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あかつきの冬 後


ランチェスは巨大な鉄門の前に立って、唾を飲んだ。

門には、交差した二枚の鳥の羽と鉱石を模した五角形が、環を成す穀物の穂に囲まれた文様が掘りこまれている。

ランチェスの努力が詰まった倉庫が崩壊したあの朝、カケルが教えてくれたのは「コクウ商会」という出資団体の存在だった。出資を受けて菓子屋を出店してはどうか、と言うのだ。

ランチェスは知らなかったのだが、コクウ商会は余剰資金を使って、面白い事業をやろうとしている人や一芸に秀でた人を支援している、らしい。

出資なら借金と違って基本的にお金を返す義務は発生しない。

出資を受ける条件はただ一つ、出資者がランチェスの事業に興味を持ち、支援に値すると認めることだ。

ただ、その出資者を納得させるのが、かなり難しいという話だった。

(でもやるしかない)

『大繁盛しているお菓子屋さん、見たかったなぁ』

その言葉がランチェスの背中を押した。


コクウ商会は鉱石を扱うこの島最大の商社である。

この島の特産物は西領で採れる鉱石だ。赤陽石や白桜石などの装飾品として価値のある宝石も採れるが、主に採掘されるのは動力源となる鉱石であり、この島以外ではあまりとれない貴重さもあって、島外の人々に売ると良い値がつく。


西領で採掘に携わる鉱夫たちは山師と呼ばれ、採れた鉱石を精錬する職人は吹き師と呼ばれる。彼らはそれぞれ、山師連・吹き師連という組織をつくり、鉱山経営をしているが、職人気質の彼らでは、掘った鉱石を販売するところまで手が回らなかった。

そこに目をつけたのがコクウ商会だ。

コクウ商会は山師連・吹き師連から安価で大量に仕入れた鉱石を、祭礼の時に大陸の商人向けに高値で売っている。仕入値と売値の差がまるまるコクウ商会の利益となる、中間産業だ。


ひどく儲かっているらしい。

カケルに教えてもらったコクウ商会の本社は、壱区でもそうそう見ない、石造りの立派な建物だった。

場所は西よりの北領。

土地としては旨味がないから地代は安いが、西で採れる鉱石を東の大港で売るコクウ商会にとっては、本拠地を構えるには都合の良い場所なのだろう。


手に持った風呂敷がやけに重い。

風呂敷の中には、昨夜作った菓子が詰まっている。


心を決めて、門の前に立つ。と、そこで呼び鈴が無いことに気づいた。立はだかる門は、ランチェス二人分の高さはある。植物の彫刻が施された紺碧の石門は、叩いたところで音を通してはくれなさそうだった。

さてどうするか、と途方に暮れた時、頭上からバサバサと羽音が聞こえてきた。見上げると、薄水色の空に真っ黒な鳥が染みのように浮いていた。リーヴェだ。

突然の出現に唖然としていると、その黒鳥はだんだん近づいてきて、ついにはランチェスのすぐ横に降り立った。立派なリーヴェだ。黒々とした羽毛は日に照らされると瑠璃色に光った。

リーヴェの背から、騎手が降りてくる。寒風から顔を守るための頭巾を雑に取ったその人は、驚いたことにまだ少年だった。

肉付きが薄いから、まだ十代半ばなのだろうと分かるが、ランチェスとほぼ変わらないくらい背が高い。乗っていたリーヴェと同じく髪は黒で、風にあおられてかすかに癖のついた前髪がけだるげで、感情の色をにじませない涼やかな目元とともに独特の雰囲気を作り出していた。

何で自分がここに立っていたかも忘れて、ぼーと見ていると、こちらに気づいた少年が近づいてきた。

「ここに用?」

大陸語だ。驚きつつ、ランチェスは自分も大陸語で返した。

「出資について、コクウ商会の代表の方とお話ができたらと思い来ました。この建物、入り方が分からないのですが、ご存知ですか?」

少年はしばらく考えていたが、一つ小さくうなずくと、ランチェスを無言で手招きした。

少年が案内した先には、小さな木のくぐり戸があった。真っ先に目に飛び込んできた巨大な鉄門に目を奪われていたせいで、気づけなかったらしい。

「あれは飾り。こっち、本物」

ランチェスが目を丸くしていると、面白かったのか、すこし顔に笑みを浮かべて少年が言った。

少年は、勝手知ったる様子で、ずんずんと建物の中を進んでいく。入ってすぐの吹き抜けになった広間を通り過ぎると、空間をたっぷり使って上へと延びる螺旋階段を上り始めた。時折ランチェスがついてきているか気にするそぶりを見せたので、ランチェスはよくわからないまま、少年の後をついて行った。

鉄筋で作られた螺旋階段や黒い石壁は無機質な感じがするが、吹き抜けの天井はガラスが張られ明かりが沢山入ってくるようになっていて、そのせいか冷たい印象はなかった。こんなに凝った建築は、壱区でもなかなか見ない。きっと、目が飛び出るようなお金をかけて建てたのだろう。

少年は最上階まで上がると、最奥の部屋の扉を叩いた。

「おじさん、ハヤテです。入っても?」

今度はこの島の言葉だった。やはり思った通りだ。多分、少年はランチェスの容姿を見て大陸人だと(その通りだが)勘違いしたのだろう。それで、大陸語しか通じないと思って大陸語で話しかけてきたのだ。

部屋の中からは一言、入れ、とだけ聞こえた。

重そうな木の扉を、少年はいとも簡単に押し開けた。

部屋は案外小さかった。

本棚に囲まれた、長方形の部屋。棚に入りきらない書籍と、何か書かれた大量の書類が雑多に床に積み上げられている。黄ばんで変色している書類もあれば、真新しいものもあって、長い時がこの部屋で流れてきたのだと感じられた。

壁にはランチェスも見慣れた航海地図。船で実際に使うものよりかなり大きなその地図には、たくさんのピンが刺さっていた。

窓が一つあって、冬の日差しが差し込んでいる。窓の枠にはたくさんの鉢植えが置いてあって、部屋に色を添えていた。冬でも咲く小さな黄色い花は、確かササクズレという雑草ではなかったか。雑草を鉢植えに植えて飾るとは、ここの部屋の主はなかなかしゃれている。

その、部屋の主らしき人物は、窓のある壁に向かい合うように設置された机の前に頬杖をついて座り、何か書いていた。

「おじさん、お客さんです」

少年がその人物に声をかけると、彼は手を動かすのをやめてこちらを見た。

その顔を見た瞬間、ランチェスはこの二人が血縁者だと知った。

黒い髪は光に透けても依然黒々としていて、その髪に縁取られた顔は、彫刻のように整っている。まるで職人が時間をかけて丁寧に粗を除いていったかのように不自然に完璧だった。

だが、その完璧さとは裏腹に、ひどく体つきの貧相な男だった。肩幅はなく、羽根つきの筆を握る手も女かと思うほどに頼りない。座っているので分からないが、多分背はランチェスの胸辺りまでしかないのではなかろうか。

大人の顔を間違って子供の体にくっつけてしまったような、そんな奇妙な迫力があった。

少年よりも年上なのは明らかだが、実際どのくらいの歳なのかは分からない。張りのある肌は二十代のそれだが、纏う雰囲気はどちらかというと堂々としていて、老成している。

男が口を開いた。

「珍しい毛色の客人だ。ハヤテ君、彼は何者だ」

男にしては高く、鼻が詰まったみたいな声だ。端正な男の口から漏れ出た音と知らなければ、しゃがれた老婆の声とでも思うところである。

「大陸の商人だと思うんですけど、門の前でぼんやりしてたので、つれてきました。用件は聞いてません」

男は頷くと、ランチェスを見た。

「こんにちはお客人。お名前とご用件を伺っても?」

流暢な大陸語だ。さっきの少年は、どこか発音がたどたどしかったが、この男の話す大陸語はランチェスと変わりない。なので返事をどちらの言語で返すか少し迷ったが、結局、誤解を解くため島語で返すことにした。

「初めてお目にかかります。ランチェスと申します。見た目はこんなんですが、育ちは島でして、どちらの言語も喋れます。あの、あなたも大陸語をずいぶん流暢に話されますが、私はどちらの言葉で話した方がご都合よろしいですか?」

一気にしゃべりきると、男は感心したように頷いた。

「ほー!見た目で決めつけてはいけないね。これは失礼した。私はロサと申す。生まれも育ちもこの島なので、島語で話してくれた方がありがたい。大陸語は、仕事で使うので苦労して身に付けたのだ。聞くのも話すのもいまでこそ得意だが、気を張らなくてはいけない分疲れるんでね」

「仕事で…ということは、あなたもコクウ商会の従業員ですか?」

「これでも会長をやっている」

会長、と言えば一番のお偉いさんだ。

「そ!それは失礼いたしました!!!」

「べつに構わんよ。ああ、これは大黒運送の若頭のハヤテだ。コクウ商会と大黒運送は兄弟会社でね、…文字通り、あれの社長と私は兄弟なんだよ。失礼、先にハヤテ君の用件から済ませよう。ランチェスと言ったね少し待っていたまえ」


ハヤテは頷くと、相変わらずの涼し気な顔で淡々と話し始めた。

「前々から報告していた、怪我をしたリーヴェのことですが、やはり全快の見込みはなく、傷口が閉じた後も重いものを運んで飛ぶのは無理だとの、医師の見立てでした」

「そうか。なら、飼っていても仕方ない。処分だろう。…その判断は君の父上がするべきものだ、なぜ私に言う?」

「―――いや、ただ、ご報告すべきことかと思いまして。……それに、あのリーヴェは俺が生まれた時から一緒にいたリーヴェだったから、できれば」

それなら、とロサの大きな声がハヤテの言葉を遮った。ハヤテにその先の言葉を言わせまいとする意志が明らかだった。

「それなら、もう17か。その年まで現役で働いたなら、そいつを飼育するために投じた資本は十分回収できたはずだ。処分しろ。価値を生み出さない家畜は飼っていても金を食うばかりだ。大黒運送にはいらない存在だと、キミの父親もそう言わなかったか?」

「――――はい」

ハヤテは相変わらず感情をうかがわせない表情で、淡々と返事をした。

ハヤテは礼を一つすると、静かに部屋から出ていった。



雲が空を覆い始めたのか、部屋が少し暗くなった。この島の冬に多い天気だ。

灰色。

「つまらない話を聞かせた。さて、君の用件を聞こうか」

ロサが、頬杖をついたまま視線をこちらにやった。

ここが、正念場だ。ランチェスは大きく息を吸った。

「結論から申し上げます。僕に出資をしていただきたい」

ほう、とロサは声を漏らした。

「僕は零区で菓子屋を開きたいと思っています。これを食べていただけますか?」

ランチェスは風呂敷をほどくと、中からサクレを取り出した。

「大陸で人気のサクレという菓子です。どうぞ」

ロサは一口サイズにこしらえたそれを手に取って、口に投げ入れた。ランチェスは黙ってその様子を見守った。のどがカラカラで、手汗がすごい。ここが一つの山場だ。出資者がこの菓子を気に入ってくれなければ、その時点で終わりだ。

「うまい」

「よかった…」

ランチェスは詰めていた息を吐いた。

「いくら欲しい」

「1万トです」

「その金は、どう使う」

「商売を始める際に必要な、備品と食材の購入資金に充てます」

「商品の単価は。その値段設定の理由は」

「はい。サクレが100g入った袋を一つ10トで販売します。他の菓子屋の商品の平均単価は7.8トなので、それに比べると多少値が張りますが、原材料を島外からの輸入に頼らなければならないので、サクレは原価が高く100グラム当たり6.2トとなります。そのため、利益を確保しようと思うと、10トが妥当だと試算しました。サクレを売る店は島で僕の店だけになると思うので、多少値が張っても、希少価値が高い分売れると思います」

「ふむ。安直だが、合理的に理由づけられてはいるな」

そう小さく呟くと、ロサは試すような口ぶりで言った。

「…確かに君の頭の中には、菓子屋を経営していく完璧な道筋が見えているようだ。だが、それだけじゃ人は動いてはくれないよ。目に見える形で事業の計画を説明できるものは持ってきたかい」

待ってましたとばかりに、ランチェスは昨夜バンと一緒に作り上げた事業計画書をロサに献上した。

意外そうな表情を一瞬顔に浮かべて、ロサはそれをぱらぱらと読み始めた。

読み始めてすぐ、ロサの眉間にかすかに皺が寄った。

「だれか、経営に慣れた者の目が入っているな」

「育ての親と一緒に事業計画は練りました。恥ずかしながら、私は経営に関しては素人なので」

バンは昔、やり手の商人だったらしい。

「そうだろうな。キミが経営の素人なのは見ればわかる」

ロサの声はあまりにも冷たかった。背中に嫌な汗が泣かれる。

ロサはあごに手をやって、何赤考えているようだった。沈黙の時間が永遠にも感じられた。ややあって、ロサは話し始めた。

「…コクウ商会は莫大な材を抱えている。そのいわば余っている金を使って、片手間に行っているのが出資事業だ。利益を生むためと言うよりは、面白い事業や才能のある人材を支援するために行っているから、私が価値を感じれば、基本、出資は行っている。君のそのお菓子は確かにうまい。事業計画書もよくかけている。しかしだね私には君が菓子屋を成功させることが出来る人物かどうか、いささか疑問なんだよ。事業はね、いかにいい商品・いい計画があっても舵を取る人間がどうしようもなければ簡単に破たんしてしまうんだ。…君はまだ若く、今までに何か実績があるわけでもない」

(そんな)

目の前が真っ暗になった気がして、ランチェスは立ち尽くした。

だが、とロサは言葉をつづけた。

「若くとも優秀な人間はごまんといる、チャンスをやろう。1万ト必要と言ったな?出資はできないが、貸してやる」

ランチェスははっと顔をあげた。出資でなくてもとりあえず手元資金として1万トが手に入れば冬の祭礼で露店を出せるし、そうすればカケルに大繁盛するお店を見せてあげられるかもしれない。

しかし。

「………もうお金は人から借りないと決めたんです」

絞りだすように言った言葉だったが、ロサは気にするそぶりも見せず話を続けた。

「今度冬の祭礼が行われるが、君、そこでお店を出したまえ。そしてこの大陸の菓子を三日間で1万ト売り上げられたら、最初に貸した1万トは出資ということにしてあげよう。自分は店の舵取りができる優秀な若者なんだと、私に証明して見せてくれ」

「!」

普通に考えれば三日間で一万トなんて稼げない。しかし大陸の商人で零区が賑わう祭礼の期間中となれば話は別だ。

だが、ランチェスが目を輝かせて是非にと言おうとしたその時、ロサが「待てよ」と声を裏返させた。

「ふうむ、しかしそれではちと甘すぎるかな。君は何の犠牲も責任も払わずに挑戦できることになってしまう。…ようし、ではこうしよう。もし三日間で一万ト稼げなかったら、君にはしばらくコクウ商会で通訳として働いてもらおうか」

「通訳として働く…」

「あぁ、そうだ。私はね、君に商才があるかどうかは疑問だが、語学力については申し分ないと考えている。悪い話ではない。いわば君自身を質に入れて金を借りるようなものだ」

「通訳として働く期間は、どのくらいですか」

そうだな、と考えた後、ロサは口の端をゆがめてふっと笑った。

「一生、ということにしておこうか。菓子屋がうまくいかなければ、それは君に菓子屋の才能がない証拠だ。だったらそんな場所にいつまでもしがみついていても仕方がないじゃないか。利益を生めなくなった経済動物は処分されるだけだが、人間にはいろいろな可能性がある。私は君の才能が生かせそうな場所を提供してやろうと、そう言っているのだよ。むしろいい話だと、私は思うくらいだがね」


(…そんなわけないだろ、菓子屋は俺の夢だ。うまくいかなくたって、才能がなくたって、夢を追いかける権利はあっていいはずなんだ)

だからこれは、ロサが思っているよりもランチェスにとっては厳しい条件だった。菓子屋はランチェスの夢だ。一度でも経営に失敗すれば二度とその夢を追えなくなるというのは、あまりにも酷だ。…だがここで断ればもう次はない。


「どうだい?この条件が呑めなければ今回の話はなかったことにしてくれ」

こぶしを強く握りしめて、ランチェスは勢いよく頭を下げた。


「かしこまりました。その条件でお願い致します。でも見ていてください、僕はこの祭礼で一万ト、絶対稼いで見せますから!!」



冬の祭礼が始まった。

大陸の大型商船の入港を告げるほら貝の響きが零区に渡って、人々は待ちに待った祭礼の幕開けに歓声をあげた。

船からは次々と珍しい品々が降ろされ、商いに沸くにぎやかな人々の話し声が、東領を包み込んでいる。

いたるところで、この島のシンボルカラーであるえんじ色に染まった布が旗の様に掲げられ、水色の空にひらめいた。


この島に始めて来た人間は、入り江を囲むように広がる零区の白い町並みにまず驚く。


零区に建つほとんどの建物は、白灰色の石で造られている。塩灰石と呼ばれるこの石は、零区なら――と言うより、夜海岸線以下のほとんどの場所で採れる石で、耐水性に優れている。

水に沈むのが前提で建てられている零区の建物に、水にさらされてももろくならない材質の建材、つまり塩灰石は、うってつけだった。

塩灰石でできた建物は皆例外なく天井が平らで、その平らな屋根に船を乗せている。毎日水に沈む店舗に在庫は置いておけないから、店舗と紐づけられた船が倉庫の代わりとして利用されているのだ。

海に浮かべるはずの船が建物の屋根の上に鎮座しているその異様な光景から、大陸の商人の間で零区は「船載せの街」と呼ばれていた。


ランチェスはそんな零区の中心を貫く大通り沿いに露店を構えて、昨晩の内に焼いておいたサクレを店頭に並べた。

サクレの種類は5種類。木の実や干した果物、茶葉や花の蜜を煮詰めて少しほろ苦くしたものなどを生地に混ぜて焼き、味の種類を増やした。

(三日間で1万トの売り上げ。単純計算で一日約3333ト。できない数字じゃない。いや、絶対やってやる!)


大通りに朝の光が差し込んで、石畳の溝にわずかに溜まった水をきらめかせた。


少し伸びてきた髪をまとめて縛り、白い清潔な衣を纏う。

――――さぁ、勝負の三日間の始まりだ。


「いらっしゃいいらっしゃい!大陸の焼き菓子、サクレだよー!ここでしか食べられない、限定品!あっほら、どうですか?ちょっと味見してみてください」

「あら、おいしいわね」

「でしょう?お子様にも大人気!一袋10トです!」

サクレはその珍しさも手伝ってか、周囲の露店で売られている多種多様な食べ物よりもやや値段が高いのにも関わらず、小さな子供連れの家族や妙齢の女性によく売れた。

(一日目の売り上げには期待していなかったけど、これはなかなか…)

結局200袋売れたところで一日目は店終いとした。大繁盛と言うほどではなかったが、初日としては満足のいく売り上げだ。


ランチェスは露店を畳むと、今日の売り上げと今まで貯めてきたオウカ亭の給金が入った麻袋を肩に担ぎ、壱区に向かった。向かうのは例の金貸し二人組――オペとレバの事務所だ。

『オペレバ金融』と看板の掲げられた小さな店内には、貴金属や高級な織物が所狭しと並んでいた。全て、金を借りた人から取り上げた質草だろう。そこに自分が預けた赤陽石も陳列されているのを見つけて、ランチェスは眉をしかめた。

来客を知らせるベルを鳴らすと、煙草をくゆらせながらオペとレバが現れた。

「これはこれはランチェス殿。お待ちしておりましたぞ」

「早く宝石を売って、10万ト返しなさい」

「とはいっても今日は大陸人は船荷の積み下ろしで忙しい。とても宝石の売買にまで手が回らない」

「ですから、宝石の換金は明日でいいですよ。私たちもここまで来たらあと一日待つくらい、どうってことないですから」

「私たち、なんて寛大なんでしょう」

オペだかレバだか分からないが、最後に喋った方のその言葉にもう一人がげらげら笑った。

ランチェスは無言で、持っていた麻袋の中身を黒光りする机にぶちまけた。ジャラジャラと音を立てて、金銀に輝く硬貨が机の上に小山を作った。

「へ…?」

「10万トあります。ご確認ください」

オペとレバは、一瞬惚けたような表情を顔に浮かべたが、直ぐに目の色を変えて、ランプに照らされた暗い店内の中で唯一異質にきらきらと輝きを放つ硬貨の山に飛びついた。

勢い余って床に落ちてしまったいくつかの硬貨を、誰かに横取りをされるのを恐れているかのように這いつくばってかき集めていたので、あまりの必死さにランチェスはちょっと笑ってしまった。

しかしランチェスはすぐに笑みを引っ込めると、姿勢を正し深く頭を下げた。

「返済が遅れて本当に申し訳ありませんでした。もう無計画にお金を借りて、あなた方にご迷惑をかけるようなことは致しません。…実は僕、祭礼中限定で零区に店を出しているんです。おいしい大陸菓子、良かったら買いに来てくださいね」



『無計画だろうとなかろうと、二度とお前には金は貸さねぇですがね』『貴方、懲りずにまた店出したのか、どうすぐつぶれますよ』

オペとレバには散々に言われたが、ともかく無事に赤陽石を取り戻すことが出来た。

ランチェスは長屋に戻り、母の形見である赤陽石を自分の部屋の宝箱に大事にしまうと、明日の出店の準備に取り掛かった。

実は一日目の売り上げは赤陽石を取り戻すために補填してしまったので、実質0だった。結局ノルマの1万トを稼ぐにはあと二日間で5000トずつ売り上げなくてはならない。

しかし、ランチェスにはある予感があった。その確信にも似た予感の元、ランチェスは一睡もせずにサクレを焼き続けた。



「おお!サクレじゃねぇか!!」「故郷の味が、こんなところで味わえるなんてな!!」「父ちゃん、サクレ買って!買ってー!!」


二日目、ランチェスの店には屈強な体つきをした赤毛の男どもが殺到していた。商談が済み、船荷の積み下ろし作業から解放された船乗りの男どもが、祭礼を楽しもうと零区に大挙して押し寄せていたのだ。

「まいどありがとうございます!!一袋10トです!え?大陸の通貨しかない?いいですよ!大陸の通貨でしたら一袋30リーシャンです!」

長く過酷な船旅の中では菓子を食べる機会がほとんどないから、普段はあまり菓子を食べない男でも甘さを欲しがるようになる。しかもサクレは大陸の人々にとっては母の味ともいえる懐かしい故郷の味だ。

…ランチェスの予感通り、二日目の売れ行きは一日目をはるかに上回った。

昼頃にはすでに200袋売れ、ランチェスは在庫不足という嬉しい心配に悩まされていた。


「サクレ10袋下さいな」

「はい!…え、10?」

大陸語なのに珍しく女性の声で、しかも10袋なんて異常な量を求める注文に、ランチェスが驚いて顔を向けると、にこにこと幸せそうな顔をしてカケルが立っていた。

「カケルさん!」

「大繁盛じゃない!さすがランチェスさん」

「10袋なんて、結構な量ですよ、食べきれますか?」

「職場の皆で食べるの!ほら、次のお客さん待たせてるわよ、早く早く!」

カケルと話している間にも、次々とサクレを買い求める注文が入ってきていた。

「!…わかりました。5種類の味を二袋ずつですね」

10袋をひとつの大きな紙袋に入れて渡すと、カケルは相変わらずの笑顔でうれしそうにそれを受け取った。

「サクレって、確か日持ちするわよね」

「?はい、5日ほどなら…」

「ありがとう!!味わって食べるわ!………本当に、ありがとう」

最後になぜか少しだけ寂しそうに眉を下げて、カケルは去っていった。ランチェスはその様子に少し違和感を覚えたものの、途絶えない客の注文にそのことを考える暇もなくとにかく働き続けた。


二日目は夜、日が落ちてからも営業し続けて、売り上げは4000トだった。5000ト売り上げるつもりで500袋分のサクレを焼いたのだが、大陸の通貨でも売ったため、トで売れた金額自体は低くなってしまったのだ。

(仕方ない、明日もっとたくさん売ればいいだけの話だ)

ランチェスはこの日も眠らず、夜通しサクレを焼き続けた。


祭礼最終日。

この日は明日の帰船に備えるためか大陸人の姿は少なくなったが、代わりにランチェスの店の噂を聞きつけてわざわざ買いに来る島の人が多かった。昨日ほどの勢いはなくとも客は絶えず、行列ができることもしばしばだった。

そしてついに、夕方には残り50袋、目標まであと500トというところまで来た。

…だがしかし、そこでぱったりと客足が途絶えてしまった。

(なんでだろう、まだ祭礼は終わってないはずなんだけど)

ランチェスの店に立ち寄る人が減ってしまったというよりは、道に出歩いている人の数がそもそも減ってしまったようで、この大通り全体が閑散としていた。

隣で怪しげな土産物を売っていた露店が店を畳み始めたので、もう店じまいですか?と声をかけると、ひげをぼうぼうに伸ばした店主が疲れたように言った。

「もうすぐ入り江の特設舞台でジンク芸団の公演が始まるのよ。皆そっち見に行っちまって客なんて来ねえから、店畳むの。毎年のことさ、俺たちの祭礼は一足早く終わーりよ」

それを聞くや否や、ランチェスは手早く歩き売りの為の鞄を下げ籠を担ぎ、ひげもじゃの店主に教えてもらったジンク芸団の公演会場に向かった。


会場に着くと、ランチェスは休む間もなく集った観衆に向かって営業を開始した。

むやみやたらに声を張り上げるのではなく、一人一人に買いませんかと声をかけていく。むげに断られることも多かったが、個人的に声をかけられると断りにくいのか、それともランチェスの柔らかな物腰に惹かれてか、はたや単に公演が始まるまでの手持無沙汰な時間を潰す為か、年配の女性を中心にサクレはよく売れた。


(あと3袋…)


ランチェスはもう三日間、寝ずに働き続けていた。ほとんど意識も失いかけながらただひたすらにサクレを売る。

ふと、担いでいた籠から商品の重みが消えた。

「え…?」

「一つ、買わせてくださいっス」

「おつかれさん。ランの菓子はおいしいし、僕も一つ」

ワグとカゲツが立っていた。20トが提げた鞄の集金袋に放り込まれる。

ノルマまで、あと10ト。

「私も一つ、戴こう」

ちゃりん、と10ト、鞄に放り込まれた。

声がした方に目線を下げると、祭りを満喫したのだろう、頭に羽飾りの冠を乗せ顔に色とりどりのペイントを施し面白いことになっているロサが、白い歯を見せてニッと笑っていた。

「さてランチェスくん、僕の下した課題は達成できたかな?」

「ロサさん…意外とお茶目なんですね」

ご苦労様、と鼻が詰まったような甲高い声で労われたところで、あまりの安心にランチェスはその場に崩れ落ちるように膝をつき意識を手放した。


楽し気な音楽で目が覚めた。体を起こすと気付いたカゲツとワグが立ちあがるのを手伝ってくれた。

「いきなり倒れこんだからびっくりしたよ。働きすぎなんだ、お前は」

「せっかくのジンク芸団の公演も、終わりかけっすよ」

「ここは…?」

すり鉢状になった会場には観客席舞台に正対するように観客席がしつらえられていたが、今ランチェスたちがいるのは舞台の真横、普通なら観客は入れない場所だった。

「ロサさんの計らいで、近くで見せてもらってんだ。あの人ああ見えてどこかのお偉いさんなんでしょ?ランもなんだかすごい人と知り合いなんだな」

ロサはというと、最前列の観客席で、指笛を吹き鳴らしたりコクウ商会の社旗を振り回したりしながら舞台に熱狂していた。

今舞台はフィナーレを間近に団員全員が登壇し曲に合わせてそれぞれの芸妓を披露しているところだった。

「あ、ルカ姫だ」

カゲツが指さしたのは、いつかランチェスも見惚れたひどく美しい杖舞の舞手だ。

「ロサさんから聞いたんだけど、ここだけの話、ルカ姫が舞うのはこの舞台が最後らしいよ。ジンク芸団を抜けて、大陸で活動することにしたらしい。ジンク芸団の団長とはものすごくもめたみたいだけど……残念だよな」

ランチェスたちは舞台の真横に居たので、舞台全体を見渡すことはできなかったがそれでも普通ならありえない近さで彼らの芸を見ることが出来た。

長杖を鮮やかに操り観衆の喝采を受けたルカが、舞台の裏に下がる為横を向いた瞬間、ランチェスたちを見て少し驚いた顔をした。

そして――――多分、一瞬だけど笑いかけた気がした。

「あ…」

(―――そうか、そうだったんだ)

「わ!なぁなぁ、今俺ルカ姫と目合ったよ!こっち見て笑ったよな!?」

カゲツがはしゃいでランチェスの肩を揺さぶったが、ランチェスには聞こえていなかった。



長屋に帰ると、バンが談話室の暖炉の脇に置いた肘掛椅子に腰かけてうつらうつらとしていた。

「ただいま」

ランチェスの声にバンはゆっくりと顔をあげた。

「おかえりラン坊。…どうだった?」

バンにはロサに出資をお願いする前に、経営について相談に乗ってもらっていた。

だから、ロサから課されたノルマのことも、だめだったら通訳として働くことになるということもすべて話してある。

「売れたよ。通訳にならなくて済みそうだ」

ランチェスは答えながら、台所に菓子の材料を並べ始めた。

「それはよかった。…でも、それならなぜまた菓子を作る?」

バンは安堵の表情を浮かべながらも、不思議なものを見るような目でランチェスを見た。

「これは売るんじゃない、あげるんだ。……きっと俺の菓子を食べてもらう最後の機会だから」

バンは、しばらく黙ったままランチェスが菓子作りをしている様子を見ていたが、ややあって、おもむろに口を開いた。

「もう知ってるかもしれんが、お前に伝えとかなきゃならんことがある。カケルさんだがな、引越しするそうだ。昨日のうちに荷物をまとめて出てってしまったよ。太陽のような娘だったから、この長屋も寂しくなるな…お前は仲良かったから特に」

材料の量を測りながら、ランチェスはバンの言葉を反芻した。

(寂しい…?分からない。カケルがいなくなると知って、この胸に浮かんだ感情は何だろう)寂しさとも怒りともつかない、切なさにも似た胸を斬り裂くようなこの感情は。


バンは杖を持ち静かに立ち上がると、自室へ向かう際に独り言のように言った。

「大陸の商船は、祭礼が終わった次の日の日の出と共に出港する。乗組員以外の乗客が乗るのも、その直前だ」

バンの言葉に小さくうなずいて、ランチェスは目の前の材料を力を込めて混ぜ合わせた。



日の出が近いのだろう、薄明の中焼き上げたばかりの菓子と小さな桐の箱を持ってランチェスは零区の入り江目指して道を駆け下りた。祭礼が終わったばかりの零区の大通りには、酒に酔いつぶれたおじさんや、人々が投げ捨てたゴミがちらほら見受けられた。そんな景色を全部後ろに置いて、駆け抜ける。

「カケルさん!!」

彼女は、大きな荷物を背に甲板を登っていくところだった。ランチェスの声に驚いた顔をして、カケルがこちらを振り向いた。

「これを!!」

ランチェスは菓子の入った紙袋と桐の箱を投げ渡した。

カケルは桐の箱のふたを開け、目を丸くした。

「これは…」


朝日が一筋、水平線の向こうから差し込み、カケルの長い指につままれた赤陽石が朝日に照らされ燃えるように輝いた。


出港を告げるほら貝の低い音が響き渡る。船の上で、早く早くと誰かが言った。

「これ、お母さまの形見よね?もらえないわ!」

「貰ってほしいんだ!代わりに約束してほしい!絶対夢を諦めないって!!」

「!」

「夢を叶えに大陸に渡るんでしょ?誰に反対されようと叶えたい夢なんでしょう?」

「そう…そうだよ!絶対叶えたい。誰が何と言おうとも……分かった約束する。私絶対あきらめない」


いよいよしびれを切らした船員が、カケルを呼びに欄干を降りてきた。

「この宝石はあずかっておくわ!代わりに私とも約束して!――――ランチェスさん、この島一番のお菓子屋さんになって。夢を叶えて!」

ランチェスは大きくうなずいた。


「絶対、絶対叶えるさ。だって」

カケルが朝日の様に笑った。

気づけば二人は同じ言葉を叫んでいた。


「「諦めないから!!!!」」




暁の冬海にカケルを乗せた船が小さくなっていく。

ランチェスは彼女との約束を胸に、いつまでも、いつまでも、船に向かって手を振り続けた。


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