10 王子との邂逅
雨が降っていた。カーテンのように小さな雨粒が降り注ぎ、遠くにある風景をかすませる。
太陽を遮る力は弱いから部屋の中にはある程度の光が注ぎ込まれていた。
雨の音がする。
意識が戻ってきたシェリの耳に、最初に聞こえたのは、雨が地面を叩く音だった。
「あめ……?」
ベッドの上で体を起こす。
かけていた手触りの良い毛布が滑り落ちていった。
まだあやふやな頭のまま隣を見れば、もはやもぬけの殻になったベッドがある。
「あいかわらず……早いわね」
世界との接続が上手くいっていない頭で、持ち主不在のベッドを見つめる。
つい、この間まで空だった場所に、誰かの存在があるとは不思議なもので、何とも言えない感情をもたらす。
イオと一緒に過ごし始めて一週間が経とうとしていた。
(普通の子だわ)
わかったことは、あまりない。
イオが朝一番にすることは、聖堂で祈ること。
いかにも、教会の手伝いをしていた子らしい。今も、聖堂に行ったのだろう。
(今まで、起きて一度もいなかったわね)
習慣とはすごい。
カーテンを開けておいてくれるのは助かっていた。
目を覚ました瞬間に外の景色がみえるのは、存外気持ちよいことだとシェリは知った。
ベッドから抜け出し、窓から外を眺める。
「雨ね」
音でわかっていたとはいえ、やはり外は雨に包まれていた。
恵みの雨。植物たちはしばらく喜びに包まれるだろう。
どうしようか、考える。
イオのおかげでスッキリと目を覚ませた。
ちらりと時計を見る。
朝の日課までは時間がある。
部屋で無意味に時間を潰すのも勿体ない気がした。
「できるものね」
部屋の中に戻り、着替え始める。
この生活が始まるまで他人と同じ部屋で過ごすことができると思っていなかった。
侯爵家として大勢の使用人たちに囲まれてはいたけれど、基本的に部屋では一人で過ごしていた。用事があるときだけ、誰かが入ってくる。
家族と一緒に過ごすということは、ほぼなくい。
貴族とはそういうものかと勝手に納得していたのだ。
「人と一緒も悪くないわね」
シェリの中の遠い記憶。リゼットがいてくれた頃は誰かと一緒の部屋で寝ることもあった。
その甘やかで懐かしい記憶が刺激される。
イオは逆に大勢と一緒にいることになれているようだ。
教会の手伝いをしていたということだが、きっと孤児の一人なのだろう。
あそこでは大勢の子供が一緒に寝る。生活も同じだ。
だから、人に気を遣わず、気取らせず、自然に行動できる。
「行ってみようかしら」
悪戯心が顔を出した。
祈りを生活の習慣にしている人間は、貴族でも多い。
シェリもそのうちの一人だ。
朝の聖堂にひょっこり顔を出してもおかしくない。
思考を切り替えるために頭を振る。それから少しだけ体を伸ばした。
イオの驚く顔が楽しみだった。
――ギギギ
静かに教会の扉を開ける。木が軋む音がした。
静謐な空間にちょっとした音さえ響いてしまう。
目的の人は一番前の席で祈りを捧げていた。
歩くことさえ憚られて、そのまま扉に背を預ける。
(姉さまも、よく祈っていたわね)
思い出すのはリゼットの後ろ姿。
家に教会はなかったものの、姉はよく祈っていた。
それは、部屋だったり、寝る前だったり、シェリが起きたときだったりしたけれど。
子供ながらに神聖な雰囲気を感じたものだ。
(祈る気が起きない私はやっぱり、聖女失格かもしれないわね)
綺麗だなと思う。
見習うべきだとも思う。
それでも、リゼットを奪っていった教会に、神にシェリは祈る気がしないのだ。
「シェリさま!?」
「ごめんなさい。勝手に眺めていて」
祈りの時間が終わり、イオが振り向く。
肩を預けるようにしていた体を戻した。
一瞬の間があって、すぐにイオが駆け寄ってくる。
驚いた顔が印象的だ。
「いえ、それはいいんですが……お待たせしましたか?」
「特に待ってないわよ」
「え、お祈りに来たんじゃ?」
「ああ、それは……もう済ませたわ」
目を丸くするイオにシェリは眉を下げた。
なんと説明すればよいのか。
純粋な目で見てくるイオに、元から祈る気はないなんて言えやしない。
結局、言葉を濁すしかなかった。
(キレイだった)
なんて、言えるわけもない。
今更な不思議な感慨が湧いてくる。
シェリは穏やかな気持ちで、朝の時間を終えることができた。
※
ゆっくりと寮への道を帰る。
やっと動き始めた朝の空気に、人影はまばらだ。
「寮には慣れた?」
「はい。部屋と食堂くらいですけど……」
イオはシェリの質問に苦笑していた。
寮の説明は寮監が行う。
女子寮の管理人は、厳しいことで有名で、説明に漏れはないが、量も多い。
何となく、その表情の意味は予測できた。
「一気に詰め込まれすぎたかしら?」
「……はい」
逡巡して、それから頷く。
恥ずかしそうに唇が結ばれていた。寮のルールは煩雑な物が多い。
消灯時間に門限。食堂の使用について、手紙や物のやり取り。
貴族の子弟ばかりだからか、細かい決まりも多いのだ。
「そのうち、慣れるわ。私も最初の頃は大変だったし」
「シェリさまもですか?」
「ここの寮監は、階級で甘くなったりしないからね」
結い上げられた髪の毛に眼鏡。
マナーの講師も兼ねている彼女は誰にでも平等にきびしい。
「そうなんですね」
「そうよ、王子様でも同じなんだから」
肩をすくめて、おどけて見せる。
女子寮を訪ねてきた殿下に対する話は語り草だった。
手続きを省こうとした殿下が門前払いになったのだ。
「シェリノールではないか」
「ヴィンセント殿下」
噂をすれば影。
まさしく、今話していた人物だった。
語らなくても共有できる空気が、たしかにここには存在した。それを大切にしたかったのだ。
その空間によそ者が入ってくる。感覚としては、そんな感じだ。
もっとも、それが不敬になる事自体はよく知っているので、口に出したりはしない。
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