第5話 シスターと宝石少女、ティラミスを食す
穏やかな日の光が差し込める昼下がり。
パティスリー『ちょこっと』に向かうふたりの女性の姿があった。
ひとりは、シスターカウベル。
このサイファートの町の教会でシスターをしている女性だ。
種族は、牛の獣人で、貞淑な修道服を着ていながらも、どこか、扇情的な、いや、隠そうとしても隠し切れない胸の大きさが、色々と思わせるところがあるというか。
当の本人は、ものすごく真面目で、素晴らしいシスターであるので、むしろ、そういう不純な感情を抱いてしまうのが、申し訳なくなってしまうのだが。
まあ、そこはお約束のひとつ、という風になってはいる。
そして、もうひとり。
カウベルと一緒に歩いているのは、見た目は少し幼く見える赤髪のツインテールの女性だ。
服装は、カウベルと同様の修道服のようなものを着ているが、その色はと言えば、赤系統の鮮やかな色を基調としており、どちらかと言えば、白や寒色系を主とする、シスター服に比べると、ちょっと派手というか、違和感がある服装に見える。
おまけに、ところどころに宝石のようなものが散りばめられており、その姿はかなり目立つ、というか、盗賊などが目にしたら、すぐにターゲットにされそうな感じがしないでもない。
もっとも、当の本人は、そんなことを気にも留めず、にこにこと笑みを浮かべて、傍らにいるカウベルと談笑していた。
「ふふふ、楽しみねー。やっぱり、ここのお菓子は美味しいから。ごめんね、カウベル、付き合ってもらっちゃって」
「いえ、ちょうど、子供たちは『遠足』の方に出かけてましたから。それに、シスターカミュが不在である以上、私がご一緒するのが当然ですから、ルビーナ様」
「まあ、そんなに気を遣わなくても大丈夫なんだけどねー。というか、カミュったら、あたしが来るのに気付いて逃げたでしょ?」
まあ、気持ちはわからなくもないけど、とルビーナと呼ばれた女性が苦笑する。
この、ちょっと見、どこにでもいそうな赤い女の子。
実はこの子、神聖教会の中では、かなりの有名人として知られているのだ。
教会本部の『三賢人』のひとり。
宝石種のルビーナ。
こう見えて、神聖教会の重鎮として、時には知恵袋として、時には神族との橋渡し役としてのお仕事を担っている。
もっとも、その存在を知る者は多いが、あまり、教会本部から外へと出てくることがないため、一部の関係者を除いては、その姿についてはほとんど知られていないというのが現状なのだが。
見た目だけなら、子供とあんまり変わらないし。
カウベルやカミュなど、このサイファートの町の関係者は、比較的、会う機会が多いため、割と落ち着いているが、他の町や村などだったら、パニックのひとつも起こっているかもしれない。
いや、それ以前に、彼女がそういう立場だと信じられないだろうか。
「シスターカミュは、ルビーナ様に複雑な感情を持っていますからね」
「ふふ、その辺は仕方ないわ。本人が嫌がっているのに、押し付けちゃったようなものだしね。でも、ちゃんと、お仕事の方はしてるじゃない。案外、そういうのに向いていたのかもしれないわ」
今のカミュに巡礼シスターの仕事を割り当てたのは、このルビーナだから。
もっとも、この町の教会に赴任させたのは、当のカミュが教会本部での仕事を嫌がったからだ。
とりあえず、妥協点として、彼女の要望も配慮して、ある程度の自由裁量を認める。
そうしないと、カミュが爆発しそうだったし。
そう、ルビーナは苦笑する。
「まあ、おかげで、マックスにも苦労をかけてるけどね。ま、その辺のことはいいわ。今日は、別にその話をしに来たわけじゃないし。お忍びでこっそり、お菓子を食べに来ただけだから」
「せめて、護衛くらいは付けた方がよろしいかと思いますがね」
それと、もう少し目立たない服装の方がいいと思いますが、とカウベル。
何だかんだ言っても、ルビーナは教会にはなくてはならない人物なのだ。
もちろん、彼女の力量を疑うわけではないが、それでも、最低限の注意はしておいた方がいいと思うし。
「大丈夫、大丈夫。食べたらすぐ帰るだけだから。それじゃあ、行きましょ!」
カウベルの忠告もどこ吹く風で、ルビーナが遠くに見えるお店を指差す。
そんなこんなで、ふたりはゆっくりとパティスリーへと続く道を歩いていった。
「やっぱり、ルビーナ様は、コーヒーがお好きなんですね」
「そうね。あたし、浮遊群島に縁が深いから、そっちの味が好みなのよね。そういう意味では、このお店でコーヒーが飲めるのがありがたいわ」
そう言いながら、ルビーナが微笑む。
もちろん、教会本部にもコーヒーは届けられることはあるが、あまり量は確保できないのだ。原産地が西大陸というのも、その理由のひとつである。
さすがに、その辺は色々と事情があるため、教会としても、コーヒー豆を量産するのはちょっと厳しいと言うか、配慮が必要というか。
だからこそ、このサイファートの町のフリーダムなところが、たまに羨ましくなることがある。
しがらみとか、面倒くさい関係とかすっとばして、食材を集めまくっているところとかが、だ。
まあ、料理を楽しむ分には、良い町だし、お客として来る分には申し分はないので、その辺は、ルビーナのやっかみ半分といった感情に過ぎないのだけど。
「ですから、ルビーナ様を始め、他の方もお忍びでこちらへお越しになられるのではないのですか?」
「そうそう。だからこそ、教会としても協力してるんじゃない……あ、頼んでおいたものができたみたいね」
そうこうしているうちに、この店の店長のコロネがケーキと飲み物を運んできた。
「お待たせしました。ご注文のティラミスとコーヒーのセットです」
「はい、ありがと、コロネ。やっぱり、ここのお菓子はきれいよね」
「ありがとうございます、コロネさん」
「いえ、こちらこそです、ルビーナさん、カウベルさん。お店でお菓子が提供できますのも、新鮮な乳製品のおかげですから」
今度ともよろしくお願いします、とコロネが微笑む。
「ねえねえ、コロネ。前にも言ったけど、教会本部の方でお店を出すつもりはない? そういう意味での協力は惜しまないんだけど」
「ごめんなさい、ルビーナさん。まずは私もこのお店をしっかりとさせたいんですよ。まだ、入手が難しい食材などが残ってますから。ですから、現状ではちょっと、という感じですね」
「ま、仕方ないわね……ちなみに、じゃあ、もし、リリックが独り立ちしたら?」
「それは、わたしがどうこう言うことじゃありませんから。リリックがそう望むのであれば、良いとは思いますよ? もっとも、食材に関しては、教会の方から責任を持って、それぞれの生産者の方たちと交渉してくださいね」
この町だから許されている部分が多いですから、とコロネ。
要するに、今の状況で食材関係の契約を結んでいるのは、コロネで、町中でリリックがお店を持つ分には、何とかできるけど、それが他の町……教会本部で、となると、さすがにその辺の了承は得られないから、と。
もし、リリックに頼むにしても、その辺をしっかりとお願いします、ということだ。
「まあね……ふふ、わかったわかった。今のは無しね。それについては、ダメもとで聞いてみただけだしね。今の『黒髪の魔王』はまだ話がわかる方だけど、それでもそっちは難しそうだしね……っと、あ、今のはここだけの話ね。今は、魔王はいないんだから」
そう言って、あっさり引き下がるルビーナ。
そもそも、今のも冗談半分で、少し本気くらいの話だし。
それは、コロネもわかっているのだろう。
「はい。では、ごゆっくりどうぞ」
一礼して、店の奥へと戻っていくコロネを見ながら、苦笑を浮かべるルビーナ。
そして、目の前のケーキへと視線を移す。
「残念ねえ、ふふ、まあ、欲をかいちゃあいけないってことよね」
「そうですね。そもそも、アイスの販売許可を頂いているだけで十分ですよ。後は、こちらのお店を訪れるお楽しみ、それだけでいいじゃありませんか」
そんなカウベルの言葉にルビーナが頷く。
やっぱり、ここのお菓子は、ここで食べてこそ、美味しいのだろう。
改めて、ティラミスへと目を遣る。
コーヒーの風味とチーズの風味が混じり合った、このケーキはルビーナの大好きな味なのだ。
たまに、他のコーヒー系のケーキを頼んだりもするが、やっぱり、このティラミスの味は格別だから。
香ばしく焼かれたビスキュイの生地。
生地に染み込んだコーヒーシロップのビターな味わい。
間に挟み込まれたチーズをベースにしたクリーム。
上からかけられたエスプレッソパウダーの香り。
見た目の色彩はシンプルながら、だからこそシンプルがゆえに美しいのだ。
それをゆっくりとフォークで一口大に切って、口へと運ぶ。
まず、鼻をくすぐるのはコーヒーの香りだ。
それを楽しみつつ、口の中へ広がっていくチーズのクリームの風味。
そして、生地に含ませたコーヒーの風味。
ビスキュイ生地の柔らかな食感と、生地本来の甘み。
それらが層となって、交互に楽しめる。
組み合わせ、切り取ったバランスによって、その味わいは表情を変えるのだ。
「うん、美味しい。コーヒー好きにはやっぱり、これよ」
「はい。美味しいですね、コーヒーの風味も、ですが、私としては、チーズのクリームも、ですね。やっぱり、うれしいものですよ」
日々、このお店で使うチーズを作っているカウベルも、笑顔でティラミスを食べている。
やはり、自分の手がけた食材を美味しく料理してくれる、というのは喜ばしいことだろうし。
「このコーヒーも美味しいわね」
このパティスリーでは、日によって異なる豆を使っているらしい。
前に飲んだコーヒーとは、少し味わいが違うのも、そのためだろう。
うん、とルビーナが頷きつつ、ティラミスとコーヒーを交互に食して。
「ふぅ……今日も満足だわ」
幸せの味。
ちょっとだけ苦みを含んだコーヒーを、もう一度口にしつつ。
「……やっぱり、『魔王領』との交渉についても、真剣に考えた方がいいかも、ね。まだ時期尚早かと思っていたけど、案外、ここのお菓子がきっかけになるかもしれないし」
「ええ。私個人としては、特に、魔族の方に関しても思うところはありませんね。そもそも、この町ですと、種族とかあまり関係ありませんから」
「なるほどね」
カウベルの言葉に、真剣な表情で頷きつつ。
残ったコーヒーを味わいながら、色々と考えを巡らせるルビーナなのだった。