13敵に塩を送る
月の明るい夜だった。
わずかな月明かりが差し込み、部屋に一筋の道を作る。
作戦決行には持って来いだ。
「イオ、まだ起きてるわよね?」
「……はい」
シェリが呼びかけると、小さな声が返ってきた。消灯時間はとうに過ぎている。
回ってくる寮監の足音に耳を側立てる。
この部屋は端だ。
聖女の部屋は端に位置づけられる。
対面はクロンたち。反対の端はセボたちと寮監だ。
「行ったわね」
「音が遠くなりました」
足音が離れていくのにあわせて、身体を起こす。
部屋の明かりがない中、唯一の光源は窓から差し込む月明かりだけ。
そっと足をつけ、ベットから立ち上がる。
毛足の長い絨毯の感触がくすぐったい。
(予定通りね)
それから慎重に窓際により、カーテンをしっかり閉める。
シェリが締めると同時くらいに、イオが元から机の上に用意していたランプに火をつけた。
ベットに腰掛けるイオの不安そうな表情がゆらゆらと照らされる。
「さぁ、準備するわよ」
シェリは腰に手を当てて胸を張った。
消灯後の活動は禁止されている。だが、起きているとバレなければ問題はない。
扉から遠いベッドと壁の間にランプを置く。手元を見るには十分な明るさだった。
さらに衝立と毛布で区切れば、ぱっと見ではわからない簡易的な作業場の出来上がりだ。
「これなら、バレないわよ」
「わざわざランプを使ってまでやるんですか?」
気合十分のシェリに対して、イオは少々引いている。
ランプは確かに高級品だ。
油も使うし、匂いがないものになると庶民の間ではほぼ使われない。
(持ってきておいて良かったわ)
手元のランプを見る。
シェリがリゼットから譲り受けたもの。姉が使ってるのを見て欲しくなってしまったのだ。
そのとき、リゼットは文句一つ言わず、譲ってくれた。
思い出の品には違いない。
あるものは必要なときに使ってこそ物には価値が出る。
刺繍の練習をするならば、手元は見えなければならない。そして、今、一番惜しいのは時間。ランプをケチっている場合ではない。
「刺繍はやればやるほど上手くなるのよ。貴族令嬢の嗜みだし、彼女たちを聖女以外の力で黙らせるには打ってつけじゃない」
他の方法もあった。
一番簡単なのは権力を使う方法。
なんといっても、イオは聖女である。
教会からだって、王家からだって圧力はかけられる。
(でも、それじゃ、あまりにも芸がないわ)
遺恨も残るし、何よりシェリが気に食わない。やはり、イオを平民とバカにしたのだから、貴族の部分で見返してやりたい。
そうなると、刺繍はうってつけだった。
シェリは出してきた布を確かめるように触る。
練習用の布地に、刺繍枠。糸だって豊富にある。元々好きで集めていた物だ。
こんな風に役に立つとは思っていなかったのだけれど。
「……シェリさまもするんですか」
「ええ、刺繍は得意な方なの。任せて」
もはや、イオだけの話ではない。
ニッコリ笑う。単純にシェリ自身もムカついていた。
ベットの上に隣同士で座り、ランプが照らす手元に集中する。
「平民でも刺繍はするでしょ?」
おぼつかない手付きのイオに布の留め方から教える。
最初は簡単な、目が粗いものを選んだ。
布の引き方1つで刺繍の美しさは変わってしまう。
力加減ができるまで、練習あるのみだ。
「しますが、余裕がある人だけですね。できれば手に職がつくので、仕事も見つけやすいですが」
苦笑するイオの言葉を証明するように、布地と針先の一致に苦労していた。
シェリも隣で同じ模様を刺しているが、進み具合はシェリの半分というところ。
ゆっくりでいいと伝えながら、たまに運針が分からなくなるイオを手伝う。
「なるほど。見たことはあるけど、そこまでしっかりするわけではないのね?」
「必須とされるのは裁縫の腕くらいですね。刺繍はお金も時間もかかりますから」
刺繍は貴族の嗜みとされている。
その理由はまさしくイオが口にしたものだった。
刺繍糸は普通の裁縫で使う糸と比べ細く、何本か撚り合わせて使う。
色だって細かい刺繍をしようとすればするほど欲しくなるし、それらを上手に組み合わせるにはセンスがいる。
つまり日常生活て使うには向かない。
「確かにそうよね」
刺繍が施されるのは、ドレスやハンカチなどパーティに使用するものだ。
平民が日常で着る平服に刺繍がほどこされることはほとんどない。
彼らに必要なのは頑丈で、自分たちで直せるものなのだ。
「刺繍、好きなんですね」
コツやモチーフについて説明していたら、イオがシェリの顔をじっと見ていた。
あまりに真っ直ぐな視線に話しすぎたかと気づく。
少しだけ頬が熱かった。
「……わかる?」
「わかりますよ。すごく楽しそうな顔をしてますから」
「聖女にはいらないんだけどね」
イオがこくりと頷くのを見てシェリは苦笑した。
貴族として、聖女として、様々なものを身につけた。
そんな中で唯一嫌いじゃなかったのが、刺繍だ。
「シェリさまが教えてくれるんだから、頑張ります」
「私が教えるんだから、下手な物の提出は許さないからね」
「はい!」
元気よく頷くイオにシェリは内心苦笑した。
(放っておいても良かったのにね)
セボに言ったら「甘いなぁ」と言われてしまう。
本人にその気がなくても、イオはシェリの明確な対抗馬だ。
敵に塩を送る。
この場合、敵に刺繍を教えているわけだ。
(こればかりは性分なのよね)
だけれど、放っておくことなどできやしなかった。それが損に繋がるとしても、シェリにはできないことだったのだ。
こうして課題までにイオの刺繍の腕をあげる特訓が始まった。
課題提出まで約一ヶ月。
無駄にできる時間はない。提出するだけならば、モチーフを刺繍すれば良いだけだから、消灯後時間前の余暇だけで足りる。
しかし、シェリが目指したのは目を見張る立派なもの。
そのためには、ひたすら慣れる必要があった。
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