第8話 人魚の少女、アジフライを食す
「そうだ、今日は面白いところに連れて行ってやるよ、新入り」
「面白いところ、ですか?」
仕事終わりに先輩から声をかけられて、フリージアスを不思議そうに振り返った。
面白いところって何だろう?
そんな感じで、小首を傾げる仕草がどこかほわほわとした雰囲気を醸し出しているのは、ごくごく普通の女の子、といった感じのフリージアスだが、その姿は、といえば、普通の人間種とはちょっと違っていた。
足の、というか、下半身が魚のひれのようになっているのだ。
この世界には、人間から進化した種族がいくつか存在している。
そのうちのひとつ、『水の民』。
いわゆる、人魚種というやつだ。
フリージアスは、その人魚種なのである。
ここは、人魚の村こと、シーアスの村の深海工房。
中央大陸から見て、少し東の海に位置する村だ。
人間種が多く住む中央大陸と、東にある『魔王領』とのちょうど境目というか、少し南に外れた場所というか。
その海中にあるエアスポットと呼ばれる場所に、人魚の村はある。
ちなみに、エアスポットとは、海中の空気のある場所で、主に、樹人種の亜種でもある、海藻種が多く生息しているところという感じだろうか。
せっせと生産されたエアを、その地形上に溜め込んでいる場所で、このシーアスの村の場合は、海底洞窟の一部と、海藻種が張っている結界内の海底エリアが含まれる。
まあ、理屈はさておき、海の中の空気のある場所というわけだ。
深海工房では、海のモンスターを素材とした、乾物類などの食材を作っており、村の中でも、水濡れ厳禁という、特殊な場所でもある。
そのために、多重結界もあるし。
世界の海に、人魚の村はいくつもあるが、こんな風変りな食材を作っているのは、このシーアスの村だけだろう。
だからこそ、フリージアスもまた、他の場所からやってきて、工房で修行しているのだから。
魚モンスターを美味しく食べる調理法。
それを伝える村として、このシーアスの村は、ちょっとした権威なのだ。
「ああ、面白いところ、だ……おーい、シグナス! 今日は、俺と新入りも、例の町までついて行ってもいいな?」
「え? あー、はいはい、大丈夫ですよ、ワグナス。そちらのお嬢さんが、リビアの町からやってこられた方ですね?」
「ああ。うちで修行を始めて、一か月ってとこか。まあ、そのお祝いも兼ねて、ってところだな」
「わかりました。ちなみに、お嬢さん、人化は可能ですね?」
「あ、はい、大丈夫です」
話の筋はよくわからないけど、屈強な人魚の男の人に対して、フリージアスはしっかりと頷いた。
先輩のワグナスさんと違って、たまにすれ違ったりしかしたことがないけど、この男の人は、ここで作った商品を、村の外へと売りに行く商人さんだと聞いている。
確か、シグナスさんだ。
「あのなあ、シグナス。うちの工房入りしてるんだから、そんなもん当たり前に決まってるだろうが」
呆れたようなワグナスさんが言うのを、フリージアスも心の中で同意する。
そう、深海工房は空気の濃いところにあるので、人魚の姿のままでは、お仕事することもできないのだ。
フリージアスが、ここでの修業へとやってこられた理由も、人化ができるから、だったし。
今はもう、工房外の半海中エリアだから、人魚の姿に戻っているけど。
「いえ、まあ、念のためですよ。リビアの町は地上にある港町ですものね。ですが、この村の外に住む人魚の多くは、地上での移動に慣れていないんですよね。特に、若い世代の人魚は」
「お? そうだったか? うちの村だと当たり前だろ?」
「ええ。東大陸はまだしも、中央の周辺の方々は、『上』の世界にあまり良い印象を持っておられないんですよ。まあ、それはさておいて。行くのでしたら、早めに出発しましょうか。あまり遅くなると、けっこう混みますからね、姉さんのお店」
「えっ? お店……ですか?」
どうやら、ふたりがフリージアスを連れて行ってくれるのは、どこかのお店らしい。
話の内容から考えるに、どうも地上にあるお店らしいけど。
「ああ。この村から食材を卸しているサイファートの町。いわゆる、『食の町』ってやつだ」
「はい。そこに、私の姉さんが料理を作っているお店があるんですよ。今日は、そちらへとご招待しましょうか」
どこか誇らしげに笑うワグナスさんとシグナスさん。
そんなふたりに導かれて。
フリージアスもまた、その『お店』へと向かった。
「すごい、ですね。このお店って、人魚用の席もあるんですね」
「ええ。個室限定のサービスですがね。シーアスの村からのお客さんも多いので、姉さんとミーアさんで、そういう風に作ったみたいです」
シグナスさんの説明に頷きつつ。
自分が言った、すごい、という言葉をもう一度思い返す。
この、部屋全体が腰の高さまで水が張ってある空間というのも驚きだ。
地上のお店と言えば、人化状態でないとダメなのが基本だったから。
さすがに、料理の都合上、テーブルとかは水の上に出ているけど、それでも、人魚の姿で座れるように、ちょうどいい高さに柔らかい座面もあるし。
やってきたのは『マーメイド・キャッツ』というお店だ。
シグナスさんのお姉さんと、もうひとり仲の良い女の人がやっているお店だそうだ。
人魚にはうれしい、魚料理が豊富なのだとか。
というか、すごいのは、このお店だけではない。
一応、フリージアスも半分地上、半分海の港町の出身だ。
だから、地上の町にある建物についても、それなりには見慣れているつもりだったのだが。
この、サイファートの町だったろうか。
その中央に、ものすごい高さの塔がそびえたっていたのだ。
町に近づくにつれて、それが塔であることは気付いたのだが、実際に、町へと入って、その横を通った時は、とてもびっくりした。
さすがに、港町には、ここまで高い建物がなかったし。
ワグナスさんたちの説明では、あの塔は町のシンボルでもあり、それと同時に、お店でもあるのだそうだ。
あいにく、今日は上の階のお店はお休みらしいけど、それでも、一階にあるお店は人でいっぱいになっていて、横の道を通った時も、何か美味しそうな匂いが漂っていたし。
他にも、甘い香りがするお店とか、フリージアスが嗅いだことがないような、香ばしい匂いがしてくるお店もあって、町全体が美味しそうな香りで包まれている、そんなことを思わせる不思議なところだったし。
これが、普通の地上の町なのか。
そう、尋ねると、ふたりからは苦笑されてしまったのだけど。
どうやら、この町も大分変わっているのだそうだ。
「少なくとも、人魚でも安心して来られる町ではありますね。ここ以外の場所は、中央大陸でしたら、危険、と思ってもらった方がいいですよ」
「ああ。だから、必ず、俺たち慣れてるものでも、シグナスに付き添ってもらっているんだ。町に入ってしまえば問題はないんだが、そこまでは油断できないからな」
もっとも、人化状態で、俺たちが人魚だと見破れるやつは少ないだろうがな、とワグナスが苦笑する。
ただし、そもそもがシグナスの同行者という形で、町に入るのが許可されているため、単独でやってくるのは、あんまり良くないのだそうだ。
安全面とか、色々な部分での配慮という感じで。
と、そんな話をしていると、個室の扉が開いて、水着を着た猫の獣人さんが料理を持ってきてくれた。
シグナスさんのお姉さんとは別の、もうひとり。
ミーアさん、って言うんだって。
「お待たせなのにゃ。シグにゃんにワグにゃん。それに、今日は新しい子が来てるんだってにゃ?」
イグっちが言ってたのにゃ、と言いながら、ミーアさんが料理をテーブルの上に並べていく。
「ああ。うちの工房の新入りだ。ほら、あいさつしときな」
「はい。リビアの町出身の人魚で、フリージアスと言います。よろしくお願いします」
「よろしくなのにゃ。へえ、リビアの町なのにゃ? うちのお店にも、あっちのお魚とかが入ってくるのにゃ。大型のやつとかもおいしいからにゃあ。さてさてにゃ、三人とも、今日の日替わり定食なのにゃ。今日は、アジの良いのが入ったので、アジフライ定食なのにゃ」
えと、アジフライってなんのお魚なんだろうか?
そもそも、テーブルの上に並べられたのは、魚というか、茶色っぽくて、シューシューと湯気がたっている、よくわからない物体だ。
いや、尻尾のような部分があるから、魚であるのは何となくわかるけど。
何だろう、この茶色いの、とフリージアスが見つめているとワグナスが教えてくれた。
「ああ、フライってのは、揚げ物の料理のことだ。一応、人魚の村では禁止されている料理のひとつだな。だから、この店まで来ないと食べられないのさ」
「アジというより、キャラン種と言った方がわかりやすいですかね? 今朝採れたばかりのキャランを開いて、衣をつけて揚げた料理がアジフライです」
「えっ!? これ、キャランですか?」
キャランなら、普通に生でとか、焼いたりして食べたことがある。
衣とか、揚げたっていうのがよくわからないけど、それなら、ちょっと馴染みがある食べ物だ。
「そうなのにゃ。この料理を教えてくれた人のところで、キャランにそっくりな魚をアジって言ったらしいのにゃ。にゃはは、この町だと、けっこう多いのにゃ。そういうオサム語がにゃ」
何でも、この揚げ物という料理は、迷い人によって広められた料理なのだとか。
そのため、呼び名などで、その名残があるのだとか。
さすがに、ポーションなどを高温で熱して、そこに入れるっていうのには驚いたけど。
確かに、それは、人魚の村では禁止されるはずだ。
半海中ではポーションを使えば、水が濁ってしまう。
つまり、これは地上の料理というわけだろう。
「それじゃあ、ごゆっくりなのにゃ。後で、デザートを持ってくるのにゃ」
そう言い残して、ミーアさんは戻って行ってしまった。
「さあ、食おうぜ。そうだ、新入り。米のめしだったが、食べたことがあるか?」
「ないです。リビアの町でも、生の魚モンスターか、焼いたものが基本でしたので。ですが、聞いたことはありますよ。鬼人種さんたちのところで作っている作物ですよね?」
「ああ。それをふっくらと柔らかく炊いたのが、この白い飯だ。これが、アジフライとよく合うんだよ。てか、そういうことなら、はしも使えないだろ? そっちのフォークを使って、で、フライの横に添えられている白いのがソースだ。それをつけて食うと美味いぜ」
なるほど。
ワグナスに勧められた通りに、まだシューシューと音を立てている、その茶色いお魚に白いソースというものを付けて、一口食べてみた。
「っ!? これがキャラン!?」
表面はサクッとしているのに、噛みしめるとふんわりと甘い。
香りもなんとも言えない香りがするし。
この白いソースもだ。
今まで食べたことがない味のため、うまく表現できない。
もちろん、火の通ったキャランの味、というか、魚本来のおいしさもあるのだけど、それだけじゃなくて、サクサクしている部分は、焼いた魚などからあふれる肉汁というか、脂とは別の、癖のない香ばしいあぶらの味がする。
それが、肉厚の白い身が持つ濃厚な旨みと混ざり合うのだ。
凝縮された魚の味が口の中に広がる。
歯ごたえも、サクサクとして、それでいて、身の部分は柔らかい。
こんなものは食べたことがない!
思わず、止めることができずに、もう一口、運んでいく。
やはり、いつもは淡泊なキャランの味が、ほどよく水分が飛んで濃くなっている。
とても美味しい。
そこで、さっきワグナスが言っていたことを思い出す。
米と一緒に、だったろうか。
アジフライに、白いソースを付けて。
それを食べた後で、さらに白いお米を口へと運ぶ。
驚いた。
このわずかに酸味を含んだ白いソースとアジフライ。
それだけでも、十分に美味しかったはずなのだが。
それが、お米と一緒になると、さらに美味しい!
香ばしいさを伴った、濃厚な魚の旨みの、このフライに、さわやかさとしっとりとしたコクを加える白いソース。
それらを包み込むように、お米が存在しているというか。
決して、深い味わいがあるわけではない。
だけれども、噛みしめると、わずなか甘みが。
そして、このアジフライと一緒になった時、このお米が肉汁や旨みをすべて受け止めてくれているのだ。
いや、初めて食べたけど、このお米って不思議な味だ。
ほとんど味がしないかと思えば、わずかに甘く、何というか、癖になるのだ。
「うん、今日も美味しいですね。やはり、揚げ物はこの町が一番です」
「お前の姉さんの腕もいいってことだな」
「ですね。姉さんの話ですと、この衣にもチーズが少し入っているそうですよ。以前に比べると、大分、手に入りやすくなったそうです。値段を下げて、気軽に使えるようになったって笑ってましたから」
「へえ、なるほどなあ。だから、不思議とうまいんだよな、ここのフライは。村で焼き魚ばっかりだと、たまに無性に、ここのフライが食いたくなってなあ。麦酒にも合うし」
ふたりが色々と話している間も、フリージアスは黙々と目の前の料理を食べ続けていた。
アジフライ、ごはん、味噌汁。
アジフライ、ごはん、お漬物、ごはん、アジフライ。
本当に、夢中で、だ。
これは確かに魚料理だ。
でも、こんな料理は食べたことがなかったから。
途中で、シグナスから『こっちのソースも美味しいですよ』とすすめられて、残っていたアジフライに、瓶に入っていた黒いソースをかけて食べてみた。
――――すごい!
そちらのソースも素晴らしい味だった。
魚がよりいっそう美味しくなって。
お米のめしともよく合って。
結局、あっという間に、アジフライ定食を平らげてしまうフリージアスだった。
「な? いいところだったろ、新入り?」
「はい! すごく美味しかったです!」
「何、いいってことよ。さっき飲んでた汁物もそうだが、ここでの料理にも、うちの工房の食材は使われているんだよ。だから、普段作っているものがどんな味なのかってのも、確かめるのも大事ってな。毎日は難しいが、これからもちょくちょく誘ってやるよ」
「ほんとですか!? ありがとうございます、ワグナスさん!」
フリージアスがお礼を言っていると、そこへ、水着を着た女の人が入って来た。
シグナスさんのお姉さんのイグナシアスさんだ。
ただ、足もそのままで、人魚の形態にはなっていないみたいだけど。
町の中だと、それが普通らしい。
「はーい、お待たせー。食後のデザートのプリンだよー」
「あれ、姉さん、今日は果物じゃないんですか?」
めずらしいですね、プリンなんて、とシグナスが驚く。
フリージアスたちの前に並べられたのは、透明な器に入った黄色い食べ物だ。
底の方には、茶色いソースのようなものが見える。
「うん、そうなのー。さっきプリムさんがやって来てねー。だいぶ、この町にも新しい人が増えたから、今、プリン教の布教強化をしてるんだって。ただで、いっぱいプリンを置いて行ってくれたから、そのおすそ分けだよー」
「そうなのか。ま、普通に買ったら、ここの定食の半額くらいはするもんな」
「うん、そうそう。でも、せっかくだし、フリんちゃんも味見して行ってね」
「あの、フリんちゃんって、私のことですか?」
「うん、さっき、ミーアがそう言ってたよー? 違うの?」
「あー、姉さん。ミーアさんって、愛称で呼ぶのが好きですから。フリージアスさんで、フリんちゃんでしょうね」
「あ、そうなんだねー。まあいいや、フリんちゃんも後で、プリンの感想を教えてね? プリムさんに伝えておくからー」
それじゃあね、と去っていくイグナシアスを見送りつつ。
目の前のプリンを見ながら。
「プリン……ですか? あの、プリムさんってどなたなんですか?」
「まあ、逆らわない方が無難なお姉さんだな。人魚の村には、色々と配慮してくれているから、お礼は言っておいた方がいいがな」
「ええ。そのプリンの美味しさに共感してくれる人にとっては味方のメイドさんですよ。実際、とっても良い人ですしね」
「はあ……」
何だか、よくわからないけど、すごい人らしい。
どうも、このプリンというものは、ゆっくりと味わわないといけないらしい。
ちょっとだけ、緊張を含んだまま。
デザートのプリンを口にするフリージアスなのだった。
その後、彼女がプリン教の一員に加わるのは、また別のお話。