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森を走り抜けたシェリの姿をセボが確認するように眺める。
背後では戦闘が繰り広げられていたが、今、自分たちの出番はない。
「シェリはんこそ、傷は大丈夫なんか?」
「手当いたしますが」
「ああ、これくらい、平気よ」
ひらひらと軽く手を振る。
傷自体はない。細かな引っかき傷くらいだ。
それより走り終わったばかりで暑かった。
「シェリさま、こちらを」
「ありがとう……助かるわ」
セボに手渡されたものと同じものに口をつける。
屋外で立ったままなんて行儀が悪いとされるが、この場で気にするものは誰もいなかった。
顔に布をあてるようにして汗を吸わせ、外套についているポケットへ入れた。
「もうちょい、可愛くならへんかなぁ」
「戦闘の場合、実用が1番でございます」
「そやなぁ」
シェリが息を落ち着けている間に、そんな会話が主従の間でなされていた。
この外套は使いやすい。とても気に入っている。
灰色の外套は汚れを防ぐためだけのものであり、水もはじくし、聖女のことを考えてかポケットも多い。そのうえ、頑丈。
この外套のおかげで免れた傷は多くある。
ドレスとは違う、動きやすい服を中に着ている。動きやすいと言っても、スカートなのが謎ではある。
「シェリさま。薬から呪具までとりそろえておりますので、いつでも必要なときは仰ってください」
「使わないことを祈ってるわ」
小さく肩をすくめる。薬はまだしも呪具まであるのはスゴイ。
サーヴァの準備の良さには頭が下がる。すべてはセボのためなのだろうけれど、ご随伴に預かれるなら有り難い。
(討伐は何が起こるか分からないから)
リゼットが帰ってこなかったのも突然だった。
場所によって制限はあるし、返り血を浴びることもある。
魔物が消滅すれば、それらもなくなってしまうのだが、嫌悪感は変わらない。
「聖女の方々の協力には頭が下がります」
戦闘も順調に経過しているのか、遠巻きにしていた騎士から声がかかる。
恐れ、敬意、憧れ。彼らから向けられる視線に種類は多々あれど、外側に位置するのに変わりはない。
シェリはよそ行きの言葉をまとった。
「これも聖女の義務です。魔物は誰にとっても脅威ですわ。協力するのは当然のこと」
「素晴らしいお考え、頭が下がります」
型通りの挨拶をする騎士から視線を外す。
魔物退治は佳境に入っていた。
おびき寄せた魔物は多くの傷を負い、動きが鈍くなっている。
もう一息。それを行うのが、聖女だった。
(魔物、世界の異物……)
魔物について分かっていることは少ない。
確認されている動物と違うこと。人だけに限らず、動植物もすべて食べてしまうこと。
そして、穴と呼ばれる世界の欠損から生まれること。
この3つを満たすと魔物と呼ばれる。
「何度対峙しても慣れないわね」
「ほんまにねぇ」
力身の入っていない声。首を傾げる姿は、おっとりしている。
シェリが槍や鎧が似合うならば、彼女は扇やドレスが似合う。
まさしく姿形は深窓の佳人。
だが、たおやかそうな見た目にだまされてはいけない。
こんな風でも聖女としての力は強い上、聖女にありがちな個性的な性格をしていた。
(大体にして、見た目と中身が釣り合うって何なのかしらね)
今代の聖女はどれも我が強い。
けれど、見た目も貴族令嬢らしく、装えば美しい人間ばかりだった。
魔物討伐に出向けるだけで、普通の貴族令嬢とは違う。それどころか、武器を持ち魔物を引き寄せるための囮までする。攻撃を加えることもある。
貴族令嬢としては異端だろう。
聖女を送り込む家は、そういうことができる娘を育て上げる。そうした上で、結局聖女としての力に目覚めるかは運任せ。
乗れる家はそう多くない。乗らざるをえなくなった家はあるのだが。
聖女を送り出したい家は数あれど、できる家はそうないのだ。
何しろ普通ならば血どころか、土に塗れることさえないのが貴族令嬢なのだから。
「選定の儀まで、あと何体倒せるやろね」
「数の問題ではないですわ」
ニコニコとしたまま告げられたサーヴァの言葉にシェリは苦々しい思いが湧き上がる。
選定の儀とは聖女の代表を決めるもの。
代表に選ばれた聖女が、神に力を捧げることで、欠損の発生を少なくすることができる。
シェリの目的はそこだ。
「シェリはんは、たまにマジメすぎるなぁ」
数に関係なく、魔物は討伐しなければならない。
そうすれば帰ってこない人を待つことになる人数は減る。
魔物の発生原因は解明されていない。世界にほころびが出ると穴が増える。穴が増えれば、魔物が増える。
この世界のほころび――欠損を埋めるのが、聖女と言われていた。
「シェリさま、お願いします!」
「ほら、出番やで」
騎士たちから声がかけられる。
セボにぽんと背中を押され促される。
シェリは促されるまま前に出ると、胸の前で腕を組み祈る姿勢を取る。
聖女の力は祈りの力。魔法だとか、奇跡だとか言われたりする。
この力は魔物に特攻する。属性の違いはあるが、魔物にはよく効いた。
シェリが使えるのは植物の魔法で、このような場所では使いやすい。
「芽吹きなさい」
シェリの一言で、魔物の足元から植物が飛び出す。
自然ではあり得ないスピード。
これが魔法と呼ばれる理由だ。とはいえ、シェリの場合、植物を使うためには条件がある。
無から有は生み出せない。あるものの力を貸してもらうだけなのだ。
一気に成長した植物は、魔物を包みこむように絡みつく。数秒後にあったのは、こんもりとした植物の山だった。
うめき声のようなものが聞こえたあと、ツルの隙間から光が放たれる。
その光が消えたあと、嫌な感覚は綺麗サッパリ消えていた。
「お見事!」
パチパチパチと静寂の空間にセボの拍手が広がる。声も明るい。
喜色満面。くふふと小さく声が漏れていた。
魔物が消えて喜ぶというより、見事な戦いに興奮しているのだ。
とんでもないお姫様だ。シェリは肩をすくめた。
あの顔を見れば社交界で近づく人間は減ってしまう。
魔物討伐の時くらいしか、こういう部分は見ないのだから、心配する必要もないのだけれど。
(まぁ、怯えるようじゃ聖女としての役割は果たせないし……怖がるよりはいいのかしら? 血筋と言ってしまえば、それまでなのだろうけれど)
表は本当に優雅なお嬢様なのだ。セボは。
しっとりとした髪の毛に、優しげに見えるたれ目。
ひとつひとつの造形も美しく、それらがちょうどよく配置されている。
それでいて体としては、小柄な方。ドレスを着て大人しくしているとお淑やかな令嬢に見えるのだ。
「不思議なものね」
緑の塊を見つめるセボから目を離し、体の向きを変える。
魔物討伐が終わったからと言って油断はできない。
魔物がいるということは、欠損があるということ。
そちらを潰さなければ、同じことが繰り返されるだけ。
「早く欠損を埋めに行きますわ」
シェリは緑の塊になった魔物が動かないのを見とどけてから、背を向ける。
次の仕事がすぐに待っていた。
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