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6 委員長はそこにいる

 鈴姉に、


「どうして走るの?」


 と問いかけると、こう返された。


「走りたくなるからだ」


 ……そこに道があるからだ。という返答を予想していた自分が恥ずかしいと思う反面、どっちもどっちな返答だと気付いた。

 しかし、その答えに納得出来る僕ではない。それは感情が共有出来ないからというのもあるけれど、とどのつまり僕は積極的に走りたいと思っていないからに他ならない。

 体育会系の姉に比べて文化系の弟である。

 だからとて走れないわけでなく、その辺りは鈴姉の弟であるが故なのかもしれないのだけれど、まぁそんな流れで、流れという流れはなくて思いつきとか気まぐれとか、そういう気分の問題でしかなかったのだけれど、僕は夏休み真っ只中で、朝の受験勉強と夏休みの宿題をきちんを片付けてから、ランニングしやすい服装に着替えて、走りに行こうと思い立ったわけだった。


 コースは決めてある。

 スタートとゴールも決めてある。

 それは家ではない。

 スタートとゴールは同じ場所だけれど、それは家ではなく、スタート地点まではのんびり歩いて行くことにする。


 その辺りの加減も気分でしかないのだけれど、僕の気分は、小学校当時の気分に戻っていた。

 わくわくと、うんざり。

 お祭りに似た行事。

 僕にとって憂鬱でしかない行事。

 中学に上がっても長距離を走る授業内容の体育はある。冬の恒例だったが割と真面目に走っていたおかげで、炎天下の中で走ることにあの時のような憂鬱加減はなかった。

 冬に走るよりも、夏に走る方が身体が軽そうだ。汗をかくのは当たり前だし、そもそもの服装も軽いものだ。


 八月十二日。

 思い立って、小学校のマラソンコースを走ることにした。

 つまりスタートとゴール地点は言わずもがな、今は懐かしい母校の小学校である。

 小学校までの元通学路を歩くのは三葉を家まで送ったあの日以来だが、全部の道を歩くのは久しぶりだ。確か卒業式の日は両親と鈴姉と別の道を通って帰ったっけ。

 そんな僕ももう中学三年生。

 来年の今頃は、中学までの通学路を懐かしんでいることだろう。小学校の通学路の思い出なんて、遥か昔と思うのかもしれない。

 それはそれで、怖い話だ。

 家を出てから炎天下にさらされて、僕は日陰を選んで歩く。


 怖い話と言えば。


 皿を数える内容の怪談にしろ、(鈴姉なら泣いて土下座するまで執拗に責め立てそうだ。「どうして一枚足りない? 誰が失くした? お前じゃねーのか? あん?」と何時間でも暇つぶし感覚で責め立て続けそうだ。それもありえないほど執拗に)、どこの学校にだってあるであろう七不思議にしたって(すべての不思議に対する解答を、鈴姉なら持っていそうだけれど。むしろ八つ目に鈴姉の名前が存在していそうではあるのだけれど)、どこにいようと全国津々浦々、怪談からは人間、離れることなど不可能なのだ。


 そこで生きた人間がいて、死んだ人間の話を語るならば、決して逃れることなど出来ないのだ。

 怪談とはまたぞろ毛色が違うけれど、語り継がれると言えば昔話もそうだ。

 いじめられている亀を助けて海の中の城に向かう話だとか(亀をいじめている子どもをさらにいじめていそうな鈴姉の姿が浮かんでしまう。大人気ないよ、鈴姉)、川から桃が流れてくる話だとか(おばあさんよりも先に桃を見つけたけれどスルーしてしまう鈴姉の姿が浮かんでしまう。そこはツッコミどころだよ、鈴姉)。

 語る人間がいて、聞く人間がいる。それが延々と続くのだ。

 どちらにも共通するのは、メッセージ性があるところだろうか。内容に秘められたメッセージに気付いたり教訓にしたりする人は少ないだろうが、語る側、話を作った側には察して欲しいメッセージというものがある。

 その舞台となった場所に行ってはならない。

 人に何をしてはいけない。等、何らかの意図的なメッセージがあるものだ。詳しく語れるほど僕は各物語について詳しくはないけれど、なるほど今にして思えば、人間は深い生き物である。


 日本人は特に裏側について細かいようなところがあるとか言ったり言わなかったりするけれど、得心がいかないでもない。

 曖昧が好きだったり、細かいところが好きだったり、だからこそ日本人は深いのか。


 大雑把やいい加減のその下に仕掛けられた別のストーリー。

 今回の話にも、適用出来るということか。

 しかしまぁ、どの話にしたって鈴姉を一人キャラクターとして組み込むことで、こうも可笑しくなるものだろうか。

 怪談なのに怖くなく、隠されたメッセージなど無視をして、ただ場を荒らすだけ荒らしていく。

 我が姉ながら、もはや存在が怪談っぽい。

 妖怪っぽい。

 語られる物語に存在していながら物語に登場しない。

 鈴姉が好きそうな立ち位置である。

 今回の怪談や日浦舞菜さんの話の中にもしも鈴姉が登場していたのだとすれば、語られなかったどこかの場所で鈴姉が活躍していて、けれどそれは物語の根幹には一切関係がなかったとして、それでも話は進んだとして。


 だからなんだという結論が出た。


 今と何ら変わらない。普遍的なものじゃないか。

 いてもいなくても内容が変わらないなんて、そんなことがあるなんて。

 だって鈴姉だ。

 いるだけで存在感を放ち、数々の武勇伝を所有する鈴姉なのに、モブと同じ扱いだなんてあるのだろうか。そっちの方がすごいだろうが。


「……いや、そうじゃなくて」


 むしろどんな話の中にも鈴姉を登場させる僕自身がおかしいだけだった。

 お姉ちゃん大好きか。

 鈴姉の話をするだけで、あっという間に懐かしいかつての学び舎、義務教育期間中一番の時間を過ごした場所に着いた。

 小さく見える校舎に驚く。

 あんなに広く感じていた体育館も、なんだか小さいように見えた。

 グラウンドには少年野球の練習で騒がしい。

 正門と裏門の、裏門の方に僕はいる。門は当然施錠されていて中に入ることは出来ないけれど、それで構わなかった。

 だってこれから走りに行くのだから。


 よーいドン。


 心の中でスタートの合図を出して走りだす。準備運動は家から小学校までの十五分で済ませた。

 裏門をスタートして右に曲がる。

 しばらく道なりに進んで、十字路を真っ直ぐ。

 案外コースを覚えているものだ。

 古い家屋が並ぶ細い道を過ぎて、開けた通りに出る。しばらく直線が続くのだが、等間隔に並んだ真っ赤なポストにあの頃の殺意を思い出す。先生が言っていた「次のポストまで頑張れ」という言葉。ポストに辿り着くとまた「次のポストまで頑張れ」と言う。ポストは何も悪くないのに、その言葉が付随することで途端に嫌なものに見えてしまう。

 今では小学校のマラソンコースなんてすっかり平気になった僕の持久力だけれど、小学校当時、短距離は得意でも長距離は本当に苦手だった。

 苦手なのに走ろうとしたのは、鈴姉にあやかってみたいと思ったのと、今まで避けてきたことをしてみようと思ったから。


 あと、頭の中がまとまればいいなと考えた。


 すっかり過去の記憶を思い起こしてしまって苦しい思いをしているのだけれど。それに、スタート地点までの道のりも鈴姉と昔話の関係性とかなんとか割と関係のないことを考えていた。

 最初からすべて理解出来るとは思っていない。

 考えても考えても分からないことなんて現実にはゴロゴロと転がっていて、世の中のほとんどは分からないことだらけだ。

 そろそろ鬼門の心臓破りの坂が見えてくる頃、先に夏の日差しで熱中症になりそうになっていた。水分を持ってくればよかった。首にかけていたタオルを頭に乗せて、雰囲気だけの日よけにした。


「か、風丘くん!?」


 焦った声が坂に差し掛かった辺りで聞こえた。

 ばたばたと行ったり来たりの足音。まぶたに乗った汗を、首を振って落としてから視界をクリアにし、そうだ、と足を止めた。

 心臓破りの坂と呼ばれていた道の途中に、彼女の家があったんだった。

 白いブラウスに、白いロングスカートが風に揺れている。中学三年生の服装にしては、やや大人びて見える。大人びて見えるくらいが三葉には丁度いいのかもしれない。


 要するに、似合いすぎて眩しい。


「三葉、奇遇だね」

「奇遇だなんて、私の家はここなのですから、当然私はここにいます! そうじゃなくて、汗だくじゃないですか! 手持ちのタオルでは足りていない汗の量ですよ!?」

「そりゃ、走ったら汗はかくだろ……」


 差し出された大きめのタオルを素直に受け取って、頭頂部からの汗を拭き取った。ふわふわのタオルに顔を埋めると、洗剤の爽やかな香りがした。洗いたてだろうか。


「どうして突然走ろうだなどと思ったのです? しかもこんな真夏日に」


 もう少しで猛暑ですよ? と優しくも厳しく言われて、「そう聞かれてもなぁ……」とタオルから顔を離す。すると、目の前にはお茶まで用意されていた。

 なんて気の利く。ありがたい。


「走りたくなったからとしか答えられないんだけど」


 あ、この麦茶すごく美味しい。


「そこに山があるからとはわけが違うと思いますが、走るなら相応の準備をしないと……。熱中症で倒れたら大変です」

「倒れると言えば、三葉、もう怪我は大丈夫なのか?」

「私の話、聞いてくれています? ……まだ少し足に違和感が残ってはいますが、概ね大丈夫です。日常生活に支障は出てません」

「そう、良かった」


 心配そうに僕を見る三葉。その目に逆らえそうになく、ここからは歩いてマラソンコースを完走したことにしようかな。

 三葉を見ていると、写真で見た日浦舞菜さんの姿を思い出す。どことなく今日の服装も似ている気がするし、どこまでも真似ているつもりなんだろうな。

 重ねて見ているのは、あのおばさん以外に誰がいる?

 三葉自身?


「本当に風丘くんは、外と中がちぐはぐですね」

「どういう意味?」

「いえ、深い意味はありません」


 くすくすと、笑いながらも僕からタオルを受け取る三葉はふと悲しい表情を浮かべた。しかしすぐに笑顔に戻り、僕はすんでのところで疑問を引っ込めた。

 引っ込めたというより、疑問に思う前に消えたという方が合っていたかもしれない。


「ただ、学校で見る風丘くんは同級生と比べて大人っぽかったのに、今私の目の前にいる風丘くんは、まるで子どもみたい」

「こ、子ども……?」

「はしゃいでいる仔犬の方が近いかも」

「仔犬……」


 人間ですらなくなってしまった。

 ふかふかのタオルに顔を埋める姿を見てそう言われれば、返す言葉なんてない。三葉に笑われても仕方なかった。


最近全然ポスト見なくなりました。

これを書いていた頃(2016年)がまだ見かけた方だったらしい。

あと夏の気温も。

真夏日の方が少ないし、もうすぐ猛暑って……今は酷暑ですね。

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