第11話 狼少女、トリュフチョコレートを食す
「コロネさーん、後はこの粉をまぶしていけばいいんですね?」
「うん、そうそう。そのカカオパウダーが万遍なくつくような感じね……うん、バットを揺する時は優しくね。あんまり揺らし過ぎちゃうと、チョコレートの形が崩れちゃうから。うん、うまいうまい、フェンちゃん」
「あっ! 粉が良い感じになってきましたね」
「後は、そのままでちょっと置いておけば、結晶化が進むから、そうなったら、まあるく形を整えるといいよ。丸めたチョコレートは、こっちのトレイに並べてね」
「はーい! 頑張りますよー!」
そう言いながら、せっせと、丸くなったチョコレートに、カカオパウダーをまぶす作業に没頭するフェン。
いつもの動きやすさ重視の、ぴっちりタイプの戦闘服の上から、お店で借りた白衣を着て、一生懸命、教わるがままに、トリュフチョコレートを作っている狼種の女の子だ。
ちょっと色黒でスレンダー。
活発的な感じで、身体も細身ながらも、しっかりと鍛えるところは鍛えているというか。
見た目はコロネと同じくらいの年に見えるが、実際のところはようやく十代前半という感じである。
元々、狼種というのは成長が早いので有名で、それは、父親が闇狼、母親が人狼種のハイブリッドでもあるフェンも変わらない。
実際、二十歳そこそこのコロネと並んでも、どちらが年上なのかわからないくらいではある。
しいて言えば、胸がちょっと小ぶりで、そういう部分は年齢相応というか。
どこか子供っぽい態度も、実際、子供だから、当たり前なのだ。
今、コロネとフェン、ふたりがいるのは、パティスリー『ちょこっと』の厨房だ。
時刻はすっかり周囲も静まり返った真夜中。
翌日の営業がお休みということで、もうコロネ以外のスタッフはいない。
で、何をしているかと言うと。
コロネがフェンに頼まれて、プレゼント用のチョコレート作りを教えているのだ。
『コロネさん、今年もチョコレートをプレゼントする季節がやってきました!』
『それなら、お店のチョコレートを買っていったら?』
『いえ! 今度はぜひ、フェンも自分でチョコレートを作ってみたいんです! 教えてもらえませんか!?』
『うん、まあ、フェンちゃんには、戦闘訓練でお世話になってるしね。そういうことなら、喜んで協力するけど。でも、ちゃんとしたチョコレートを作るのって、けっこう大変だよ?』
『覚悟の上です! 難しいのはフェンもわかってます。でも、やっぱり、フェンが作ったチョコレートを食べてもらいたいって想いがあるんです!』
『うん、わかったよ、フェンちゃん。そういうことなら頑張ってね』
『はい!』
そんなこんなで。
コロネ指導のもと、バレンタインデー用のチョコレートを、フェンが一生懸命作っているというわけだ。
ちなみに、こっちの世界にもバレンタインデーの風習はあるにはあるのだが、これ、別に女の子が男の子にチョコレートを渡すというのではなく、性別問わず、好きな人とか親しい人にチョコレートをあげる、という感じで定着している。
『その方がチョコレートが売れるしね』
というのは、この風習を始めた女性の言葉である。
まあ、そもそもまともなチョコレートが作れるようになってから、そう時間が経っていないので、風習と言うよりも、新しいイベント、という感じで、町の人には広まっている感じではあるけど。
とりあえず、その時期はチョコレートのお菓子の種類が増えるということもあって、お客さんからも評判はいいようではある。
何だかんで、自分で買って自分で食べる人も多いし。
さておき。
「そういえば、フェンちゃんって、誰にチョコレートをあげるの?」
「あはは、えーと、はい。ブランですよ」
「えっ!? そうだったんだ!? ふーん……ブラン君が好きなの?」
ブランというのは、この町の小麦粉作りの責任者だ。
お菓子用の小麦粉も含めて、かなりの品種の小麦を取り扱っていて、そのおかげで、コロネのパティスリーでも、安定してお菓子を作ることができるのだ。
まあ、責任者と言っても、年齢的にはフェンよりも、ちょっとだけ年上という感じで、ふたりとも同じくらいの年なので、お似合いと言えばお似合いなのだけど。
「はい、大好きです! なので、いっぱいチョコレートを作りますよー。ブランのとこ、兄妹がいっぱいいますから、そうしないと受け取ってくれませんしねー」
「へえ、そうなんだ。ちなみに、好きになったきっかけとかあるの?」
「あはは、ちょっと昔なんですけど、フェンたちと同世代の子供たちで、戦闘訓練と言いますか、模擬戦と言いますか、そんな感じの大会みたいなのがありましてね。一応、フェンも参加してほしいって言われたので、出てみたんですよ。その当時から、ルーザとかとも決着つかずでしたしね。なので、てっきり、そのためだとばっかり思っていたんですけどねー」
竜人の資質持ちのルーザと。
この辺の縄張りのヌシである『ダークウルフ』の血統であるフェン。
一応、下馬評では、このふたりの一騎打ちになると言われていたのだそうだ。
ところが。
「その時に、ブランと最初に戦いましてね。それで、フェンが一本取られちゃったんですよ。あはは、本当にすごいですよ、ブラン。正直、人間種に負けたのって、あの時が初めてですもん」
「えっ!? フェンちゃんが負けたの? それは初めて聞いたね」
「あはは、まあ、もちろん、ダメージはほとんどなかったですよ? でも、それでも、完全に一本取られちゃったわけです。あれはちょっと感動しましたねえ。ほんと、すごいんですよ、ブランって。自分から打って出るって感じじゃないですけど、守りの硬さと、そのカウンタースキルは相当ですよ。コロネさんも、フェンと訓練してるからわかると思いますけど、本気じゃなかったにせよ、いえ、その後で本気で行った時も返されましたけどね。とにかく、闇狼の速度って、普通、人間種じゃ対応できないって思ってましたから。いやあ、恐るべしですよねー」
「だよね。わたしの場合、視覚強化をめいっぱい限界までやって、ようやく動線が見えるかな、って感じだものね。見えても、身体が対応できないでしょ」
闇狼は、力もさることながら、速度特化の種族だ。
限界速度が存在しない、その縦横無尽の動きがウリなのだが、ブランはその動きに対して、きっちりとカウンターをかけてきたのだとか。
「いや、最近のコロネさんもすごいですよ? でも、あの時は、『あ、首ががら空きだ。しょうがないなあ』って感じで、打ち込んだら、それが実は罠だったんですね。鎧の隙間を打った瞬間に、動きを縛られて、そのまま、カウンターでぼっこーん、です。いやあ、あれ以来、その手のことにも注意するようになりましたよ」
普通は、速度で一撃必殺で終わりだったから、とフェン。
その時までは、速さに勝る強さはない、って思っていたそうだ。
「ですから、それ以来ですねー。まあ、ブランは手合せとか、模擬戦は嫌がるんですが、それでも、毎回ちゃんと対応してくれるんで。嬉しいんですよー」
「へえ、あのブラン君がねえ……あ、フェンちゃん、大体、チョコレートができあがったみたいだね」
「はい! あーでも、お店のと違って、きれいな真ん丸じゃないですね、あはは」
「うん、でも、そこが良いんだよ。手作りなんだし、一生懸命作ってたしね。味の方も保証するよ?」
ちょっとだけ、形が曲がってはいるものの、美味しそうなトリュフチョコにはなっている。
それで、パティスリーでも使う材料を使っているから、味で勝負するなら十分だろう。
「後は、もう少し置いたら、箱に詰めて、飾りつけをして完成だね」
「はい。いやあ、うれしいですねえ」
そんなこんなで、残りの作業も頑張るフェンたちなのだった。
「フェン、ごめんね、遅くなって」
「うん、大丈夫だよ、ブラン。いつも、頼んでるのはフェンの方だし」
訓練場で待っていたフェンが、にこにこしながら、鎧姿でやってきたブランへと笑いかける。
毎週、ふたりで続けている定期の戦闘訓練。
その意味に気付いているのかな、とフェンが内心で笑う。
戦うのも、もちろん楽しいけど。
それだけじゃなくて。
「じゃあ、早速、訓練を始める?」
「あ、ちょっと待って、ブラン。その前に、ちょっと食べてほしいものがあるんだー……じゃーん! はい、チョコレート! もうすぐバレンタインだから!」
「あ、ありがとう、フェン。そっか、もうバレンタインなんだね」
「あはは、一週間以上早いけどねー。その時期になると、コロネさんもいそがしくなるから、だから早めにってのもあるんだけど。せっかくだから、食べてみてよ、ブラン。これ、コロネさんに教わって、フェンが作ったチョコだから」
いっぱい作ったから、弟とか妹の分もあるよ、と伝えて。
うきうきしながら、今、食べてほしい、と促して。
「うわ、すごいね。これ、フェンが作ったの? とっても美味しそうだよ」
「うん、だから、食べてみて」
「じゃあ、いただくね」
そう言って、ブランがひとつのチョコレートを手に取って。
カカオパウダーできれいにデコレーションされたトリュフチョコ。
それを口に入れた。
「うわ……美味しい……すごいよ、フェン! 甘いのとにがいのとが折り重なって、口の中で溶けていくよ、このチョコレート。とっても美味しいよ」
「ふふ、良かった。ね? ブラン、もう一個食べてみて?」
「え? うん、わかった」
一瞬の逡巡の後、それでも笑顔で、もうひとつトリュフチョコを手でつまんで、ブランが口へと入れた。
その瞬間。
「――――っ!?」「――――――うん、美味しいねー、このチョコ」
チョコレートを食べようとして、気を抜いていたブランへと。
フェンが間合いをつめて、そのまま、自分の唇をブランの唇を重ねて。
そのまま、口の中のチョコレートを舐めとって。
うん、と頷く。
口の中に広がっては、鼻へと抜けていく甘い香り。
チョコレート本来の苦みと、生クリームとお砂糖のマイルドな甘み。
ふんわりと溶けていく食感。
それらがひとつにまとまって、チョコレートという一個の洗練された味へと昇華している。
それに加えて、だ。
それプラス、蠱惑的な味がした。
「いや、うん……びっくりしたよ、フェン」
「あはは、でもね、一度やってみたかったんだ。これ、ちょっと前に、魔王都で出回った大人向けの絵本でやってたことだったから……ブラン、怒った?」
「別にそういうわけじゃないけど……いきなりだと、心臓に悪いよ?」
「えー、でも、お母さんも言ってたよ? 機会を逃すな。そうでなければ、後に残るのは後悔だけだ、って」
狼種の嗜好って、情熱的なのだ。
フェンもそういう性格はおかあさん譲りというか。
好きなものは好きって、まっすぐに。
まだ、子供かもしれないけど、狼種は成長が早いから。
「うん、今は、一緒に戦ってくれるだけで十分だけどねー。それじゃあ、気を取り直して、訓練を始めよっかー!」
「いや、ちょっと待って、フェン!? もらったチョコレート、横に置いてこないと!」
「あはは、きーこえーませーん! それじゃあ、頑張って、チョコレートを護ってね?」
「うわっ!? 待ってってば!?」
ちょっとだけ、照れ隠しも含めて。
そんなこんなで、ふたりの今日の訓練は続いていくのだった。