第三章 3-4
《聖骸》を警備する任についていた執行者たちの元に、全身血塗れのセリーヌが現れたのは、それから程なくのことである。
「――どうしたんだっ」
「血塗れじゃないか! 一体何が――」
駆け寄ってきた男たちを見るや否や、セリーヌはその場に崩れこみ、わんわんと泣いた。
「神父様が……神父様が……!」
「何……!?」
セリーヌが、震えながら、通路の一つを指さした。執行者たちは顔を見合わせ、やがてそのうちの二人が前へ進み出た。
「お前たちは持ち場を離れるな。俺たちは確認を取りに行く」
「了解」
「……神父様……」
セリーヌは、流れ出す涙を、血塗れの袖で拭っていた。奥の通路へと、執行者の二人が向かっていく。
「……セリーヌ……」
あまりに不憫なその様子を見かねた一人の執行者が、彼女の元にしゃがみ込み、ハンカチを取り出そうとした。
そしてその時、はっと気づいた。
セリーヌの全身から、じわりじわりと渦巻きはじめた、異様なドス黒い波動。
――瘴気。
それも、新鮮な。
「……お前――」
男が言い終わることはなかった。セリーヌが腕を突き上げ、男の口を手のひらでふさいだ。と同時に、手のひらから濁流の如く溢れ出した瘴気が、男の気道を通り、肺と内臓をみるみる満たし、内側から一瞬にして腐らせた。上半身の肉がぶよぶよになった男が、その場に崩れ落ちる。口から、黒い霧のような瘴気が、もくもくと溢れ出した。唇の肉は、既に溶け始めている。
周りの執行者たちが雄叫びを上げ、セリーヌに襲い掛かろうとした。しかしその直前、彼らの背後の空間から半透明の手が繰り出され、彼らをその場で絞め上げた。勢いよく上に持ち上げられ、二人の首がその場で折れた。もう三人はこれでは死なず、空中に固定されたまま、喉元を掻きむしり、苦し気に呻いている。
セリーヌは彼らを気にも留めていなかった。担当の執行者の抹殺を終えた、二体の半透明の骸骨が、執行者たちが守っていた台座の上に立つ像の元へと昇っていく。二人の像の男のうち片方の手元に置かれた箱を丁寧に持ち上げると、ゆったりと下降し、セリーヌの前に頭を垂れて、それを差し出した。
セリーヌの手の中に、《エリエゼルの聖骸》が収まった。
「―――――ッ」
セリーヌの口元に、歪んだ笑いが広がった。
「あっはっはっはっはっはっは!!」
血塗れの少女はその場で小躍りし、
「勝った、勝った、勝った!! やったわ、やってやったわ!! これでおねえちゃんは生き返る!! おねえちゃんが帰ってくるんだ。やっと帰ってきてくれるんだ!!」
「――何が起きているっ」
ロドリゲス神父の遺体の元に急いでいた二人の執行者が帰還し、中央身廊に至ると同時に、その場に立ち止まり、絶句した。
「――馬鹿な」
「貴様――」
こんなことは、あり得ない筈――
「セリーヌでは、ないな――!」
――だが、だとすれば、一つだけ疑問が残る。
変装した魔女の侵入をこうも簡単に許すなど、通常ならばあり得ないことである。外見を変化させる類の魔術は、独特の魔力の波長を有するが故、それを感知できる聖職者には通用しない。だが現実として、ここに至るまでに「セリーヌ」と出会った十余人の聖職者、その誰もが全く気付かなかった。この少女がセリーヌでなどないことに。
つまり彼女は、変装するにあたり、一切の魔力を用いていない。
在り得る解は、一つ。
気づいてしまった執行者の顔は、目に見えて青ざめた。
「……まさか」
「気づくのが遅いわ」
『セリーヌ』だった少女が嘲笑い、くるりと身を翻すと、強く地面を蹴り出した。同時に、空中に取り残されたままの三人の執行者、彼らを抱えていたポルターガイストたちが彼らをぱっと手放し、少女の元へと群がると、彼女を空中へと引っ張っていき、遥か上空のステンドグラスの元へと誘った。同時に、自由落下した三人の執行者たちが、そのまま大理石の床に衝突する。骨が砕ける音が響いた。
昨夜の襲撃によって破壊されたステンドグラスは、この午前だけで修理が済むはずもなく、そのままである。そこを伝って、少女は外へと抜け出した。
「――追え」
地面に残された執行者の一人が、少女が逃げ出したステンドグラスを指さして叫んだ。周りには、教会内の執行者たちが、騒ぎを聞きつけて次々と集まってきている。
認識が甘かった。あまりにも甘すぎた。注意すべきは、今後どのようにしてネクロマンサーが侵入を試みるかではなく――既に侵入済みである可能性だったのだ。
「ネクロマンサーが逃げ出した!! 《エリエゼルの聖骸》が奪われてしまった!! 追え、追うんだ!! 今すぐに!!」
「――さぁ、《エリエゼルの聖骸》よ」
ポルターガイストたちに全身を掴まれた『セリーヌ』が、飛ぶような速さで路上を駆け抜
けながら、手の中の箱へと呼びかける。
「あたしの願いを叶えて。おねえちゃんを、蘇らせて――!」
ブランカの声にこたえ、《聖骸》の箱が眩い光を発する。ブランカは狂喜の叫び声をあげた。光は箱から豊かに溢れ、視界を覆い尽くしていく。
「やったっ」
ブランカの目に、思わず涙があふれた。
「やった!! 待っててね――待っててね、おねえちゃん――!!」