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正義の味方と侵入者の戦い

 いつでも攻撃できるよう身構え一歩一歩進む。一撃で仕留められなければ逃げられ、戦闘は長引くことになる。

 今、ジェイは忙しい。長期戦はごめんだ。

 そう思い、手にした得物を握りしめた。そんなジェイの背後からそっと声がかけられる。


「パパ、頑張って!」


 部屋の入り口から顔だけ覗かせたリアの激励にジェイは振り返ることなく頷いた。

 窓を開けたら虫が入って来てしまった。退治して欲しい。そうリアに告げられたのはつい先ほど、慌ただしく夕食の準備をしていた最中のことである。

 ジェイは殺気のこもった視線をその場所へ向けた。不届きな侵入者はその物陰に隠れているのだ。正義の味方たる自分の家に家主の許可なく侵入するとは、と忌々しく思いながら気配を消し、間合いを詰める。

 不幸中の幸いは、侵入した虫が例の家庭害虫ではなさそうだということくらいか。リアの目撃情報ではその虫がなにか分からなかったが、少なくとも『奴』ではないらしい。

 そもそも奴の侵入には最大限気を使っている。清潔を心がけ、ゴミは貯めない。奴の付け入る隙がないであろうこの家だが、生憎と二階なのだ。万が一ということもある。

 悪の組織の刺客と戦う時以上の緊張感をジェイに与える奴はある意味で偉大だ。だが各ご家庭に出没し、平和に暮らしている主婦をも暗殺者や時に戦闘狂へと姿を変えさせる虫なのだから侮ってはならない。何せ奴は大災厄も第一次、第二次人類滅亡危機も乗り越えて、この世界に存在しているのだから。


「そこか……!」


 視界の中でさっと影が動く。逃すか、とジェイは愛用のハエ叩きを振るった。日頃、悪の組織との戦いで鍛えているおかげかハエ叩きは確実に虫をとらえる。手応えを感じた次の瞬間、ポトリと床に何かが落ちる音がした。

 鋭い視線でそれを睨む。もし動くようなら息の根を止める必要があるのだ。

 ジェイは頼むから死んでてくれ、と祈った。壁に止まっている状態の虫をハエ叩きで叩き壁のクロスを汚すのも嫌だが、床に落ちたものを潰すのも嫌だ。しかも落ちた所はカーペットの上である。

 しばらく様子見をし、もう大丈夫だと確信してから部屋の入り口にいるリアを振り返った。


「やっつけたぞ」

「敵をやっつけた! 室内オールクリア!」


 リアがぴょんぴょん飛び跳ねながら喜んでいる。

 ジェイは室内を見渡し、棚の上にあったティッシュを手に取る。節約のためあまり一杯使いたくない。だが一枚で虫の死体を回収するのは嫌だ。控えめにティッシュを何枚かとり、再び虫の落ちた場所へ近づく。


「リア?」


 何故かリアが虫の落ちた場所にしゃがみ込んでいる。彼女は首を傾げながら指でつんつんと虫の死体をつついていた。


「リア、あんまり触らないほうがいいぞ」


 手を洗ってこいと言おうとしたジェイの言葉をリアが遮る。


「ね、パパ。これ虫だけど、虫じゃないよ」

「虫じゃない?」


 ジェイは足早に近づき、娘の横に膝をつく。そして改めてまじまじとカーペットの上に落ちているそれを見た。


「これは……」


 虫を片付けるためにとって来たティッシュをひとまず置く。そしてジェイもリア同様躊躇わずにその虫に触った。ジェイにハエ叩きで叩かれたせいか片方の羽がもげて、そばに転がっている。おそらくリアはその羽根を見て、これが『虫』ではないと気付いたのだろう。

 外見は夏場に多い、やたらとギラギラ緑色に輝くあの虫にそっくりなそれは金属で出来ていた。羽根と身体を繋いでいた金属部分が露出している。

 ジェイは無表情で手のひらの上にのったそれを見つめた。


「ねえ、パパ。これカナブンそっくりだねー。すごいねー」

「そうだな」

「ねえねえ、リアこれもらってもいい?」


 お友達に見せるんだ、とリアがはしゃいでいる。


「いや……」

「もらっちゃダメなの?」

「これは、持ち主がいるからな」


 持ち主、とリアは呟き、こてんと首を傾げた。


「そう。これはラジコンだよ。リアはラジコン知ってるだろう?」

「うん。ヴァン君が持ってるの見たことあるよ。そっか、ラジコンなんだ……」

「ああ。虫のラジコンなんて珍しいからなぁ。持ち主はなくなったら困るかもしれない。だからまだリアにはあげられない。ごめんな」


 リアは首を横に振った。ジェイは先ほど用意したティッシュをまた一枚とり、広げたそれの上に『虫』とその羽根をのせて包む。明日出勤したらイグレク博士の研究室へ持ち込み、組織で調べなければならない。

 ジェイはエプロンのポケットにその包みを収めると立ち上がった。夕食の準備に戻らなければならない。


「パパ、何か顔が怖いよ」

「いや……。ほら虫と間違ってラジコン壊しちゃったから」

「壊した……ベンショー? ソンガイバイショー!」


 リアが目をまん丸にして『損害賠償』と繰り返す。一体どこでそんな言葉を覚えたのだろうか、とジェイは疑問に思った。


「だ、だいじょぶ! 大丈夫だよ、パパ!」

「リア?」

「リアのお友達のユーリ君のパパはベンゴシさんだから! それにあんなに虫そっくりなラジコンをリアのお家に入れちゃった持ち主にもヒはあるもん!」


 どこまで分かっているかわからない娘の言葉にとりあえずジェイは頷いておく。


「まあ、この持ち主は弁償しろなんて言ってこないよ。間違いなく」

「自分にヒがあるから?」

「そう、自分に非があるから。ほら、リア。夜ご飯の準備手伝ってくれ。夜ご飯食べるの遅くなるよ」

「うん!」


 軽い足取りで台所へ向かうリアの後ろ姿を見送る。手伝ってくれと言ったのだから自分も台所へ行かねばならない。サラダは冷蔵庫でもう冷やしてあるが、肉を焼かないといけないし、他にも作るものがある。

 リアに顔が怖いと言われないよう表情だって取り繕わなばならない。

 だがずっと自分が恐れていた事態がやってくる予感にジェイはその場を動けずにいた。



 ***



 今日は具沢山ポテトサラダと特売で買った豚肉のピカタ、キャベツとブロッコリーのコンソメ煮に作り置きしてあった自家製ピクルスだ。


「お肉美味しいね」


 リアは満面の笑みだ。

 そう言えば最近鶏肉続きだったとジェイは思い出し、頷き返す。基本的に家で出す肉は鶏肉か豚肉だ。高価な牛肉はなかなか食卓にのることがない。

 ジェイもリアにつられ、切り分けたピカタを口へと運ぶ。玉子の優しい味わいと肉の旨みが絶妙な組み合わせだ。卵付けて焼くだけだから、トンカツよりも楽だし、衣のおかげで肉汁も閉じ込められジューシーに焼きあがっている。

 口の中のものを飲み込み、ジェイはリアに言った。


「ああ、うまく出来てる。リアが手伝ってくれたからだな」

「えへへ。園長先生がね、ちゃんとお手伝いしましょうって言ってたんだ。出来ることでいいからって。……ポテトサラダも美味しいよ。うーん、給食のポテトサラダも美味しいけどパパのポテトサラダが一番リアは好き」


 リアは嬉しそうな顔でポテトサラダに入っているヤングコーンを食べている。


「そうか」

「そうだよ! だってね、給食のサラダにはこのヤングコーンとか、これ……」

「スナップエンドウ?」

「そう! スナップエンドウも入ってないもん」

「これ入れると食感が良くなるから入れてるんだ」

「ふーん。あれ? そう言えば、パパ。今日朝、夜ご飯はお魚だって言ってなかった?」


 リアは今日の朝食のときに話していたことを思い出したらしい。確かに朝の時点で夕食は魚の予定だった。ヨツコシスーパーで鯛が驚くほど安かったのだ。

 本来ならばそれを使って夕食を作るはずだったが、オクダーマから戻ってきた時点で気が変わった。無性に肉が食べたくなったのだ。


「なんかパパ、急にお肉食べたくなったんだ。だから魚は明日」

「そうなんだ」


 リアは納得した表情でそれ以上追求することなく、またピカタを一切れ頬張る。

 不思議なことに敵を斬りまくった日は肉が食べたくなる。さすがにそれはリアには言えない。だが自分でも不思議だ。

 肉を飲み込んだリアが何か思い出したような表情になり、言った。


「そういえばね、ヴァン君のお家もパパの気分で夜ご飯が突然お肉になるんだって」

「へぇ、ヴァン君パパか」

「うん。ヴァン君が言ってたんだよ。オペがいっぱい入った日はパパがお肉食べたいって言うから、ママが慌ててお肉焼いてるんだって」


 リアの幼稚園の友達であるヴァン君の父親の職業は医者だ。それも外科だったと記憶している。

 なるほど、とジェイは思った。

 仕事で肉を切る。

 ジェイとはかなり違うが、肉を食べたくなるのは似たような心理なのかもしれない。

 ジェイはふと無人になっていたオクダーマのいくつかの集落を思い出し、心が凍るような気持ちになった。それは何も悪の組織の犠牲になった人々を悼んでのことではないし、正義の味方としての正義感のせいでもない。不謹慎ではあるが、あまりジェイはそういった気持ちを持ち合わせていないのだ。

 アッシュに言った言葉ではないが、ジェイにとっては娘のリアが全てである。それ以外は何の意味もない。

 正義の味方として生み出され、ただその義務を果たしていただけだ。『普通の人』を装い生きることに戸惑い、正義感も守るべき世界への愛情というものも自分の中にないことにも戸惑っていたころにリアが生まれて全て変わったのだ。最初は子どもにも何も期待していなかった。

 妻のレイチェルには非常に申し訳ないと当時思っていたが、結婚そのものも『普通の人』として生きるための隠れ蓑のようなものだったのだから。そこに付随する子どもという存在にも自分は何の感情も抱くことは出来ないだろう、と思い込んでいたのだ。

 先ほど突如現れた、あの虫。あれはジェイの家の様子を探るための偵察機であろう。

 とうとうここにまで悪の組織の手が伸びて来た。

 目の前ではリアが幸せそうに夕食を食べている。必ず守らなければならない。娘とその幸せな生活を。

 ジェイは今後の対策を考えつつ、もしかしたら望まぬ再会があるのかもしれないと憂鬱な気分になった。

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