第4話 妖怪と式神使いの少女、モンブランを食す
「ふぅ……やっとお掃除が終わったよ。って、うわわっ!?」
「ねえねえ、ミキティー、遊びに来たよっ!」
閉店後のお店の掃除を手伝っていたミキは、不意に後ろから目隠しされてびっくりしてしまった。
まあ、声で誰なのかはすぐにわかったのだけど。
今、ミキがいるのは『式神うどん』の店内だ。
サイファートの町の南側にある、このうどん屋は、ミキの母親でもあるコノミと、その式神の活鬼と楽鬼の三人で開いているお店だ。
ミキはと言えば、朝のパン屋さんのアルバイトが終わった後は、お母さんのお店の手伝いなどをしている。
ちなみに、式神というのは、妖怪の国独自の存在で、細かいことについては、外の人には秘密だが、一応は、コノミや、ミキ、そして、おばあちゃんのコズエのような式神使いに使役される妖怪の一種ということになっている。
そう、ミキもまた、彼らを使役する式神使いの血統だ。
もっとも、まだ、ミキ自身は未熟なため、お母さんたちに言わせると、まだまだ見習いレベルでしかないのだけども。
種族は人間種。
妖怪の国でもあるコトノハ出身、というか、元々はミキたちのご先祖様が、妖怪さんたちがやってきたのを受け入れたのが始まりと言われている。
式神使いは、妖怪の国の人間、というより、その土地に住んでいた土着の民、という感じなのだとか。
その辺りの詳しいことは、小さい頃に、このサイファートの町へとやってきたミキにもよくわからないのだが、そういう縁があって、妖怪さんたちと一緒に暮らしていくにつれて、妖怪との親和性が高くなっていったんだって。
まあ、ミキにとって、自分の身の周りに妖怪さんがいるのは当たり前のことだ。
生まれてこの方、ずっとそうだったわけだし。
今、ミキを後ろから目隠ししているのも、その妖怪のひとりだし。
「サクラちゃん、また来たの? そう何度もやってきて、お仕事の方は大丈夫なの?」
ようやく、目隠しを両手で外して、ミキはその少女へと向き直る。
その名の通り、桜色の髪に、桜色の目をして、白とピンク色の混じった着物を身にまとった女の子。
その名前はサクラという。
年齢的には、ミキと同じくらいか、ちょっと幼い感じの子で、でも、妖怪種でもあるため、正確な年齢については、ミキにもよくわからない。
絵筆のつくもがみ、サクラだ。
ちなみに、サクラちゃんという呼び方も、そう呼ばないと怒るからだ。
こう見えて、コトノハでも偉い立場にいるんだけどね、サクラちゃん。
「ぶぅ、ダメだよ、ミキティー。遊びに来た相手にそういう話は無粋だよ。それに、前に来た時から一週間も経ってるじゃない。もう十分、お久しぶりだよっ!」
「でも、サクラちゃん、ちょっと前までは、一か月に一回来るかどうかだったよね?」
前も、仕事を抜け出しては、こっそり遊びに来ることはあったんだけど、それにしても、最近の頻度はかなり多い気がすると、ミキは呆れる。
まあ、サクラちゃんがそうなった理由もわからないでもないんだけど。
うん。
お目当ては、あのお店のお菓子だよね。
「まあまあ、固いことは言いっこなしだよ。それよりも、ミキティー。そろそろ、お掃除の方も終わったんでしょ? ね、ね、早く行こうよ」
「しょうがないなあ。じゃあ、ちょっと待ってて、お母さんに言ってくるから。あと、そうだ。ポン太くんも今日は行きたいって言ってたんだっけ。ポン太くーん!」
ミキが『呼びかけ』で、そう声をかけると、程なくして、地下から一匹の二足歩行のたぬきが階段を駆け上がって来た。
「ほいほーい。呼んだ、ミキ?」
ふたりの前に現れたのは、茶釜たぬきのポン太だ。
ポン太もまた、サクラと同じく妖怪種で、ミキでも使役させてもらえる妖怪さんのひとりでもある。
まあ、使役というか、お友達って感じだけど。
見た目は、二足歩行のたぬきが茶釜を鎧っぽく着込んだってところかな。
妖怪の中でも、お調子者で、いたずら好きで、おっちょこちょいというのが、周囲からの評価である。
その分、裏表もないから、みんなから愛されてもいるけど。
どっちかと言えば、いじりがいのある子として。
「うん、今日はサクラちゃんが遊びに来たから、お菓子屋さんに行こうと思って。さっき、ポン太くんも、何か、今日のメニューは食べたいって言ってたじゃない」
「おおっ! そうそう! 今日のおすすめはぼくの大好きなやつだからね! いや、いいところに来てくれたね、サクラも」
「ふうん? そういうことなら感謝の気持ちも込めて、ポン太のおごりでもいいよ?」
「いや、何でそうなるのさ!? というか、サクラの方が実入りがいいんだから、ぼくにたかるのはやめてよね!」
「ふふ、冗談よ、冗談。いいわ、今日は機嫌がいいから、私のおごりってことで」
大慌てのポン太を見ながら、サクラがくすくすと笑う。
まあ、サクラちゃんもお偉いさんだからね。
そういう意味では、しっかりお金を持っているものね。
「じゃあ、ちょっと待っててね。お母さんに、掃除が終わったこと伝えてくるから」
ふたりに断わって、お母さんに三人で出かけてくることを伝えて。
そのまま、ポン太とサクラと一緒に、町の中央部へと向かった。
「でも、ポン太、よく今日のおすすめを知ってたわね。もしかして、営業日ごとにチェックしてるの?」
「うん、というか、このくらいの時間だと、噂ネットワークの方に載っているからね。食べた人の感想とかも。だから、だよ」
「ふうん……前から思っていたんだけど、私の仕事って、ポン太と代わっても問題ないわよね? そもそも、あの絵って、私の作なんだし」
パティスリーの席で注文を済ませた後、待っている間に三人で話をしていると、自然と、サクラの愚痴みたいな話も混じって来た。
こう見えて、実はサクラちゃん、コトノハの大臣のひとりなのだ。
絵筆のつくもがみということもあって、芸術庁長官なんだけど、サクラの場合は、それだけではなくて、もうひとつの顔があるのだ。
彼女が持つスキル『鳥獣戯画』は、彼女によって描かれた絵のある場所同士を自由に行き来できるようにする、というスキルなのだ。
もっとも、本当の意味で自由に行ったり来たりできるのは、サクラや、『渡り』の属性を持つポン太のような妖怪だけなのだが、少なくとも、サクラが同行すれば、誰でも、絵と絵を渡ることができるのだ。
一部の種族しか使えない『転移』を、陣として構築できると言えば、そのすごさがわかるだろうか。
ただ、そのせいか、サクラには、国内の文化的なお仕事とは別に、外務に絡んだお仕事まで回ってきてしまうとのこと。
なので、たまにパンクしたり、いーってなった時は、どこかに逃げ出すのが、お約束みたいになってるんだよね。
まあ、コトノハの上層部も、負担をかけているのはわかってるから、そういうときはあんまり怒らないのが、いつものパターンになってはいるんだけど。
「ね、ね、ポン太。たまに、私とお仕事代わらない? 大丈夫よ、ポン太でも。周りのみんなが何とか補佐してくれるから……そうだ、今度本気で、議題に提出してみようかしら?」
「いや!? それはやめてよ! どう見たって、そんなお仕事、ぼくの柄じゃないでしょ!」
「まあまあ、何事もやってみないとわからないでしょ?」
「あの、サクラちゃん。さすがにそれはやめておいた方がいいと思うんだけど……」
ポン太くんが外交なんてやった日には、コトノハがえらいことになる気がするもの。
別の意味で嵐になりそうだ。
「まったく、ミキティーも頭が固いんだから……あら、もうケーキが来たみたいよ」
サクラの言葉に目をやると、店長のコロネさんがケーキを持ってきてくれているところだった。
そういえば、ポン太くんは知っていたけど、今日のおすすめって何なんだろう?
「お待たせしました。こちらが本日のおすすめのケーキセットです。本日のケーキは、コトノハ産の栗を使いました、トルシュ・オ・マロン……モンブランですね」
そう言って、コロネさんが三人の前にケーキと紅茶をそれぞれ並べてくれた。
そうか、今日はモンブラン……栗のケーキなんだ。
確かに、ポン太くんが喜びそうなメニューだよね。
妖怪種にとっては、栗と柿はなじみが深い果物だし。
「ありがとう、コロネ。また、来ちゃった。ここのケーキ美味しいから」
「こちらこそありがとうございます、サクラさん」
「あー、ダメ、ダメ。サクラちゃん、よ。もう、ね。その手の気の遣われ方は、教会とかの駆け引きとかでうんざりなのっ! 私の地はこっちなんだから、そっちに合わせて!」
「ふふ、わかったよ、サクラちゃん。いつもありがとうね」
「どういたしまして。それじゃあ、ケーキの方はいただくわね」
ちょっとだけ苦笑しつつ、ごゆっくり、とだけ残して、コロネさんが戻っていった。
いや、やっぱり、一応お客さんだし、サクラちゃんも他の人にとっては、コトノハの大臣なんだけどね。
その辺に関しては、割と無頓着なんだよね。
それはさておき、ケーキの方を見る。
土台として、こんがりと焼かれたメレンゲの上に、白いクリームがたっぷりと乗せられて、それを包み込むように、細長い麺のような栗のクリームがくるくると、全体へと巻き付いている。そして、その一番上に添えられているのは、甘く煮詰められた栗ひとつぶだ。
このケーキは、ミキも何度か食べており、その時に、コロネさんから、簡単に教えてもらったのだ。
モンブランというのは、コロネさんの故郷の言葉で、白い山を意味しているのだとか。
確かに、形を見ると、山型になっているけど、栗のクリーム自体は、わずかに栗本来の色が溶け出しているので、白っぽくないし、事実、栗を使ったケーキがモンブランと呼ばれているのは、ちょっと複雑な事情があるらしい。
ともかく、ここでは、このケーキがモンブランという名で問題ないそうだ。
ちなみに、このモンブラン。
このお店でもなかなかの人気を誇っている。
その理由は、お持ち帰りができないメニューだからだ。
できたての風味と食感、それが、時間が経つとあっという間に損なわれてしまうのだそうだ。
ある意味で、新鮮さが命のケーキとのこと。
そのため、最終的な工程を行なうのは、お客さんの注文が入ってからなのだとか。
それだけ、コロネさんがこだわっているだけに、このケーキはすごいのだ。
「わあ。栗のケーキはうれしいねっ! いただきまーす……ああ、おいしい。やっぱり一口目は栗のクリームからだけど、口の中が栗って感じね!」
「うん! うん! ぼくはどうしても、最初に上に乗ってる栗を食べちゃうけどね。この甘く煮た栗が最高だよ」
ミキも、サクラと同様に、栗のクリームの部分から一口食べる。
細長く絞り出されたクリームが、口に入れた途端に、ほろほろと崩れていくのだ。
と、同時にクリームの中の栗の風味が口の中いっぱいに広がって、そのほのかな香りをまとって、ふわっと通り抜けていくというか。
後から、クリーム本来の甘みがゆっくりと舌の上で溶けていくのだ。
「本当、栗のケーキを食べているって感じがするよね」
二口目は、今食べた部分の奥から顔を出した白いクリームと、土台となっているメレンゲも一緒に口へと運ぶ。
サクサクっとしたメレンゲの軽い食感に、栗のクリームよりもふんわりと柔らかな白いクリームが合わさり、さらに、栗のクリームの風味も加わって、三位一体の味わいが完成するというか。
これこそが、できたてのモンブランの醍醐味だ、と。
そう、前にコロネさんが言っていたのを思い出す。
時間経過と共に、しぼんでしまうほど、ふんわりした白いクリームは、あえて軽く作っているらしい。
栗の風味を邪魔せず、それを引き立てるために。
土台のメレンゲと栗のクリーム。
そのふたつの橋渡しをするのが、ふんわりした白いクリームだ。
口の中には、三種の異なる甘みが広がって。
栗のケーキを食べている、というのが実感として、感じられるのだ。
紅茶を一飲みした後で、同様に三つの味の組み合わせを楽しみつつ。
その後で、ミキは上の乗っている栗を食べるのだ。
どうも、栗を乗せないモンブランもあるそうだが、やっぱり、栗のケーキなら、このひとつぶの栗があってこそ、だとミキは思う。
栗のクリームとはまた違う。
それこそ、栗本来の味というのが、凝縮されている気がするから。
後は、ただただ、食べるのみだ。
そこには、おいしいという言葉以外は必要ない。
どうして、美味しいものを食べる時、人は静かになるのだろうか。
やっぱり、口を開くと、その味が、その香りが、逃げていく気がするからかもしれない。
やがて。
この幸せいっぱいの時間も終わりを告げて。
三人が三人とも、食べ終わったお皿を見て、ふぅ、と一息ついて。
「あー、美味しかった。うん、うん、やっぱり、ここのお菓子はいいわ。疲れてる時に食べると、また頑張ろうって気になるもの」
「うん、そうだね。というか、機嫌のいいところ悪いけど、サクラ」
「うん? 何、ポン太?」
「向こうからやってくるのって、サクラの秘書さんじゃないの?」
「あちゃあ……今日は早いわね。もうちょっとゆっくりしたかったのに。ま、仕方ないわ。さっさと支払いは済ませてくるから、ふたりはゆっくりしてて。また遊びに来るから」
「うん、サクラちゃんも頑張ってね」
急にばたばたと、会計を済ませて、迎えに来た部下の人に謝りながら戻っていくサクラを見ながら。
もうちょっとだけ、ケーキの余韻に浸るポン太とミキなのだった。