アリス、握手する。
翌日。
トウ・ロヴァリス学院の廊下を女子生徒二人が談笑しながら歩いている。二人は日陰になるよう設計された区域を慣れた様子で進んでいた。談笑に夢中になっていた二人は、角から曲がってきたルカに気づかないまま歩を進め、軽く衝突する。一人の女子生徒が反射的に口を開いた。
「あ、ごめんなさ」
しかしぶつかったのがルカだとわかると、露骨に顔をしかめる。
「邪魔なのよ。三等吸血鬼が」
女子生徒の暴言を聞き流し、ルカは何事もなかったかのように歩いていった。ルカの口からあくびがもれる。生理的な涙をぬぐうと、反対側から歩いてくるアリスの姿がルカの目に映った。アリスはルカに気づくとパッと表情が明るくなる。パタパタとルカの元へかけてきた。
「ごきげんよう! また会えたわね」
「ああ、アリス嬢」
「アリスでいいわ」
アリスはにっこり笑う。ルカはその笑みから逃れるように目をそらした。
「アリス。朝から元気だな。入学式は明日だろ?」
「新入生代表スピーチの打ち合わせとか、特待生としての待遇確認とか、いろいろね」
指折数えてみせるアリスにルカは頷く。
「なるほど」
「昨日は名前を聞き忘れちゃったから。すぐ会えてよかったわ」
柔らかな微笑みのまま、アリスは手を差し出した。
「改めてよろしくね。私はアリス。あなたは?」
ルカはほとんど力を入れずにアリスの手を握る。
「ルカ・テイラー。よろしく」
アリスは目をぱちぱちさせ、ルカの顔と手を交互に見つめた。
「アリス?」
「あなたの手、すごく冷たいわ。大丈夫? どこか具合でも悪いの?」
心配そうなアリスの言葉にルカは怪訝な顔を返す。
「吸血鬼だからな。君たちに比べたらそりゃ冷たいさ」
アリスは目を見開いた。
「あなた吸血鬼なの?」
「なんだよ。気づいてなかったのか」
アリスに顔を寄せると、ルカは口を大きく開き、牙を見せる。
「わあ、本当に牙があるのね!」
「そりゃあ、まあ」
アリスが今度はルカの目をのぞき込む。
「本当だ。よく見ると瞳もほんの少し赤いわ。すごい。本で読んだ通りね」
ルカは視線をさまよわせる。アリスの青い瞳に射られるような心地がしたのだ。
「本で読んだって……まさか今まで会ったことないのか? 吸血鬼に?」
「ええ。あなたが初めてよ」
耐え切れなくなったルカはついにそっぽを向く。
「まあ、吸血鬼の居住はロヴァリスに集中してるし……そんなもんなのかもな」
「もっとはっきり違うのかと思ってたわ。人間とほとんど変わらないのね」
ルカは壁を見たまま苦い顔をした。
「あーまあ、その通りなんだが。吸血鬼の前では今みたいなこと言わない方がいいぜ」
「どうして?」
ルカの視線は首を傾げたアリスに一瞬向いたものの、すぐにまた何もない宙へ戻る。
「基本的に人間に対して上位者ぶってんだよ。吸血鬼なんてのは」
アリスはキョトンとした。
「人間と吸血鬼の関係は共存共栄でしょ? 100年前からそうじゃない」
ルカは困り顔で頭をかく。
「本音と建て前って言うか……とにかく実情としてそんな感じなんだよ」
「ふーん」
再びアリスは首を傾げる。
「だけどあなたは嫌な顔しなかったじゃない」
ルカはまゆ尻を下げて薄く笑った。
「俺はレアケースだよ」
アリスは腕を組んで考え込む。
「でも私わからないわよ。牙だって普段見えないし」
「それなら簡単。襟元にバッジ付けてんのが吸血鬼だよ」
間髪入れず答えると、ルカは襟元の黒い星のバッジを見せる。アリスはそれをしげしげと眺めた。
「へえ。私服でも付けてるの?」
「基本的にな」
「ふーん」
二人の後ろから教員の声がアリスを呼んだ。
「ごめんなさい。じゃあまた」
「おう。また」
微笑みあい、ルカとアリスは反対方向へと歩いていく。
その様子を校舎の影から見ている者が、二人いた。そのうち一人はトンプソン寮母である。彼女は覆面男に爆発物をつけられ、彼を手引きした。しかし良心の呵責に耐えられず彼女は教員室に駆け込んだ。すぐに教員たちが旧礼法棟に向かい、アリスは無事保護。彼女の行動はもちろん問題視されたが、命の危機があったこと(結果的に爆発物は偽物だったが)、アリスが処罰を望まなかったことから不問とされている。自分を売ったにもかかわらず、アリスが彼女にかけた心配の言葉に、トンプソン寮母は神を見る。そして彼女は誓った。もう二度と生徒を裏切らないこと、そしてアリスが危機に陥ったときは、必ず助けになることを。健やかに笑うアリスを見て、彼女は一人涙した。その優しい視線に気づくものはおらず、アリスはただ笑っている。トンプソン寮母はそっと校舎を後にした。
もう一人、悪意の視線をアリスに向けるものがいることもまた、誰にも知られることはなかった。