第一章 1-3
「……させない」
少女が囁いた。白濁の目を見開いた。
「よりにもよってあんたなんかに、あれを渡してなるものか――!」
ヨルベスクの背後の扉が決壊するようにしてこじ開けられる。伸ばされる腕、溢れ出すうめき声。亡者の群れが大聖堂内部へと押し寄せた。
一斉に、ヨルベスクへと群がり、襲い掛かる。
「ほう」
亡者の群れの方を向くことすらせず、ヨルベスクがほくそ笑む。と同時に、その足元の地面に亀裂が走り、そこから何本もの緑の柱が立ち上った。木の幹の如く太い巨体の、計六匹もの蠢く大蛇。毒液の滴る口を大きく開くと、たちまちヨルベスクの周りの亡者へと上空から襲い掛かり、次から次へと丸飲みにして平らげていく。
「それだけか、ネクロマンサー」
ヨルベスクがせせら笑い、指を鳴らす。
「では、次は――こちらの番だ」
ヨルベスクの周りの空間がねじ曲がり、次々に砕ける光を放つ。宙を踊り下りて疾走し、少女へとまっしぐらに向かう雷撃の渦。直撃したならば、たちまちに四肢を引き裂き、原型をとどめぬ程に肉体を焼き尽くすであろう怒涛の魔力。
少女が横に飛び出した。身を投げたと言った方が近い。攻撃を避けるにしても、あまりにも咄嗟、あまりに無策に過ぎるその行動に、ヨルベスクは失笑する。
雷撃が迸り、連鎖状に炸裂する。光の爆発が立ち上り、衝撃がヨルベスクの長い黒髪を揺らした。彼女の口元には笑みがあった。既に勝利を確信していたのだ。
煙が晴れる。雷撃が収まる。視界が明瞭になり、それと同時に、ヨルベスクの表情が曇った。
あちこち深く抉られた大理石の床、痛々しく刻まれた猛撃の痕。しかしそこにあの少女の姿はない。直撃し、蒸発して消し飛んだのだという線も考えたが、僅かに残る魔力の反応は、彼女が生きているということを示していた。だとすれば、何らかの手段を以て己を守ったか、危険地帯から遠ざけたのだろう。
「……小癪な」
とでも、言っておこうか――。内心相手を嘲笑しながら、ヨルベスクは細長い舌を一度ばかりちろりと出し、あたりの空間を見回した。自らの肉体を秘術によって蛇へと近づけているヨルベスクは、周囲の温度変化や熱反応を鋭敏に感じ取る第六の感覚を身に着けていた。彼女の感覚は頂点捕食者のそれであり、彼女から身を隠すなど土台無理な話なのだ。
感覚を研ぎ澄ませれば、熱反応の特定は早い。正面左の壁に置かれた彫像、その台座の背後。大方隠れながら反撃の術式でも用意しているのだろう――今は時間を稼げているつもりで。間違いない。彼女はそこにいる。
「どこにいる、ネクロマンサーめ」
わざと忌々しそうに吐き捨てながら、ヨルベスクは自身の左手の袖から這い出てきた一匹の蛇を指先であやし、手のひらの中に押し込んだ。そして、そのまま、なんのためらいもなく、ぐっと強く握りつぶした。指の間から、鮮血が溢れ出す。無論、いたずらに使い魔を殺めたわけではない。ヨルベスクの秘術のために、必要不可欠な所作である。
拳の中の血が、そのまま空中、上空へと、円を描くようにして流れ出した。まるで一本の糸を内側から引っ張り出すかのように、鮮やかに、滑らかな血の流動。そのまま円の内部へと血がひとりでに移動していき、空中に幾何学的な魔方陣を描いていく。きめ細やかに、そして迅速に。
「臆したか。出てくるが良い、始末してやる」
などと適当な台詞を吐きつつ、ヨルベスクが術式を起動した。手のひらの血の中へと魔力を注ぎ込み、魔方陣の門を介して世の理へと接続、因果改変・過程疑似形成の手順を手短に済ませ、物質世界へと放出したそれは、先程の攻撃が霞むほどの規模の、破壊の奔流の形象を成す。血流の魔方陣より放たれた黒魔術は、派手に弾けるエメラルドの雷撃の弾幕となって、少女へと襲い掛かった。
その瞬間、ヨルベスクが目を見開いた。己の致命的な見落としに気づいたのだ。




