最終話 中編
(松伏視点)
「……はぐれてしまったな」
そう呟いて、私は今いる地点を確認した。
辺り一面血で染められている。逃げている内にあの『開かずの教室』に戻ってきていたらしい。となれば、ここに居続けるのは非常にまずい。いつ奴がここに戻ってくるか分からないのだから。
「どうしたものか……」
そう呟きながら、私は『開かずの教室』の中を調べて回った。と。
「……ん? なんだ?」
何かを踏んだような気がして、足元を見た。
「……これは!」
見間違えるはずがなかった。私が踏んだのは――『佐藤のボストンバッグ』の紐部分だった。
間違いない。佐藤は間違いなく、ここにいた。
そうなってくると、私の中で今まで考えていた推測が、徐々に確信へと変わってくる。いや、正直まだ半信半疑だ。……いや、受け入れたくない、の方が強い。
もしかしたら佐藤は――既に、奴に。
「……ん?」
ふと、床に何か違和感があり、よく目をこらして床を見る。
――血で書かれた矢印のようなものが見えた。
「……矢印?」
これに沿って進めと言う事だろうか。だが、矢印の方向を見ると、そこはロッカーだ。通れる場所等ない、はず。
「……とりあえず、行ってみるしかなさそうだ」
私は、矢印の方向に進み、ロッカーの前に立った。すると、右端から5番目、一番下のロッカーの奥に血で『押せ』と書かれていた。
幸い、屈めば私程の背丈なら入れる程度のロッカーだ。私は屈んで該当するロッカーの中に入り、壁を押した。
「……!?」
――開いた。壁が、開いた。そしてその奥には道が続いている。……一体どこに続いているのだろう。
「奥に行けば……分かるのか……?」
私は、その道に沿って進み始めた。が、暫くして。
「……なっ!?」
急に滑り台のような坂になった。思わず私は手を滑らせ、そのまま頭から滑り落ちていった。
暫くして滑り終えたのか、漸く動きが止まった。私が立ち上がり、辺りを見渡すと。
「な、なんだ、ここは……!」
床に魔法陣が書かれ、目の前の壁は祭壇のようになっている、まるで黒魔術でもしていたかのような小さな部屋になっていた。
よく見ると、祭壇の真ん中に何かが描かれている。私は近づいてそれを確認する。
「……頭が3つある……。これは、蛇か?」
頭が3つある蛇のような絵だった。もしかして奴の正体はこれなのだろうか?
……それにしても、あの矢印や血文字は誰が……?
そんな事を考えながら部屋を調べていると。
――ドンッ!
「!?」
左の何もない壁の方から音が聞こえてきた。壁の向こう側か。
「……誰かいるのか?」
私がそう言うと、更にドンドンと不規則に音が聞こえた。暫くして。
――ドンッ! ガラガラガラ……。
壁が崩れ、同時に何者かが倒れてきた。近づいてよくみる。と。
「……佐藤!?」
――佐藤光輝が、そこにいた。しかも口はガムテープで閉じられ、体は縄で拘束されている。
佐藤は私を見ながらなにやらモゴモゴと話そうとしている。
「待っていろ、今縄をほどく!」
そう言って、私はポケットの中から念の為持ってきていたナイフを取り出し、縄を切ってほどいた。
漸く手足が自由になったらしい佐藤は、そのまま自らに付けられていたガムテープを剥がして再度私の方を見た。
「紀和子、お前なんでここに……!」
「お前こそこんなところで何をしているんだ! 皆探してたんだぞ!」
「しょうがねえだろ捕まってたんだから! こっちだって訳わかんなかったんだからな! 急に片目隠した黒髪の生徒が出てきたと思ったら『贄』だの『選ばれた』だの『守り神』だのって!」
――今、何と言った? 『贄』? 『選ばれた』?
「……誰が、『贄』に?」
「話の流れとこの状況からして……、多分、俺が」
「お前、が……?」
私がそう聞き返すと、佐藤はゆっくり頷いた。
そうか。そう考えれば突然いなくなった事も、ここにずっと閉じ込められていた事も合点がいく。この祭壇の意味も、つまりそう言う事なんだろう。
……だが、何故佐藤なんだ。
佐藤はそれ程霊感が強い方ではない。それは私も人の事言えないのだが。……否、むしろ佐藤くらいの奴の方が『贄』にしやすい……?
――と言う事は、ここに留まっておくことは、やはり非常にまずいのでは。
「とにかく、すぐに逃げるぞ佐藤」
「ああ。ここにいたら余計やべえしな。事情はあとでいいか?」
「ああ、構わない。というか、さっきのお前の話で大方の事情はつかめたしな」
「フゥ、流石学年1位」
「言ってる場合か」
そんな事を話しながら立ち上がり、元来た道を戻ろうとする。頑張れば登り切れない事もない坂だ。……が。
「おや、お客様が来てたんだねえ」
この部屋唯一の出口を塞ぐように、女子生徒が立っていた。
「……誰だ、お前は」
私は彼女を睨みながらそう言った。彼女はクスクスと笑い、返した。
「私は『蛇神様』から直々に指名されてここにいる。……まあ、言うなれば『神の遣い』ってところかな」
「……佐藤をここに閉じ込めたのもお前か」
「おや、君は佐藤君のお友達だったのかい。こんな美人なお友達がいたなんてねえ。驚きだよ」
「……『蛇神様』と言うのは、あの壁に描かれているアレの事か?」
私がそう聞くと、彼女は「アレとは失礼だな」と不気味な笑みを浮かべながら返した。
「そうだよ。その方が『蛇神様』だ。『蛇神様』は『坂杜様』なんかよりもーっと凄い神様なんだよ? 口先だけの狐なんかよりもね」
「『坂杜様』は口先だけじゃねえ! あいつはちゃんと俺達の事も守ってくれる!」
「じゃあその『坂杜様』、どうして君達を助けに来ないんだい? 今、ここに」
……答えられなかった。悔しい事に。
確かに、『坂杜様』の事だ。私より先にここにきて既に佐藤を助け出せていたっておかしくない。
そんな『坂杜様』が――いない。
私の目の前にいる彼女は「アッハハハ!」と笑った。
「ほうら! 答えられないじゃないか! これが真実だよ。『坂杜様』は、私達の事を守ってくれやしない! いじめ! 暴力! 教師達は見て見ぬふり! 本当に『坂杜様』が守ってくれているなら、こんな事は起こっていないんじゃないか?」
言われてみれば、そうだ。『坂杜様』は、自分の力の低下を理由にしていたが、それは唯の言い訳に過ぎないのかもしれない。
ふと佐藤の方を見る。佐藤は拳を握っている。強く。その体は僅かだが震えていた。
……悔しいのだろう。私だって悔しい。
実際に『坂杜様』に『助けられた』身としては、そう言われる事は凄く、凄く悔しい。
だが、どうしようもないのだ。それが、『真実』なのだから。
――だが、佐藤も私も全てを諦めかけた、その時だった。
「惑わされるな、佐藤、松伏!」
聞き覚えのある声が聞こえたかと思えば、物凄い突風が吹き付けた。
その場にいた全員が思わず目を瞑り顔をそむける。
暫くして風は止み、私も佐藤も恐る恐る前を見る。
――灰色の、九尾の、狐。
間違いない。『坂杜様』だった。
「『坂杜様』……!」
「その様子だと間に合ったようだな」
「おっせえよアホ! もう少しで死ぬとこだったわ俺!」
「喧しい。私は私で調べ物をしておったのだ。……貴様の正体なら既に分かっておるのだぞ」
そう言いながら、『坂杜様』はあの女子生徒の方を見た。
彼女は驚いたような表情を見せ固まった後、急に笑いだした。
「いやー、やっと会えたねえ『坂杜様』?」
そう言って、彼女は指をパチンと鳴らした。
その瞬間、辺りに煙が立ち込めた。だが何故か息苦しさはない。
暫くして煙が消えると――女子生徒は消えていた。代わりに、2本の尻尾を持つ少し大きい黒猫がいた。
「……やはり貴様だったか、『猫叉』」
「久しぶりだにゃあ、『坂杜様』よ」
「何しに来おった」
「何って、決まってるにゃ。最近腑抜けたあんたの為にひと頑張りしに来たのにゃ」
「……こやつらを巻き込んでか。更には『蛇神様』まで巻き込みおって」
『坂杜様』のその言葉に、『猫叉』は「にゃっはははは!」と笑った。
「元はと言えばあんたが悪いんじゃなーいかにゃ? この『杜坂東中学校』もまともに守れなくなった、あんたがさー」
『猫叉』の言う事は正論だった。そもそも、『坂杜様』がちゃんとこの学校を守れていれば。
だが、『坂杜様』は笑って返した。
「残念だがな、私の『力』は徐々に回復しつつある。今くらいの力があればこの学校の殆どを守りきることができるであろうなあ」
「ほう? じゃあなんでそれを今しないのかにゃー?」
「貴様が呼び出した『蛇神様』が邪魔をしているからに決まっとろうが」
『坂杜様』と『猫叉』が話している内容が理解できずにぽかんとしていると、『坂杜様』が続けてこう言った。
「奴は、神様なんかじゃない。唯の化け物だ。名前に『神』とついてはいるが、そんなものは昔から信仰していた奴等のでたらめだ。厄介な事に、奴は私が『力』を使っても止められぬ。このままだと、ここにいる全員が奴の『贄』になる」
「にゃにゃ!? 『贄』は一人だけじゃなかったのかにゃ!?」
「そうだ。むしろ『贄』と言ってはいるが奴にとっては唯の『食事』にすぎぬ。良いか! 貴様は、とんでもないものを呼び出してしまったのだ!」
『坂杜様』がそう叫ぶと、『猫叉』は何処か縮こまった様子だった。
「だ、だって、知らなかったのにゃあ……。そんなの、聞いてないのにゃあ……」
――その時だった。
「……!?」
『猫叉』が突然後ろの出入り口の方を見た。何かがこちらに近づいてくる音がする。
『坂杜様』は私達の方を見て言った。
「そこの部屋に居ろ。先程まで佐藤がいたのだろう? 其処に隠れていれば安全なはずだ」
「……まさか」
「……奴が、来るぞ」
その言葉に、私は佐藤と顔を見合わせた後、同時に頷き、先ほどまで佐藤が閉じ込められていた部屋へと逃げた。
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(新見視点)
息を整えながら、俺は教室の中から廊下の方を見た。
俺と後藤が今いる所は3年の教室。走っている内にここに辿り着いたらしい。
「まいたか……?」
廊下の安全を確認すると、俺は一旦後藤をおろし、教室のドアや窓を閉め鍵をかけた。
その後、再度後藤の方に近づいた。
「大丈夫か、後藤?」
「……はい、なんとか」
「そうか、良かった。とりあえず鍵はかけておいたが……、ここにいつ奴が来るかわからないからな。……それにあれだけのでかさだ。ドアなんざすぐぶち破ってくるだろ。ま、それでも今はここで大人しくしてるしかないか。他の奴等ともはぐれたしな」
そう話しながら後藤の隣に座る。後藤の方を見ると、少し不安そうな顔をしていた。……というより、心配しているのか?
「……心配か?」
俺がそう聞くと、後藤は「はい」と頷いた。
「……皆、無事なんでしょうか」
「……大丈夫だ。あいつらは、特に佐藤や松伏、丑満時に霊界堂先生辺りは、こんな事で簡単に死ぬような奴等じゃないさ」
「……だと、良いのですが」
そう言って、後藤は再び俯いた。
……正直言うと、俺も他の奴等の事が心配ではあった。
だが、今は全員無事であることを信じるしかない。それしか、出来ない。
(……ただ、いざとなったらこいつを)
俺はポケットの中から1枚のお札を取りだした。
このお札には確かな効果がある。これまでもこいつに守られてきた。……だが、あれほど大きな奴となると、自らに起こりうるリスクも考えなければならない。
(……生徒を、この学校を守る為だ)
俺は再び、お札をポケットの中にしまった。
【最終話 後編へ続く】