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正義の味方はフリンしない

 片親で幼稚園通いさせるのは大変だ。

 基本的に幼稚園は午後早い時間に終わる。日によっては午前で帰ってくることもあるのだ。

 幼稚園の終わった後に習い事の教室がある日はアルバイト契約をしているシッターさんに幼稚園から教室までの送迎、ジェイが家に帰るまでの世話を頼んでいる。何もない日はリアは基本的に延長保育で幼稚園で迎えを待つことが多い。とは言え幼稚園はあくまでも幼稚園。保育園とは違い、毎日必ず延長保育を行っている訳ではない。

 そうなるとやはりシッターさんは不可欠なのだ。『実家』などというものがないジェイにとっては尚更に。

 リアの通うお稽古事が多いのもシッターさんを頼まねばならない一因であるが、それは仕方ないと割り切っている。リトミック、体操、絵画といった教室は幼稚園受験前から通っており、それは初等科の受験にも役に立つ。何よりもリア本人が楽しいらしく、教室を辞めるつもりはなさそうだ。


 更に今日、また通う教室が一つ増えた。

 以前リアの幼稚園の友人であるヴァン君ママに誘われた初等科お受験対策の名門ともいえる幼児教室。今日、その幼児教室の体験入校にジェイとリアは参加した。リアの幼稚園の友達三人とそのママ達とともにだ。

 そして体験入校は途中緊急出動で呼び出されることもなく無事終わり、今はその帰り道である。

 先ほどリアの友人、そのママ達とロポンギで別れ、父子は家まで歩くことにした。ロポンギから二人の住むアパートがあるアザブジュバンは近い。ちなみにリアの通う青葉会幼稚園は同じミナット区ニチアザブにある。家とジェイの職場、リアの幼稚園はそれぞれが大人の足で徒歩十五分ほどの位置にあるのだ。

 二人はヒルズ遺跡の横を通り抜けアザブジュバン商店街に続く道へと入った。


「楽しかったよ」


 リアはうきうきとした足取りで歩きながら言った。


「そうか」

「うん。先生もね。リアのことお利口さんだってほめてくれたんだ。パパ、あの教室に通うの?」


 リアの問いかけにジェイは頷いた。

 体験入校が終わった後、ジェイとリアは三組の母子とともにカフェでお茶を飲んだ。子どもは子ども同士で盛り上がっていたが、ママ友とジェイの四人は教室からもらった資料を片手に熱心に話し合った。その結果全員がわが子をあの幼児教室へと通わせることに決めたのだ。


「じゃあ、ヴァン君もユーリ君もステラちゃんも一緒だね。よかった!」


 仲良し四人組で同じ教室に通えることが嬉しいらしいリアは満面の笑顔だ。娘の嬉しそうな様子にジェイも嬉しくなる。

 習い事が増えれば出費も増える。今や毎月かなりの金額が教育費として使われていた。とは言えジェイは娘にかかる費用を削る気はない。無駄な出費はすべきでないが、教育費は必要なものだと考えている。

 そもそも正義の味方として日々命がけで戦っているのもあり、こう見えてもジェイは高給取りである。しかし常に自分は死の危険が隣り合わせであり、万が一のことがあればリアは一人だ。そうなった時を考えれば貯金はしておかねばならない。

 必要なところはケチったりしたくない。その分節約できるところは徹底して節約する。結果、ジェイは倹約家となった。

 幼児教室に通うようになると教室の月謝だけでなく他の『経費』もかかるようになるのだ。


「そういえばパパ。明日ステラちゃんママとデパートに行くの?」


 あれこれと家計のことに考えを巡らせていたジェイを見上げリアが尋ねる。子ども同士で盛り上がっていると思いきや、しっかり親同士の会話も聞いていたらしい。


「そうだよ」

「ふーん。リアも一緒?」

「ああ。ステラちゃんも来るし。買うのはリアの服だから」


 幼児教室に通わせるにはそれなりの格好をさせておかねばならない。もちろん親の方も、だ。今日の体験入校でも母親達は皆上品なスーツなどを着ていた。ジェイとてジャケットを着用し、きちんとした服装をしている。

 そう、着るものにかける費用もバカにはできないのだ。親の方はまだ良い。流行の最先端の格好は求められない。むしろ好ましくないだろう。だが子どもの方はどんどん成長する。去年のものは着られないから新しく買うしかない。

 今回リアの洋服を新調しようと考えたのは良いが、毎回娘の服を買う時には頭を悩ませるジェイである。そこで先ほど皆でお茶を飲んでいる時、同じく女の子を持つステラちゃんママにお勧めの服屋を尋ねたのだ。

 そうした話の流れで、明日それぞれの娘を連れて買い物に行くことにしたのだ。デパート好きのリアのことだから連れて行けば喜ぶだろうとジェイは思ったのだ。

 だがジェイの予想に反して、リアは浮かない様子だ。


「ふーん……」

「ど、どうした……リア?」


 デパートに行きたくないのだろうかとジェイはリアの顔を覗き込む。リアは少し考えこみ、そして難しい表情で言った。


「ねえ、パパ。ステラちゃんママと一緒にお買い物行って、フリンだって言われない?」


 あまりの発言にジェイの思考が一瞬止まる。石畳の上で立ち止まり、しばしの間リアと見つめあった。二人の傍を車が通り過ぎ、そこでやっとジェイは我に返り、思わず顔が引きつった。

 フリン。つまりは不倫。

 一体リアはどこでそんな言葉を覚えたのだろうと気が遠くなりかける。だが真剣な厳しいと言っても過言でない顔で自分を見つめる娘の姿に、それは後回しだと自分に言い聞かせた。まずは誤解を解くことからだ。


「リア。不倫なんてありえない」

「どうして? ステラちゃんのママはね。ヴァン君ママ、ユーリ君ママより若くてパパと同じ歳なんだよ? しかも学生の時にミスキャンパスになって、その若さとスタイルとビボーを使って年上のエリートでコウキュートリのステラちゃんパパを捕まえたんだって!」


 ジェイは目眩がし始め、思わず片手で顔を覆う。だがここで終わらせてはならない。気力を振り絞り、再度リアを見下ろした。


「なぁ、リア……。一体誰がそんなこと言ってたんだ?」


 ミスキャンパスだの美貌だのスタイルだのはリアの言葉ではあるまい。高給取りというのも意味が分かってなさそうだ。

 話を逸らされたと思ったのかリアがふくれっ面をしたが、ちゃんとジェイの質問には答えた。


「ステラちゃんが言ってたんだもん!」

「最近の幼稚園児は恐ろしい……。り、リア。大丈夫。パパはその気はない。いくらステラちゃんママが同じ歳で元ミスキャンパスでスタイル抜群の美人でも、何もない!」

「パパはそうでも、ステラちゃんのママはそうじゃないかもしれないもん!」

「何でそう思う!」


 そこでジェイは通りを挟んで向かい側にあるたい焼き屋に並ぶ見知らぬ人々がこちらに注目しているのに気づいた。あのたい焼き屋は有名な店でネオトーキョー中から人々が買いに来る。週末の今日ともなれば長蛇の列だ。

 どうやら自分たち親子は大声でとんでもない話をしてしまったらしい。そう思ったジェイは慌ててリアの手を取り、歩き始める。リアもふくれっ面をしているものの、おとなしくそれに従った。

 並んで歩きながらジェイは少し抑えた声で再度尋ねた。


「なんでそう思う?」

「だって、だって……ステラちゃんのママはパパのことイケメンだって言ってたもん」

「……リア。それだけだろ。ただ言ってただけだ」


 しかしリアはぶんぶんと激しく首を横に振った。


「だってね。ステラちゃんママは海外ドラマの何とかかんとかな妻たちっていうのが大好きなんだって」

「何とかかんとかな妻たち……?」

「うーんとね。セレブな妻たちが繰り広げるフリンとかのドロドロな人間模様とか……サスペンスとかなんだって。きっとママはあのドラマの主人公みたいにコウキュートリの夫をキープしつつ、イケメンのフリン相手とジダラクな生活を送りたいんだって……言ってたんだもん!」

「なあ、リア」

「なあに、パパ?」


 娘にそう言われてしまうステラちゃんママを何となく気の毒に思ったが、五歳児がそこまで友達に喋るくらいだ。もしかしたらそれらしいことをステラちゃんママは口にしているのかもしれない。自分の女友達相手に。子どもは聞いてないようで親の話を聞いている。そして親の言うことを聞かないわりに、親の真似はよくするのだ。

 ジェイは適当に誤魔化そうかとも思ったが、止めた。リアが理解できずともちゃんと言っておくべきだろう。


「ステラちゃんママは専業主婦だ。高給取りのステラちゃんパパとは別れたくないはずだろ。だから安易に幼稚園で繋がってる他の子の親と不倫するとは思わない」


 言いながら、ジェイは俺は幼稚園園児相手に何を語っているのだろうと少し虚しくなる。

 だがそんなジェイの思いとは反対にリアは真剣な顔でうんうんと頷いている。それを見て、この調子で畳み掛けようと心に決め、ジェイは続けた。


「パパも馬鹿じゃないからそんなことしない。今回は四人で洋服買いに行くだけだし、洋服買ったらすぐ解散する予定だよ」


 女の買い物は長いから、という言葉は飲み込んだ。

 そこまで聞いてやっとリアは納得したらしい。買い物に行くことに同意してくれた。ほっと胸を撫で下ろすジェイだがリアは完全に納得したわけではなかったらしい。ボソッと『もしパパがユーワクされそうになったらリアが守らなきゃ!』などと呟いていたのをジェイは聞かなかったことにしておいた。



 ***



 翌日、リアを起こしてからジェイは朝食の準備に取り掛かった。

 今日の朝食に関しては、昨日体験入校からの帰り道にリアからリクエストがあった。パパの作ったフレンチトーストが食べたい、と。その為、昨日家に帰ってすぐに下準備をしておいたのだ。


「漬け込んで弱火で焼くだけだから楽っちゃ楽なんだけどな……」


 ブツブツ言いながらフライパンを準備する。

 牛乳と砂糖と卵をかき混ぜ作った液に厚切りのパンを浸し、焼くだけのフレンチトーストは簡単だ。だがジェイはパンを短くても半日は漬け込む。冷蔵庫を開けて、バットを取り出した。浸した食パンは昨日寝る前に一度ひっくり返している。ジェイはじっくりと時間をかけ染み込ませたパンを弱火で焼き始めた。

 その間に他の品を準備する。フレンチトーストが甘くこってりしているから、簡単にサラダとベーコンのスープにした。サラダのドレッシングはビネガーを使った酸味の強いものだし、ベーコンのスープは旨味はあるがあっさりと飲めるコンソメだ。これならばフレンチトーストの邪魔にもならなければ、味わいが被ってくどいと言うこともないだろう。


「パパ、おはよう!」


 いい匂い、と言いながらリアが寄ってくる。


「おはよう、リア」

「フレンチトースト美味しそう! パパのフレンチトーストが一番美味しいんだ。中はふわふわなのに外はさくっとしてるんだもん」


 昨日のカフェでジュースと一緒に頼んだフレンチトーストがあまり口にあわなかったらしいリアが言う。なんでも店のそれはわずかにべちゃっとした感じがあり、ダメだったらしい。


「そりゃ良かった」


 ジェイは笑いながら焼きあがったフレンチトーストを皿に盛る。切っておいたバナナと解凍していた冷凍ベリーも添えて。

 そして棚の中から滅多に使わないメープルシロップを取り出した。これはヴァン君ママから海外旅行のお土産にもらったものだ。高級品であるメープルシロップは自分で買うことがないもので、大切に使っている。

 リアにも手伝ってもらいテーブルに食器を並べ、準備が整ったら二人は向かい合い座った。


「じゃあ、食べようか。これ食べたらデパート行く準備しような」


 ジェイの言葉にリアが真剣な表情で頷いた。この様子ではリアはまだ『パパがユーワクされたら守らなきゃ』と考えているのだろう。

 ジェイは娘に変な疑いをもたれぬように今日は行動に気をつけよう、としみじみ思ったのであった。

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