最終話.
卒業式は恙なく終了した。
後はお疲れ様会と称して、舞踏会が開催されることになっていた。
これから貴族子女は、夜会にも積極的に参加して行くことになる。
練習の場として学園の大講堂を使い、着飾った生徒達が参加するのだった。
生徒会のメンバーは全員参加で、参加する卒業生が相手であればその他婚約者や兄弟姉妹も参加することができた。
要は、エスコートしてくれる相手がいれば参加は自由ということだった。
サラはレイノルドのエスコートで最後に入り、盛大な拍手を受けた。
レイノルドが自ら生徒会長として、卒業生代表として二回、壇上に上っては下りを繰り返して生徒達の笑いを誘い、最後に王族として三回目に壇上に上った時には笑いと共に拍手が起こった。
「王族はまだ第一王女イーディスが残っているが、果たして彼女は来年生徒会長になれるのか、成績を皆、楽しみにしていて欲しい」
「ひどいわ!お兄様!」
兄妹のやりとりに会場は一気に盛り上がる。
ダンスが始まり、レイノルドとサラ、王女とアーデン公爵令息がファーストダンスを勤めた。
終始和やかな雰囲気で時間は過ぎ、そろそろお開き、と言う頃になって、マッケンジー公爵令嬢が兄を呼び止めたのだった。
「バートン伯爵様!大切なお話がございます!!」
大声が響き渡り、会場は静まり返る。
兄は何事かと目を瞬かせながらも公爵令嬢の前へと進み、軽く首を傾げて見せた。
「どうかなさいましたか?」
「このわたくし、ディアナ・マッケンジーは、一世一代の覚悟を持って申し上げます!」
「はい」
レイノルドと王女は止めることなく笑いを堪えて見守っており、二人の許可を得ているのだと知れた。
サラはついに、と思いながら、はらはらと二人を見る。
「クリストファー・バートン様、わたくしと結婚を前提に、婚約して下さいませ!!」
「……は」
兄はぽかんと口を開けたし、その場にいた誰もが首を傾げたのだった。
結婚を前提にするなら婚約は必須であるし、おかしなことを言う、と思った。
「お付き合いではなく、婚約ですか?」
冷静な兄のツッコミに、ディアナは真っ赤になって「ヒッ!」と喉を引きつらせた。
ああ、間違えたんだな、と、誰もが生温かい気持ちで続きを見守る。
「このような公衆の面前で告白される勇気は尊敬致します」
さらなる兄の追撃に、ディアナは今にも倒れそうな程に震えていた。
サラは兄を見て、「もっと優しく言って!!」とパーティー用のピアスで叫ぶ。
レイノルドも入っている三人用のそれに、兄は戸惑ったように「ごめん」と素直に謝罪した。
レイノルドは今にも吹き出しそうな顔を手で覆うことで隠しているのを、隣に立つサラだけは気づいた。
「レイノルド様も、笑っちゃ駄目ですよ!」
「はい…」
釘を差せば、わざとらしく咳払いをする。
それにハッと顔を上げたディアナは一つ深呼吸をして、先程よりは落ち着いた表情で兄へと向き直った。
「わたくしは公爵令嬢です。バートン様をお支えする為、全力で勉強をして参りました。冒険者としてはお役には立てませんが、領地経営、法律、魔法、付呪や魔道具。各国の商人や職人と繋がりもございます。バートン様はとても勉強家でいらっしゃいますから、わたくしではまだまだついていけない部分も多くあることと思います。…わたくしは、バートン様と共に在りたいと願っております。生涯学び続け、あなた様のお役に立ちたい。そして、王太子妃、ひいては王妃となられるサラ様のお役に立ちたい。おそばに置いて頂けませんでしょうか」
凛としたマッケンジー公爵令嬢は気高く、美しかった。
サラは泣きそうになるが、レイノルドに肩を抱かれて踏み留まった。
「誠実に、返事をして差し上げなさい」
と、ピアスでレイノルドは言った。
ここは誰でもない、兄が発言しなければ終わらないのだった。
クリスは口を開き、一度閉じる。
一世一代の告白を、受けるのも断るのも心一つである。
今や英雄となったクリスに、身分差というものはそれほど関係なくなっていた。
誰もが英雄を尊重してくれる。
断っても、クリスが責められることはないと思われた。
だが。
クリスは思い出していた。
マッケンジー公爵令嬢と関わるようになったのは学園に入ってからだった。
とはいえ、最高学年になるまで交わした会話と言えば殿下のついでの挨拶くらいである。
特に記憶にも残らない、貴族令嬢の一人であった。
最高学年になり、王女殿下の茶会でサラが知り合い親しくするようになってから、少しずつ令嬢から話しかけられる頻度が上がったのだった。
殿下のついでから、個人的に名を呼ばれ話しかけられるようになった。
奇行を繰り返す、奇妙な令嬢だなと思ったのだった。
その印象が覆ったのは、林間学校での魔獣襲撃の一件があってからだ。
サラに促され、彼女は最高位の貴族令嬢として、他の令嬢達をまとめ上げていた。
一朝一夕でできることではない。
その能力があり、彼女が令嬢達に信頼されているからこそ可能であることに気づいたのだった。
奇行は、クリスの前でだけ見せるものなのだとサラに言われて戸惑った。
何故?と思ったし、意味がわからなかった。
だがここに来て理解をする。
なるほど、そうだったのか。
正直な所戸惑いが大きく、嫌ではないが好きかと問われても答えられない。
頬を真っ赤に染めて見上げて来る公爵令嬢の瞳は真っ直ぐクリスを見つめており、その強さは素直に尊敬できる所だ。
…婚約か、と、クリスは思う。
いずれどこかの誰かと結婚するよう勧められることになるだろう。
強硬に独身を貫きたいわけでもない。
恋愛に拘っているわけでもない。
両親の在りようや、殿下とサラのように相思相愛で結ばれるのが理想なのかもしれないが、クリスにとっては遠い世界のことのように思える。
自分のことを一途に思ってくれる相手、そして何よりサラのこと、国のことを考えてくれる令嬢が目の前にいるのだった。
打算である。
言ってしまえば彼女に対してまだ特別な感情はない。
だが嫌いではない。
婚約から始める感情があってもいいのではないか。
そんな風に、考えた。
先程のディアナと同じように一つ深呼吸をして、固唾を飲んで見守る生徒達の前で頷き、手を差し出した。
「ありがとうございます。そこまで言って頂けて光栄です。私と共に、殿下とサラを支えていきましょう」
クリスは受け入れたのだった。
ディアナは目を限界まで見開き、わなわなと震え始める。
「ほ…ほんとう、に…?」
「はい、ディアナ嬢」
クリスが優しく微笑んだ。
感動の抱擁が見られるかと思った矢先、ディアナは「あぁぁあああーー!!」と叫びながらサラへと向かって突進して来たのだった。
レイノルドですら反応できず、サラはディアナに抱きしめられ、あまりの力強さに後ろに倒れそうになる。
肩を抱かれていたから踏ん張ることができたものの、サラは息が詰まって「うっ」と唸った。
「サラ様!!サラ様あぁーー!!ああぁあ夢!?これは夢ですの!?あぁああわたくし、わたくしもう、もう、死んでもいいいい――――っ!!」
「し、死なないで、死なないで下さいディアナ様!!」
がくがくと揺さぶられ、サラは初めての経験に気が遠くなりそうだった。
兄は向こうでぽかんと口を開けて立ち尽くしているし、その向こうではディアナの友人の子爵令嬢が感動の涙を流している。
ずっと背を支えてくれていたレイノルドがついに堪えきれずに笑い出し、王女も同じように笑い出す。
会場は大歓声に包まれ、拍手が巻き起こった。
引き離すのも躊躇われ、サラは兄へと視線を送る。
助けて、という願いは、正確に届いたようだった。
兄はこちらへと歩み寄り、ディアナ嬢へと語りかける。
「サラが困っていますよ、ディアナ嬢。せっかくですから、婚約についての話をゆっくりしませんか?」
瞬間ディアナはサラから離れ、兄へと向き直る。
「喜んで!喜んでお願い致します!!」
兄に手を差し出され、エスコートされながらレイノルドと王女に一礼し、そして会場にも一礼して二人は一足先に出て行った。
場はお開きの時間である。
レイノルドがサラを伴い壇上に上がって、口を開いた。
「卒業生の皆、そして祝いに駆けつけてくれた皆も、どうもありがとう。最後に微笑ましいハプニングがあったが、無事に終わって何よりだ。卒業生の諸君は明日から新しい道を進んで行くことだろう。困難もあるだろう、幸せもあるだろう。スタンピードを乗り越えた我々は、どんな困難にも打ち勝つことができると、私は信じている。あの日を忘れず、前へと進もう。では、解散!」
盛大な拍手で卒業式の全ての行程は終わりを告げたのだった。
レイノルドとサラが先に退室し、王女とアーデン公爵令息が後に続いた。
外はすでに暗くなっており、レイノルドはサラを伴って馬車に乗る。
伯爵邸へと送ってくれるつもりなのだった。
「ありがとうございます、レイノルド様」
「当然だろう?それにしてもあれは見物だったな」
笑い含みに言うレイノルドに苦笑を返しながらも、サラも頬を緩める。
「お兄様が受けて下さって良かった。ディアナ様はお兄様とお似合いだと思うんです」
「彼女がクリスの前でだけおかしくなるのは本当に面白…いや、微笑ましかった。実の所、サラがいなかったら彼女が私の婚約者になっていたかもしれない」
「そうなのですか?」
「愛のない政略結婚になっていただろうけどね。彼女の能力は買っているが…私に対してはいつも冷静で、一歩引いていたからね」
ウィンクをしながら微笑みかけてくるレイノルドに、サラも微笑み返した。
「陛下がせっかく恋愛結婚を推奨されているのに、それはいけませんね」
「全くだ。そうならなくて良かった。…あいつも彼女のことを知っていけば、ちゃんと好きになれると思う」
レイノルドはクリスの内心を正確に把握していた。
クリスは英雄の息子として、そして王太子の側近として幼い頃からずっと生きて来た。
周囲の重圧に負けないよう努力し続け、脇目も振らずに邁進してきた。
そして王太子の周囲に群がる令嬢達を見続けていた。
クリスが女に夢を見ることはない。
レイノルドがそうであるように。
本質を見極め、為人が好ましいと思えなければ愛せない。
彼女はクリスを一途に想っているだけでなく、サラのことも、国の行く末についても考えることができる。
クリスが要求するだろう「結婚相手の条件」にこれ以上合致する令嬢はいないと、レイノルドは思う。
少しずつ、距離を縮めて行けばいい。
自分とサラがそうであったように。
「…それにしても、しばらくは毎日会えないと思うと寂しくて死にそうだよ」
ぼやきながら、レイノルドはサラの手を取り握り込む。
「…私もです」
サラはいつも、自分らしくありたいと願っている少女だった。
その意志を尊重したいと思っているし、レイノルド自身もまた、彼女の前では自分らしくありたいと思っている。
素直に感情を見せれば、サラもまた、返してくれるのだった。
「早く結婚したいね」
「はい」
「伯爵邸に移っても、まだ家族団欒はやっているの?」
「はい、談話室にラグを敷いて」
「いいな。結婚したら、東宮にもそういう部屋を作ろう」
「ココアを飲むんですよ」
「ごろごろもするんだろう?今日あったこととか、話したりして」
「はい」
「そんな時間、値千金というやつだ。いいな、早くやりたい」
「ふふっそうですね」
冒険者として、活動してきて良かったとサラは思う。
レイノルドとパーティーを組み、普段は見せない素の彼を知ることが出来た。
二人でいる時には、素のままで互いに接することが出来る。
二人の時間は穏やかだった。
結婚しても、ずっとこんな時間が続けばいいと思う。
これから先、喧嘩もするだろうし、嫌なこともあるかもしれない。
それでもスタンピードを乗り越えた私達なら、乗り越えていけると思うのだった。
レイノルドの指先が、サラの右耳に触れた。
そこには彼がくれた、二人パーティー用のピアスがあった。
「ずっと存在を感じていられるように」と言われて嬉しかった。
「名誉騎士殿と魔術師団顧問も同じようにしていたそうだよ」と言われて、涙が零れた。
レイノルドの瞳が間近にあって、サラは目を閉じる。
ずっとずっと、「兄がお仕えする王太子殿下」であった遠い存在が、自分の夫となるのだった。
私は幸せだ、と思う。
ディアナの言葉を借りればサラもまた、生涯学び続け、この人を支えていきたいと、思うのだった。
END