10 西園寺貴文
今日の講義が終わり片付けをしていると不意に話しかけられた。
「西園寺君。ちょっといいかな」
「なんですか?」
「ここじゃ、ちょっと」
目の前にいる女性に見覚えは無い。もう一度、頭にインプットしてある知人名簿を検索してみるがやはり該当者はなかった。
声を掛けてきた女性は綺麗に化粧を施した顔で真っ直ぐ僕を見詰めてくる。
こんな風に見も知らぬ人に声をかけられる事は、今まで幾度となく体験してきた。この後の展開も容易に予測できる。正直うんざりしているのだが、態度に表したりはしない。僕は内心盛大な溜息を吐きながら席を立った。
「西園寺君が好き。ねぇ、私と付き合って」
自己紹介も無くいきなりだね。まっ、別にいいけど。興味ないから…
そんな思いを欠片も出さず、僕は告白を聞いた後少し驚いた顔をしてみせ、そして申し訳なさそうに返事をする。
「ごめん。君と付き合うことは出来ない」
僕の言葉に彼女は悲しそうに顔を歪め、声を震わせる。
「西園寺君に彼女がいることは知ってる。__」
知っているのか。なら、何故告白してくる。
少しはこちらの迷惑も考えてくれ。
「…それでも西園寺君のことが好きなの。せめて私の気持ちだけでも知って欲しくって」
「……」
「私、西園寺君と彼女の邪魔をするつもりはないよ。だけど、何も言わずにあきらめる事なんて出来なくて。それで、迷惑かもとは思ったんだけど__」
迷惑と分かっているのなら行動に移さなければいいだろう。
彼女のいる男に片思いをしている可哀想な自分に酔っているのか。それとも、自分が告白すれば受け入れられるという自信があるのか? 僕の経験からすると、彼女は後者のタイプだろう。可愛らしく見える仕草を盛り込んで、健気な自分をアピールしてくる名前も知らない女。綺麗に化粧をすることより、自分を着飾ることより、まず一般常識を学んだほうがいいんじゃないのか。
「__どうしても好きな気持ちは止められないの!」
そう叫んで、彼女は僕に抱きついてきた。
僕の胸に必死にしがみつき、瞳を潤ませて上目遣いで僕を見る彼女。
その表情は思わず守ってあげたくなるような庇護欲をそそるものだった。
女優だね。
その演技力は賞賛に値するよ。
でも、僕の心に響いてはこない。
それよりも嫌悪感が湧いてくる。
早くこんな茶番は終わらせてしまいたい。
さて、どうしたものか… あまりきつく拒絶をすると、この手のタイプは面倒だしね…
僕は彼女の肩に優しく手をかけ、身体を少しずらして距離をとり、憂いを帯びた表情で彼女を見詰めながら「ごめん」と一言だけ言う。
一瞬にして彼女の顔が赤く染まる。
あからさまに動揺した素振りをみせて、僕から2、3歩後ずさると顔を伏せ涙をぬぐう様な仕草をした。
本当に君は素晴らしい名優だよ。本気で演劇を学ぶといいんじゃないかな。
「私こそごめん。こんなみっともないことしちゃって」
本気でそう思うのならもう終わりにしてくれ。そんな願いも虚しく、彼女の台詞は続いていく。
「恋人は諦めます。その代わり友達になってもらえないかな」
「……」
彼女は交渉術も心得ているようだ。
始めに無理な要求を示し相手に断らせ罪悪感を持たせた後、次に少しランクを下げた要求を示して承諾させる。人の心理をついた基本的な交渉術。
恋人が無理なら友達に… だけど、いずれは… そんなところか。
もうこれ以上付き合いきれない。
「…そうだね。友達ならいいよ。でも、それなら今とあまり変わらないと思うけど」
僕は少し棘を含んだ物言いをする。
彼女は鼻白んだ顔を見せたが、すぐに満面の笑顔を見せる。
「それじゃあ、アドレス教えて!」
彼女はスマホを取り出そうと鞄を探る。
「名前も知らない人に教えるわけにはいかないな…」
「えっ!?」
僕はにっこり微笑んでとどめを刺す。
「次はちゃんと自己紹介をしてから話しかけてね」
呆然とする彼女を尻目に、僕は漸くその場を立ち去ることが出来た。




