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第1話 ケンタウルス少女、いちごのショートケーキを食す

「まだかなあ、まだかなあ」


 ナズナは注文した料理が届くのを、今や遅しと待っていた。

 どこかメルヘンチックでありながら、綺麗な調度が取り取りそろえられた店内。

 お店の奥からは、何かを焼いたような香ばしい甘い香りや、挽かれたばかりの豆を使って入れられたコーヒーの香りが漂ってきている。

 ただ、待っているだけで、お腹が空いてくる匂いだ。

 今、ナズナがいるのは、とあるお店の一角。

 このサイファートの町で、唯一のスイーツが楽しめるお店のテラス席だ。


 パティスリー『ちょこっと』。


 このお店はナズナのお気に入りのお店だ。

 アルバイトが終わると、いつも立ち寄って、ここで、お菓子を食べて帰る。

 それがナズナの日課でもあった。


 料理が届くのを待ちながら、ナズナが店内を見渡すと、他の席にも、この店のお菓子を楽しみにしているお客さんの姿がいっぱい見えた。

 お店への配慮ゆえに、ものすごく混雑したり、行列ができたりということはないが、お店の常連の人、魔王都で人気の『週刊グルメ新聞』を目にして、この町へと訪れた人が、話の種に訪れる。

 誰もがみな、思い思いのメニューを頼んで、料理を食べながら、ゆったりとした時間を過ごしている。

 ナズナは、そんな雰囲気が好きだった。

 ちょうど、夕暮れに差し掛かったこの時間は、比較的、このお店が空いている時間帯だ。

 さすがに、普通はもうちょっと混んでいる人気店だし。


 そして、やっぱり、色々な種族の人がみな、同じようにここのお菓子に舌鼓を打ちながら食べている姿は、この町に住んでいるナズナにとっても、うれしくなる光景なのだった。

 向こうの席でパルフェを食べているのは精霊さんだし、あっちの席で黙々とココアを飲み物に、チョコレートのケーキを食べているのは、実は『人化』のできるモンスターさんだし。

 ナズナ自身、獣人種……馬の獣人のケンタウルスだ。

 今は『人化』スキルを使っているので、普通の人間と変わらないが、それも、お店への配慮のためでもある。

 やっぱり、下半身が馬の状態だと、テラスの椅子に腰かけるのも一苦労なのだ。

 お店にも迷惑がかかっちゃうし。


「やっぱり、本日のおすすめのケーキセットですー」


 このお店の目玉でもある、日替わりのケーキセット。

 ナズナはここに来ると必ず、このメニューを頼む。

 その日のオススメの食材を使ったケーキセットは、いつも、新しい驚きをナズナに与えてくれるから。

 本当に、月によっては一か月、すべての営業日でケーキの中身が異なるのなんて、よくあることだし。

 その辺は、店長さんのこだわりというものがあるのだろう。

 それに、すごいのケーキの種類だけじゃないのだ。

 驚くべきはその値段だ。

 ケーキと紅茶などの飲み物のセットが銀貨で一枚で食べられるという驚き。

 まず、このお店を訪れた初めてのお客さんは、そのことにびっくりすることが多い。

 ナズナたちがいる世界……そう、世界だ。

 このお店の店長さんは、何と、普通の人間種でありながら、別の世界からやってきた『迷い人』なのだそうだ。

 だからこそ、こちらの世界にはなかった甘い料理を知っていて、それをこちらの世界でも、同じように作ってくれているのだから。


 だけれども、とナズナは思う。

 この世界で、このお店と同じものを普通に作ろうとしたら、材料費だけでどのくらいかかるのだろうか。想像しただけでも目まいがしてしまう。

 銀貨で一枚というのは、簡単に言えば、普通の安宿に一泊できるだけの金額だ。

 いや、それは十分にこのお菓子が高価であるのは間違いないのだけど、問題は、甘いものの価値と言うのは、その程度では収まらないところにある。

 ケーキに使われているお砂糖は、まだ、一部の地方でしか生産できないものだ。

 そのため、ケーキ一個と言わず、スプーン一杯分でも、下手をすると金貨数枚という価値になりかねないのだから。

 白い、特別な小麦粉しかり、その他の貴重な果物もしかり。

 その辺りのことは、パン屋さんでアルバイトをしているナズナも、その時にしっかりと教わった。

 紅茶を入れる葉っぱも、れっきとした魔法食材なので、飲み物からして普通じゃない。

 にも関わらず、銀貨で一枚。

 これを破格と言わずして、何というのだろう。

 今のナズナのお給料からでも、ちょっと背伸びすれば、営業日のたびには通える程度の値段なのだから。

 それで、本当に、幸せになるくらい美味しいのだ。

 まったくもって、言うことがない。

 料理が届くまでの、このわずかな、だけれども、永遠とも続くような期待とわくわくが入り混じった時間。

 これが何とも言えない。

 どんどん、おなかが空いてくるから。

 

 と、ナズナの席の方へと、料理を持ったひとりの男性の給仕が近づいてきた。

 あ、自分のかな、と目をやると、にっこりと笑みを返された。


「お待たせいたしました。こちらが、本日のおすすめケーキセットです。本日のケーキはシャンティ・フレーズ……いちごのショートケーキでございます」


 そう言って、男の給仕さんがテーブルへとケーキと、ナズナが頼んだ紅茶を並べてくれた。

 男の人は、デュークさんだ。

 一応、魔族さんで、このお店の店長さんの『自称・忠実なしもべ』らしい。

 年齢は不詳だけど、店長さんよりも、少し年上に見える感じで、グレイの髪に、整った顔立ち、微笑が似合う感じで、着こなした給仕服とは裏腹に、どこか高貴な雰囲気が漂っていて、いつも、ナズナなどはドキドキしてしまう。

 不思議な人なのだ。

 店長さんも、苦笑するだけで、詳しいこととか教えてくれないし。


「以上で、ご注文はお済みでしょうか」


「はい。ありがとうございます、デュークさん」


 声かけにふと我に返るナズナ。

 いけないいけない、デュークさんではなく、料理に集中だ。

 そんなナズナに気付いたのか、一礼して、デュークさんは去って行った。


 さて、改めて、テーブルの上に目を遣る。

 うれしいことに、今日のオススメはナズナも大好きないちごのショートケーキだ。

 シャンティ・フレーズというのは、店長さんの世界の言葉らしい。

 シャンティは砂糖入りの泡立てたクリーム、フレーズはいちごのことを表しているそうだ。

 まあ、細かいことはさておき、このいちごのショートケーキは、このお店でも、一二を争う人気メニューのひとつだ。

 シンプルなのに、飽きが来ない。

 一度食べたら病みつきになるケーキ。

 普段も、店頭に並んでいて、お土産などで買って帰る人も多いだろう。


 ナズナもゆっくりと一口分、ショートケーキをフォークで切り分けて、そして、口の中へと運ぶ。


「ああ!」


 美味しいなあ、と心の中で叫ぶ。

 アルバイトで疲れた体に染みわたるのは、まずはふわふわのクリームの甘さだ。

 ホイップされたクリームは口の中で溶けるようにして、甘さをほわほわとうち広げていく。そこに程よい食感のスポンジ生地が加わる。わずかに漂うのはたまごの風味だろうか、生地そのものにも甘さがあり、かみしめるとふわっとやわらかくほどけていくかのようだ。

 この生地の柔らかさは本当にすごい。

 ケーキ作りに関しては、お弟子さんのみということで、詳しいことはナズナもわからないけど、おそらく、作り方に秘密があるのだろう。

 パンでは、どこまで柔らかくしても、この食感は再現できないし。

 そして、クリームと生地の甘さを、いちごのわずかな酸味と甘みがいいアクセントになっている。

 いちご本来の風味が生きている。

 それがクリームの甘さと交互に味わうことで、舌を慣れさせないのだ。

 特に、疲れている時の最初に一口は至福だ。

 食後のデザートとして食べるのとは、全然違う幸せが、ナズナを包み込んでいる。


 もう一口食べて、幸せに浸った後で、紅茶の方も少し口にする。

 このお店の紅茶は本当にケーキにぴったりだと、ナズナも思う。

 もっとも、他のお店で紅茶が供されることはほとんどないので、比較すると言っても、以前、魔女さんが振舞ってくれたものくらいしかないのだけど。

 そういえば、このお店のお茶の葉っぱは、店長さんと魔女さんが一緒に栽培していたと聞いたことがある。

 元々は、その魔女さんの出身地でしか、お茶の葉っぱは採れなかったのだそうだ。

 今では、すっかりお店の名物になっているけど。

 お茶の葉っぱに関しては、小売りはしていないので、飲みたければ、ケーキと一緒に頼むしかないし。

 そういう意味では、このショートケーキと紅茶の組み合わせは、ナズナが思う限りは最強の組み合わせだろう。

 最初のころは、テーブルに置かれているお砂糖を入れて飲んでいたけど、今は、ケーキとの組み合わせなら、ストレートの紅茶の方がよく合うと思っている。

 その辺は、常連さんの中でも意見がわかれるので、その辺りに関しては、あんまり気にしないようにはしているんだけど。


「ああ……おいしいなあ」


 一口、また一口と食べて行くと、いよいよ、上に乗っているいちごと、わずかに残るケーキ部分のみとなる。

 このいちごに関してはいつも悩みどころだ。

 いちごを食べて、その余韻が残っているうちに、最後のケーキを食べるか。

 それとも、ケーキを先に食べて、最後にいちごで締めるか。

 ナズナはいつも悩んだあげく、その日の気分で決めることにしている。

 今日は、いちごの酸味が最後の気分だったので。

 ケーキを一口食べて、最後に残ったいちごを食べる。

 甘さ、酸っぱさ、甘さ、甘酸っぱさ、そして、いちごの香りが口から鼻へと抜けて。

 ふぅ、とようやく一息ついて。


 わずかに残った紅茶を一飲みして、今日のケーキタイムはおしまいだ。

 このお店は、セットを頼めば、紅茶はお代わり自由なので、最初のころは、何杯か、追加で飲んでしまったけど、今は、ゆっくりとケーキの余韻に浸りたいので、そういうことはあまりしていない。

 ものすごい甘い……たまにあるびっくりするくらいの甘いケーキの場合は別だけど、そう言う時は、バランスを考えて、お代わりするかな。

 そうして、少しくつろいでいると、お茶のポットを持って、店長さんがやってきた。


「あ、ナズナちゃん、紅茶のお代わりはいかが?」


「いえ、今日のところは十分です。ありがとうございます、コロネさん」


 このお店の店長さんでもある、パティシエのコロネさん。

 肩までかかるくらいの黒髪の、小柄で、きれいというよりも、可愛いという感じの表現が似合う人だ。

 今も、パティシエ、というかお菓子職人さんの衣装を着ている。

 この衣装が、お菓子職人さんの衣装だと知ったのは、コロネさんから教わったからなんだけど。

 もちろん、美人さんで、男の常連さんからも人気はあるんだけど、本人はお菓子作りの方が好きで、あんまりそっちのことには気づいていないようだ。

 ケーキやお菓子だけではなくて、パン作りも得意な人で、今でもたまにパン工房の方に、新しいパンの作り方を教えに来てくれたりもする。

 もっとも、コロネさんに言わせると、パティシエの基本には、パン作りの工程も含まれるのだそうだ。

 そのため、パティシエになるためには、必ず通る道だという。

 もしかすると、ナズナももう少し大きくなったら、パティシエを目指せるかな、とそれを聞いて思うことがある。

 やっぱり、これだけのお客さんを幸せにしている人って憧れるから。


「そう? でも、いつも来てくれてありがとう、ナズナちゃん。これからもご贔屓にね」


「はい。あ、コロネさん。これからお爺ちゃんのところにも寄っていくので、今のケーキと同じものをお土産にしてもらってもいいですか?」


「うん、わかった。ちょっと待っててもらってもいいかな? ナズナちゃんのお爺ちゃんにもご贔屓にしてもらってるしね」


 そう言って、笑顔のまま、お土産のケーキを用意しに戻るコロネさん。

 その後姿を見ながら、今日もお爺ちゃんは喜んでくれるかな、と思って。

 笑顔を浮かべるナズナなのだった。

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