7 副委員長と委員長探し
「現実ってのは、至極単純なものさ」
唐突に始まる解決編に、僕はもしかして本当の主人公は早乙女なのではないかと自分の立場を危惧した。
「複雑にしているのは私たちの方。余計な時間軸や都合、その他諸々、関係のない話をさも繋がっているように錯覚した。――いや、錯覚じゃなくて勘違いか」
神社を出て、自転車をゆるく漕ぐ早乙女の隣を歩く僕は、しかし競歩を強いられていた。ゆっくりしている時間はなくとも、最低限以上の体力は温存しておくべきだと言う早乙女の指示に従い、走るのを止めていたけれど、競歩だってそれなりに疲れる。
日陰の多い道を通ってくれているようではあるが、行先を告げられていないので不安が次第に募る。その道中に始まったのが、今回の解決編ということになる。
「大人よりも子どもである私たち――犯人の近くにいた私たちにしか見えない部分というのも、あったのかもしれないけれど、そんなものはどうでもいいやね。クラスメイトが巻き込まれたのだから、その辺りの動機は適当でさ」
「ま、待ってくれ早乙女。僕には何がなんだかさっぱりなんだけど?」
「それを今から説明してやるって言ってるんだよ。……警察の尻拭いほど、辛い仕事もないけどね」
早乙女は溜息混じりに言った。
およそ中学生の顔付きではない表情が気になる。僕たちは教室の中でしか一緒にはいないし、取り立てて仲が良いわけでもない。三葉が学校の外では子どもっぽい素顔を持っていたように、早乙女にも別の顔があるのだろう。
裏の顔があるのは、一人や二人ではない。
「三年前の八月十四日。裏山で一体の首吊り死体が発見された。それは当時大学生の日浦舞菜という女性。争った形跡もなく、警察は自殺だと判断したわけだが、本当はただの自殺ではなかった。けれど、証拠も周囲の証言からも他殺と断言は出来ず、そのまま自殺で幕は閉じた――というのが、警察がまとめた見解だ」
不満そうな早乙女と同じように、僕も引っかかりを感じずにはいられなかった。
日浦舞菜という人物は、決して自殺を選ぶ人間ではない。
はず。
「あくまで警察はそこまでのことしかしなかったわけだし、まぁ同時期に起きた事件に人員を割いていたのだから無理を言うつもりはない。それを今から解決しに行くんだしね」
「なぁ、早乙女?」
「質問は一つだけ受け付けましょうかね」
二、三質問を考えていた僕を見透かしていたのか、先に制されて質問を一つに絞らされる。
早乙女が何者なのかとか、警察の事情だとか、あと警察の尻拭いだとか。けれど、これらの質問はきっと追々説明されることだろうと、質問を全部取り下げた。
僕が口を噤むと横目で見ていたらしい早乙女は再び口を開く。
「警察が発表した事件の顛末は、危うい年頃の女子大生が自殺しましたってことなんだけれど、動機があやふやなままだった。失恋が原因だとか学業か部活での悩み事が原因だとか適当に言っていたようだけれど、遠からずなのがまた惜しい」
「惜しい?」
早乙女は一つ頷くと、自転車から降りた。坂道を上るのに自転車に乗ったままよりは歩いた方が早いと判断したのだろう。
「警察は証拠がないから自殺と決めるしかなかった。日記の文面が遺書としての機能を果たしてしまっていたからね」
さよなら、夏。と書かれていた日記を思い出す。一度消された後があったけれど、それに意味はないのか? 書き間違いにしてはわざとらしさのある間違いだったと僕は思う。
ただ間違えたというには無理のある季節だ。
夏真っ只中に『春』と書くだろうか。
春に夏を思うことはあっても、夏に冬を恋しく思うことはあっても、真夏に春を思うことなんてほとんどないはずだ。
「……こんなにも引っ掛かるのに、証拠がないなんて」
作為的なものを感じる、と呟くと、早乙女は「ふん」と笑った。
「作為的。その通りだよ、風丘くん。証拠をわざと作らないようにしていたんだ。――日浦舞菜、その人自身がね」
「な、なんだって……!?」
「日浦舞菜には、証拠を残さないようにする必要があったんだ」
「犯人を庇っているっていうのか?」
だとすれば、犯人は限りなく日浦舞菜さんに近い人物となるけれど、僕の知る限りでは大学のサークルの人たちが日記に登場する主な人物だった。
あとは、三葉莉胡。
家族っていう線も考えられるけれど、それは候補に入れなくていいだろう。
三葉も然り。
その人たちと日浦舞菜さんの間に確執があったとは思えない。
仲の良い家族と、妹みたいな存在。
早乙女は首を横に振る。
「そこまでヒロインな人でもなかっただろうさ。隠したかったのは犯人ではなくて、自殺したという事実」
早乙女の言葉が、段々と難しく聞こえてくる。
心なしか、説明してくれている早乙女の顔まで難しいものに見えてきた。舌打ちをしそうな険しい顔。
「相手に一矢報いる意味も、あったのだと思う。……そう考えるのが妥当だ」
これまで断言していた言葉が、突如曖昧なニュアンスに変わった。恐らくここから先は推理の域に入ったのだろう。
警察で集めた情報が終わり、早乙女自身の考察が入る。僕はそれを念頭に置くと決めて続きを待った。しかし、続いたのは推理ではなかった。
「聖人君子に見える人間でも、そうやって裏の顔があると思うと、なかなかどうして、面白い」
長い坂道の途中、自転車を押しながら笑っている。
いまだに目的地を知らされていない僕だけれど、現在の通学路であることからなんとなく察してはいるつもりだ。
「日浦舞菜さんと言えば、さ」
「うん?」
「三葉が日浦舞菜さんに瓜二つなんだ」
「らしいね」
調子良く笑っていたのに途端に笑顔が消え、早乙女は溜息を小さく吐き出した。
「日浦舞菜の顔を残念ながら私は知らないんだけれど、どうやら話を聞く限りにおいては似ているみたいだね。雰囲気だけだと思っていたよ」
この世にあんなのは二人といらないってのにねぇ? と同意を求められても、僕は愛想笑いを返すことしか出来ない。
意外だという感想が離れない。
警察で細かく聞いてきたようなのに、写真を一枚も見ていなかったとは早乙女らしくないというかなんというか。
それを察したのか、早乙女は「あー……」と歯切れの悪い声を出した。
「警察にあるのは遺体の写真ばかりで、通常時の写真は一枚もなくてだね……」
「あ、なるほど……」
中学生には見せられない写真だったということか。写真以外を見せている警察側の配慮の範囲がよく分からないけれど。
悔しがる早乙女の度胸の強さに少しだけ憧れた。
「おっと。すまないけれど風丘くん、私の携帯が鳴っているから少しだけ自転車を預けてもいい?」
神社でも見たスマホを取り出した早乙女は、僕の返事を待つ間もなく自転車を押しつけてスマホを耳にあてた。
通話ならば急いでも仕方ない、と僕は早乙女の自転車を受け取った。鮮やかなグリーンの自転車だ。僕の身長では少し小さいサイズだけれど、三段階のギアチェンジが出来る仕様になっている。
サイクリングが趣味なのかと思わせる自転車だった。……にしては体力のある方ではないように見える。
基準は、僕だけど。
三葉はもっと華奢だった。
その三葉が今、誰かに拉致(あくまでも可能性)されている。
「よし」
通話が終わったらしい早乙女が、僕の隣に並んで自転車のハンドルを取った。
「準備は整った。急ぐよ、風丘くん」
「で、どこに向かってるんだよ?」
ここでようやく僕は目的地について問いただした。いくら待っても事件の真相を話すばかりで現在の話をしそうになかったからだ。
早乙女は「あれ?」と首を傾げた。
「どこって、裏山じゃないか。具体的には別の入口だけれども」
とっくに理解しているものだと思っていたよ、と早乙女に苦笑された。
ともあれ目的地がはっきりしたところで、僕たちの歩くスピードは各段に上がる。
裏山には普段からよく使われる入口とは別に、もう一つ山に登る道がある。俗に出口と呼ばれている場所ではあるのだけれど、住む場所によってはそちらを「入口」と呼んでいる人たちもいる。
中学校の正門からは遠く離れている代わりに、いわゆる「お弁当ゾーン」には近い。
迷路をゴールから突っ切る感覚を、僕はすでに覚えていた。
もはや罪悪感。
「それで、ああ、三葉さんと日浦舞菜が瓜二つという話だったっけ」
平然とする早乙女はそれまでの会話を再開させる。
「日浦舞菜が生きている間に真似を続けているなら、それは間違いなく憧れからくるものだろう。それを三年も過ぎた今でも、というならば、理由は一つ」
一度区切って、言う。
「犯人をおびき寄せるエサだ」
「え、エサ?」
エサで――罠?
「証拠がないんだよ。被害者側からは何一つ。日浦舞菜が証拠を作らないようにしていたから。だったらさ、引き出せばいいじゃん。――犯人側から」
「あ…………」
事件全体に自殺の証拠も他殺の証拠も出ていないのは、被害者である日浦舞菜さんが何も証拠らしいものを持っていなかったからにすぎない。
しかしそれはあくまでも日浦舞菜さんが、であって、犯人であるこれから会うであろう人物が証拠を持っていないという理由にはならない。
物的証拠でなくてもいい。
言葉で引き出せばそれだけで済むのだ。
その為の、エサ。
その為に三年間も三葉は日浦舞菜さんの真似を続けてきた。
自分の中学生活のほとんどを、エサとして過ごしてきた。
自分の人生を、捧げてきた。
「あれ、三葉はともかく、どうして早乙女はそこまで言い切ってしまえるんだ? まるで犯人を知っているみたいな……」
三葉は日浦舞菜さんを思わせる格好と振る舞いで歩いているだけで犯人をおびき寄せられるけれど、どうにも早乙女はすでに犯人を知っていると思しき行動と言動だ。
それこそ、迷路をゴールから突き進んでいるような。
犯人を知っているが故の、自信。
「知っている――その通りだよ。私は日浦舞菜を殺した犯人を知っている。……知っているのではなくて、気付いたというべきだろうね」
「……早乙女?」
「私はずっと、その人のことを見ていたから」