事務員は山にいる
そう言えば薄ぼんやりと覚えている。
小学校を卒業したほとんどの児童が通う予定の学校の裏山で起きた事件なだけに、先生や教育委員会から大人が大勢来ていた。
何をしに来ていたのか当時は見当もつかなかったけれど、心のケアに来ていたのだと今なら分かる。すぐに来なくなったので気付かなかっただけだろう。
ディスプレイに映る記事と、手紙を見比べる。
時期的に手紙の内容は女子大生の自殺の事件の件で間違いなさそうである。だが、自殺に真相なんて存在するのか?
だとすれば、それは他殺だ。
他殺とは、たいていの場合、殺人だ。
詳しい内容をメモに書き残して、僕は一度寝ることにした。
決して夢見は良くない。
それもそのはず。殺されるだの、自殺だの、殺人だのの物騒な文字の羅列を連続で目にしたのだ。愉快な夢を見られるメンタルは持ち合わせられない。
ベッドの上で一時間も寝られなかった僕は得た情報を頭の中で文字化する。
八月十四日。
裏山。
首吊り自殺。
女子大生。
日浦舞菜。
警察がすでに終わらせている事件を掘り返して、何が変わるのかと僕なんかは考えてしまうものだけれど、手紙の主は真実を明らかにしたいらしい。例え世間に出なくても、別の真実があったのだと、納得したいだけかもしれないけれど、それを僕が手伝う理由はまったく分からないけれど、それでも、僕は、手紙を受け取ってしまった。
捨てずに、情報を集めて、差出人が殺されない未来を選択したくて躍起になっている。
どこかで三葉だったらいいなと思っていた。
どこかで早乙女なら助けないと、と思っていた。
布団に潜り込んで結果的に一時間も寝られなかったというのに、僕は眠りに落ちた。
夢を見た。
起きたらどんな夢を見たのか、夢を見たことさえも忘れていた。
時刻は十二時。少々寝過ぎた感がある。高い位置に昇る太陽の日差しが部屋の中にまで入り込み、室温は上昇していた。汗はあまりかいていないようで、僕はそれでも水分補給をとリビングに行った。
鈴姉が入り浸るのも無理はない涼しい空間に、思わずソファで二度寝を試みたくなる。
寸でのところで睡眠欲を振り切った僕は、用意されていた昼食にありつく。母親もどこかに出かけているようで、置き手紙が残されていた。
まぁ、要するに学生時代の友人たちとランチらしいのだが。
とかく中身の若い人である。
そして家の中には僕一人。
仮眠をとった後の予定はもう、決めていた。
昼食を食べ終わってから僕は一度着替えてから出かけることにした。
行き先は中学校――の、裏山。
*****
自転車で行くことも考えたけれど、結局徒歩で向かうことにした。いつも徒歩で通学する道を、あえて自転車で移動する理由が特になかったからだ。
太陽が真上を通る午後二時。
日影を選んで歩く道すがら、暑さにやられて(どうして僕は歩いているのだろうか)などと思考が鈍る。それも裏山に着いてしまえば吹き飛んだ。
葉が地面を覆うほどに茂った山の地面は日影しかなく、体感温度がかなり下がった。
小学校二年生の遠足と五年生の活動で二度登ったことがあるけれど、中学に入ってからは見る一方だけだった裏山。きちんとした名前があったと思うけれど、覚えていない。
地元の人間ならば誰でも知っている山。決して大きすぎることのない、ハイキング向きの山である。
「あれ?」
ふいに、声が聞こえた。
「えーっと確か……風丘くん、だっけ?」
どこかで聞いた声を探して辺りを見渡すと「こっち、こっち」と誘導の声がかかる。
見上げたのは、木の上。木の上に声の主がいた。
「秦さん」
「奇遇だねぇ」
ジャージ姿にゴミ袋を片手に持つというスタイルも様になるイケメン事務員の秦さんが木に登っていた。
秦さんは颯爽と木から飛び降りると僕の目の前で頭に付いた葉を振り落とした。
「秦さん、こんなところで何してるんです?」
「見ての通り、山の清掃だよ」
「事務員ってそんな仕事までするんですか!?」
てっきり職員室の隣の小さな部屋でデスクワークばかりしているものだと思っていた僕は秦さんの言葉に驚いた。
早乙女がここにいたら、卒倒してしまいそうな事実だ。
「ははは、意外かもねぇ。本当は野球部と陸上部の先生たちがするはずだったんだけど、手が空いてなくてね」
みんな逃げるように遠征だよ、とさらりと言ってのける秦さん。
「いやぁ、さすが秦さん! 平然とボランティアをやっているなんて尊敬するなぁ!」
押しつけられたと遠回しの愚痴に、僕は全力で秦さんを持ち上げた。
「なら手伝ってくれるかい?」
「ぐっ……」
にっこりと眩しいイケメンスマイルで言われてたじろぐ。だけど僕は目的も無く裏山に来たのではない。
手紙の主を探す為――とは言い難いかもしれないが、病院でのやりとりの中で調べてみようと思えたことだ。
「僕は僕で調べ物が……。あ、そうだ秦さん。こんな怪談が広まりつつあるのをご存じですか?」
話をどうにか逸らせないものかと思考を巡らせた結果、早乙女の話した怪談を思い出した。
「この裏山で、女の人の姿が目撃されることがあるらしいんですよ。目撃される場所は様々なんですけど、主な場所は樹齢が六〇〇年を超える木の下という話なんですよ。なんでも別れた恋人を探しているんだとか。信じているわけじゃないですけど、夏休みの良い機会なのでその真相を探ろうと思っているんですよ」
だからボランティアのお手伝いは出来ませんという遠回しの拒絶をどう受け取ったのか、秦さんはきょとんと目を白黒させていた。
「そんな怪談があるんだね……?」
「都市伝説か何かだとは思うんですけど、何やらこの話を聞いた人の話をすると呪い殺されるらしいですよ。あははー……」
「確か、受験生だよね? 大丈夫?」
ごもっともな意見が飛び出してしまっては、これ以上の弁明は難しい。かと言って本当のことを言うのはもっとどうかという気がした。まず大人に中学生の話す怪談を話した時点でちょっと……なのだけれど。
受験生だからって夏休みに本気を出しても遅いと言っても、「言い訳はいいから」と窘められてしまいそう。
「息抜きですよ、息抜き」
苦し紛れの言葉にしては、秦さんはにっこり笑って「なるほどね」と納得してくれた。この人、意外と単純な人間なようだ。
「それで、その話は誰から聞いたの?」
太陽の光のように強力なイケメンスマイルに男でも誘惑に負けそうになる。
「信じていなくても僕は怖いものは信じた振りをするタイプなんです。ほら、呪いって言葉だけで怖いじゃないですか。さすがに呪い殺されるのはちょっと……」
いくらなんでもチキンだってことは分かっているから何も言わないで欲しい。
だからこそ一人で山に来たのだ。誰にも言えずに、一人で。
見ようによっては怖いもの知らずにも見えるかもしれないけれど。
怖いと思うのはどうしようもない。
「……俺、そういう怖い話は苦手なんだよね。見えないからこそかもしれないけれど」
苦笑いする秦さん。言い訳がましい自分とは正反対の素直な反応に、さらに秦さんに対する評価が上がった。ただのイケメンなら苦手な部類だと思っていただろうが、病院でのことも含めて、優しい大人だった。
「そ、そうですよね……!」
大人な秦さんでも怖い話が苦手だと親近感が湧く。病院で早乙女は僕のことを「周りに興味を示さなすぎ」だと言ったけれど、誰に対しても興味を持たないのではない。
……深く秦さんを知りたいと思うかと言うと、それはまぁ、違うけれど。
「ああ、だから君は怪談の真相を確かめに来たんだね?」
なるほど、と手を打って(軍手をしているから音はなかったが)納得した風に僕に聞く。まさに僕が裏山に来たのはそれが理由だった。
「まったくその通りです」
「しかしこの山は昼間と言っても薄暗くて足元が見えない場所もあるから、気を付けるんだよ?」
「はい」
これでボランティアを手伝わずに済んだ。
…………。
いや、そうじゃなくて。
秦さんと別れて山道を進む。慣れてはいなくても歩いた覚えのある道だ。迷うことなく進む。
さっきは怪談の真相を確かめると言いはしたが、それは理由の後半部分にすぎない。怪談を調べようと思い立った原因は、別にあった。
三日前の病院で三葉が口にした言葉。
――書いてある内容、早乙女さんが話してくれた怪談を思い出すね。
私は、殺される。
もしもこの一文が、裏山で見られる女の人の姿だとしたら……?
もしかしたら、この手紙はその女の人から届けられた手紙だとしたら……?
「もし、その人がすでに殺されているとしたら……?」