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2 クラスメイトは話したい

「夏と言えば怪談よね」



 一学期最終日の学校。朝の教室ではクラスメイトの女子がやつれた顔と引き攣った笑みでそんなことを言い出した。

 クラス副委員長である彼女――早乙女未樹は、机の上に広げられた参考書を閉じてしばらくは開くまいと手を置いている。怪談というワードで他の女子は話に参加しようかどうしようか悩んでいるようだったが、早乙女未樹の気分転換を目的とした空気には逆らえなかったようで、「そうだね」と次々に身を乗り出したり、椅子を近くまで寄せたりしていた。

 教室に到着したばかりの僕は、一部分の異様な空気に気圧されて教室に入るのを一瞬だけ躊躇ってしまった。


「暑くもなれば怪談の一つでもしてみたくなるものではあるけれど、怪談をしたところで暑さどころか受験の疲れさえも癒してはくれなさそうよねぇ」


 てっきりすぐに始まると思われた怪談話は、しかし早乙女未樹の気まぐれによって中途半端なものになりつつあった。それをすぐに話を聞きたそうにしていた女子たちが次々に続きを請う。


「うーん、今私が話せるのは裏山のことだけしかないけれど、それでも聞きたいと思うのであれば、気分を紛らわせたいと思うのであれば、話すのもやぶさかではないねぇ」


 気だるさを全面に押し出した声音に僕は教室の自身の席に鞄を下ろすと、注目を十分に浴びて満足したのか、副委員長の早乙女未樹が再び口を開いた。


「この学校の裏にある山の話を知っている人、どれくらいいる?」


 早乙女の問いにクラスの大半が顔を見合わせて、「声が聞こえるなら知ってる」と誰かの言葉に同意する頷きがあった。


「それだけ?」


 周囲を一瞥してそれ以上の答えが出ないと分かると、早乙女はさらに気分を良くしたのか鼻歌でも歌いだしそうな機嫌で話し出した。


「そもそも声が聞こえるだけの怪談なんて怪談とは言えないよね。山のすぐ近くにはこの学校があるわけだし、おおよそ、声の正体なんて私たちの声だったりするものよ。もしくは木の枝同士がぶつかって葉のこすれる音なんてものが真実かもしれない。けれど。けれどね、この話はマジな怪談なのよ」


 と言った後、足と指を組んだ早乙女。


 マジな怪談という言葉に誰かの息を飲む音が聞こえ、教室は早乙女の独壇場となった。


「比較的新しい怪談だから、知名度は低いけど信憑性は高いわ。声が聞こえる話の上位互換とも取れるけれど、その辺りは自己判断でよろしく。あと、大事なことだから先に言わないといけないことがあったのを思い出した」


 そう言って、早乙女は自身の口に人差し指を立てて当てた。


 秘密のポージング。


「私がこの話をしたって、もしも誰かに話す時には言わないでよね。呪い殺されるらしいから。だから私も誰から聞いたかは言わずに話す」


 いよいよ本題に入るという空気が充満する。話を聞いた人間のことを話してはならないという前置きによって、怪談に真実味と恐怖が増幅されたように思えた。

 朝のホームルーム前の教室が静かになっている。こんな時間が自分たちで作れるのかと、僕はぼんやりと思った。早乙女の話に興味がないと言えば嘘になるけれど、大した興味もない。夏だから怪談をする流れを否定はしないが、進んで聞きたいとも思わない。……苦手なのではなくて。


「裏の山で、女の人が現れることがあるらしい」


 ついに始まった怪談話に、同じ教室にいる人間の一人として耳を傾けないわけにいかなかった。誰もが口を閉ざした中で、自然と聞こえる早乙女の声はよく響き、耳にすんなりと入り込んだ。


「若い女性は徘徊しているのか、目撃される場所は様々なんだけれど、主な場所が樹齢六〇〇年を超える木の下。「早く来て……私はここにいるの……」という恋人を呼ぶ声が聞こえるの。最初、山の中で迷った誰かが一緒に来た相手を呼んでいるのだと声を頼りに近付いて行くと、そこには――」

「話の腰を折って悪いとは思うが、ホームルーム始めてもいいか?」


 間が悪いとしか言いようのないタイミングで、担任の紀伊先生が教室に入ってきた。オチどころか、これから佳境を迎えようとした怪談話が中断され、僕たちの心境はまさに不完全燃焼。受験生が答えを知らないままホームルームを迎えようとしている。教師としてそれは避けたい状況のはず。そのことを十分に察している紀伊先生もこのままスルーしてホームルームを始めるつもりではなかったようで、「早乙女、結末だけ話せ」という言葉に救われた気がした。


 本当は僕も怪談を気にしていたと吐露した形になってしまってはいるけれど、怖い話ほど途中で止めて欲しくはないという本音があることを言っておこう。……誰に対する言い訳なんだろう。


 楽しみな話ならば時間を置けば置くほど期待も高まるが、怪談はただただ恐怖心しか募らない。結果的に「やっぱり聞かなければよかった」「なんて話をしてくれたんだ」と話し手に責任を押し付けそうになることも可能性として存在する。中学生の思春期始めたての僕たちの得意分野は、責任転嫁だと言ってもいいだろう。中にはきちんと自分で責任を負うと躊躇わない大人な中学生もいるだろうが、大半は、特に僕は嫌なことは他人に押し付けたいタイプだ。最終的に自分自身で責任を負うことになろうとも、最初は誰かに責任を押し付けて精神的に余裕を持ちたい。


 つまり、話を中断させた先生に最初は「なんてタイミングで入って来るんだ、空気を読めよ」と憤るも、今では話のオチだけを聞き出すことに成功した先生に「グッジョブ!」と思っている。思っているどころか尊敬さえしている。崇め奉りたい気分でいっぱいだ。


 一番の盛り上がり部分まで耐えることなく、結末だけを聞ける。ネタバレと言われればそこまでだが、僕はネタバレには容認派である。

 オチを知ったところで途中経過を聞かなければネタバレと判定しない人間なのである。

 推理小説を読んでいて「犯人はコイツだよ」と言われても、トリックや動機等を言われなければ「本当にコイツが犯人なのかよ」と疑いをもって読み進める。

 一度鈴姉にすべてネタバレをされた推理小説があったけれど、その時はすべてを疑って読み始めたので、ネタバレされてもすんなり読めてしまったか。……もう僕はネタバレ云々ではなくて、読書自体に意味を持っているのかもしれない。暇潰しの道具にしかすぎない。


 推理小説と怪談を比べる時点で僕の中では話の論点がズレてしまっていた。

 怪談のネタバレをされると、心の準備が出来るだけだ。


 いや、心の準備という表現を用いるならば、それは推理小説にだって言えることだ。お気に入りのキャラクターが被害者なり加害者なりと最初にネタバレされていれば、心構えが出来るじゃないか。そうかそうか、そういうことだったのか。

 ……と、自分なりに心の準備を済ませたところで早乙女の話す怪談のオチを聞くことにしよう。


「先週、山から発見されたっていう女性の死体、それが今回の幽霊の正体だって噂よ」


 と、話の腰を折られたことで不機嫌な表情の早乙女が言った。


 怪談、ではなく、都市伝説に格上げされた瞬間だった。

 先週死体として発見された女性の話をここでしたくても、僕には上手く説明出来ない。早乙女が簡略化して話した結末がそのまま起きたことであるからだ。実際、新聞の地方版に載った内容もそれくらいの情報でしかなかったし、ニュースではそもそも報道さえされなかった。

 詳しい内容を知っているのは、警察や報道関係者――それと、被害者の女性。


「いいか、早乙女」


 紀伊先生が、言い聞かせるように言う。


「そういう話は怪談や怖い話じゃなくて、性質の悪い噂って言うんだ。本当の話をベースに色付けされた悪口なんだよ」


 凄みを見せる紀伊先生に、早乙女だけでなく、早乙女の話に興味を持って聞いていたクラスメイト全員が気まずそうに顔を背けた。


「分かったら全員席に戻れ。ホームルームを始める。今日は初っ端から受験についての話だからさっきの早乙女の話のように黙って聞けよー」


 みんな黙っていた。

 僕も、黙っていた。


 紀伊先生の言葉に、すっかり参ってしまった。

 ホームルームが終わっても、僕たちは静かに座っていた。先生の話はちゃんと耳に入っていたし、覚えてもいる。だけど、気力だけは抜けていた。その中で一番魂が抜けた顔をしていたのは、言わずもがな、早乙女未樹。

 クラスの副委員長の早乙女が口を開かない僕のクラスは水を打ったような静けさで、隣のクラスやその隣のクラス、さらにその隣のクラスの喧噪が教室の中に入りこんで煩いと思えるくらいの静寂さだった。


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