18.
「あら、何かしら?」
王女がそちらを見、全員が見る。
すぐにその場にいた王女を除く全員が立ち上がり、礼をした。
「ああ、驚かせてすまない。楽にしてくれ」
現れたのは、王太子と兄である。
「レイお兄様、女の花園にぶしつけですわよ」
王女が咎めるように口出しすれば、王太子は苦笑して肩を竦めてみせた。
「すまない、時間ができたものだから。挨拶しておいた方がいいかと思ってね」
「レイノルド殿下、ご機嫌うるわしく」
ディアナが代表して挨拶を口にすれば、鷹揚に頷いた。
「どうぞ座って。すぐにお暇するからね。今日はイーディスの友人が招かれていると聞いたから。…サラ嬢は上位の貴族令嬢との茶会は初めてだよね」
声をかけられ、サラは静かに頭を下げる。
「はい、殿下。とても素敵な時間を過ごさせて頂いております」
「それは良かった。君が帰る時には、クリスを解放しよう。共に帰るといいよ」
「お心遣い、感謝致します」
「レイお兄様こそ、クリスを連れ回して。クリスも、嫌なら嫌と言っていいのよ」
「はい。ありがとうございます」
にこりと笑む兄の脇腹を小突きながら、王太子がため息をついた。
「喜んでついて来たくせに。さぁ、剣の稽古の続きをしようか」
「…元気有り余ってますね…」
今度は兄がため息をついた。
「ではご令嬢方、邪魔したね。どうぞゆっくり過ごして欲しい」
「ありがとう存じます」
滞在時間はわずか数分。
何をしに来たんだろう、とサラは思ったが、ご令嬢方は喜んでいるようだった。
「サラ様のお兄様、とても素敵ですわ!いつ見てもかっこいいわ!」
「…ディアナ様?」
喜んだのは兄の存在なのか。
きょとんと見つめれば、頬を染めながらディアナは満面の笑顔になった。
「ふふ、実は三年間、同じクラスですの。もちろん王太子殿下もなのですが」
「そうなのですね」
「ディアナはね、クリスに好意を寄せているの」
「えっ…!あ、その、失礼致しました」
王女の耳打ちに、サラは動揺する。
「いやですわイーディス殿下。そんなにすぐに話してしまうなんて。サラ様のお兄様は、ずっと王太子殿下の側近としておそばにいらっしゃるでしょう?…実はわたくし、王太子殿下の婚約者候補として、殿下の参加される茶会等に定期的に参加しているのですが」
「そうなのですか」
「残念ながら、殿下に特別な感情を抱くことはございませんでしたの。殿下の婚約者になりたい、と積極的にアプローチする令嬢達の中にあって、冷めた目で見てしまって」
「それが学園に入学して、クリスに一目惚れしたそうよ」
秘密を打ち明けるように囁く王女は、楽しそうな笑顔である。
「えっ一目惚れ…ですか…!?」
公爵令嬢が?と、思うのは失礼だろうか。
上位貴族の美形子息がいくらでも側にいたであろうに、我が兄を。
驚くサラに、ディアナの頬は真っ赤になっていた。
「サラ様のお兄様は、その辺のなよなよした子息とは違って、野性的で身体つきもしっかりされていて、お顔も文句なく美形だし、何よりもあの切れ長の瞳で見つめられるともう…」
扇を握りしめて身悶える公爵令嬢の姿は貴重であった。
「クリスは令嬢にすごく人気なのよ。レイお兄様の次くらいに」
「えぇっ…そ、そうなのですか?殿下」
「知らなかったの?サラ」
「ええ…はい…その…人気があるのは知っていましたが、そういう意味で、とは…」
「妹に自分はモテるんだ、なんて言わないわね、普通は。男爵家だけれど、名誉騎士の子息だし、王太子の覚えもめでたく、次代の名誉騎士と目されているんだもの。有望株よ」
「ゆ…有望株…」
「ですけれど、やはり男爵家ということが…」
ディアナの呟きに、エリザベスが反応する。
「ディアナ姉様のお家は公爵家。どれだけ有望でも、やはり身分の壁は厚いですわね…」
「ディアナ、本気なのね」
王女の言葉にディアナは勢い良く顔を上げた。
「殿下…わたくし、クリストファー様に受け入れて頂けるのであれば、公爵家を捨ててもいいと思っておりますの」
「えっ!」
「まぁ…ディアナ姉様…!」
「わたくし、応援致します、ディアナ様…!」
「わたくしも。ディアナ様、頑張って下さいませ…!」
「えぇっ!?」
狼狽えるサラを置いて、場は盛り上がる。
「あ、あの、兄はそのことを…?」
「いいえ、サラ様。全く相手にされておりませんのよ…」
ディアナががっくりと項垂れた。
「兄の外見がお好み、ということはよくわかりました。内面は…ご存じで…?」
「何度かお話をさせて頂いて、優しい方だわ、と」
「…そ、そうですか…」
「クリストファー様は、どのような女性がお好みですの?浮いた話を全く聞きませんが…冒険者仲間に…いらっしゃったり…?」
途端絶望に染まるディアナの顔色を見て、サラは慌てて手を振った。
「いえ、それはないと思います。付き合っている女性も…いないと思いますが…。好みと言えるかはわかりませんが、兄は中身が大事、と申しております」
「中身」
「兄と自然に会話ができて、一緒にいて楽しい、と思えるような女性が好みではないかな、と」
「自然に!」
「一緒にいて楽しい…」
「とても難易度の高い好みでいらっしゃるのね…!」
「兄は王太子殿下の側近であるべく、日頃からとても努力しております。…もしかしたら、恋愛ごとにはまだあまり目が向いていないのかもしれません」
「そう、そうよね。次期王の側近、名誉騎士となれば、並大抵の努力では…サラ様、ありがとう。貴重なご意見、絶対無駄には致しませんわ。わたくしも、もっと努力をしなければならない、ということですわね」
「でぃ、ディアナ様…?」
「恋愛結婚が推奨されるようになった今、わたくし達令嬢も、ただ待つだけではいけないのですわ。努力して、掴み取らなければ!」
ぐっと拳を握りしめる公爵令嬢の姿は、はしたないと責められるべきであるのだろうが、この場に窘めてくれる者は存在しない。
「その意気ですわ!ディアナ姉様!」
「ディアナ様!頑張って下さいませ!」
「え…えぇ…?」
戸惑うサラを見て、王女が笑う。
「ふふっサラが困っているわよ、皆様。でもクリスが人気だということは、よくわかって?」
「は、はい」
「今ここにいる令嬢達は、逆に貴族の子息達に大人気なの。誰と誰がくっつくのか、とっても楽しみだわ」
「殿下…」
「もちろん、サラもよ?」
「えっ私ですか!?」
水を向けられ、狼狽えた。
「学年主席で可愛くて、冒険者としても優秀で、兄は将来有望、とくれば引く手あまたよ」
「…ま、まさかそんな…」
「打算で狙ってくる輩もおりますわ。ご両親は英雄でいらっしゃることですし」
「そ、そうですね…」
「お気をつけ下さいまし。もし、何か不安なことなどございましたら、ご相談下さいましね。わたくし達、いつでもお助け致します」
「もちろん、わたくしもね」
王女のウィンクは、とても愛らしく頼もしい。
「殿下、皆様…ありがとうございます」
終始和やかな雰囲気で、茶会は終了した。
帰りの馬車の中で、兄に上手く行ったかと聞かれて頷いたが、どんな話をしたのかと問われてもサラは笑うだけで答えられなかった。
月に一度の頻度で、茶会に呼ばれるようになるらしい。
王女殿下の次は公爵令嬢ディアナ様のお茶会で、臣下の茶会に殿下は参加しない。
王族が軽々しく貴族家へ行くことは権力のバランスを崩しかねない為、遠慮するのだということだった。
「一人ずつ、順番に誘ってくれると思うわ。気楽に参加してらっしゃいね」
と殿下には言われるが、なかなか気楽には難しい。
だが心遣いはとてもありがたい為、積極的に参加させて頂こうと思うのだった。
「わたくしとの個人的なお茶会もよろしくね。Aランクに上がるまでは落ち着かないと思うから遠慮するわね。頑張って」
「ありがとうございます、殿下」
毎日生徒会で顔を会わせるようになり、生徒会のメンバーとはずいぶん気さくに接することができるようになった。
「ダンジョン攻略は順調かい?」
王太子の問いに、サラは頷いた。
「はい。とはいえ、まだ五十五階までを行ったりきたりしています」
「へぇ。でもそこまで行ったんだ。夏には試験、問題なく受けられそうだね」
「頑張ります、殿下」
「クリスも一緒なんだろう?二人でやっているのかい?」
「実は一人、とても親切なAランクの後衛の方がいて。よく一緒に行動しています」
「…ほう?」
王太子が兄を見る。兄は肩を竦めて、仕方ないと言いたげに口を開いた。
「七十階まで踏破済みの人で、いると安定感が桁違いです。サラはレベル上げに専念できるし、後衛のお手本のような動きができる、強い人ですよ。ちなみに男性」
「…へぇ、そうなんだ」
「男性なの?いくつくらい?美形なのかしら」
王女が興味を示し、侍女が後ろで咳払いをした。
「三十前後くらいだと思います。美形だと思います」
「まぁあ!気になる、気になるわ!冒険者になったら色々な出会いがあるものね!ね?レイお兄様?」
王女が王太子を見れば、王太子は嫌そうな顔をしていた。
ミリアムが、遠慮がちにサラに問う。
「お兄様もご一緒なのですから、大丈夫とは思うのですが…家族以外の男性と共に行動して、不安などございませんの?」
「不安…?」
サラは首を傾げ、兄を見た。
兄は素知らぬ顔を決め込み、王太子は苦虫を噛み潰したような顔をしている。王女は興味津々といった様子で、公爵令息や辺境伯令息は苦笑しているし、侯爵令息は興味のなさそうな顔をしながらもちらちらと視線がこちらを見ている。
「お兄様にも言ったのですが、歳の離れたお兄様がもう一人できたような感じですね。人格者だな、と思います。本当にいい人に出会えた、と、兄と一緒に喜んでいるんです。とても強いですし」
「そうなのですね…不躾なことを聞いてしまいました。申し訳ありません、サラ様」
「そんな、気になさらないで下さい。冒険者にあるのは身分ではなくランクなので…やはり高ランクの方は、きちんとしている方が多い印象ですよ。対人の依頼も多くこなさなければいけませんし、人柄もランクに影響していると思います」
「王太子殿下やバートン様を見ていると、その通りだな、と思います」
「こちらに飛び火したぞ…」
兄の呟きに、王太子が答える。
「私は王太子として常に恥ずかしくないよう行動しているつもりだが?」
「あ、はい、そうですね」
「本当に不敬だよなおまえ…」
生徒会には王族はもちろん、公爵、侯爵、辺境伯と上位の貴族がいるにも関わらず、皆が鷹揚で雰囲気も良い。生徒会は気心知れた間柄、ということなのか、緩やかだった。
サラやミリアムはまだ少し緊張気味だが、優しく受け入れてもらえていると感じている。
己の仕事をこなしながら、合間合間に話をした。
「そういえばサラ嬢。僕が冒険者を始めたけど大変だ、という話をしたと思うんだけど」
ジャンが話しかけてくるので、サラは顔を上げた。
「はい、覚えておりますよ」
「ふふふ、Eランクに上がったんだよ。ジャック君はDランクらしくてね、せっかくだからそこまで上げて、彼と一緒にパーティーを組んでみようかと思ってるんだ」
「まぁ、そうなんですね!おめでとうございます!ジャックは後衛ですし、ランドルフ様は前衛ならバランスも取れますね」
「ありがとう。君には到底追いつけそうもないが、頑張ってみようと思ってね。あとは経営科も取ってみたんだ。殿下や皆様が努力してらっしゃることを知ったら、僕も真面目に頑張らなきゃ、と」
「ほう、それは感心だ」
「いいことだわ」
「あ、ありがとうございます」
王太子と王女に褒められ、ジャンは赤面した。
「いいなぁ。私の家も冒険者活動をさせてくれたらいいのになぁ」
公爵令息のルークがぼやき、辺境伯令息のエドワードが慰めるように肩を叩く。
「さすがに公爵家の嫡男だと、ご両親が心配するんだろう」
「過保護だと思うんだ…レイノルド殿下は王太子でいらっしゃるにも関わらず、Aランク冒険者なんだぞ…?おかしいじゃないか」
「うーん、それは確かに」
エドワードも困ったように王太子を見るが、王太子は涼しい顔で書類を裁いていた。
「ご両親の心配は最もだと思うがな」
「殿下、そんな」
「だって君、運動神経壊滅的だろう?」
「うぐっ…」
「……」
エドワードも、否定はしなかった。
「え、そうなんですか?」
じっと黙っていたフィリップが驚いたように顔を上げ、ジャンも目を見開いている。
サラやミリアムも驚いたが、王女は平然としているし、兄も平然としていた。
「辛うじてダンスが踊れるくらいよね?剣を振るとすっ飛ばすし、走るとすっ転ぶし、棒立ち魔法使いならなんとかなるかもしれないけれど…棒立ちで許される冒険者なんていないものね…」
王女が同情の視線を向ける。
「いやぁ、でもほら、冒険者として修行するうちに、動けるようになるかもしれないじゃないですか…」
「ならないわよ」
「うっ」
「その前に死んじゃうから、ご両親は止めているの。Eランクに上がれただけで、満足なさいな」
「……うう」
ルークは沈没した。
まさかの運動音痴か、と、室内は同情の視線で満たされた。
こればかりはどうしようもない。
公爵家の嫡男が、何の努力もしなかったはずがない。
努力をして、駄目だったのなら、仕方がないのだろう。
「うん、まぁ、仕方ないよ。諦めよう」
親戚だというエドワードが、慰めていた。