1 とある伯爵夫人
いつも通りの一日のはずだった。夕暮れ、いつも通り夫である伯爵を出迎えるためエントランスに向かう。
夫であるエリウスは直ぐに私を見つけ、ふわりと微笑んだ。それに私も笑みを返そうとし、ふとそこで体が固まってしまった。
エントランスには、エリウスの他に執事と従僕、侍女長といつもの者達。しかし、今日はそこに一人だけ別の人物が並び立っていた。
エリウスの隣に佇むのは、どう見ても7歳かそこらの歳の少女。しかも、エリウスと同じ金髪と紫の瞳を持つ美少女が、不安げに私を見上げている。
「……おかえりなさいませ、旦那様。ところでその少女はどちらさまで?」
顔が強張り声が震える。まさか結婚六年目にして、夫の浮気を知るとは思わなかった。相思相愛だと信じていたのに。
なんとか気持ちを奮い立たせ、足が震えるのを耐えていると、エリウスは眉尻を下げ、なんとも情けない顔で私を見返しているのに気がついた。それから顔を背け、彼の胸元を見つめる。
「マリア、これには深いわけがあるんだ。とりあえず、リビングで待っていてくれないか?」
「いま、ここでご説明願いたい所ですが……」
「込み入った事情があるんだ。ここで気軽に話せる内容ではなくてね」
「わかりました。この子は……いえ、それよりも食事が先ね。カリード、この子に軽めの食事をお願い。それからカイエ、着替えもいくつか見繕っておいてくれる?」
「かしこまりました」
執事のカリードと侍女長のカイエに少女のことを頼み、エリウスを見ずに私はエントランスを後にした。
ああ、昨日まで輝いて見えた屋敷が色あせて見える。
由緒ある伯爵家の名に恥じない、調度品に囲まれたリビングで待つこと少し。
軽装に着替えたエリウスが来たのを確認し、彼が座るであろう対面の一人掛けソファーを見つめていると、いつの間にかエリウスが隣に座っていた。どうやら彼一人で、人払いをしたみたい。
まさか隣に座るとは思わず、小さく驚きの声を上げている私に、エリウスのしなやかな指が髪を梳き始めてしまい、さらに戸惑う。
これはまるでいつも通りで、どうしていいのかわからない。
「あ、あの、あの少女の説明をしていただけますか?」
「ん? もう少しこのままでいいだろう」
「よくありません。もう分かっているのですから、誤魔化さないでください!」
そして髪に顔を埋めないでほしい。
彼は婚約時代からこうやって私を甘やかしてくる。それは時に、誤魔化しも含まれていると長い付き合いで知っている私としては、ここで流され誤魔化されるわけにはいかない。
ぐっと唇を噛みしめ、エリウスから少しだけ離れると、彼はなぜか嬉しそうに笑うだけ。さらに距離をあけると、さらに笑みを深めてしまった。
「なんでそんなに嬉しそうなんですか」
「本当に嬉しいからだよ。マリアはあまり独占欲を表に出してくれないから。
おっと! これ以上は君の機嫌を損なうのは私の本意でもないから、その手をおろしてくれないか?」
「では、あの少女の話をお願いします」
まだ髪を触ろうとする手を叩き落とすため腕を上げると、笑顔でさらりと手を放した。
あ、少しだけ寂しい。いやここで誤魔化されるな。そんな葛藤をよそに、エリウスはにこやかに侍女が置いて行った紅茶を飲んでいる。
それにしても、その仕草ひとつ見ても様になる人。
容姿は誰が見ても端正で、魔法騎士団に所属しているため、綺麗な顔に反して体つきががっしりとしているのを私は知っている。夫婦なのだし、子供もいるのだからあたり前だ。
金髪はこの国では多いけれど、紫の眼はとても珍しく、その目で見つめられるとトキメキが止まらなくなる。でもそのトキメキも、あの少女もまた同じ色の目を持っていたと思い出すと、急に萎んでいってしまう。
私はというと、黒髪はそれほ多くはないものの少なくもなく、緑の眼もまたどこにでもある色。
顔立ちも家族は可愛らしいと言ってくれるものの、それは欲目であると知っている。結局平凡な容姿で、エリウスの隣に立つと霞んで見えると言われてしまう程度の容姿なのだ。
婚約中はよく、幼馴染だから親愛だけで成り立つのだとか、不美人でエリウスが可哀想だとか陰口を言われていたりもした。
そういえば、その時も落ち込んでいたり、他の令嬢と一緒に居るのを見て嫉妬していると、こうして笑いながら抱きしめてくることがあった。
なぜ私が落ち込んでいたりすると嬉しそうな顔をするのと聞くと、愛されている証拠だからだと甘い顔で即答された時には、心臓が爆発するかと思ってしまった。その時、この婚約は政略的ではない恋愛婚約なのだと知って、ますます好きになった出来事だった。
「さてあの少女の事だけど、マリアの想像とはかなり違うからそこは勘違いしないように」
「でもあの子の髪や目の色はあなたと同じでした」
「それは偶然だから。髪は父親から、目は母親から受け継いだ色だと本人が話してくれたし、不安なら後で彼女から聞くといい。
とにかく、あの子は私の子ではないからそこは勘違いのないように」
「……わかりました」
納得してはいないけれども、これ以上話を引き延ばしてもいいことはないと気持ちを切り替え頷いた。
「あの子は擁護院の子で、今年7歳になるそうだ。両親は三年前に相次いで亡くなっているんだが……。
マリアも覚えているだろう? 半年前に西区画で小規模の爆発があっただろう。あの爆発の原因が彼女なんだ。どうやらあの子には光属性の力がある上に、魔力量もかなり多いらしく、小さな体に魔力量が耐えきれなくなってしまったらしい」
「それは……」
魔力はこの世界の根幹であり、誰もが持つ力だ。魔力は生まれた時からあるけれど、乳幼児に魔力制御は出来ないので、生まれた直後に魔力封じの術が刻まれる。
そして体が成長し、魔力を制御できる年齢――平均7、8歳程度――になると術が自然的に解除され、そこで初めて魔法が使えるようになっている。
あの少女も成長と共に自然と魔力封じが解除されたが、器以上に内に秘めた力が強大だったのか力が暴走し爆発してしまったらしい。
ただ普通なら器と力は均衡が保たれているので、魔力量と体の成長は比例しているので、彼女の魔力量ならば十代半ばでなければ解かれなかったはずの封印だったが、膨大な力にかき消され予定より早く解除されたという見方がなされたそう。
そして彼女の身柄だが、爆発した場所が擁護院だったことから、聖クラリアス教会が担当するはずだった。
しかし、二年前の不祥事――孤児に職業斡旋の名目で人身売買をしていた――で、まだ教会内が落ち着かないことや、珍しい光属性であり膨大な魔力量を鑑み、王命で件の少女を魔法に精通している我が伯爵家で保護するよう言われたそうだ。
確かに、伯爵家は魔法騎士家系なので魔法に精通しているし、私自身も魔法師を多く輩出している家系の出なので、不測の事態に陥った時に素早く対応できるとは思われるが、なにも我が伯爵家でなくてもいいのではないかという思いもある。
それが顔にも出てしまったのか、エリウスは「仕方ないさ」と前置きし、少しの諦めと共に言う。
「教会はあの醜聞だ。魔法学の権威であるガーナ子爵家は、代替わりしてまだ日が浅いし、万が一あの少女のことが外に漏れたりした時、子爵家だけでは守り切れないだろう。
それにあの子は、もしかしたら聖女候補になるかもしれないから、後ろ盾は高位貴族の方が何かといい」
「聖女候補……。あの子がですか? 確か聖女はもう確定しているはずでは?」
「いやまだ候補の段階なんだ。筆頭候補が侯爵家だから、そう思われているんだろう。
その侯爵家の令嬢でさえ、魔力量は通常より少し多い程度という話だから、あの子は本当に聖女候補あるいは聖女になるかもしれない」
「まぁ……!」
聖クラリアス神の花嫁として教会に所属し、国の平和と安寧を護る役割を聖女は担う。条件は聖クラリアス神の力でもある光属性の女性であること。
光の属性魔法を操り、国中に聖クラリアス神の加護を行き届かせるのが主な役割で、その間聖女は一心に国のために力を使う。ただし、一生を神に捧げるのではなく、次代の聖女候補が現れれば、役割は次代へと引き継がれていくという。
今代聖女であられる方は男爵家出身で二十代半ば、十代前半に聖女になったので十年と少しの間この責務を全うしている。私たちが平穏に過ごせているのも、そんな歴代聖女の方々のおかげなのだ。
ただ今回は聖女を護るべき教会が醜聞のため機能していないので、三年前から聖女の身柄は王家預かりとなっていたはず。つまり、今回の聖女も決まれば王家預かりとなるため、候補になり得るあの少女は一層重要度が増し、結果王命で我が伯爵家に預けられたという次第なのだそう。
「それでは、これから伯爵家はあの子の後見となるのね」
「ああ」
「身分はどうなるのです?後見だけ?」
「これも王命で養女にするようにとのことだ。平民の聖女では民衆の心は掴めるが、貴族までは掴めないだろうとね」
「つまり王家は現候補よりあの子を聖女として見ている、と」
「そうは言われていないが、私はそう見ている」
平民出身の少女が伯爵家の養女となり、国の安寧を護る。何とも民衆受けのするシナリオだこと。
平民出身なので当然国民受けはいいし、当伯爵家は古くから続いているものの政治には関与していない、どちらかと言えば武に長けているのでこれからも口出しすることもない。
それでいて魔法に精通しているので、保護の名のもと、魔力制御と監視護衛も兼ねていて一石二鳥。王家も考えたものだ。
「王命では仕方ありありませんね、では保護及び養女の件は了承しました。
ですがこちらにとって良いことはあるのでしょうか? 聖女候補が聖女となれば権力を得られるとは思いますが……」
「そう権力が得られるが、伯爵家がこれ以上力を得ることは均衡を崩す可能性がある。
だから彼女のことを引き受ける条件に、君の言っていた案件を通すことにした。かわりに聖女候補を保護することで得る権力は放棄するとね」
「まあ! では擁護院に魔法師が常駐できるのね」
「ああ、今は教会の力も弱まっていから反対勢力もあまり口出ししにくい。それに王家も求心力を欲しているから食いついてきたよ」
「これで職にあぶれる魔法師が少なくなるし、擁護院でも差別的な暴力もなくなるわ。せっかく魔法師になったのに、やることなくてだらけてる人が多いのだもの」
「それに加え、各連絡で通信魔法具も発展するしね。これが君の一番の狙いだろう?
擁護院は各地にあるのに、護るすべは各領地の者に任されている。しかし擁護院は教会の所属だから、仮に領主であろうとも深入りは出来ない」
「ええ、だから三年前のような事件が起こるの。
擁護院に監視の目を置けば、領主による無益な搾取も、教会にいいように扱われることもないわ。
それに魔法師は王宮所属、当然管轄は王家なのだから定期連絡は必要。つまり、今まで必要最低限で済まされていたことも出来なくなる。そしてそのために、通信用の魔法具が必要になる」
「通信魔法具はかなり貴重だからね。これで改良され普及すれば、国民にとっても便利になる」
「それだけじゃないわ。我が国は他国に比べ魔法が発展しているのに、魔法具はまだ他国にも足元が及ばない。だからこの機会に、魔法具を発達させ国力に繋げたいの」
生活に必要な照明器具などはある程度あるけれども、それ以外の物はあまり発達していない。国民全員が魔法を使えるので、そこまで必要性を感じていないから。
それに比べ、他国は魔法が使えるの人間が少なく、その代り、魔法具が発展し今では軍事兵器にまで魔法具が使われているという。
「もう8年しかないもの……」
私の知る未来はもうそこまで来てしまっている。
だから少しでも国力を高め、他国に対抗できる力をつけなければいけない。
きっとこのことを知っているのは、私を除けばエリウスのみ。秘密を抱えたままで結婚したくないと、打ち明けた私の最大の秘密。
乙女ゲーム開始まであと8年。