103.
レイノルドは王の執務室を出て、廊下を歩く。
東宮へと向かう途中には庭園がいくつもあり、一年中色とりどりの花を愛でることができるようになっていた。サラと共に庭を歩き、ゆっくりと語らいたいと思いながら、風に揺れる花々を見やる。
今日は珍しく一日中快晴であり、夕暮れも美しく王宮の壁を染めていく。
生徒会で毎日サラの顔を見ることができるのもあと僅かと思えば寂寞の感があり、卒業してしまえばサラに会えるのは週末か、長期休暇くらいとなる。
かつて名誉騎士殿に、夫婦円満の秘訣を聞いたことがあった。連絡用ピアスをつけて妻とずっと繋がっていること、と答えが返ってきてなんと素晴らしい案なのか、と思った。
四六時中喋る必要はない。
だが何でもないようなことでも、一言二言話せるだけでも幸せではないか。
何より、繋がっている、という安心感は何者にも代え難い。
そのように言えば名誉騎士殿は大きく頷き、自分が仕事に集中できるのもこれのおかげです、とピアスに触れながら真顔で言ったのが印象的であった。
王は「えっそんなの絶対嫌だ」と顔が引きつっていたが、王と我々は違うのだった。
さっそくサラとの二人用ピアスを作る為にデザインを考えなければ、と思う。
卒業式に渡したい。
普段は片耳にパーティー用のピアスをつけ、もう片方を二人用にすれば良い。
ずっとつけていられるもの、と考えれば派手すぎず、控えめすぎず、…夜会や茶会でもつけていられるようなデザインとなるとかなり難しくなる。
頭を悩ませながらも、レイノルドは楽しかった。
一つずつ、前に進んでいる。
スタンピードのせいでかけがえのない人々を失ったものの、この一年で頭を悩ませることのいくつかは片づき、我が国の発展に邁進していく環境が整いつつあった。
何か困った事態に陥った時、矢面に立つことの多いレイノルドであるが、実際のところ父である国王が処理していることが圧倒的に多く、自身は目立たず息子を表に出すことで動きやすくする作戦であることを知っていた。
世間では地味だが有能な王、という評価であるが、地味などでは決してなかった。実際に接してみればわかる。どれだけ王としての威厳があるか。
レイノルドはまだまだ王に学ばねばならないことは山程あるし、長く在位してもらう為にも努力を惜しむつもりはなかった。
今日の王の呼び出しの内容は、グレゴリー元侯爵令嬢に関してであった。
予想はついていたことであるので、感情が動くことはない。
目論見通りの結果であり、淡々と処理をした。
グレゴリー侯爵令嬢がボスの死後意識を取り戻した、との報告を受けた時、メイドと護衛を捕らえて王都へと連行していた。
侯爵一家は貴族牢におり、執事や一部の使用人は一般牢に入れられ、尋問を受け事実が明らかになり証拠が次々と揃っていた。
令嬢の状態は、使用人の言葉通り魔力を失う状態になっており、魔力切れで動けなくなっていたが、それだけではなかった。
視力と聴力を失っているというのだった。
魔力切れで動けない状態は構わない。逃亡の心配がないので監視も楽である。
だが視力と聴力はどういうことか。
魔術師団員を呼んで回復魔法をかけても治らず、体力ポーションや魔力ポーションを飲ませても効果はなかった。
魔術師団の研究員を派遣して調査させたところ、「魂が傷ついている」ということであり、納得したのだった。
あの龍は両目を潰され、最後は眉間を貫かれて死んだのだ。
魂が傷ついたというのも頷ける話であったし、自業自得であろうと思う。
あの龍は明確な殺意を持って名誉騎士を殺し、カイルを殺し、クリスやサラを殺そうとしたのだった。
最後の瞬間にはレイノルドのみならず、他の冒険者達も全滅の危機であったのだ。
同情の余地はない。
後は、事情を知っているメイドと護衛に話を聞くだけであった。
だが取り調べを行ってもメイドと護衛は一言も話さなかった。
死にかけても口を割らず、令嬢に対する忠誠心は見上げたもので、見事の一言に尽きた。
だからこそ、弱点になるのだった。
令嬢の状態はあえて知らせず、こちらはあの龍が令嬢だと知っている、今のままだと侯爵と共に国家反逆罪で極刑になる、と言えば初めて二人は動揺した。
二人が喋ろうが喋るまいが、令嬢の未来は暗いと言えば視線を泳がせ、素直に全てを話すのであれば、平民として生きていける家と仕事を用意する、と言えば陥落した。
聞いた話は俄かには信じ難い内容であった。
学園にいた教師が令嬢を龍に変えた、と。
そしてスタンピードを起こした張本人だ、などと。
急いで調べさせたが、教師の行方は西国のアパルトメントで途絶えていた。
誰もその後を知らず、目立つ容姿にも関わらず忽然と姿を消した。
証拠はない。
教師にもらった指輪が魔力を奪っている、という話も、現物が存在しないので調べようもない。
運命の人として令嬢を伴侶にしたかったらしいが、振られて諦めたのだそうだ。
そんな理由で人を魔獣化できる者など、魔族しかいないではないか。
しかも相当な上位の。
魔王かそれに準じる幹部クラスの魔族ではないのか。
…そんな存在、人が勝てるわけがないのだった。
だからこそ神は、魔族と人を隔てたのだから。
各国には内密に、今回のスタンピードの原因は魔族である可能性があることを伝え、注意を促すことしかできなかった。
知りたかった情報を得たことで、令嬢とメイドと護衛は罪には問わず、平民として地方の田舎で一生を過ごすことを約束させた。
監視はついている。
身内に頼ることができないよう、死んだことにして別の戸籍を用意した。
令嬢は視力と聴力を失ったのみならず、言語化能力も失っていた。
つまり、喋れない。
言葉を発しているようなのだが、他人には呻き声にしか聞こえない。
筆談はもしかしたら可能かもしれないが、確認する必要も感じなかった。
三名を平民追放することについては反対もあったが、レイノルドは押し通した。
本当は国外追放にでもしたかったが、目の届かぬ所でまた魔族に利用されても迷惑だ。
魔族が関与しているのであれば不可抗力の部分もあっただろう。
心を入れ替え、慎ましく生きるというのであれば機会を与えてやってもいい。
…できるものならば。
予想通りでもあり、残念な結末でもあり、レイノルドは空を見上げる。
薄く引きちぎられたような雲がいくつも浮かび、風に流され緩やかに移動していくのを眺めながら、小さくため息をついた。
王家直轄領の一つであるが、伯爵となったクリスの新たな領地と接した田舎の村に、小さな畑付きの家を用意した。
護衛であった男は兵士として村の治安を守る仕事を与えた。
メイドは令嬢の世話の必要があるだろうから、本人が望めば何らかの仕事を与えるようにと村長には指示をしていた。
三人の身分は、王都のそこそこの商家のお嬢様が病を患い、静養の為にメイドと護衛を連れて来た、とだけ伝え、今までと生活が全く変わってしまうから戸惑うこともあるだろう、温かく見守ってやって欲しい、とまで伝えて便宜を図ってやったのだった。
田舎にはよくある煉瓦と土壁、木造を合わせた構造で、入ってすぐにキッチンとリビング、浴室などの水回り、令嬢の部屋とメイドの部屋、二階には護衛の部屋と空き部屋が一つ。元々は夫婦と子供達が住んでいた家であったが、冒険者としてそこそこ名を上げることに成功した子供達が親を呼び、今はクリスの領地となったダンジョン都市隣の町へと引っ越して行き空き家となっていたのだった。
そこで平民として生活を始めて一ヶ月、護衛の男が冒険者の女と共に出て行った。
メイドと結婚するかと思っていたがそんなことはなく、元々貴族家所縁とはいえ身分は平民だった護衛は田舎暮らしにあっという間に馴染んだ。王都の侯爵家の護衛として過ごしていた二十代前半の男は、女達にとても人気があった。
爽やかな風貌に洗練された仕草、王都での生活で磨かれたセンス、流行や人気の店にも詳しかった。
拷問されても口を割らなかった忠誠心厚き男は、口数は多くなかったけれども誠実で優しい性格をしていた。
だから令嬢の面倒を一生見ろと言われても「はい」と頷き、覚悟を持って田舎へと移住したはずであった。
だが一ヶ月の間、彼は自由だった。
制限は何もない。
紹介された仕事は楽で、誰よりも強く誰よりも気が利いて、誰よりも頭が良かったから持て囃されるのはすぐだった。
男達の嫉妬すらも心地良く感じ、酒場に行けば女達が群がる。
村を歩けば誰彼に声をかけられちやほやとしてくれる。
老若男女問わず食べ物を分けてくれたり、一緒にご飯を食べようと誘ってくれ、何一つ不自由することがなかった。
家に戻っても令嬢につきっきりのメイドは、護衛を気にかけることなど全くない。
元々が他人である。
夫婦でもなければ恋人でもなく、友人ですらなかったから仕方がないといえばそれまでであるが、それでも同じ家に住み、護衛は働きに出て生活費を稼いでいるのである。
ただの同居人であれば気にすることもないのだが、メイドは顔を合わせれば稼いだ金を寄越せもらった食べ物を寄越せと言う。
二言目には「お嬢様の為に」である。見上げた忠誠心であるが、護衛は次第に引き始めた。
一言の礼もなく、護衛から金や物を巻き上げていくこの女は一体なんなのか、と。
食事は外で済ませてくるからいいものの、部屋の掃除や洗濯、風呂の準備まで自分でしなければならず、この女がやるのは「お嬢様の生活の範囲」のお世話のみであった。
畑の世話をしているのも、「新鮮な野菜をお嬢様に召し上がって頂く為」である。
護衛から巻き上げた金で買って来るのは、「お嬢様に綺麗な服を着て頂く為」の布であったり、「季節を感じて頂く為」の花であったりした。
ここまでどうでもいい存在として扱われたのは拷問官以来であり、護衛は何の為にここにいるのかと疑問に思うようになった。
赦されて別人の戸籍を得、令嬢のお世話をする為にここにいることは理解していた。
理解していたが、この家で住む空しさを感じ始めるようになった。
令嬢に挨拶しても、何も返って来ない。
せめて以前のお嬢様であれば、仕えることも苦痛ではなかった。こんなことを思う己は非情なのか。
生活を続けるうちにどんどんと心が苦しくなり、村人の優しさに触れるたびに逃げ出したくて仕方がなくなってきたのだった。
「一生、その生活を続けるの?」
旅をしているという若い女が隣に座り、酒場で飲んだくれていた護衛に声をかけた。
村人に知らされている情報以上のことは話せないが、メイドから感謝がない、自分は金ももらった物も全て差し出しているのに、と話せば女は軽くそう言ったのだった。
はっとして、護衛は顔を上げた。
女を見れば少し年上に見えたが、妖艶な雰囲気を持つ美女だった。こんな田舎にはいないタイプの、ダンジョン都市あたりにはよくいそうな冒険者然とした装束を着ていた。
「一生…」
「それでいいならいいけど、まるで横暴な嫁に尻に敷かれている旦那みたいね。…結婚もしていないなら、ただの恐喝かしら」
「…恐喝…」
「そのメイドさん、自分で稼いでないんでしょう?あなたにおんぶに抱っこで感謝もないなら、そりゃぁ愚痴の一つも言いたくなるわよね」
「……」
護衛は俯いた。
その通りだ、と思う気持ちと、そこまで言わなくても、という気持ちがせめぎあう。
「…お嬢様のお世話をしてくれている」
「商家のお嬢様って聞いたわよ。実家からお金もらってるんでしょ?」
「……」
それは嘘の経歴で、実際は援助等一切ない。
メイドと護衛で金を稼いで、お嬢様を養わなければならないのだ。
そう言ってしまえればどれだけ楽になるだろう。
その日は全く気が晴れることもなく、陰鬱な気分のまま帰宅した。
村の見回りをしていると、皆から声をかけられる。
それに笑顔で答え、作物の出来や天気の話等たわいもない話をしながら、お茶をごちそうになりお菓子をもらう。
この村は平和そのもので、兵士の仕事はとても気が抜けるものであったが、優しい人々と触れ合うことは楽しかった。
隣にある名誉騎士の息子が継いだ領地には魔獣が発生する森林がある為、そちらへ向かう冒険者が、観光がてらこの村に寄って行くことはよくあるのだという。
田舎とはいえ宿もあり、酒場も食堂もあるし市場もある。
ちらほらと冒険者の姿を見かけるが、この村の者は冒険者にも親切だった。
金を落として行ってくれるからだ。
「あ」
「やっほー!」
また昨日の美女に会い、夜には酒場で酒を酌み交わした。
この村に来て初めて、外泊をした。
朝に帰宅すると、すでに起きてお嬢様の朝食の支度をしていたメイドは眦を吊り上げて怒鳴りつけてきた。
「昨日の分の稼ぎをさっさと寄越しなさい!昨日は何ももらって来なかったの?お嬢様の為に媚びてでも色々せしめて来なさい!この役立たず!」
帰って顔を合わせて早々これである。
護衛の朝帰りすらどうでも良く、必要なのは金と物だけなのだった。
急速に嫌気がさした。
忠誠を尽くす意義を失った令嬢、護衛の心配すらしないメイド。
何の為にここにいるのか、いる必要を感じなくなったのだった。
「…あなたも働いたらどうだ?自分で稼いだ金でお嬢様に何か買って差し上げたらいいだろう」
せめてもの抵抗に文句を言ったが、メイドは軽蔑の視線を向けて来たのだった。
「わたくしが外に出ている間に、お嬢様に何かあったらどうするのです!?あなた責任取れるんですか!?買い物で外出することすら本当はしたくないんですよ!あなたが何もしないから、わたくしがしているのでしょうが!!」
「な…」
絶句した。
わなわなと唇が震えるのを自覚しながら、護衛は両手を握りしめる。
怒鳴りつけそうになるのを必死に堪える。
「俺が働いて稼いで来ているから、あんたもあんたの大事なお嬢様も食えてるんだろうが!」
語尾が強くなったのは仕方がない。
必死に怒りを抑えようとする護衛の努力には頓着せず、メイドはふん、と鼻を鳴らしたのだった。
「この程度の稼ぎで偉そうに。お嬢様が不自由なく生活できるくらいまで稼いで来てから言いなさい」
「……っ!」
それはつまり、貴族並に稼がなければ死ぬまで見下され、偉そうに命令され続けるということだった。
平民であり、一兵士である男にとっては死刑宣告にも等しい。
何故たかがメイドに偉そうに言われなければならないのか。
こいつは現在、メイドですらなくただの無職の平民であり、兵士となった男の雇用主でもなんでもない。
ただの同居人である。
妻でもなければ愛する恋人でもない。
友人ですらなく、ここまで言われて金を差し出さねばならない謂れはない、と思った。
「早く稼ぎを出しなさい。お嬢様の為に美味しいお食事を作って差し上げたいのです」
また出た。
お嬢様の為に。
わかっている。
お嬢様の世話をするという条件で赦されてここにいることは。
わかってはいるが、ならば自分はこの女と対等であるべきで、互いに協力し合って支えていかねばならないのではないか。
それがこの態度。
不快であり、受け入れ難い。
「何をしているのです?さっさと金を置いて仕事に行きなさい!」
「……」
金を差し出し、無言で部屋へと上がって着替える。
あの女は侯爵家にいた頃からずっとああいう人間だった。
お嬢様一筋で、お嬢様とその家族以外はゴミ同然。
何を言ったところで、無駄である。
鞄に少ない荷物を詰め込んで、いつでも出て行けるように用意した。
出勤し、市場で買ったパンを食べる。いつものことなので同僚ももはや揶揄ったりはしなかった。
この村に来て一ヶ月、生活自体はとても楽しかった。
村人は皆優しく気さくで、一人暮らしならばこんなに良い所はなかっただろう。
あの女と上手くやろうと耐えて来た。
会話をしようと試みて来た。
さらに数日、頑張ってみた。
…もう、無理だった。
家にいると自分が腐って行くような気がしたし、村にいると自分はこんな所で終わる人間ではないとも思う。
病の令嬢を置いて逃げ出す己の卑怯さも自覚していたが、それでも自由になりたい気持ちの方が強くなってしまったのだった。
深夜メイドも寝た頃に帰宅し、荷物を持って外に出た。
宿に行けば女がいて、「決断したんだ?」と笑顔で問うので頷く。
「ここを出て行く」
「そっか。…とりあえず、村を出るのが先か~。この村、皆朝早いもんねぇ。すぐ出た方がいいねぇ」
「…いいのか?」
「いいよ~。どうせそろそろ移動かなって思ってたし」
「…そうか。途中まで同行させてくれ」
「もちろん。馬に乗せてあげる。荷物それだけ?」
「ああ、助かる」
自由になるのだ。
はやる心を抑え、馬に跨る女の後ろに乗った。
「とりあえずお隣の領地に行こう。冒険者も多いし」
「任せる」
そこから隣の領地まで一時間程馬を走らせた。
森を一つ抜けると草原が続き、その先にまた森がある。
道は一直線に続いており、空は満月、雲は晴れて男の前途を祝福しているかのようだった。
前後に人の姿はない。
こんな深夜に移動しようとする酔狂はいないようだった。
二つ目の森を抜けたすぐそこに、高い防壁がずらりと設置されており、この向こうは隣の領地なのだと理解した。
「ねぇ、本当に後悔しないね?もう戻れないよ?」
女の問いは、心の奥底まで見通すような響きを持っていたが、男は迷いを振り払うように頷く。
「後悔はしない」
「…そっかぁ。一ヶ月ちょっとだったね」
門へと到達し、門番に女が話しかける。
「こんな時間にごめんなさい。急ぎなの。入れるかしら」
「身分証明できるものを出して下さい」
「ええ、これで」
女はタグを出し、門番はすぐに手元の板に嵌め込んで確認をしていた。
「確認しました。ただこんな時間です。この都市に来た目的を話して頂くか、もしくは知り合いはいますか」
「ええ、この手紙を持って行って下さる?」
「…了解しました。隣の詰所でお待ち下さい」
「わかりました」
中に入って馬を下り、詰所へと入る。
男は自分の逃亡がバレやしないかと内心動揺していたが、女は平然と座っていた。
「…知り合いが迎えに来るのか?」
「ええ、あなたとはここでお別れになるけれど…」
「構わない。後は自分で生きていく。世話になった」
「残念だわ。あなた、いい男なのにね」
「…それはどうも」
すぐに外がざわつきだし、中に入って来たのは騎士団員だった。
男は血の気が引くのを自覚しながら後ずさるが、容赦なく腕を捕まれ捻り上げられ、肩を押されて外へと連れて行かれる。
慌てて首を捻って女を見れば、女は笑顔で手を振っていた。
何故、と思う。
一体何が。
「…私のお仕事、あなたの監視なの。早く終わって助かったわ」
「…ッ!?」
猿ぐつわを噛まされ、歩かされたのは町外れの墓地であった。
手足を縛られ、肩を押さえつけられて地面へと跪く。
呻き声を上げて抗議したが、「黙れ」と殴られた。
やって来たのは隊長とおぼしき男で、剣を抜いていた。
男はそこでやっと自分の置かれた状況を理解し、震えた。
「貴様の罪は、令嬢とメイドと共にあの村で生きて死ぬことによってのみ赦されるものであった。王太子殿下の温情を無にする行為、看過できぬ。逃亡した場合、また令嬢やメイドを殺害した場合には即死刑。釈放される際、その決定に従うとサインしたのは貴様である。よって今ここで処刑する」
「…ッ!!…!!」
涙が溢れた。
確かにサインをした。
別人として生きること、お嬢様をメイドと共に一生お世話すること。
当時は逃亡や殺害など考えられなかったし、お嬢様をお世話できることが誇らしくもあった。
意味など深く考えなかった。
だが自由を知ってしまったのだった。
夢を見てしまったのだった。
そしてお嬢様やメイドに縛られる窮屈さを知ってしまったのだった。
こんなはずではなかった、と護衛は思う。
新しい人生をやり直すのだと、思っていたのだ。
振り下ろされる剣を、滲む視界でぼんやりと見やる。
衝撃があり、護衛の意識は途切れたのだった。