8 副委員長は間違える
二人が倒れている。
倒れている二人は知っている人間だ。
警察。
それとも救急車。
どちらに連絡すべきなのか、その混乱で体が動かなかった。
三葉が目を閉じていることは、三葉の顔が見えるから分かる。後ろ姿ではあっても秦さんと分かる後ろ姿は、三葉の足元に項垂れるようにして微動だにしない。
頭を突っ伏して、動かない。
どういうことだ?
早乙女の話では三年前に日浦舞菜を殺した――もしくは自殺に追い込んだのは秦さんだって話だったはずだ。それで三葉は秦さんを日浦舞菜に似せた自身を使っておびき寄せ、復讐なり真相究明をしようとしていたはずなのだ。
なのに、どうして二人は倒れている?
本当に秦さんが犯人だったなら、三葉のおびき出しにも分かった上だったなら、倒れているのはおかしい。
「もっと下がれっ」
ぐいぐいと、さらに後方へと背中で押してくる早乙女は焦りから冷静を取り戻したようで僕を強く下がらせようとする。
「な、なんだよ早乙女? どうしたんだ?」
「分からないのか、馬鹿が! 二人が倒れてるってことは、二人を襲った誰かが別にいるってことでしょうが!」
その誰かから隠れるんだよ、とすべて説明されてからやっと僕は慌てた。
幸い、裏山は隠れるところが多く、三葉と秦さんの姿がどうにか確認できる位置に身を隠す。
「でもどうして二人が……秦さんが日浦舞菜さんを殺害した犯人で、三葉の誘いに乗じて三葉もその……」
「そうだと考えてた。でも違った。それだけの結果だ。問題は真相が分からなくなったってこと」
素直に間違いを認めている早乙女は焦りを残しているものの、僕よりもはるかに落ち着いていた。
それでも息遣いが早いのが、至近距離から聞こえる。焦ってはいないが、緊張はしているのだろう。そういう僕も恐怖未満の挙動不審で落ち着かない。
別の誰かが来るかもしれないと思うと、その人物が三葉と秦さんを襲った悪意を持つ人間だったらと思うと、怖さよりもどうしたらいいのだろうという悩みが勝つ。
本当に現れて、隠れているこの場所が見つかって、襲い掛かってきたら――撃退できるだろうか。
中学三年。
運動部はおろか、部活動に所属した経験はない。
地域のスポーツ少年団的な所属もなし。
最近した運動――小学校時代のマラソンコースの試走(途中離脱)。
こんな人間が、同級生の女の子を庇いながら誰かを撃退できるか? できるわけがない。そんな自信、どこにもない。
つまり、僕らはここで人生の終わりを迎える?
「誰かいるのか? ここにいる二人に救急車は呼んでいるのか教えてほしいのだが」
呼んでいないのなら今すぐに呼ばなければ、と声を大きくして周囲に発している人物が現れた。僕と早乙女は咄嗟に顔を合わせる。
知っている声だったから、今すぐにでも姿を見せて早く救急車を呼んでもらわないと。
そもそもすぐに救急車の手配をすればよかったのにしなかったのは、それだけ気が動転していたからに他ならない。
知っている人が倒れていて、すぐに助けられるほどの余裕はまだ持ち合わせていない。
車に轢かれたと聞いて、お見舞いに行くくらいの行動力しか持っていないのだ。
――車に、轢かれた。赤いスポーツカー……。
レンタカーだったなら、そう報道がされていたはずだ。
秦さん所有のものだったなら、早乙女が話していたはずだ。
では、二回も三葉を車で轢き殺そうとしていた赤いスポーツカーは、一体誰の車なのか。
聞き慣れた声に安堵して立ち上がろうとする早乙女の腕を引いて、相手から見えないように抱える。口も手で塞いですぐに耳元に「油断するな」と囁いた。
ビクッと体が震えてビビらせたかと思ったが、すぐに順応して大人しくなった。
元恋人である日浦舞菜さんを殺害した秦さん。
姉のように慕っていた日浦舞菜さんと瓜二つの姿になることで犯人をおびき寄せようとしていた三葉。
本当に秦さんが犯人で、秦さんに復讐か何かをしようと三葉が考えたとして――一人で乗り込むような間抜けではない。
三葉莉胡は、僕たちのクラス委員長だ。
大人の男一人で太刀打ちできるなんて考えもしないはずだ。
数分前の僕と同じように。
だから、秦さんは三葉の誘いに乗った殺人犯ではなく、三葉の協力者だったとしたら?
二人が倒れているのは、誘い出した本当の人物に、真犯人に返り討ちに遭ったからなんじゃないのか?
「……誰もいない?」
後から現れた人物はいつまで待っても返答がないことに戸惑っているのか、片足で地面を小刻みに叩く貧乏ゆすりをしている。初めて見る粗暴な態度に疑惑が確信に変異していくのが分かる。
赤いスポーツカーの持ち主が三葉の命を狙っていた。それは間違いない。
でもその運転手は秦さんではなかった。
秦さんがスポーツカーを所持していたならば早乙女が知らないわけがないし、盗まれたとしたらその情報がどこかから出てきて然るべきだ。
では、赤いスポーツカーは誰の車か。
報道ではされていなかったがレンタカーである可能性も無視はしないが、どちらにしても秦さんのものではない理由にはなる。
赤いスポーツカーを持つ人物が三葉を狙う理由はやはり日浦舞菜が関係しているのだろう。それ以外に彼女が狙われる理由が思いつかない。もっとチープで安易な方法で狙われていたのなら、三葉に嫉妬したのだろうと推測するけれど、そういった理由で狙われるにしては悪質がすぎる。
日浦舞菜。
日浦舞菜の件に関与している人物ならば、三葉を狙う理由になる。
明らかに挑発と思える瓜二つの外見。
何年も、ほとんど毎日その姿を見ていたその人は、一体どんな気持ちで三葉と接していたのだろう。
「風丘、早乙女。お前たちだろう?」
的確に名前を呼ばれ、息が止まる。
どうして、と早乙女の目が僕を見る。そんなこと、至極単純だ。
三葉が病院に運ばれた時に、すぐに僕たちは行ったんだから。
秦さんがいて、早乙女がいて、僕が到着して、その後に病院に着いたから事情を知られていると思われても不思議ではない。
「秦くんと三葉をやったのはお前たちか? 一体どうしてこんな……」
考えろ考えろ考えろ考えろ。
これは挑発だ。
慌てて無実だと出て行けば、僕たちも三葉たちと同じように襲われる。下手に動けば音で場所を知られてしまう。けれど僕たちを探すために動き出された今、悠長に隠れ続けることができなくなった。
考えろ。どうしてあの人が犯人なのか。
三葉の件は後付けだ。
本題は三年前の一件。そこにすべての真実がある。
――三年前の八月十四日。裏山で一体の首吊り死体が発見された。それは当時大学生の日浦舞菜という女性。争った形跡もなく、警察は自殺だと判断したわけだが、本当はただの自殺ではなかった。けれど、証拠も周囲の証言からも他殺と断言は出来ず、そのまま自殺で幕は閉じた――というのが、警察がまとめた見解だ。
早乙女が語った客観的なあらすじ。
――四月二日 莉胡ちゃんが来年、中学生になると聞いて、もうそんなに時間が経ったのかと感慨深くなります。そして、怖くなりました。莉胡ちゃん、大丈夫かな。
最初に引っ掛かりを覚えた日記の文面。
彼女は何を怖いと言ったのか。
――八月一日 莉胡ちゃんは中学生になったら、という話を私にしてくれているのだけれど、どうしても不安が拭えません。怖い。けれど、怖がってばかりもいられない。話を、しなくては。
四か月が経っても消えない彼女の恐怖。話をしなくては、とは三葉に話す何かがあったということでいいのだろう。
――八月八日 連絡が、取れません。
……誰と?
三葉は真面目に学校に通っていたはずだ。
夏休み中だったから登校はしていないが、それでも二学期からも普通に学校に来ていたはず。
――八月十二日 さよなら、夏。
亡くなる直前の短い内容。
別れを告げた相手は三葉ではなく、当時恋人だった相手。
恐らくは秦さんだ。そうでなければ秦さんが三葉を気に掛ける理由がない。まだ結婚する前の秦さんは、日浦舞菜と交際していた。三年前に恋人だった日浦舞菜が亡くなり、その後出会った人と結婚した。その負い目から、三葉を気に掛けるようになった。
そう考えれば、秦さんが三葉に危害を加える動機が綺麗さっぱり消える。
僕らの通う中学校には、日浦舞菜が恐れる「何か」があった。その何かは三葉の中学生活の平穏を揺るがすもの。可愛がっている妹分のために立ち上がったが、殺されてしまった。
やっぱり、秦さんは犯人じゃない。
三葉が僕に宛てた手紙に書いた「三年前の真実」。この文言があったということは、日浦舞菜本人から話を聞いていたか、もしくは自力で辿り着いた。
どちらにせよ、三葉は犯人を以前から知っていた。
知っていたから、日浦舞菜の姿になった。
そして秦さんと協力して、今日この場で犯人と対峙した。
「来ないなら、こちらから探そうか。大丈夫だ。秦くんがやったように見せかけるから何も問題はない」
空気を揺らす自信に溢れた声に、とうとう早乙女がガクガクと体を震わせた。
恐怖だ。
今から殺されると理解して、逃げるのも叶わない相手だと分かっているから、殺される未来に恐怖している。
僕だって怖い。けれど、怖がってもいられない。
早乙女を支える腕に力を入れ直す。
まだ三葉も秦さんも死んだわけじゃない。まだ気を失っている状態だ。わずかに呼吸しているのが見えているのだ。間違いない。
だったら殺されるわけにはいかないじゃないか。
どうするどうするどうするどうする。
太刀打ちできない相手と対峙しなければならない場合、どう行動すればいい?
相手を怯ませるには、犯人が行った事実を突き付ければいい。ほんの少しでも隙が生まれたら早乙女を逃がしてやれる。早乙女が逃げてくれれば警察に通報できるし、何より僕が安心できる。
そのためにも、三年前の真実――日浦舞菜が殺されたという事実を的確に見抜かなければならない。
まさかこんなに大事になるなんて思わなかったから、情報収集も受験勉強の片手間程度にしかしていない。
僕が持つ情報は、彼女の日記だけ。
せめて日記に詳しく書いてくれていればよかったのに、匂わせ程度の内容しか書かれていなかった。
……どうしてその程度の内容しか記さなかったんだ?
書けない理由があった?
自分さえ分かればそれでよかったから、にしては、自身の最期を悟った文面で終わっているのが気になる。
犯人に見られる可能性があった?
書くのが躊躇われる内容だった?
両方が理由?
犯人に見られる可能性があったのなら、多く登場する三葉に危機が迫ることは明白。次いで登場の多かった大学の先輩、ふんわりとした存在感しか書かれていなかったが存在していた恋人。
完全プライベートな日記に登場している人物に、犯人の所業を話していると思われる危険性を考慮した?
書くのを躊躇うほどの理由も、上手く想像はできないが、女子大生が中学生の女の子を心配するような内容だったとしたら書こうという気持ちを削がれても無理はない。
推測するのに想像した僕も気分が悪い。
こうして一つ一つ読み解いていけば、不可解だったすべてが納得に変わる。
ただ、証拠がない。
怯ませられるほどの説得力がこの場にない。
すべて僕の想像だと笑われて終わりだ。
打開策がない。
次回最終回のつもりです。
(つまりまだ完成していない)
投稿は今週中にします。




