ゾンビがゾンビを狩る話
【聖暦216年 竜の月の七日 エルターナ王国辺境“死霊の森”】
見られている……
俺は何時もの視線を感じたが、今は目の前の敵に専念せねばならない。
構わず俺は剣を横薙ぎに一閃して、ゾンビナイトの首を一撃で刎ね飛ばした。耐久力に秀でたモンスターとは言え首を失っては一たまりも無く、そのまま糸の切れた人形の様に苔むした地面に倒れ伏した。
首の無い死体には興味は無い。目当ては、俺が今刎ね飛ばしたばかりのゾンビの首……あった。茂みに転がり込んでいたゾンビの首を拾い上げると、ナイフで両目を抉り出して首は捨てる。そして、粘つく糸を引く目玉を道具袋の中に放り込む。腐臭が酷いので、急いで袋の口をキツく閉じた。
袋の中には、朝から集めたゾンビの目玉がこれで二十個入っている……だが、六十個集めないと報酬が出ない。正直、気の滅入る仕事だが報酬は良い。何でもコレが薬の材料になるらしいが、どんな薬なのか知らないし知りたくも無い。
疲れた……
朝からこの鬱蒼とした暗い森の中で、延々とゾンビを狩り続けている。先日、大金を支払って購入した、ミスリルロングソードのお陰で、ここのゾンビ共に遅れを取ることは無いが、流石に疲労が蓄積している。
俺は周囲に敵が居ないのを確かめると、捻じくれた大木の根元に腰を下ろした。
思わず溜息が漏れた。かれこれ一週間も、報酬に惹かれてこの辛気臭い森に籠り、延々とゾンビ狩りを続けている。辺境の街に戻るのは、目玉を依頼主の魔術師に引き渡して報酬を得る時か、消耗品の買い足しの必要に駆られた時だけだ。
一体これは何時まで続くのだ……
無論、いい加減古びて来た今の鎧よりも良い物を買い揃える金が貯まるまでだ。そうすれば、森の先にあると言う“竜の墓場”に行く事が出来る。
ここよりも遥かに危険な場所であるが、得られる財宝や報酬は今の比では無いだろう。そこで得た金で更に良い装備を整え、その先は……よそう、そんなに先の事を考えても仕方が無い。
それにしても、思えば遠くまで来たものだ。俺はこの森に至るまでの足跡をぼんやりと思い出していた。
故郷の村を離れて、もうどのくらい経っただろう。駆け出しだった頃の俺は、今よりも弱くて未熟だったが、今よりも遥かに理想に燃えていた。
「ゆくゆくは冒険者の器に収まらず、一国の王か伝説に残る英雄になろう!」
冒険者ギルドで出会い、意気投合したかつての仲間たちと酒場で幼稚な夢を語り合った物だ……今ではあいつらの顔さえも思い出せない。長く旅を続け、世間に揉まれ、現実と言う物を思い知る度に、夢は褪せ、理想は朽ちて行った。
だからと言って引退もせずに惰性で冒険を続け、夢も野心も失って目先の報酬の為に延々とゾンビを狩り続ける俺も、同じくゾンビの様な物だった。
見られている……
不意に視線を感じ何者かが近づいて来る気配を感じたが、モンスターや無法者の類では無いと雰囲気で解り、そのまま休憩を続ける。
茂みを掻き分けて現れたのは、ローブ姿のエルフの女魔術師だった。向こうも俺がここに居るのが気配で判ってたらしく、別に驚く気配も見せなかった。
エルフ女は無言のまま俺に会釈をすると、そのまま森の奥へと消えていった。どうやら、あいつもゾンビ狩りに来たクチの様だ。
さて、そろそろ昼も近い。もう一頑張りして目玉を集めて一旦街へ戻ろう。そう決めた俺はゆっくりと腰を上げると、獲物を探しに出掛けた。
……昼を大分過ぎたが、思うように目玉が集まらない。元から目玉が潰れたゾンビも居るが、大半は戦闘の過程で攻撃が頭に当たってしまい、折角の目玉が潰れてしまう。頭に当てない様に気を使っても、ここのゾンビは中々に素早くて思う様に攻撃を当てられない。
夕方までに目玉を集めて街に戻るつもりだったが、これでは間に合いそうも無い。俺は危険だが、もっと多くのゾンビが彷徨っていると言う森の奥を目指す事にした。実際、森の奥に入るのは初めてだが、新しい武器もある。多分、何とかなるだろう。
見られている……
森の奥で、またもや俺を見つめるかの様な視線を感じたので、剣を構えて周囲を警戒したが誰も居ない……やはり気のせいか? だがこの森に来てからと言うもの、明らかに誰かの視線を感じる事が多くなった。
“死霊の森の奥には白い魔女が棲んでいて、ゾンビを操っている”
街で聞いた噂話を不意に思い出した。なら、視線の主はその白い魔女とやらか? ……馬鹿馬鹿しい。今までに魔女に出会った冒険者の話など聞いた事も無い。大方、迷信深い田舎者の世迷言だろう。
とは言え、午後も大分過ぎて周囲も暗くなり初めている。目玉はあと二個手に入れればノルマを達成出来る。長居は無用だ。俺は視線を無視して更に森の奥に踏み込んだ。
……妙だな、この場所には見覚えがある。
森の最も奥と思われる辺りで、不意に木々の生えていない、ちょっとした天然の広場の様な場所に出た。広場の真ん中には、大きな石碑の様な岩が立っている。初めて来た場所なのに、初めてじゃない……俺は奇妙な既視感と同時に、またも強い視線を感じて振り向いた。
白いローブを着た少女がそこに立っていた。
十歳かそこら位か、長い金髪を足元まで伸ばし、袖の無い白いローブ以外には靴すら身に付けてない。透ける様な白い肌と細身の身体はまるでエルフの様だが、尖って無い耳を見ると、どうやら人間であるらしい。
人形を思わせる端整な顔に薄い笑みを浮かべた様は、それがどんなに美しく無害な少女に見えても、あきらかに場違いなこのゾンビだらけの森の奥にあって、俺に警戒心を抱かせるのには充分だった。
「こんにちは」
少女が小首を傾げながら挨拶をしてきた。
こいつが噂の白い魔女か? ならばずっと感じていた視線の主もこいつだろうか? いや、視線は相変わらず少女とは別の所から感じられる。ならば、どこかに仲間がいるのだろうか? 俺は周囲を警戒しながら少女に問うた。
「何者だ? ここで何をしている?」
少女は剣を向けられても、臆する事無く笑顔で答えた。
「私は、あなた達が白い魔女と呼ぶ存在。そして、ここでゾンビがゾンビを狩る滑稽な見世物を見ているの」
「何!?」
思わず驚いて聞き返す。俺は確か昼前に自分をゾンビみたいだと自嘲したが、何故それを知っているのか?
「違うわよ、おバカな冒険者さん」
少女……魔女は嘲るように言いながらケタケタと嗤う。俺の心を読んでいるのか!?
「そうじゃ無くてあなたもゾンビだって言ってるの。ゾンビ“みたい”じゃ無くて正真正銘のゾンビだってね」
馬鹿な事を……。俺は剣を構えて間合いを詰めた。
ミスリルロングソードは、アンデッドには効果が高いが魔女はどうかな? 相手は小さく華奢だが、デーモンの様な大型の怪物が化けている可能性もある。どう倒すか思案していると、不意に魔女が視界から掻き消す様に消えた。
「こっちよ、冒険者さん」
戸惑う俺の背後から魔女の声が聞こえて、俺は慌てて背後……つまり広場の真ん中にある岩の方に向き直り……
……岩の前に佇む魔女と、その足元に横たわる血まみれの……俺の死体を見た。
「……は?」
俺はショックで身じろぎ一つ出来ないまま、呆然と自分の死体を見つめた。身体のあちこちを何者かに食いちぎられて、ボロボロになってはいるが間違いなく俺自身だった。いや、一箇所だけ……死体の傍らに転がってる武器だけが違っていた。
あれは、デーモンブレード……。今の武器である、ミスリルロングソードに買い換える前に持っていた……
「前は深入りしすぎて此処まで来たけど、このデーモンブレードが闇属性のゾンビと相性が悪くて、結局ここでゾンビに囲まれて死んだのよね」
何を……言って……
呆然とする俺の脳裏に、急に“記憶”が蘇った。俺はヘビーゾンビナイトの群れに囲まれて、必死で剣を振るったが数が多すぎた。そして、ついにゾンビの剣に腹を抉られて、膝を着いた所で奴らが汚い歯を剥き出して一斉に……
俺は喉を食いちぎられ、手足を齧られ、目玉を穿られ、死に切れて無いのに腹を裂かれて臓物を……
「うああああああああああああああ!! ああっ! あああああああああああああああああああああ!!」
おれはゾンビ共に生きながら食われる苦痛と恐怖を“思い出して”武器を取り落とし、頭を抱えて蹲った。視線はますます強くなり、まるで空から見下ろされている様だった。
「キャハハハハハハハ! 思い出した? その前は“巨人の洞窟”だったわよね」
魔女の哄笑と共に、また死の記憶が蘇る。そうだ、俺はジャイアントウォリアーの振り下ろされた棍棒を避けきれずに……全身の骨を砕かれる激痛を受けて、俺はまた悲鳴を上げた。
「その前は“古戦場”で無法者の一団に嬲り殺されて。更にその前は“大湿地帯”でワニの群れに喰い散らかされて。で、更に更にその前は……」
「やめろ!! やめてくれえええええええええ!!」
俺は地面をのたうち回って泣き喚くが、死の記憶が苦痛と恐怖と共に次々と浮かび上がって来る。巨大アリの群れにむさぼり喰われ、ピットバイパーの猛毒にのたうち回り、オークの戦斧に頭を割られ、ゴブリンの群れに追い回された挙句……
「あああああああああああああああああああああああ!!」
何十回と悲鳴を上げ続けて、俺はもう起き上がる気力も無く地面に倒れ伏していた。目の前に立つ魔女は、ネズミをいたぶるネコみたいにニヤニヤ笑いながら俺を見下ろし、さらにその上から何者かの強烈な視線が突き刺さる。
「全部思い出したみたいね?」
「俺は……何なんだ? 何度も死んでるのに……何故生きてる? 本当にゾンビなのか?」
魔女は俺の目の前にしゃがみ込んで、笑顔を崩さないまま逆に質問してきた。
「あなたが何者かって? じゃあ死の記憶を思い出したついでに、これも思い出してみて? 両親の名前は? 生まれ育った家はどんなだった? 子供の頃の思い出は? 冒険者を志したきっかけは?」
「そんなこと……親の名は……」
思い出せなかった……生家も、旅立つ前の記憶も、何一つ。思い出せる一番古い記憶は、冒険者ギルドで登録をして生家の無い故郷の村を旅立った時……
死の記憶とは違う恐怖が頭を満たし、全身がガクガクと震えだした。
俺は……何なんだ?
「強いて言えば運命の操り人形。 魂を持たず、運命に操られるままに冒険を続け、戦い続け、死に続ける哀れな死人形……それが、あなた」
魔女は哀れむ様な表情になって俺を見下ろす。
「このまま、あなたは運命に見放される時まで戦い続け、死に続ける。可哀想だけど、あなたはそう言う星に生まれついたの」
「助けて……たすけてくれ……」
俺は啜り泣きながら、魔女に慈悲を乞うた。魔女でも悪魔でもいい……俺を死に続ける運命から開放してくれ、その為なら何でもすると。
魔女は再び笑顔に戻って俺の哀願を受け入れた。……彼女は明らかに楽しんでいた。
「いいわ、あなたをこの悲劇から救ってあげる。でも、運命を断ち切る事が出来るのはあなた自身。私にはその手伝いしか出来ないわ」
それでもいい、何でもいい。俺は這いつくばったまま、魔女に頷いた。
「わかったわ。さあ立って」
俺は剣を杖代わりにヨロヨロと立ち上がった。魔女はそんな俺の手を取って、小声で呪文の様なものを短く唱え、次いで空を見上げながら俺に言った。
「さあ、あなたにも見える様にしてあげたわ……空を見てごらんなさい」
俺は言われるままに空を見上げて……そして全てを理解した。
どうして俺は今までこれに気付かなかったのだろう? そこには今まで感じていた視線の主がいた。
空一面に大きな四角い“窓”が開いていて、窓の向こうには暗い空間が広がっている。そしてこちら側の光を受けて、巨大な生気の無い男の顔面がぼんやりと浮かんでいた。その醜くたるんだ男の顔は、俺と魔女を呆けた様な表情で見下ろしている。
「あれが……運命」
「そうよ。あとはどうすれば良いか、もうあなたには解ってるわね?」
俺は運命の醜い顔を見上げながら頷いた。そうとも。今や俺は自分の為すべき事を理解していた。
次第に視界に白い靄がかかり、意識が遠くなって行く。おれは傍らの魔女を見下ろした。彼女は既に俺から離れて、広場の石碑の前に佇んでいるが、それも靄に霞んで見えなくなっていく。俺は魔女に最後の問いを発した。
「結局、お前は何者なんだ? 本当に魔女なのか?」
魔女はクスクス笑いながら俺に答える。距離が離れているのに、その囁く声は俺の耳元ではっきりと聞こえた。
「誰でもいいじゃない。私はただ、あなたみたいに困ってる人を見捨てて置けないだけ。……さて、私はそろそろ行くわ。ここには、あなた以外にも苦しんでる人が大勢いるの」
もう遠くがほとんど見えないが、何者かがこの広場に入ってきたようだ。あれは、昼前にあったエルフの女魔術師か? 魔女は足取りも軽くエルフの方へ歩み寄って行く。それを最後に俺の視界は完全に白く塗りつぶされる。
「こんにちは、エルフの冒険者さん。 少しお話したい事があるの……」
魔女の声も次第に遠くなって行き、意識も闇に沈み始める。……ここから先は、運命に依らない俺自身の使命だ。どうすれば良いかは解っている。俺はそのまま意識を闇の中に手放した……
【西暦2016年 7月7日 日本国某所 “裏野ハイツ102号室”】
見られている……
オレはモニタから目を離して振り返ったが、ゴミが散らばる薄暗い部屋と閉め切ったカーテンが見えるだけだった。まあ、シャンプーしてる時に後ろから視線を感じるとか、よくある気のせいってヤツだろう。
気を取り直してモニタに向き直る。
最近購入したミスロンのお陰で、順調にゾンビクエを進められている。こないだは武器が弱くて死んでしまったけど、これなら楽に稼げるだろう。
一体コレは何時まで続くんだ……
ふとオレはそんな思いに駆られた。今やってるMMOのクエの話じゃ無くてオレの話だ。四十過ぎて無職。働いた事は一回も無い。親からは自活しろ! と家を追われてこのアパートに押し込められた。仕送りはまだあるけど、実質追い払われたみたいなモノだ。
今では就活どころか人の目も怖くて完全な引きこもり状態。コンビニに行くのもほとんど深夜。アパートの住人とも全く顔も会わせない。部屋を空けるのは年末に実家に寄る時くらいだ。正直家を追われて……いやそれよりも前からオレは生きてる実感ってヤツがまったく無かった。
薄暗いモニタ写ったオレの顔を見る。生気の無い弛んだ顔がまるでゾンビに見えて、思わず目をそらした。仕送りはいつまで在るか判らない、いつかは両親も死ぬだろう。……そしたらその先は?
オレは首を激しく振る事で悪い考えを追い出して、現実を忘れる為にMMOに戻った。考えてもしょうがない。今は狩りに集中しよう。良い加減過疎って来たが、このMMOは現実では死んでるも同然のオレに取っては、現実に替わる充実感を与えてくれる。
だが、今日はクエアイテムの集まりが悪い。少々レベルが足りないがもう少し狩場の奥に移動しよう。前もそれで死んだけど、こんどはミスロンもあるし大丈夫だろう。
「なんだこりゃ?」
オレは思わず声を出してモニターを見つめた。今までに見たことも無いNPC? が突然現れたからだ。
NPCは白いローブを着た幼女の姿をしている。この位置からは顔が見えないけど、長いド金髪に白い肌に細い身体でオレの好みのド真ん中だ。
だが、これは何なのだろう? モンスターでは無いようだ。隠しイベント? いや、そんな話は聞いた事も無い。 なら、これは……
まさか異世界転生の前触れ!?
オレは思わずガッツポーズを取った! なろうで沢山読んでたけど本当にあるんだ! トラックに轢かれなきゃダメなんだと思ってた!
しかもこんな可愛いロリ付きだなんて、ようやくオレのクソ人生にも光が見えて来た! オレは急いでパッドを操作してロリに話しかけたが、その途端、画面がフリーズして動かなくなった。
「おい!? ここに来てフリーズとか! 動け!!」
オレは思わずパッドを放してモニタに齧り付いた……すると、モニタの中の俺とロリがこっちを向いた。
え?
呆けた表情で画面を見ていると、俺が画面から消えた。
次いで画面が白く染まっていく。何も見えなくなる瞬間、ロリがオレの方を向いてイタズラっぽく笑い、そして画面は白一色に染まって何も見えなくなった。
……見られている
オレは背後に強烈な視線を感じた。今度は気のせいなんかじゃない。
おそるおそる振り向くと、閉め切ったカーテンの前に俺が立っていた。
俺はミスロンを手にして憤怒の表情を浮かべている。
あ……
俺は呆然として声も出ないオレに無言で近づくとミスロンを振り上げ、そのままオレの顔面を目掛けて勢い良く振り下ろした。