夏の日の刹那【ショートショート】
八月のうだるような暑さの中、外から聞こえてくるセミの声が僕の気分を苛立たせる。僕は蒸し暑い部屋の中で扇風機を回しながら冷たいアイスキャンディーにかじり付いた。口の中で氷のつぶを噛み砕くジャリッという音が頭に響く。
あっという間にアイスキャンディーを体内に吸収してしまった僕は、暑さをしのぐのに頼れるものが扇風機だけになってしまったが、それでもアイスキャンディーのおかげで体内の温度が幾分下がり、多少は過ごしやすくなった。
しかし、軽く積み上げた雑誌を枕代わりにして大の字に寝ころがり、身体に当たる風を感じていると、何の前触れもなく風が止んだ。扇風機が止まったのである。タイマーが切れたのだと思い、確認してみたがタイマーは切れていなかった。スイッチもONになったままである。
僕は首をひねりながらスイッチをカチカチといじってみたが、反応は無い。コンセントを確認してもちゃんと繋がっている。
「なんだこれ、壊れたのか? 勘弁してくれよ」
僕はそうつぶやきながら後ろに倒れるように寝ころがった。額にはすでに汗がにじみでている。
――まずい。どうしよう。この暑さの中、扇風機まで使えなくなったらどうやって生活していけばいいのだ。このままでは戸棚の隅で忘れられたあの日のバナナのように干からびてしまう。いや、それでもバナナのある場所は多少なりとも風通しのいい場所だ。ちくしょうバナナの野郎め――
暑さにやられたせいかバナナに嫉妬した。これはよくない。
しかし次々に溢れ出てくる汗と共に僕は少しづつイライラしてきた。
「だいたい、おまえがいきなりぶっ壊れるから悪いんだよ」
僕はそう言いながら足で扇風機を小突いた。
「痛っ、ちょっとアンタ何すんのよ」
扇風機に怒られた。って……え? ……ええ!?
「ちょっとアンタなにマヌケな顔してんのよ。謝りなさいよ。最低ねアンタ」
最低と言われた。
「あ、えーと、その……蹴ってごめんなさい」
僕はとりあえず言われるままに謝った。扇風機に。
「なにその謝り方。男らしくないわね。まあいいわ、アンタに紳士な態度を期待しても無理な話よね。それで許してあげるわ」
「はあ……ありがとうございます」
許してもらった。
「あ、あのー……」
「なによ、なんか用?」
「あ、いや、何で扇風機がしゃべっているのかなと思いまして……」
「ちょっと、なにそれ? 扇風機がしゃべっちゃいけないわけ? 差別よそれって。扇風機差別だわ。どうせクーラーにはそんなこと言わないくせに。あー嫌だ嫌だ。扇風機差別。せんさべ。せんさべ男! アンタ本当に最低ね」
「は、はあ……すいません」
もの凄く責められた。
「あ、そうだわ。アンタさっきアイスキャンディー食べてたでしょ。あれ、あたしにもよこしなさいよ」
「え、アイス食べるんですか? 扇風機が?」
「アンタね、扇風機がアイス食べちゃいけないわけ? 差別よそれって。扇風機差別――」
「わかりましたっ! すぐ持ってきます!」
また扇風機さんの追い込みが激しくなる前に僕はキッチンへ行き、アイスを持って部屋に戻ってきた。
「持ってきました」
「ありがと。あら? なんで二つも持ってきたのよ? まさかアンタも食べる気? 図々しい男ね。ちょっとは遠慮しなさいよまったく。……ほら、なにぼけっとしてんのよ。早く食べさせなさいよ。気がきかないわね。そうよ。その羽に絡ませるように。そう、うまいじゃない。なにニヤニヤしてんのよ気持ち悪いわね。せんさべきもい」
なんかいろいろ言われた。
扇風機はアイスキャンディーでベタベタになった。これはアイスを食べたということになるのだろうか。扇風機はこれで満足なのだろうか。アイス勿体ないな。と、床に散乱したアイスキャンディーを見ながら思う。掃除が大変そうだ。
アイスキャンディーをすべて床に散乱させた後、扇風機さんは何故か急に何もしゃべらなくなった。勝手な扇風機だ。僕が何を話しかけても反応が無い。頭(?)をトントンと叩いてもみたが、やはりしゃべらない。
訳がわからなかった。が、あの性格なら何となくこんな終わり方もありなのかもしれない、と僕は思った。
そして僕はもう一度扇風機のスイッチをいじってみた。すると扇風機は何事も無かったかのように羽を回転させ、涼しい風とともにベタベタに溶けたアイスキャンディーを僕の顔面に飛び散らせた。
――その後、きれいに掃除された扇風機は、故障する事もなく快調に涼しい風を送り続けてくれている。
僕はあれから何度か扇風機に、「もうしゃべらないんですか?」と問いかけてみたが、彼女からの返事は無かった。
ただ風を送り続けながら、黙ってゆっくりと首をふるだけである。
了