25穴の中
深い、暗い、水のようなナニカ。
一直線に落ちていく。不思議と音は聞こえなかった。
(なに……?)
遥か遠くに唯一の光が見えていたが、それもすぐに紫に覆われる。
グニャグニャと勝手に変化する色彩が上下左右の感覚をなくした。
すべての感覚が曖昧で、確かなものはイオだけ。シェリは繋いだ手の感触をを確かめる。
いる。
確かに、いる。
それだけが、この世界で確かなモノのように感じられた。
(きもちわるい)
うっすらと瞼を開く。
穴に入ってしまった。
底には、まだ着かない。いや、まず、底があるのだろうか。
イオと一緒にただ落ちていくだけ。
コポコポと水の中に落ちてしまったような音が聞こえ始める。
その合間からかすかな声が聞こえた。
「シェリ、さま」
聞こえると同時に、ぐいと引き寄せられる。
声がした。気のせいではない。
入れ代わり立ち代わり、色水のようなものが視界を遮り、判別を難しくする。
塊だったそれは、次の瞬間には色を薄め、別のものになる。
好き勝手に形を変えて動き回るから、頭がついていかない。
「シェリさま!」
反応を確かめるように呼ばれる。
「イオ」
どうにか声が出た。
同時に息もできることがわかる。
もっとも今吸ったり吐いたりしているものが、外と同じとは限らないのだろうけれど。
クルクルとイオとシェリの体は回転していた。
(どうなっているというの?)
最初は定まらなかった動きが、徐々に落ち着き、横の回転になっていく。
どうやら手を繋いでいるイオが、バランスを取ろうとしているようだ。
シェリもどうにか視界の回転を止めようと試みる。
押したり、引いたりしながら、二人は両手を掴むことでお互いを固定することに成功した。
「ここ、落ちたんですよね?」
「ええ、穴の中って、こんな風になっているのね……すごく、気分が悪いわ。あなたは平気なの?」
赤、青、緑、紫……様々な色が、次から次へと移動していく。
それらに邪魔されないように、自然とイオとの距離はとても近くなった。
不安定な姿勢というのもあって、いつ顔と顔が触れてもおかしくないくらいだ。
「え、少し気持ち悪いですけど、どうにか動けるとは思います。シェリさまはどうですか?」
見えている表情は不快そう。しかし、シェリほど行動に制限があるようには見えない。
自分の意志で体を動かそうとするだけで、その反動のように頭がクラクラするのだ。
ほんのわずかな力さえ、そうなってしまう。
イオがいなければ動こうという気力さえ沸かなかったかも知れない。
「自分から動こうとすると反動がスゴイわ。こう……世界が揺れる感じかしら?」
「無理しないでくださいね」
「わかっているわ」
しばらく落ちていた。
落ちる以外に手がかりがなかった。
ぐにゃぐにゃと姿を変える穴の世界は、落ちているのか浮いているのかあやふやになる。
落ち続けていた二人の耳に、別の音が聞こえ始めたのは、すでに光が見えなくなってからだった。
「何か、聞こえるわね?」
「シェリさまもですか」
『ーーのことは、ほぉって』
「いやな、音」
シェリは眉根を寄せる。
音が歪んで聞こえる。
間延びしたり、高低が無茶苦茶だったり、聞いていて心地良ものではない。
取り止めなく、形もなく、意味もない。
そんな言葉と音たちが、シェリの周りを取り囲む。
『どおーしてこんなぁ』
『ごぉめん、さなー』
過ぎ去っては現れる声の塊たち。
誘発されるように、昔の記憶まで蘇ってきた。
孤児だったときのこと。リゼットがいなくなったときのこと。なにもできなかったこと。
碌な記憶が出てこない。こんな状態では仕方のないことだろうけれど。
降り積もっていく思い出したくない記憶に、シェリはぎゅっと目をつむった。
心を守るように丸くなる。
「シェリさま」
不思議とイオの声ははっきりと聞こえた。
幻のような音や映像ばかりのこの世界で、彼女だけが現実としてシェリの前に存在している。
その確かさが嬉しい。その暖かさが癒しになる。
薄目を開けて彼女の顔を確認すれば、心配そうな眼差しが見えた。
「だい、じょうぶ」
「なんで、そう……」
イオの声が薄くなる。
距離が感覚がすべてあやふやなこの場所では、さっきまで近くにいたはずのものさえ遠くに感じてしまう。
だけれど、見えないのに、シェリにはわかった。
イオは怒っている。いや、心配しているのかも知れない。
彼女のくぐもる声が教えてくれる。
もしかしたら、この世界自体、人と人の間の仕切りを薄くさせるのかも知れない。
「ぜったいに、帰る。帰れるわ」
光を探さなければ。
落ちてきたとき、入り口は遠くても光って見えた。
あれが世界の欠損だというならば、またどこかに開口していてもおかしくない。
シェリはイオの手を握りながら、グラグラする頭を動かした。
時間の経過なんて、さっぱりわからない。
ただ、生きている。死んでいない。
ならば、自分には、まだできることがある。
「イオ、力を、使って」
「聖女のですか?」
「ええ、きっとあれは目印になる」
この空間と聖女の力は相性が悪い。反発するような力のはずだ。
直感。それと今シェリとイオが動けていること。何より、シェリよりもイオに影響が少ないことから、そう考えた。
聖女の力によって守られているから意識を保っていられるのだろう。
これが、普通の人間だったらすでに活動できなくなっている。
「わかりました」
シェリの力は使うことができない。
元となる種はすでに落としてしまっていた。何より、意識を保つのに精一杯の状態では、発現はわずかなものだろう。
イオならば、シェリと違い、ある程度この空間でも自由に動ける彼女ならば、問題なく聖女の力を使うことができる。
脳裏を過ぎったのは、魔物を一瞬にして消し去ったあの力。あの光。
「できる、わ」
万感の願いを込めて、伝える。
イオはこくりと頷いてくれた。
胸の前で腕を組む。
シェリの手も一緒に引き寄せられた。
イオにあわせるようにして、シェリも瞳を閉じて、祈る。
瞼越しでもわかる強い光が発せられてーーシェリたちは急激に外へと滑り落ちた。
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