100.
セシルは、自領でスタンピードが起こったと知った時、取る物もとりあえず冒険者ギルドへと走った。
「侯爵の息子」として都市でちやほやされるよりも、冒険者として魔獣と戦い、数を減らすことを選んだのだった。
Cランクに上がってから、セシルは真面目にダンジョン攻略を進めるようになっていた。
護衛がついて来るのは変わらずだったが、マークと共に掲示板にパーティー募集を出したり、応募があれば乗ったりもしてみた。
第二王子と活動していた時は、他人を入れるなど言語道断として考えたこともなかったが、二十一階からはマークと二人で進めるにはあまりにも敵が強く、すぐに諦めたのだった。
他人を入れての攻略は、非常に難しいものだと知った。
大抵メンバーとなるのは年上であり、セシル達より冒険者経験も長く彼ら自身の戦い方を確立していた。
彼らはセシル達を見ると「護衛を連れた貴族のお坊ちゃま」として扱い、勝手に攻略を進めて行くのだ。
話など聞いてくれない。
マークは後衛として回復だけしていればいいと言われ、セシルについては「邪魔になるな」と言われる始末であった。
本来プライドの高いセシルは突っかかったが、面倒くさそうに振り払われ、無視をされ、嘲笑われた。侯爵家の権力を使って黙らせようと思ったことは一再ではない。だがそのたびに、王太子の「たかが侯爵家のくせに、何様だ」と見下された屈辱を思い出し思い留まった。
セシル達を子供だと見くびり、適当に扱う連中は、悔しいけれども自分達より強いのだった。
ランクは同じでも、冒険者として自分達は格下なのである。
冒険者に爵位は関係ない。
だから王族である第二王子ですら、ランクを剥奪されたのだった。
冒険者の世界とは、完全なる実力主義なのだ。
こんな風に扱われるということは、自分達が弱いからなのだった。
唇を噛み、歯を食いしばり、理不尽な扱いをされない為にもっと強くならねばと決意した。
そんなことも知らねぇのか馬鹿め、と言われて悔しい思いをした為、真面目に勉強もするようになった。
中にはきちんと一人の人間として扱ってくれる者もいたし、逆に「こんなに小さな子が戦うの?大丈夫?」と違う意味で失礼な扱いをしてくる者もいた。
セシルとマークは、自分達がいかに恵まれ、守られた世界に生きていたかを知ったのだった。
冒険者になれば、誰も侯爵令息だからとちやほやしてくれない。
彼らの為に命を賭けてくれないし、守ってもくれない。
優しくしてくれないし、戦利品を優先してくれることも、休憩を気遣ってくれることもない。
これが冒険者なのだと、理解した瞬間だった。
一人の人間として、接しなければならないのだった。
二人とも経験したことのないものだった。
泣きそうになったことも、挫けそうになったことだってある。
もう辞めようと思ったことだって何度もある。
家に帰れば使用人達は従順で、家族は更正したセシルに対して親切だった。
家にいれば何も困ることはないし、傷つくこともない。
皆が優しくするのは当たり前だし、侯爵令息として真面目に歩み始めたセシルにはなおさら、昔より優しくしてくれるようになったのだった。
ここにいれば自分は何の苦労もなく生きられる。
もういいか、と思うことは何度もあった。
だが、ある日気づいたのだった。
この家でちやほやしてくれるのは、「侯爵令息」だからである。
自分が使用人だったらちやほやされるか?
全くの他人なら、優しくしてくれるか?
答えは否であった。
立場が変われば、冒険者としての自分の扱いと何一つ変わらないのだった。
つまり、冒険者としての自分が、現在の自分の立ち位置なのだった。
大人に囲まれて満足に戦うこともできない子供。
…悔しかった。
だから頑張ろうと思ったのだった。
王太子は十歳で冒険者デビューしてからずっと、パーティーを組んで活動していた。
こんな思いをしたことなんてないだろう。
他人に馬鹿にされたことも、嘲笑されたことも、邪険に扱われたことだって、ないだろう。
自分はその経験をしているのだった。
王太子の知らない感情、知らない屈辱を知っているのだった。
絶対に負けない、と決意して、冒険者を続けていた。
Cランクであるから、スタンピードの討伐場所は東の都市カンズの門を出てすぐ、弱い魔獣を相手にマークと二人で頑張っていた。
そこで、四人組のパーティーに声をかけられたのだった。
そのパーティーメンバーは一目で貴族とわかる装備と、立ち居振る舞いをしていた。
「僕達もCランクなんだ。君達のような若い子が二人で頑張っているなんてすごいね。良かったら一緒に戦わないかい?六人の方が殲滅速度が上がるし、効率がいいと思うんだ」
二人で危なっかしい戦い方をしている自覚はあったから、喜んで参加した。
パーティーでの戦い方を教えてくれ、前衛と後衛の連携の取り方を教えてくれた。
結果としてとても勉強になり、そしてこの人達は人間的にも素晴らしい人達であると知ったのだった。
姉と同い年という彼らは、侯爵令息と令嬢、伯爵令息とギルドマスターの息子だと言った。
こちらも名乗れば驚いたように目を見開いて顔を見合わせていたが、すぐに笑顔になった。
「自領の危機に自ら出てきて戦闘するなんて、君は立派な領主になるね」
「あ…ありがとうございます…」
冒険者に、そして年上の貴族に初めて褒められたのだった。
その後も自分達が戦える敵がいなくなるまで共に戦い、Cランク冒険者が解散となるまで見回りも共にしてくれた。
その後セシル達はルイビスタスへ飛び、できることはないけれども自主的に見回りをし、酔って暴れるような冒険者がいれば止めに入り、手に負えなさそうであれば私兵団を呼んだ。
自領を守る、という程立派な志があったわけではない。
だがここは、将来自分が継ぐはずの領地なのだった。
もっと知らねばならない。
もっと、守らねばならない。
そんな風に思い始めていた所で、騎士団員がやってきて連行されたのだった。
騎士団の詰所に入るのは初めてであり、牢に入れられるのも当然初めての経験であった。
貴族牢と呼ばれる部屋の調度品は豪華であり、物語で読むようなじめじめした石牢とは全く違っていて驚いた。
父に極めて重大な犯罪の容疑がかかっていると言われ、呆然とした。
しばらくここで過ごすように言われ、大人しくするしかなかった。
セシル自体に取り調べのようなことはなく、三食きちんと食事は出たし、メイドや従者はつかなかったものの風呂は自由に入れ、茶を飲みたければ自分で淹れさえすれば好きなだけ飲むこともできた。
着替えも屋敷から運び込まれたものを着替えることができたし、不自由といえば話す相手がいないことくらいで、おおむね快適に過ごすことができたのだった。
騎士団員が三名、入室して来たのは数日後のことである。
一人はソファに座り、二人はセシルが座るソファの背後に回った。
不審な動きをすれば止めるつもりなのだろうことは明白であったので、大人しく待つ。
「残念な知らせだ。君の父上は国家反逆を企てた罪で、裁かれることになった」
「こっか、はんぎゃくざい…」
そんな大それたことを、父はしたのか。
まさかそんな、という思いと、侯爵としての父のプライドの高さを知っている身としては否定もしきれず、セシルは眉を顰めて沈黙するしかなかった。
「そんな馬鹿な、と言わないのだね」
「…私にはわかりません…。法廷で裁かれるのですよね」
「無論だ。法に則って裁かれるよ」
「そうですか…あの、母と姉はどうしていますか」
「貴族牢に入ってはいるが、問題はないよ」
「良かったです…」
正直なところ、家族に思い入れはなかった。
両親は物心ついた時には姉にべったりで可愛がっており、セシルは跡取りとして厳しい教育を施された。
来る日も来る日も作法、勉強、鍛錬、勉強、勉強、勉強…。
「姉は一目見ただけで理解できた」
「姉は一度聞いてすぐに読めた」
「姉は努力家で何でもできて、優しくていい子だ」
あげくの果てには
「何故姉にできておまえはできないのだ。跡取りのくせに」
そんな風に言われ続ければ勉強だって嫌になる。
逃げたくもなる。
それが良かったとは思わないし、もっとできることがあったのではないかと今なら思う。
だが幼い子供に、逃げる以外に何ができたというのだろう。
幸いなことに、嫌だと突っぱねれば無理強いされることはなかった。
ただ、呆れたようなため息をつかれるだけだ。
それが嫌で嫌でたまらなかった。
母親は「かわいそうな子」、と言ったのだ。
「出来が悪くてかわいそうな子。でも跡取りはあなたしかいないから頑張って」
と、言ったのだった。
正直、愛情などない。
姉だけは勉強も作法も投げ出しても何も言うことなく、弟として言葉をかけてくれていた。
当時はそれすらも「上から見下しやがって」と素直になることができなかった。
セシルは変わったのだった。
もう一度Cランクに挑戦しよう、と姉に誘われた時に、変わろうと思ったのだった。
「姉は魔力を失う病を患っています。大丈夫なんでしょうか?」
あんなにうっとうしかった姉が、病を患い、もはや冒険者として活動できないかもしれないと聞かされた時、哀れに思った。
「大丈夫。ただ、君とは離ればなれになる。君は母君に引き取られ、母君の実家で暮らしてもらうことになる。姉君についてはまだ話を聞かなければならないことがあってね。その後はしかるべきところで療養してもらうことになるだろう」
「…わかりました」
立ち直らせてくれた姉には感謝しているが、自分はまだまだ子供であり、学ぶこともやらねばならないことも山のようにある。
療養できるのなら、口を出すことは何もなかった。
元気になってくれたらいいな、と思うくらいである。
「荷物をまとめておいて欲しい。今日中にここを出て、母君の実家へ向かってもらうからね」
「はい」
冒険者生活の中で、至れり尽くせりでなくとも自分のことは自分でできるようになっていた。
すぐに鞄に荷物を詰め、再び騎士団員がやってくるのを待つ。
外に出れば、母が泣きながら立っていた。
「母上」
「ああ、ああ…どうしてこんなことに…っ!!」
母は未だに現実が受け入れられないようで、憔悴しきっていた。
どこか冷めた感情が心をよぎるのを感じながら、セシルは騎士団員に頭を下げた。
「お世話になりました」
「君はこれから苦労をすることになると思う。だが君の人生だ。しっかり自分の足で立って歩くんだよ」
セシルに事情を説明してくれた騎士団員が、温かい笑顔を向けてくれた。
「侯爵令息」としてではなく、「一人の子供」として見てくれたのだと思えば嬉しかった。
グレゴリー侯爵家は取り潰しになり、領地も失い、母の実家である子爵家へと行かねばならない。
昔母の実家である子爵家は商売が成功し、とても羽振りが良かったという話であったが、セシルは母の実家には行ったことがなかった。
母に聞いても「あそこと関わるのはやめなさい」と他人事であったし、父に聞けば「我が家の名を利用するだけ利用して、失敗した恥曝しの家だ」と言われてはそれ以上聞けるはずもない。
そんな家に、これから母と行くのだった。
苦労など、目に見えているではないか。
だがセシルには、冒険者という道があった。
侯爵にはもはやなれないが、すでに冒険者なのである。
高ランク冒険者になれば、家など関係ない。
国すらも関係ない。
好きなように生きることができるのだった。
粗末な馬車に乗り込む際、見えた王都の町並みに、一瞬自分が継ぐはずであったルイビスタスの町並みを思い浮かべたのは、仕方のないことだった。