56イオの願い
ふっとイオの気配が収まった。波が引くように教会の人々が事態の撤収を始める。
火は自然と消えていく。まるで巻き戻されてりうような光景だった。小さくなった火をみて、聖堂の人間が念入りに消している。
誘導されるでもなく人はどんどん減り、やがて後片付けをしている面々以外はシェリたちだけになっていた。
シェリはほっとため息を吐いた。
「シェリさま、お願いがあります」
「何かしら。あなたは神なんだから、お願いなんてしなくていいと思うけれど」
ステンドグラスを背にして神々しさを増していたイオがシェリの前まで降りてくる。
とんと床に足を付けば浮いていた髪の毛や服が落ち着いた。少し目線を下げるくらいの位置に神の顔がある。
そう思うと落ち着かない気がした。
まぁ、相手がイオだと思えば、この視点が通常なのだけれど。
「神の役割は終わっています。だから、これはわたしのワガママなんです」
愚痴を多分に含んだシェリの言葉に、苦笑して答えるイオ。
神の願いを断るわけもないし、イオの願いならば大抵のことは叶えてあげたい。
自分の懐に入れたものにはとことん甘くなる。それがシェリの性格であった。
何を言われるのか、想像もつかず、じっと言葉を待つ。
「一緒に世界を回ってくれませんか?」
下から見上げるよう、瞳をうるうるとさせて、お願いされる。
まったく、ずるいではないか。
この子は、自分のお願いを一番叶えて貰もらう方法を知っている。
それが神かと思うと不思議でしかないのだが。どうでもいいことを頭の中で考えて、伝えられた願いについて考える。
動きを止めたシェリにイオはそのまま言葉を続けた。
「シェリさま、瞳の色変わりましたよね」
瞳と瞳がかち合う。
今更なんの話か。この色に最初に気づいたのは、他でもない彼女だ。
イオの真剣な顔に戸惑いが湧き上がる。
「ええ……あなたも知っているように、欠損から帰ってきてきてから、ね」
あの時、一緒に落ちたにも関わらず、イオに変化はなかった。
シェリの瞳だけが色を変え、空のような青色から菫のような赤紫に近い色になっていた。
イオは自分の瞳を人差し指で示した。そこにあるのは赤。神の証とされている赤色である。
「その瞳は、半分、神が混じっている証なんです」
「混じっている?」
「いつもなら聖女の儀を通して、聖女は人から神に近い存在になります。成功すると、基本的に聖女の瞳は赤くなります。それが人ではなくなったことの証なんです」
「成功すれば、ですが」と付け足される。いつだか、セボが言っていた。
ーーキレイなアメジストになりはって。
言われた時は何を意味しているかわからなかった。なぜ、彼女があんなに呆れたような顔をしていたかも。
ここに来てようやく理解できた。
あの言葉は瞳に赤色が交じることの意味を彼女がきちんと知っていたから。だとすれば、セボはすでにあの時から、この展開が読めていたのだろう。
イオの後ろに控えるようにしているセボを見る。素知らぬ顔で微笑まれた。
「じゃ、私の紫は」
「イレギュラーです。まさか、シェリ様まで一緒に落ちるとは思ってなかったんです」
確かにあの時、イオは自分の力で魔物を討伐していた。
欠損に落ちても無事でいられるなら放って置いても、ひょっこりどこかから出てきたのかもしれない。
それこそ、ジャンヌがまた見つけてくれた可能性もある。
だからといって、シェリが目の前で落ちていくイオをそのままにできたかと言えば別問題だ。
(無理でしょうね)
あの時だって意識していたわけではない。気づいたら体が動いていた。
同じ場面が来ても、シェリは知らぬ間にイオに手を伸ばしているだろう。
「あの穴の中は、混沌なんです。何でも生まれるし、なんでもある。その代わり、個という何かはない」
真剣な顔で説明してくれているイオには悪いが、あまりピンとこない。
気持ちの悪い空間ではあった。上下はわからないし、足元も定まらない。大波の中で小舟に横になれば、ああいう気分を味わえるのかもしれない。
その中でシェリはイオと手を繋いだ。手をつなげるということは、個が確立しているということだ。
あの時に混じったのか。手を繋がなかったら良かったのか。
考えてもキリはないし、あの空間で自分を保つためにはイオが必要だった。
「つまり……私とイオが混じったということ?」
「そうなります。だから、体調を崩したんですよ」
瘴気あたりと思っていたら、事態はもっと深刻だったようだ。
知らぬ間に人ではなくなっていたらしい。申し訳無さそうな顔をするイオ。
自分の力のせいでシェリが体調を崩したとわかったから、不調の時、あんなに騒いだのか。
いや、人間であるイオは知らないはずだ。知らぬ間に、わかっていたからこその対応。そういうことだろう。
穴に落ちて以来、過保護が加速していたのも、きっとそう。
納得すると同時に、まったく気づかなかった自分の鈍さに呆れる。
「神官長を殺すくらい復讐を望んでいるなら、すぐにでもこっちの世界に来てもらおうと思っていたんです」
ーーその力は、人の世には大きすぎるものですから。
イオは言った。
よく分からない。シェリは首を傾げる。
イオが言うような大きな力が自分にあるようには思えなかった。
穴に落ちて以降も聖女の力を使ったことはあるが、別段いつもと同じ感覚だったし、新しい何かに目覚めた気もしない。
「宝珠、ありえないくらい光ったじゃないですか」
「ああ、あれは、その影響なのね!」
大きく頷いてしまう。
歌謡祭、シェリは確かに誠心誠意できる限りのことをした。歌い方にしろ、技術にしろ、すべてに全力を尽くした。
とはいえ、一曲しか歌っていないシェリの宝珠があれほど輝きとは自分でも不思議だったのだ。
それもイオの説明で納得できる。
あの宝珠は神に捧げられるエネルギーで光る量が決まっているのだから、少しでも神が混じっている自分が歌えば、そうなるのも道理だ。
「うわ、鈍い、鈍いで」
「へぇ、そういうこと。宝珠って面白いわね」
「クロンの歌が一番でしたよ」
「あら、ありがとう」
遠巻きに見ているセボたちがコソコソと何かを言っている。
それは聖女クラスの雰囲気で、神の前だと言うのに態度が変わらない。彼女たちの精神の強さには感服する。
かく言うシェリ自身も普段どおりの口調で話しているのだから、周りからすれば五十歩百歩なのだろう。
瞳の色が変わっても、外側はイオのままだというのが大きい。
加えて、今の彼女はシェリたちが話しやすいように、イオとしての雰囲気を出してくれている。
「でも、シェリさまは復讐より別の生き方を望まれました。だからーー」
まっすぐイオの瞳が、シェリを見つめる。
音の最後までは聞き取ることが出来なかった。
それでも、続く言葉は理解できる。
「いいわよ」
特に悩みもせずに、シェリは頷いた。
こんなにも素直に事情を話されて、嫌だと言うことができるだろうか。
シェリは聖女になるために生きてきたのだ。諦めかけていたのにイオ本人から望まれて、聖女になった。
そのうえで、命令ではなくお願いされている。微塵も、砂の一粒も、断る理由がなかった。
「いいんですか?」
「ええ、神を信じなかった国がどうなるかなんて、わかっているでしょうし。自分にできることをしたいの」
目を見開くイオに再び頷いて見せる。
この国は荒れる。
神への信仰だけでまとまっていた国だ。神官長が罷免になり、王族の求心力も下がる。
崩壊のカウントダウンは始まっているようなものだ。
「だから、こう言うわ。私を連れて行って、イオ」
こちらからのお願い。
シェリはイオと一緒に世界を治して回りたい。
それが、どのような形であれ、いなくなってしまったリゼットの意思を継ぐことになる気がした。
「はい!」
ふわりとイオが笑う。
こうやって波乱に満ちた選定の儀は、やっと終わりを迎えたのだった。
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