正義の味方と突然の訪問者
「じゃあ、よろしく」
ジェイの言葉に『無色』のリーダーは頷いた。
エッセエンメには職員の家族の安全を守る為、様々な制度があった。世のため人のため戦い、そのせいで己の家族が危険に晒されては話にもならないから当然だ。
今朝出勤してすぐジェイは昨日家に侵入してきた虫型の偵察機とともに家族保護の申請書を提出した。狙われるとしたら自分ではなく娘の方だろう、と考えたのだ。何故今更という思いはあった。だが最近の悪の組織アカエスの活動は活発になっている。今回ジェイの家へと侵入した偵察機、これも何か策の一環かもしれない。
ジェイ達『有色』の五人は精鋭として戦いに出る。だから家族を保護する規則を言い訳に使って、仕事中もリアに貼り付いていることは出来ない。申請に基づき対応するのは『無色』の者たちだ。
『無色』は正義の味方エッセエンメの戦闘員の中でも一般兵とも言える存在である。ジェイのように中で生まれ『有色』にまだなれない者や、外の世界で生まれたが強い魔力を見込まれ組織にスカウトされて訓練を受けた者たちで構成されている。戦闘能力も申し分ない者ばかりだ。今回はジェイの強い要望もあり、その中でも手練れの者たちをリアの護衛にまわしてもらった。もちろんリア本人に悟られないよう、彼らは陰から彼女を守る。
念のため今日リアは幼稚園を休ませた。申請のため組織に顔をだす必要があったジェイに代わり、ブルー——アッシュがリアとともに留守番をしてくれている。護衛の人員が到着したらアッシュはここへ出勤する手はずとなっている。
ジェイは無色のリーダーが部屋から出て行くのを見送るとデスクの上の電話を手にした。家で慣れない子守をしながら連絡を待っているであろうアッシュに知らせなければならない。
呼び出し音が何度か続いた後、アッシュが応答した。
「もしもし」
「アッシュ、無色が動いた。間も無くそこの近くに到着する。到着したらお前に連絡する予定だ」
「お、早いな。シッターさんも来たよ」
さすがに五歳のリアを一日中一人で家においておく訳にはいかない。そこでいつも頼むシッターさんに急遽来てもらうことにした。ちなみに彼女はここエッセエンメの元職員であり、職場結婚し退職した女性だ。在職中は組織の中で生まれ育つ『子どもたち』の教育を担当しており、保育のスペシャリストでもある。
「おじさん、パパから?」
かわってかわってとリアの声が向こうから聞こえた。
「はいはい。ちょっとジェイ、リアちゃんに代わるよ」
「パパ!」
「ああ、リア。今日はお留守番頼むな」
「大丈夫だよ。リアはもう五歳だもん。平気」
何故今日は幼稚園を休むのか、何故留守番していなければないないかと突っ込まれるのではないかと冷や冷やしたが、それはなかった。出かける前に『リアにしか頼めない』と真剣な表情で留守番を頼んだのが良かったらしい。その時の使命感に満ちた表情のリアを思い出すと、何やら騙しているような気分になってしまうが仕方ない。
真実を話せない以上、疑問を使命感にすり替えることも必要だ。とはいえこんなやり方もまだ幼稚園児だから通じるのであって、将来のことを思うと気が重い。
ジェイは将来も大切だがもっと大切なのは今だと己に言い聞かせ、暗くなる思考を打ち切った。そして再度アッシュに代わってもらい、必要な連絡事項を伝えて電話を切る。
椅子の背にもたれ、腕を組み宙を睨んだ。
「なんで今になって……」
自分一人の部屋、思わず零れる昨日からの疑問に答えてくれる者はいない。
***
「悪いな、アッシュ。手間かけた」
「いやいや。リアちゃんの話はけっこう面白いからさ。楽しかったよ」
護衛が向かうまでリアのことを任せていたアッシュが本部へ到着したのはつい先ほどのことだ。今二人は会議室へ向かう廊下を並んで歩いている。出勤した、とジェイの部屋にアッシュが顔を出したちょうどその時、総帥ドゥブルヴェからの招集があった。緊急の会議だという。
「リアの話……? 最近どこでそんな言葉を覚えたんだって言うようなことばっかり言うんだけど、あいつ。何言ってたんだ?」
戦々恐々としながら尋ねたジェイをアッシュは少し笑った。
「いやいや……。『最近パパは挙動不審なことが多いけど、まさかカノジョがいるのか?』ってさ」
その言葉にジェイは思わず頭を抱えたくなった。
たしかに最近緊急出動が相次ぎ、残業や休日出勤も多々あった。それがリアの疑いを招いたのだろう。去年も緊急出動が相次いだ時期、似たようなことがあった。あの時のリアは本気でジェイに女がいると思い込み、『パパはリアとその女の人のどっちが大切なのか』と詰め寄ってきた挙句、家出まがいのことをした。もちろん幼稚園の年少さんのやることだ。家出先は近所のよく遊ぶ公園であり、さも見つけてくれとばかりに一番目立つ高さのある遊具の上に座り込んでいただけだが。
「で、何と?」
「本当に仕事が忙しいんだって言っといたよ」
「助かる……」
「でもリアちゃん、面白いよね。言ってたよ。パパも大人の男の人だからカノジョがいても仕方ない。でもリアが一番じゃなきゃ嫌だってさ。ついでにカノジョはいてもいいけど再婚はして欲しくないって。『ママハハとママコの関係は難しいらしい』って真剣な表情で語ってた」
それにしても一体どこでそんな知識を仕入れてくるのか。いや、どこでなんて決まっている。幼稚園に他ならない。
最近の子どもは恐ろしい。特にリアの通う幼稚園はほぼ全員が初等科を受験するような幼稚園児ばかりだ。五歳児の平均から考えても遥かに大人びたことを言う子たちが揃っている。
一年前の『家出事件』のときも、幼稚園で仲の良いヴァン君、ユーリ君、ステラちゃんに相談し、『パパは新しいカノジョに夢中で娘である自分をナイガシロにしている』という結論に至ったのが原因だったのだから。
ジェイはそんなことを思い出して、深々とため息をついた。
確かに妻であったレイチェルが失踪した後、その時々で付き合っていた女はいる。だが一度たりとしてリアよりもその女達を優先させたこともなければ、その存在を娘に匂わせたこともない。リアが嫌がるだろうと思って、紹介も絶対にしないのだ。
それなのにこの疑われっぷりである。さすがに嘆きたくもなる。
だが隠し事をしている手前、娘の不信感についてとやかく言うことが出来ないのも事実だ。
そんな風に頭を悩ませているジェイに隣を歩くアッシュは声を潜め、そう言えばと話を変えた。彼は注意深く周りを見渡し、誰もいないのを確認してから続けた。
「今回の緊急招集だけど。魔人が現れたって話だと思う」
『魔人』という単語にジェイの表情が厳しくなった。
「今日早朝に緊急出動で駆り出された『無色』の隊員から聞いた」
「今朝の緊急出動ってあれか。コヂマチに大量出没した旧種の雑魚ども掃討の……」
今朝出勤してから組織内システムで閲覧した時間外の出動情報をジェイは思い出した。
「そう。俺たちが行くまでもないってなったんだろう任務。それに行ってた連中のうちの一人とさっき廊下で会ってさ。雑魚どもはさっくり片付いたけど、魔人が一人現れて現場は騒然となったらしい」
「騒然と、ね。その魔人のレベルにもよるが、よく『無色』の連中は無事に戻れたな。組織内システムではこちら側の被害は報告されてなかったぞ」
もしエッセエンメ側に甚大な被害があれば当然それも組織内システムに載る。それどころか『無色』では対応できない案件と判断され、ジェイ達が駆り出されているはずだ。
「それがさ。本当に変な話なんだけど、魔人はあっさり退いたらしい。戦闘にもならなかったってさ」
「その魔人、何のために出てきたんだ?」
ジェイとアッシュは顔を見合わせ、互いに首を傾げる。
「さあ。俺が話を聞いた奴は魔人からかなら離れた場所で交戦してたらしくて、姿を見ただけらしいから……それ以上は何も」
「しかし総帥の呼び出しが魔人の登場に関してなら、そいつが何か言ってきた可能性があるな」
厄介なことになった。これから総帥ドゥブルヴェからされるであろう話を想像し、ジェイはうんざりした。
「魔人が俺たちの前に現れるのはえらく久しぶりだよなぁ」
アッシュの言葉に頷きながら、今まで何度となく繰り広げた魔人達との闘いを思い出す。
『魔人』とは悪の組織アカエスが魔法科学の力を用いて強化した人間のことだ。アカエスの幹部たちはほぼ全員『魔人』である。彼らは普通の人間を遥かに超越した戦闘能力を有している存在だ。
ここ数年、ジェイ達と魔人が戦うことはなく、魔法科学の力を駆使してアカエスが創り出した化け物とばかり戦っていた。だがそれ以前は魔人と戦うことも多く、ジェイ達は激戦の末その数を減らしていっていたのだ。
そのせいかもしれない。次第にアカエス側は魔人でなく創り出した化け物を戦力として投入するようになった。それも改良に改良を加え、徐々に化け物たちを強化しながら、だ。
そういう経緯からジェイは悪の組織アカエスは貴重な魔人を戦闘へ投入することを諦め、その代わりに次々と化け物を創り出しているのだと思っていた。数を減らしたくない魔人ではなく、死んでも問題のない別のものを駒とするために。
魔人の存在は悪の組織アカエスの企む『旧人類抹殺』後の世界に不可欠なのだから。
「忙しくなりそうだな。って、困るんだが。もうすぐリアの幼稚園も夏休みだし!」
春休み、夏休み、冬休みといった長期休暇はジェイの悩みの種だ。シッターさん、託児所、お稽古事の教室、ありとあらゆるものを駆使しなければ乗り越えられない。
何事もなく無事に夏休みを乗り越えられれば良いが、と考えながらジェイは会議室の中へ入った。
***
「あっちぃ……」
ジェイはニコニコマートで買い込んだ食料品の入ったエコバッグを置き、靴を脱いだ。
ここ数日間ジャボン全土が異様な暑さに見舞われている。自宅アパートの玄関はとんでもない暑さであった。
シッターさんは既に帰ってしまっている。今日は本来ならば彼女に来てもらう日ではなかった。急遽頼んだから、ジェイが戻るまでいてもらえなくても仕方ない。
今朝からリアには護衛をつけている。それにシッターさんが帰ったのは二十分ほど前、ジェイがニコニコマートで買い物していた時だから大きな問題ではないだろう。
汗を軽く拭い、家にあがる。床に置いたエコバッグを持ち上げたその時、靴箱の上の金魚鉢にジェイは目を留めた。
違和感を感じ、金魚鉢をじっと見つめる。底に沈んだ金魚たちはぴくりとも動かない。二匹とも死んでいた。まだ水面に浮かんできていないが死後間もないのだろう。
「おかえりー、パパ!」
奥からひょいっと顔を出したリアが父親の視線に気づいたらしい。金魚鉢に目を留めた。
「にゃっ! リアの金魚!」
慌ててこちらに駆け寄り、死んじゃったと呟いている。ジェイはぽんと娘の頭に手をのせた。
「暑いからなぁ。それに元々弱ってたのかもしれない」
これは先週リアと行った夏祭りの金魚すくいで取った金魚だった。過去に二回金魚すくいで取った金魚を飼ったが、その時の金魚もあっと言う間に死んでしまったのを思い出す。
今回もあまり長くはもたないだろうと思っていた。念のため活きの良さそうな二匹だけ持ち帰ったが、やはりこの暑さには耐えられなかったらしい。
「うん。リア、埋めてお墓つくってあげる」
「わかった。ちょっと待って。先に買ってきたのを冷蔵庫に入れてから……」
リアを連れ台所へ歩き出そうとしたその時、インターホンがなった。
「誰だ?」
首を傾げつつ先ほどしめた鍵を開け、少しだけ扉を開いた。扉の隙間から見えた訪問者の顔にジェイが凍りつく。
「レイチェル」
五年前に姿を消した妻がそこに立っていた。