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23討伐

 

 朝霧が出ていた。

 いつもならば対岸の山々まで見える場所が、湖の途中で白いモヤに包まれる。

 岸はもう少し霧が薄いが、数十メートルもすれば白一色。

 

「うまく働いてくれればいいのだけれど……」


 シェリの吐息も白くなり、霧へと混ざっていく。

 走って逃げるにはだいぶ不利な天候。

 片側に湖が広がり、反対側は高さのある岩場になっている。

 森でない分、いきなり襲われることはない、はず。

 魔物の襲撃は予測できない。何もない場所から現れたなんて話もあるのだ。


「まぁ、やるしかないのよね」


 足元を確認するようにブーツの先で地面を擦った。

 砂が覆っているがめり込むほど柔らかくもない。完全な砂浜よりはいくらか走りやすそうだった。

 視線を白いモヤの先に向ける。

 薄っすらとイオと騎士たちの姿が見えた。


(不安そうな顔をしちゃダメって言ったのにね)


 両手を胸の前で組んでいるイオの顔は、わかりやすく眉毛が下がっていた。

 彼女たちが待機しているのは岸壁が切れる場所。森の中にも騎士たちが待機していて、魔物を囲む形になっている。

 イオの場所まで引き寄せられれば問題はない。

 彼女の癒やしの力は魔物に特攻する。癒やしの力を発揮するだけで魔物が消滅したという話があるほどだ。


「さて、お出ましかしら」


 魔物が定期的にこの水場に現れることは、騎士団の調査でわかっていた。

 魔物が水を飲む必要があるのか。なんのために定期的な行動をするのか。

 分からないが、習性は利用するに限る。

 ザッザッザッと馬の蹄が砂を掻く音が響く。重量感を感じる音と、背中が泡立つ気配。

 シェリは息をひそめて、後ろを静かに振り返る。


(転ばずに走り抜けるだけ)


 難しいことではないと言い聞かせる。

 昨日蒔いた種は発すでに芽させており、砂地から小さな目を出していた。これで自由に伸ばすことができる。

 足元の石を拾う。振りかぶって、魔物に投げた。

 コツン。

 音としてはとても小さいもの。それでも、効果はバツグンだ。


「来なさい……!」


 グルンと魔物の首が生き物としてありえない速度で、シェリの方を向く。

 焦点のない赤い瞳とかちあった。嫌悪感が込み上がる。

 タイミングを見計らいつつ足を一歩後ろに下げる。

 相手の鼻息が荒くなりーー来た。


「芽生えよ!」


 足元の蔦を伸ばす。

 飛び出そうとした魔物の足に絡みついた。

 効果を確認するまでもなく、シェリは目標地点に向かって走る。

 足止めは足止めでしかなく、すぐさま蹄が地面を叩く音が後ろを着いてくる。

 どんどん近くなる音と気配。

 振り返れば遅くなる。

 振り返りたい気持ちを抑えて、通り過ぎた植物を成長させる。


(お願い、あの魔物の足止めをして!)


 息が切れる。

 外套は足にまとわりつく。砂粒が跳ねて痛い。

 にわかにイオたちの側も騒がしくなる。

 魔物討伐でシェリは常に走っている。

 

 ーー自分にできることをするだけ。

 

 セボのように呪具が使えるわけでもない。

 クロンのように毒や薬に詳しいわけでもない。

 ジャンヌのように天才的な剣が使えるわけでもない。

 シェリにできるのは精々、彼女たちの尻拭いをすることだけだ。

 

(おかしい……半分くらいしか反応しない?)


 調子が悪いなんて言ってられない。だが、こんなことは初めてだった。

 どんどん、イオたちの姿が近くなる。

 不思議なことにイオの姿だけはっきりと見える気がした。

 胸の前で腕を組み、いつかにシェリが見惚れた美しい姿で祈りを捧げている。

 違うのはその表情が険しいことくらいだ。

 眉間にシワが寄り、口元にも力が入っている。


(淑女がそんな顔しちゃダメでしょ)


 辛さをごまかすために出ただけだったのかもしれない。

 それでもシェリは笑みを漏らすことができた。

 転ぶ、転ばないのギリギリを走り抜ける。体力の限界が近づいている。

 足が震えて力が入らなくなってきていた。

 もう少し、もう少し。

 自分に言い聞かせるように距離を伸ばす。


「っ」

「ブルルッ」


 魔物の嘶きが聞こえたと思ったら、背中から衝撃が走った。

 すぐ隣をシェリの胴体ほどもある太い足が通り抜けていく。

 地面が爆発した。

 衝撃に足元が浮く。空中に踏み込んだ足は、感覚の違いに空回りしてしまいーー転ぶと思った。


「シェリさま!」


 すべてがゆっくり動いていた。

 少しずつ近づく地面。とうとう振り向いてしまった背後には、魔物の黒くて大きな馬体が見えた。

 体を捻る。あんなのに、踏まれてはたまらない。

 砂地が体を滑っていく。

 いくら丈夫な外套とはいえ、中で擦り傷くらいできているかもしれない。

 片足が脇腹を掠めた。衝撃に体が跳ねる。

 もう一方の蹄が迫るのが見えた。


「め、ばえよ……」


 最後の力を振り絞り種を発芽させる。

 量はやはり予想の半分程度。

 それでも無いよりはマシだろう。

 緑が蹄との間に満たされたが、容赦なく進んでくる。

 ここまでか。近づいてくる死の気配をシェリはじっと見つめた。


「ダメ!」


 ぱぁっと朝日が登ったかのような光が走った。

 それはもはや質量を持って、魔物を消し去っていく。

 聖属性の力。

 魔物にとっては天敵である力。

 それは死の気配さえ拭い去っていく。


「シェリさま、大丈夫ですか?」

「……ええ、ありがとう」


 気づいたら、イオが覗き込んでいた。

 脇腹が温かい。

 イオが癒やしの力を使ってくれていた。

 先程まで魔物がいたはずの場所を見る。すでに何もない。

 朝霧も晴れていた。


(これが聖女の力)


 もっとも尊いとされる聖属性の力。

 それを目の当たりにして、シェリはとても苦いものを飲み込んだように胸の奥が重くなった。


ここまで読んでくださり、ありがとうございます。

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