101.
マンフィールド子爵家当主エルトンは、名誉騎士の兄である。
長男が侯爵家を継いだ為、次男であるエルトンは分家の子爵家に婿入りした。
何故自分が子爵家なのか、という不満はあったものの、侯爵家の分家である子爵家はそれなりに豊かであった。
小麦の名産地であり、代々堅実な商売を行ってきた信頼がある為、取引先も取引量も安定していた。
生活水準も侯爵家にいた頃とそれほど変わりもなかったが、エルトンは満足できなかった。
ほんの数年生まれるのが遅かっただけで自分は下位貴族となり、兄は侯爵家の当主となっただけなのに、分家筋にあれこれと指示してくるようになったのである。
始めは言うことを聞いていた次男も、やがて疑問を持つようになった。
これといった能力もなく、特産もなく、ただ侯爵であるというだけで何故偉そうに命令されなければならないのか。
自分は弟であって、使用人ではないのだ。
おまけに六男が名誉騎士として取り立てられ、英雄と持て囃されるようになっても我が侯爵家は成り上がれなかった。
それどころか六男に実質絶縁宣言されており、長男は無能であることを世間に晒したのである。
こんな男の命令を聞くだけ無駄だと、エルトンは独自の路線で進むことにした。
せっかくの特産品、小麦の大量生産に乗り出したのである。
義両親や妻、代々子爵家に仕える管理人等は反対したが、競合がいるなら潰せばいいだけではないか。
価格を下げ、相手のドレイサー男爵家の販路を奪い、マンフィールド子爵家の小麦を「名誉騎士の実家の小麦」と銘打って売り出せば爆発的な売り上げとなったのだった。
大金が転がり込み、それ見たことかとエルトンは内心鼻高々だった。
メルヴィル侯爵家は相変わらず地味な家のままであり、自分が継いだ方がよほど有用だったのではと思った程である。
しばらくは全く問題なかった。
価格を下げ、大量生産を行うことで「味が落ちた」と契約を打ち切ってきた所もあったが、新規契約数が圧倒的に多く利益も出ており、利益がさらなる拡大再生産を生んだ。
上手く回っていた。
メルヴィル侯爵家を四男が継ぐまでは。
突然法務省から通知が来て、侯爵家が領地を失ったこと、兄は息子と孫共々逮捕され、裁きを待っていること、四男が侯爵家を継いだことを知ったのだった。
何故四男!?と、エルトンは思い、三男と共に抗議に行ったが相手にされなかった。
曰く、それぞれ爵位を継いでいる為、資格のある四男が継いだだけのことだと。
領地をなくしても四男は近衛騎士団長であり、生活に支障はない。
次男と三男に報告もなく、かと言って絶縁するわけでもなく、今まで通りに距離を置こうとしていた。
順番で行けば次男が侯爵家を継ぐべきである。
一言の断りもなく、この仕打ち。
近衛騎士団の詰所へと押しかけたが、面会は叶わなかった。
多忙、の一言で兄を切り捨てたのである。
許せなかった。
マンフィールド小麦を購入していた四男の屋敷には、小麦の販売を拒否することにした。
近衛騎士団の食堂にも、卸すことを禁止した。
毎日大量の小麦を使用する食堂においてこれは痛手になるはずであった。
泣いて許しを請うなら、取引を再開してやらんこともない。
だがいつまで経っても打診はなかった。
領地の管理人が血相を変えて屋敷に飛び込んで来たのはそれからしばらく経ってからのことだった。
「どうした」
「取引先が、次々と契約の打ち切りを宣言してきております!!」
「は…?どういうことだ?」
「騎士団は全て、契約を更新しないと…!」
「全て、だと…!?」
「はい、どう致しましょう。王都の売り上げの多くは騎士団との取引によるものです!それがなくなるとなると我が領は大変な痛手に…!」
そんな馬鹿な。
エルトンは急遽各騎士団本部を回り、団長との面会を希望したが、ことごとく「多忙」という理由で断られたのである。
我が領以上に安い小麦を販売できる所などない。
それなのに何故。
そこからはなし崩し的に、魔術師団が契約を打ち切り、ダンジョン都市の食糧庫とも言われる大商会からも取引の終了を告げられたのだった。
愕然としたが、何もしなかったわけではない。
取引を終了しようとする商会等にも逐一出向き、理由を聞いて回った。
どこもなかなか口を割らなかったが、とある貴族家の執事が漏らしたのだ。
「ドレイサー男爵家の小麦の品質が良い」 と。
値段は我が領の小麦の方が圧倒的に安いはずだったが、販路を奪った弊害で大量に在庫を抱えており、価格も安めで卸してもらえるのだという話であった。
やってきたことが裏目に出た瞬間だった。
今度はマンフィールド家が大量の小麦の在庫を抱え、しかも拡大再生産を重ねた結果、品質は落ちていた。
飼料用なら、と足元を見た取引を持ち掛けられることも増え、エルトンは怒りに顔を歪め、両拳を震わせた。
しかもそんな屈辱的な取引を持ち掛けてきたのは、名誉騎士の領地の酪農家であった。
管理人に調べさせた所、名誉騎士の領地ではドレイサー男爵家の小麦を取引しているという衝撃の事実を知った。
弟のクセに、兄の競合相手と取引をしているのだった。
取引を停止した四男もまた、ドレイサー男爵家と取引を始めた。
我が領と取引を止めた所が、次々にドレイサー男爵家と契約をしているというではないか。
スタンピードが収束し、名誉騎士が死んだ、と聞いた時には喜んだ。
これで契約が元に戻るのでは?と。
だが甘かった。
息子が後を継ぎ、男爵から伯爵へと陞爵したことすら腹立たしいというのに、向こうから挨拶もなく、取引打診もなかった。それどころか、「名誉騎士はもういないのに、いつまで名誉騎士の名前に縋って小麦を売るのか。不敬にも程がある」と批判を受けることが増えた。
名誉騎士の実家だから取引をしていたが、名誉騎士はもういないから、と取引を中止してくる商店も増えた。
やって来たこと全てが裏目に出、ついに打つ手がなくなった。
年が明けてすぐ、名誉騎士の屋敷へと赴き息子へと面会を申し入れた。
四男や他の取引先と同じように多忙を理由に断られるかと思ったが、息子の新伯爵は応接室へと現れた。
息子は、若い頃の弟によく似ていた。
「やぁやぁクリス君。会えて嬉しいよ!」
「お初にお目にかかります、マンフィールド子爵」
他人行儀な挨拶に眉を顰める。
今年五十八歳になるエルトンは、まだ爵位を息子に譲ってはいなかった。
六十になるまでは、と頑張っていることを揶揄されている気分になるが、ぐっと飲み込んだ。
「我が領地のことでお話があるとか?」
時候の挨拶も何もなく、単刀直入に問うて来る息子の態度はよそよそしいの一言に尽きた。
もっと伯父に対する態度があるだろう、と思いつつも、エルトンは来訪の目的を告げる。
「何故マンフィールド小麦ではなく、ドレイサー男爵家の小麦を使うのだ?」
「品質が良いからです」
どいつもこいつも、口を開けば理由にそれを持ってくる。
エルトンは不快に顔を歪めた。
「君は甥だろう。伯父の領地を助けると思って、小麦を取引してくれないか。昔はうちの小麦を使っていただろう」
「品質が落ちたので」
「ふざけるな!言う程落ちてなどいない!」
立ち上がって怒鳴りつけるが、息子は微動だにしなかった。
「我が領はありがたいことに豊かですので、不味い小麦を食べる必要がありません」
「な…!」
「ドレイサー男爵家の小麦も、言う程高くはありません。かつては需要と供給のバランスが取れていた為、高値で安定していたようですが、今は供給が上回っているようなので、価格も安く取引が出来ます。…子爵のおかげですね、感謝します」
「…ば、馬鹿にしているのか!」
「名誉騎士の実家の小麦、などというふざけた銘で商品を売り出すそちらの方が馬鹿にしているのでは?と、私はずっと思っていたんですが、それについてはどう思われますか?」
「何…を、今更!今まで何も言わなかっただろうが!」
「父が黙認していましたので。…かつてはまだそれほど不味くもなかったですし」
「…貴様、うちの小麦を馬鹿にしおって…!!」
「今ならまだ引き返せますよ、子爵」
「…はぁ…!?」
息巻く男を、クリスは冷静に見つめる。
それだけで何故だか背筋を悪寒が走り、震え出しそうになる膝を隠すようにエルトンはソファへと腰かけた。
この息子は今や英雄となったが、エルトンは学園卒業資格を満たしただけの、戦闘経験などないに等しい男であった。
凄まれて、平然としていられるわけがなかった。
「失った信頼は、品質向上と地道な営業活動でしか取り戻せません。…大量生産などしなくとも、マンフィールド子爵家は豊かだったでしょうに」
「う、…うるさい…!」
「このままだと、全て失いかねませんよ。…甥として伯父に言えるのはそれだけです」
「…小麦の取引を再開してくれれば」
「それはありません」
「クリス!!」
「それから」
音もなく、クリスが立ち上がった。
瞬間、ひやりと室内の温度が下がり、エルトンは身震いをした。
「今後こうやってお会いすることはありません。…伯爵位を賜りましたので、私のことはバートン伯爵と呼んでくれたまえ、マンフィールド子爵」
「…ッ!!」
長男の姿が被る。
偉そうに、命令をしてくる男。
沸騰した怒りのまま立ち上がり、殴りかかろうと拳を上げた。
が、瞬きをした時には自分が床に転がっていたのだった。
「騎士団員、中へ!」
クリスが声を上げれば、即扉が開いて二名の騎士団員が入室して来た。
呆然と見上げる子爵を冷たい瞳で見下ろして、クリスは顎をしゃくって見せたのだった。
「伯爵への暴行未遂です。連行して下さい」
「はい!」
「は…!?」
両手を縛りあげられ、引きずられる。
「おい!クリス!!」
怒鳴るが、甥は他人を見るような眼をしていた。
「不敬罪も追加で」
「はぁ…!?何で、何故こんなことをする!!私はおまえの伯父だぞ!?」
「三男の前男爵は、今までの非礼を詫びた上で、友好的な関係を築いて行きたいと頭を下げてくれましたよ。翻ってあなたは?」
「……っ!!」
「今後も含めて、牢でゆっくり頭を冷やされるといいでしょう。連れて行って下さい」
「はっ」
全てこちらが悪い、と言わんばかりの甥の言葉に怒り狂ったが、牢に放り込まれて一週間、家族の誰も面会に来ず、執事や管理人すらも顔を出さない事態になってようやく冷静に考え始めた。
着替え等は定期的に使用人が差し入れしてくれるのだが、手紙も何も入っていない。
こちらからは近況を伝えたり、必要な物を書いたり、領地がどうなっているか報告しろと言っているにも関わらずだ。
それからさらに数日が経って、執事がようやくやって来た。
「遅い!!何故もっと早く来ないのか!!」
「申し訳ございません、手続きが色々とございましたもので」
「手続き…?」
問えば、平然と執事は書類を見せて来た。
「…な、息子に爵位を譲るつもりなどまだないぞ!?お前も知っているだろうが!!」
それはエルトンが子爵位を息子に譲るという書類であった。
しかもすでに認可されているではないか。
「おい…どういうことだ…」
「大旦那様、爵位を継がれた旦那様が新伯爵様に父親の無礼を詫びて頭を下げ、無理な事業展開を見直すこと、その機会を下さったことに深く感謝致します、と謝罪したことで、大旦那様は許されたのですよ」
「……な」
「大旦那様には、景色の美しい療養地の屋敷に移って頂きます。大奥様は王都に残られるとのことですので、お仕度を」
「待て、そんなこと急に言われても…それに何故私が、」
屈強な使用人が入室して来て、エルトンの身体を抱え上げた。
「おい!触るな!降ろせ!」
「お連れしなさい」
その後エルトンは田舎の小さな家に押し込められ、発言権を失い、通いの使用人と最低限の生活用品のみで生きていくことを強いられた。
これは婿入りした子爵家を蔑ろにし続けてきた結果であると、最期まで気づくことはなかったという。