石は、果たして川に落ちていった。何度も地面をバウンドさせながら。
「あーあ、私の負けですね」
残念そうに肩を竦めて、三葉は微笑んだ。