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正義の味方の悪い予感はかならず当たる

「あー、いい天気だなぁ」


 よく晴れ渡った土曜日。アパートのベランダでジェイは青空を見上げた。

 今日は仕事は休みである。朝少しゆっくりめに起き、洗濯を済ませ、今干し終わったところだ。これだけよく晴れていればあっという間に乾くだろう。爽やかな風に洗濯物がはためいた。


「買い物日和だ」


 ジェイはにやりと笑った。今日はニコニコマートへ買い出しに行く予定である。数日前の夜中に作成した買い物リストが活躍する日だ。気合いも入るというものである。

 軽く伸びをして、ふとジェイはベランダからリビングの壁掛け時計を見た。そろそろリアを起こす時間だった。ベランダからリビングへと入り、網戸だけ閉めて外の空気が室内に入るようにする。そしてリアの部屋へ向かった。

 ジェイとリアが二人で暮らすアパートは個室が二つにリビングとダイニングがある。そんなに広すぎないが、築年数の割りにお手頃な家賃のここに住み始めて早五年が経った。

 リアの部屋の扉を軽くノックする。反応がないのでそのまま部屋へと入った。薄暗い中、ジェイはまっすぐ部屋の奥の窓へ向かいカーテンを全開にした。そして窓を少し開けてから、子供用ベッドのそばに近付くとそっとリアに声をかける。


「リア、朝だぞ」


 もぞもぞと布団の中で動いているがリアが起きる気配はない。仕方なく布団に手をかけて、かるく揺さぶった。


「リア」


 寝ぼけいるのだろう。リアはいやいやと首を振り、また布団へと潜り込もうとする。

 仕方ない、とジェイは伝家の宝刀を持ち出すことにした。


「リア、今日は一緒にニコニコマート行く約束しただろ。行かないのか?  パパ一人だとアイス三個しか買えないんだぞ」

「にゃっ! アイス!」

「そうだ。アイスだ。普段は買えない高級アイスだぞ。チョコ味好きなんだろ?」


 ジェイの畳み掛けにリアはがばっと起き上がる。寝癖で鳥の巣のようにくしゃくしゃの娘の髪を手で梳いてやり、苦笑した。これは後で結んでやらないとダメだろうと思いながらジェイは言った。


「おはよう。リア。朝ごはん用意するから、顔洗っておいで」

「おはよう、パパ。顔洗ってくる!」


 リアはさっきまで布団の中で粘っていたのが嘘のようにベッドから飛び降りると部屋を飛び出して行った。パタパタと廊下を走る音を聞きながらジェイも腰掛けていたベッドから立ち上がった。


「さて、朝飯作りますか」


 最近のリアは踏み台さえ用意してやれば、自分で顔を洗い、髪を梳かすくらいは出来る。着替えは後で良いだろう。

 今日の朝食には二枚だけ残っていた冷凍したパンを使ってしまおうと考えながら、彼は台所へと入った。


「今日卵も買うから、ハムエッグと……トマトも切るか。あとは先週作ったジャム」


 ハムエッグを焼き、トマトを切って皿に盛り付ける。冷凍していた厚切りの食パンが焼きあがり、それも皿にのせた。パンにたっぷりとバターを塗ってから、お手製のジャムの瓶の蓋をあける。普段ならばジャムは店で買ったものを使うが、先々週の特売でもイチゴが安かった。それを買ってきて、自分でジャムを作った。と言うのも、ジェイもリアもイチゴがあまり潰れてない状態でゴロゴロと入っているイチゴジャムが好きなのだ。砂糖控えめに作っているから早めに食べないといけないが、イチゴが安いときはつい作りたくなる一品だ。

 バターをたっぷり塗って香ばしい香り漂うトーストの上に、更にたっぷりとお手製イチゴジャムを塗りつけた。蜂蜜をたっぷりと塗ったハニートーストもそうだがバターの塩気とジャムの甘酸っぱさが絶妙な組み合わせである。


「あ、ジャムだ!」


 ひょいっと台所に顔をのぞかせたリアが父親の手元へ目を留め、嬉しそうな声を上げた。


「もう出来たよ。座って」

「はーい」


 いそいそと席に座るリアの前と、自分の席の前に手早く皿を並べる。飲み物はジェイがコーヒー、リアは牛乳だ。全て並べるとジェイはリアの正面に座った。


「美味しいねー、パパ」

「何でバターのしょっぱさとジャムやら蜂蜜の甘みはこんなにあうんだろうなぁ」


 二人はトーストをかじりながら感嘆の声を漏らす。


「パパ、お醤油とって」

「ほら。かけすぎないように気をつけろよ」

「はーい」

「ハムエッグも残さず、しっかり食べとけよ」


 今日は特売日。腹が減っては戦はできぬ。

 父子は互いに頷きあうと食事をとり始めた。



 ***



 ジェイとリアの住むアパートの近くにはスーパーマーケットがいくつかある。だがその中でも行くのは二箇所だけ。ニコニコマートとヨツコシスーパーだけだ。

 それ以外のスーパーマーケットは高級路線で家計にあまり優しくない。この辺りは実は高級住宅地なのだ。

 アパートから徒歩五分ほどの場所にあるニコニコマートの店前にジェイとリアは立っていた。


「あと一分」


 腕時計を見てジェイが呟いた言葉にリアが無言で頷いた。あと一分でスーパーマーケットは開店である。店前にはジェイ達同様に開店を待つ主婦達が同じようにカゴを持って店の扉を見つめていた。

 いくらこの辺が高級住宅地とはいえ、住む者すべてが富裕層ではない。この辺の場所が人気が出るはるか昔からこの土地に住み、慎ましく生活している家庭も少なくないのだ。なるべく安く買いたい、その倹約の精神は多いにジェイも共感できる。だが今この瞬間、ここで待つもの全ては敵だ。特売品の中には数の限りがあるものも多い。そんな数量限定のお買い得品を狙っているのは皆同じなのだ。


「ねぇ、パパ。アイスちゃんと買えるかな……」


 不安そうに呟くリアを見下ろし、その頭をわしわしと撫でてやる。

 いつもならばアイスクリームを買う優先順位は低い。だが先日約束を破ってしまった埋め合わせとして、今日はかならずアイスクリームを買わねばならないのだ。一人三つ、二人で並んで上限の六つを手に入れる必要がある。


「大丈夫だ。まずアイスクリームを確保しに行こう」


 スーパーマーケットで使われている買い物かごや持ち帰りの際の袋は、二百年ほど前に魔法科学院によって開発された材料を使っている。中に入れた物の温度を保てるのだ。先にアイスクリームを確保しても溶けることはない。

 ジェイの言葉にリアが安心したように笑顔を見せたその時。店の内側から店員が出てきた。その場にいた客がいっせいに店員に注目する。

 このピリピリと緊張した空気はまるで戦いの場のようだ、とジェイは感じた。いや、ようだではない。事実戦場だ。

 主婦は最強だ。これほどの敵はいないとジェイは外の世界で暮らし始めてから痛感している。しかし、今や自分も主夫なのだ……兼業ではあるが。彼女達に何らひけをとることはない。

 店員はその場のピリピリした空気に気づいているのかいないのか、ゆったりとお辞儀をして、開戦の宣言をした。


「お待たせいたしました。開店でございます」


 すっかりこんな光景になれている店員はそう言い終わるやいなやパッと身を翻し、扉の前から退いた。解放された扉に向かって主婦達が駆け込んでいく。ジェイとリアも元々扉に近い場所に陣取っていたお陰ですんなりと店内へ入ることが出来た。ジェイはリアを小脇に抱え、アイスクリームの入ったケースの場所へ最短距離で行ける通路を選び駆け抜ける。もはやこの店の売り場の配置は完全に頭に入っていた。普段ならば絶対に人前で見せることのない、車よりも早く走れる彼の超人的身体能力を駆使し、あっと言う間にアイスクリーム売り場に到着する。


「アイス!」

「全部チョコでいいんだな?」

「うん!」


 定価でなら決して買うことのない高級アイスクリームのチョコ味を六個、カゴに放りこんだ。リアが小躍りして喜んでいる姿は微笑ましい。

 だが、これからが本番だ。



 ***



 片手にはリアの手を握り、空いている方の手で買い物袋を下げて歩くジェイの表情は明るい。激戦だったが目当ての物は全て買えた。

 今日の一大イベントは終了だ。せっかくの休みだから親子で仲良く過ごそう。明日も休みだから少し遠出をするのも悪くない。

 先週はシンズク遺跡に行ったし、その前はトドロック渓谷に行った。今日はどうしようかと悩みつつ、本人の希望を聞くためにジェイは口を開いた。


「なぁ、リア。今日はどうしようか。どこか行きたいところあるか?」

「行きたいところ……。リアね、映画見たいんだけど……」


 リアがおずおずと最近頻繁にテレビでコマーシャルを流しているアニメの映画のタイトルを口にした。


「お、いいな。じゃあいつもの映画館に……」


 言いかけてジェイは凍りつく。そういえばいつもの映画館の辺りは数日前のあの鳥の化け物の襲撃で大きな被害を受けていた。魔法科学院の技術をもってしてもあれは数日前のことだ。さすがにまだ営業は再開してないだろう。


「あー。あのクソッタレな鳥のせいで……」

「パパ、そんな汚い言葉使っちゃダメなんだから!」


 幼稚園で厳しく言われているのだろう。リアから言葉遣いをたしなめられた。リア自身も『自分のことは名前でなく私と言いなさい』と言われているらしい。癖になっているせいでなかなか治らないが、これはこれで子どもらしくて可愛いとジェイは思っていたりする。とはいえお受験前には何とかせねばならないのだろう。

 それを思い出して少し寂しく思いつつも、ジェイは頬を膨らませている娘にごめんと謝った。


「とりあえずインターネットで他の映画館調べて行こう」

「うん。でも映画は明日でいいよ、パパ。今日は公園で遊んで。リアはブランコに乗りたいなぁ」

「じゃあ一旦家に買ったもの置いてから公園に行こう。せっかくだから弁当作って、ちょっと遠出して遊具がいっぱいある大きな公園に行こうな」

「やったぁ!」


 早く早くとリアに引っ張られ、ジェイは苦笑しながら家への道を急いだ。



 ***



 二人は家に帰ると手早く公園へ行く準備を済ませた。おにぎりやミートボール、卵焼きといった簡単な弁当を作り、バスケットに飲み物と一緒に詰めて再び家を出た。最寄り駅までは徒歩で少しだ。目的地の公園は電車に乗って数駅で着く。

 思っていたより乗客の少ない電車に揺られ、二人はほどなくして目的地の公園に到着した。公園にはジェイたちのような親子が複数いて何とも賑やかだ。


「じゃあパパはこのベンチで待ってるから。行って来い」

「うん!」


 先ほどから早く遊びたくてソワソワしていたリアは頷くとお目当ての遊具に向かって駆け出した。ジェイはベンチに座り、その姿を見送った。


「あー、平和な週末だな」


 思わず呟き、心の中で今日こそは悪の組織の襲撃がないように祈った。自分が出動したくないときに限って奴らはやってくるのだ。

 しかしジェイの祈りも虚しく、正義の味方の悪い予感はかならず当たる。遊具で遊びながらジェイに呼びかけ手を振るリアに手を振りかえしたその時。彼の身体に衝撃が走った。恐る恐る手元の時計の表示を見る。

 緊急出動のマークが表示されていた。

 行きたくない。だが行かないわけにはいけない。

 力なく立ち上がったジェイの視界にリアがこちらに駆け寄ってくる姿が入った。さっきまでにこやかに手を振っていた父親の異変に気がついたのかもしれない。


「パパ!」

「リア。パパはちょっとトイレに行ってくる!」


 ここで待っていろと言い残すとジェイは駆け出した。その背中にリアの驚いたような叫びが投げかけられる。


「パパどこ行くの!」

「トイレだ!」

「だって、だって……トイレはそっちじゃないよ!」


 追いかけて来られては困るのでリアの方を振り返り、もう一度ジェイは言った。


「いいか、リア。ちゃんとそこで待ってろよ!」

「パパ、トイレはそっちじゃないってば!」


 どんどんリアの声が遠ざかる。ちゃんと言い聞かせたから追ってくることはないだろう。走りながら腕時計を操作し、通信機能を起動した。


「レッドだ。これから現場に向かう。一人誰でもいい。娘の保護に人員をまわしてくれ!」


 本部から了解の返事を聞き、更に駆ける速度をあげた。確かこの近くのはずだと思いながらどんどん人の気配がない場所へと進んだ。


「あった!」


 視界に人が一人入れる位の金属のボックスが飛び込んだ。その表面には組織エッセエンメの表の姿であるエスエム協会のマークが刻まれている。この転送装置たるボックスは各地に配置されているが、一般人にはこれが何なのか知られていない。魔法科学院によって特別につくられた代物で、魔力認証によって開く扉を開けられるのは組織の者だけなのだ。

 ジェイがボックスの扉を開けた瞬間、中から一人の青年が飛び出してきた。先ほどジェイが本部に依頼したリアを保護する人員は彼のようだ。手に収まる小さなモニターには近隣の地図が表示され、その中のとある一点が点滅している。その点滅している場所こそがリアのいる場所だ。


「お疲れ様です!」

「頼んだ!」


 青年は頷くとリアのいる場所へ向かって駆け出した。これから彼は『たまたま通りがかったパパの職場のお友達』としてリアの身の安全を保護する予定だ。

 ジェイはボックスの中に入ると腕時計を操作して、戦闘用の魔法スーツを着た状態に変化する。そうしながらムカムカと怒りがわきあがるのを感じた。

 真紅の魔法スーツに全身を包まれたジェイは目の前の扉を再び開いた。そこはもう現場である。開けた瞬間、そこには既にブルー、グリーン、イエロー、ブラックの四人がいるのに気づいた。四人もレッドの登場に気づいてこちらを見た。

 彼ら四人の先に敵である化け物の姿を発見する。どうやら既に四人は戦闘態勢に入っていたようだ。今日の化け物は今までに見たことがない。新種だろう。

 だがそんなことはもはやどうでも良かった。


「あ、レッド。遅かった……」

「ふざけるな!」


 呼びかけてきたイエローの言葉も耳に入らず、怒りに突き動かされジェイは化け物に向かって怒鳴る。


「あー。早速レッドがブチ切れてる」

「ほら今日土曜日だし」


 ブルーとブラックの言葉にイエローとグリーンが頷いた。やはり皆、休日出勤は嫌なものだ。例え世の為、人の為であっても、休日出勤手当が上乗せされても嫌なものは嫌なのだ。

 四人はそんなことを考えながら生温かく敵に向かって怒鳴るレッドを見守った。


「つい何日か前に言ったろうが! うちの組織は土日祝日は休みなんだよ!」


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