僕たちはこの夏を一生忘れない
最終話だって前回のあとがきに書いたのでこの話で書ききらないとと思ったら長くなりました。
分かりにくかったらすみません……。
打開策がない。
僕には、ない。
「ああん? 呼ばれたと思って来てみれば、弟の担任じゃないか」
がさがさとわざとらしく落ち葉を踏んでやって来たのは、我が姉だった。
「どうも、こんにちは。弟がお世話になっています」
「……風丘くんのお姉さんが、なぜここに?」
鈴姉は走っていたのか、呼吸を整えて質問に答える。
僕や早乙女、そして三葉のクラス担任である――紀伊の質問に。
「弟を探しているんです。……あれ、もしかして先ほど呼ばれたと思ったのは私の名ではなく、弟のものでしたか。それもそうですよね。あなたは弟の担任ですし」
苗字が同じなもんで、てっきり私のことかと。
こんなにも胡散臭い鈴姉を見るのは初めてだった。
家の電話に応対する時の余所行きの作られた声ともまた違う。警戒心が全開。そういう印象を受ける声と笑顔だった。
「ところで、救急車や警察は呼ばれてますかね? 早く助けないと手遅れになりそうです」
「や、どうなのでしょう……私も今発見したところでして。もしかすると、弟さんがやったのかもしれません」
「やった、とは……救急車を呼ぶの方じゃなくて? はは、うちの弟はそんなことをする人間ではありません」
二人のやりとりを聞くことしかできない僕は、一触即発の雰囲気に飛び出すこともままならない。早乙女も恐怖や焦りを忘れて、目の前の光景に集中するしかなくなっているようだ。もう口を塞ぐ必要も、体を支える必要もないらしい。
「風丘はそこに倒れているクラス委員長の三葉と仲が良かったんですよ。それでもしかすると、いざこざがあったのかも」
「うちの弟には不可能です。なぜなら……やっていない場面を見てるんで」
自信に溢れた鈴姉が失笑を漏らすと、別の位置から落ち葉が踏まれる音が聞こえた。鈴姉の言葉は、新たに現れた人物が引き継いだ。
「我々が彼らよりも先に、ここに来ていたんですよ。なので救急車も警察もご安心を」
スーツを着た、中年の男性だった。
中年としか言いようのない年齢に見えるが、中年と言って想起されるようなくたびれた感じはない。活力に溢れている。
普段から鍛えているのか、体も細い。
「警察なら、ここにいますしね」
ふんわりと笑った顔から、言いようのない安心感がある。
誰だろう。鈴姉の知り合いか? と中年の男性と姉の関係性を考える僕の隣で、早乙女が勢いよく立ち上がった。
「おい、早乙女!」
「パパっ!」
「……は?」
立ち上がって大人三人に見つかっただけでなく、スーツの男性に向かって走り出した早乙女を僕は止められない。このまま見つかって、三葉と秦さんを襲った犯人だと思われては困る。いや、鈴姉が僕には無理だと言ってくれてはいたけれど、ここにいるのは僕だけじゃない。今飛び出して行った早乙女と一緒にいたのだ。一人では無理でも、二人なら。そう思われたら疑われるかもしれない。
「未樹! まだ出て来るんじゃない!」
どうやら父親で間違いないらしいスーツの男性の制止も聞こえていないのか、早乙女は一直線に走る。
しかし、早乙女と父親の間には、紀伊がいた。
紀伊の腕が早乙女に伸びる。
捕まえて人質にするつもりだと察するが、やはり僕にはどうしようもない。
もし三葉と秦さんを襲ったのが紀伊だったなら、早乙女が危険だ。早乙女も紀伊が現れて僕たちの名前を呼んだ時に「担任の紀伊がすべての犯人」だと思ったはずなのに、それよりも父親の登場に気をすべて持って行かれている。
紀伊の腕が自分に伸びていることに気付いた早乙女の足が一瞬だけ躊躇う。
一瞬の躊躇がさらに危険度を高めた。
忘れられた恐怖に再び襲われる。
「勝手に動くな!」
僕も、早乙女も、早乙女の父親も、最悪の事態を考えた中で自由に動ける人物がいた。
鈴姉である。
鈴姉はいつのまにかジャンプしていて、紀伊に飛びかかっていた。
突如として襲い掛かって来る鈴姉の対処を優先した紀伊の腕が自身の防御に回る。真っ直ぐ自身に蹴りが入るのを迎え撃とうとしているのが僕の位置からは分かった。危機の矛先が鈴姉に変わる。飛びかかりライダーキックよろしく紀伊を攻撃しようとしていた鈴姉の足の動きが変わる。真っ直ぐに向けられていた足は大きく横に振られ、早乙女のいる側から掬うように横蹴りが入った。
防御の真正面ではなく横から入った攻撃に紀伊の体は成す術なく吹っ飛ぶ。
「未樹!」
「ぱ、パパ……」
鈴姉の次に動けた早乙女の父親が娘の早乙女を手早く救助し、紀伊から距離を取る。
自分の背に早乙女を庇った父親は紀伊の動きを注視しながらもスーツの中に手を入れた。取り出したのは、無線だった。
すぐに応援の警察官を寄越すように伝えると、無線はスーツの下にすぐに仕舞われた。
「真音、出て来い! そこに倒れてる二人の近くに!」
鈴姉が僕を呼ぶ。目は紀伊から離さないまま、だけど早乙女が飛び出した方向から僕の位置も分かっただろう。わずかに顔がこちらに向いていた。
言われるがままに飛び出し、紀伊の位置に注意を向けながら三葉と秦さんの側に駆け寄る。
「三葉、秦さん、大丈夫ですか⁉」
揺さぶってはいけない。何をされたのか分からない以上は頭部に攻撃を受けたと考えて触れないと。
そう考えてまずは二人の頭に注目する。
秦さんは腹部を押さえたまま気を失っている上に、わずかに左側頭部に出血が見られた。腹を蹴られたか殴られたかされ、頭にも打撲を受けて意識を奪われたらしい。それでも浅く呼吸があることに安堵しつつ、早く病院に運ばないと危険だろう。三葉は首に絞められた跡があった。
「三葉? 三葉!」
首以外に外傷はない。最初に見つけた数分前よりも呼吸が少なくて慌てて体を揺さぶって声をかける。
「どうした、真音?」
「三葉が首を絞められてたみたいだ」
「まだ息はあるんだよな?」
「あるけど、さっきより……」
「分かった」
すべてを言い切るより前に鈴姉が会話を終える。紀伊が体を起こしたのだ。
「あたしが押さえます」と鈴姉。
「私が二人を」と早乙女の父親が続けた。
「未樹、ここから動くんじゃないぞ?」
そこからは、何が起こったのかよく分からなかった。
脳が処理するのを放棄したみたいに理解不能だった。
戦闘が始まったかと思ったら鈴姉が紀伊を制圧し終えていたし、呆気に取られている間に早乙女の父親は秦さんの傷の具合を確認して三葉の呼吸を戻していた。
僕は呆気に取られた中でも秦さんの頭の傷を伝えていたのだから本当に何がなんだか、僕の体の支配権が僕の意識外にあるような気がした。
あれよあれよと応援で駆け付けたパトカーに乗せられ、警察署で経緯を聴取された。
三葉が復讐のために三年前の日浦舞菜の件で犯人を呼び出したと考え、三葉を止めようと裏山に行ったのだと言った後、警察官のみなさんは「犯人を捕まえるために山に入ったと言ったら怒るところだったよ」と言われた。
そんな発想、なかったな。
日浦舞菜は三葉莉胡の関係者であって、僕には――早乙女にも関係していない。
怒られずに済んでよかったと思うだけだった。
ちなみに、早乙女の父親が裏山にタイミングよく現れたのは、山に入る前に早乙女にかかってきていた電話が答えだった。
事前に裏山に上ることを父親に伝えていた早乙女。電話は娘が山に入るのを阻止する内容だったらしい。それを無視して山に登って、危うく紀伊に人質にされそうになったのだから、きっとどこかで父親に怒られているのだろう。無理やり早乙女を裏山に連れ出したわけではないという弁明もさせられ、僕は普通の事情聴取だけで終わったけれど。
というか、あんなスマートな人が父親なら秦さんに憧れる気持ちも分からなくもない。
どちらも年上のカッコいい人だ。
そして鈴姉がいた理由。それは――
「どこにお前が無茶をする必要があったんだ⁉」
「先輩、だから弟の危機だったって言ってるじゃないですか」
「だとしても、だ!」
早乙女の父親とは別の警察官に怒鳴られている鈴姉の声が聞こえてきて、事情聴取してくれた警察官のお兄さんは苦笑いを堪え切れなかった。
なんでも、小学校の頃から因縁をつけ合っている年の離れた友人なのだとか。
鈴姉が一年生の時に六年生だった人と友人と今でも呼び合っているのは、それはもうただの友人なのか?
さておき、夏休みに入る直前、鈴姉が「十代の内にしておくべきことって、なんだと思う?」という質問をさせた原因の人だった。
「大人になったらできないことが増えるからなって言ったの、先輩ですよ?」
「そうなんだけど、そうじゃなくて! 本当にどうしてお前はいっつも……いや、もういい。弟連れて帰れ。あ、いや、待て。不安だから送っていく。待ってろ」
「やりぃ」
「……あのなぁ」
鈴姉に何を言っても無駄なのは分かっているのに、どうしても言ってしまう。そんな溜息が聞こえて僕は声の聞こえる方へ両手を合わせた。ご愁傷様です。うちの姉がすみません。
ともかく、鈴姉と早乙女の父親は別の理由で裏山に上り、僕たちよりも先に気を失った三葉と秦さんを見つけた。直後に僕らが来たことで身を隠していたが、自分たちが出るよりも前に紀伊が現れ、全員身を隠す流れになってしまった。身を隠している間に早乙女の父親はしっかりと救急車を確保していたのだからやはり大人は行動力がある。
解決してから思い出す度に紀伊の「風丘、早乙女。お前たちだろう?」の台詞に笑いそうになる。何の偶然か、その場には二組の「風丘と早乙女」が揃っていたのだから。
「それで、あの……病院に運ばれた二人はどうなりましたか?」
まだ鈴姉と先輩と呼んでいる男の人との言い合いは続いていて、僕はその場から動きたくなさそうに苦笑している警察官に問いかけた。
「ああ、女の子の方は目を覚ましたって聞いたよ。事務員さん? はまだ目が覚めないそうだ」
病院からすでに連絡が来ていたと教えてくれる。三葉は目覚めたけれど首を絞められていたし、他にも何かないかと精密検査を受けるために今夜は入院。秦さんは駆け付けた奥さんに付き添われている。目が覚めない、と言いはしたが、朝になれば目覚めるだろうと警察官は言った。
なんでも、三葉に日浦舞菜のことを聞いてからずっと、ほとんど寝ずに真相を探っていたそうだ。僕はある日の裏山で秦さんと遭遇したのも、その最中なのだろう。雑草を刈っているというのは嘘だった。もしも僕が手伝うと言っていたらどうしたのだろう。……手伝わないと分かっていたから、聞いたんだろうな。秦さんの行動に疑問を持たせないために。
「……すみませんでした」
「? どうして君が謝るの?」
「三年前の件、警察は自殺で処理したと聞きました。それなのにその決定を覆すようなことをしました。迷惑をおかけした自覚はあります」
早乙女が警察から三年前の一件の資料を閲覧したと聞いた時から絶対迷惑をかけているだろコレ、と自覚していた。自殺で片付けられた件が本当は殺人だったなんて、警察側が嫌がるシーンをよく見る。
ドラマで。
冤罪も嫌だけれど、処理された内容が間違っていたというのも嫌がる組織。それが警察だ。
「うーん」
考えるように天井を見上げる警察官は、「あんまりこういうことをベラベラ話すものじゃないんだけどね?」と前置きをしてから教えてくれた。
「今回は、紀伊という教師が密かに続けていた犯行を偶然卒業生から聞いてしまった彼の受け持つクラスの子が正義感から立ち上がり、返り討ちに遭いそうになったところを偶然学校の事務員の人とクラスメイトである君たちが止めようとした。っていう内容でまとめられているはずだ」
「……え?」
「三葉さん……だっけ? 彼女は以前から紀伊の犯行を知っていた。その聞いた卒業生は偶然にも自殺として処理された件の女性だった。そういうことになっているし、これは間違いではない事実だ」
「紀伊先生が続けていた犯行って……」
「……あんまり聞かない方がいいよ?」
きっと気分が悪くなる。そう僕を心配してくれる警察官の目をじっと見つめる。
教えてくれた真相は、「女子中学生の売春の斡旋」だった。
これが日浦舞菜が危惧していた事実。
日記に濁して記すしかなかった真実。
証拠がなく、斡旋を受けた女子生徒も決して口を開かなかっただろうから、事件化しなかった。
日浦舞菜は三葉のために紀伊の犯行を阻止しようとして、殺害された。
それが、三年前の真実。
後から――警察署からの帰宅中。鈴姉の小学校時代の腐れ縁の先輩からも日浦舞菜の話を聞いた。
先輩さんは日浦舞菜と同級生だった。だから、彼女の自殺は先輩さんたちにとってひどく衝撃的なものだったという。当時まだ警察官を目指す大学生だった先輩さんはすぐに鈴姉に連絡した。その頃にはすでに高校生だった鈴姉は日浦舞菜のことを知らない。しかし、もうすぐ僕が中学生になるというのもあって、調べ始めた。
鈴姉、僕のこと好きすぎない?
女子中学生を斡旋する人がいる学校に通っているだけで僕が被害に遭うわけではないのに。
隣に鈴姉を心配してくれている優しそうな警察官の幼馴染だっているのに。
「馬鹿。今の時代お前みたいな男の子も需要があるんだよ。それに……」
「それに?」
先輩さんの車の助手席に座る鈴姉の途切れた言葉を、後部座席から続きをせがむ。
「真音の彼女になってくれるかもしれない女の子が被害に遭うかもしれないからね。ねーちゃんはそれが怖かった」
「…………」
本当、弟に甘すぎない?
*****
「これが、日浦舞菜から送られてきていました」
三年前、彼女が亡くなる二か月ほど前に。
そう言って三葉は僕に一通の手紙を見せてくれた。白に近い紫色の綺麗な封筒だった。
八月五日に僕宛てに送られたものにそっくりのそれを受け取り、なぜ、と顔を上げる。
場所は日浦舞菜が埋葬されているお墓の前。
時期的にはお盆が明けてすぐ。家の電話が鳴ったかと思えば、三葉からの呼び出しだった。
クラス委員長だから適当な理由を付けて電話番号を聞いていたんです、とどこまでも丁寧な口調で説明されながら封筒から便箋を取り出して広げる。
内容は警察署で警察官から受けた説明と同じ内容だった。
中学にいる男性教師は女子生徒に犯罪をさせる悪い人だから気を付けて、みたいな文面。日浦舞菜は亡くなる直前まで家庭教師のアルバイトをしていた。中学生の女子生徒から教えてもらった噂を調べたところ事実であると判明し、ここからすべてが始まった。
いや、日浦舞菜からすれば終わってしまったのか。
「姉と慕っていた日浦舞菜は、ずっと私を心配してくれていました。……私には心配すらさせてもらえないまま、亡くなってしまいましたけれど」
幸いにして僕たちの代では一件も売春の斡旋なんてことはしなかったようだけれど、それは恐らく、三葉が日浦舞菜と同じ姿になっていたからだ。
自身が殺害した相手とまったく同じ姿をした人間が受け持つクラスにいて、その人物がクラス委員長をしていたとなればむやみに行動はできなかったのだろう。
僕たちは――僕らの年代の生徒たちは、もれなく三葉に助けられていた。
「どうして僕に日浦舞菜さんからの手紙を見せるんだ?」
「助けに来てくれたので」
「あの手紙も?」
「助けに来てくれると、信じていたので」
三葉に会うと決まってから、僕は似た色の手紙を持って行くと決めていた。
何度も読み返してくたびれてしまった手紙を見せれば、嬉しそうに三葉は笑った。
「ええ。風丘くんなら、読み解いてくれると思いました。……いいえ、こういう言い方は卑怯ですね。訂正します。風丘くんにしか手紙は出したくないという私のワガママです」
もちろん、読み解いて私を助けに来てくれると希望も抱いていましたけれど。と風に流される髪を押さえる。
どうせややこしい手紙を書いて、わざわざ僕の家の郵便受けに入れて行くくらいなら、最初から巻き込んでくれればよかった。
そうすれば紀伊が運転する赤いスポーツカーに轢かれることも、首を絞められて意識を奪われることもなかったのに。
そして、どうせくれるならもっと別のものがよかった。
年相応の、中学生男子としては。
「なぁ、三葉。僕たち受験生だろ? 来年にはもう別々の学校に通ってるんだ。だから今は、中学生活最後の夏休みなんだよ。それでさ」
終業式の日に鈴姉に言われた言葉を思い出す。
――三年間でやり残したことなんてないと、言い切れるのか?
もう十分に濃密な時間を僕も鈴姉も過ごしたとは思うけれど、もっと青春した時間の方がほしい。
「三葉自身の言葉で書かれた手紙って、もらえないの?」
そんなものがあったら、一生の思い出になる。
三葉は控え目に笑うとこう言った。
「手紙で、いいんですか?」
手紙だけでいいのかと、そう聞いてきた。
なるほど。
これが、僕の初恋か。
三葉の後ろに見える大人になった三葉のような女の人が、顔を赤くしたまま微笑んで消えた。
8月中に終わらせようと思っていたのになぁ…?
読んでくださってありがとうございました!
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