正義の味方と夜の静かな時間
ジェイは留守番を頼んでいた組織の女性スタッフを見送ると夕食の準備に取り掛かった。リアは茶の間で大人しくテレビを見ている。
ハンバーグ自体は冷凍してあったから、あとはソースを作り煮込むだけだ。ソースも一から自分で作らなくてもいい。以前特売で安くなっている時に買った缶詰がある。それを使えばあっという間だ。玉ねぎを炒め、デミグラスソースとケチャップ、中濃ソースを加えハンバーグとともに煮込む。
「えーっと。飯は炊けてるから、あとは野菜のオーブン焼きと、みそ汁。浅漬けも出しとくか」
みそ汁の具は前回の特売日に買ってまだ少しだけ残っていた豆腐にした。冷凍庫から油揚げを取り出して切り、それもみそ汁に加える。
煮込みが終わったハンバーグを野菜のオーブン焼きと一緒に皿に盛り付ければ完了だ。
「リア、ご飯出来たぞ」
「はーい」
リアはテレビの前から立ち上がり、ダイニングテーブルの自分の椅子に座った。ジェイは二人分の食事を並べ、自分もリアの向かいに腰掛けた。
「じゃあ、食べようか。待たせてごめんな」
「ううん、いただきまーす」
二人が早速とばかりに箸を手にしたその時、リビングのテレビが映し出す番組が夕方のニュースへと変わった。トップのニュースは今日ネオトーキョーに現れた空を飛ぶ巨大な化け物のことだ。ジェイが先ほどまで戦っていた、あの化け物が画面に映し出される。
リアは頬張ったハンバーグをもぐもぐやりながら目をまん丸にしてテレビに映し出された化け物を見ている。彼女は口の中のものを飲み込むと、すごいねと少し興奮した様子で言った。
「おっきいねぇ、パパ」
「そうだな……。リア、ちゃんと人参食べろよ」
「う……。わ、わかってるもん。ね、ねぇパパ。あんなにおっきい鳥だったらパパとリア毎日焼き鳥食べられるね!」
「焼き鳥……。そうだなぁ。一年分くらいはあるかもな」
ジェイはみそ汁を飲みながら、あとで冷凍庫の中の鶏肉のストックの残り分量を確認しなければと思いつく。安く買える鶏胸肉はこの家のメイン食材と言っても過言ではない。
パサパサして美味しくないと言われがちな鶏胸肉も調理次第でジューシーに食べられる。確かに節約と貯金はジェイの趣味だが、そのために愛娘にまずい食事を食べさせる気はさらさらないのだ。
テレビは次は街の被害状況を映し出した。
「ぐちゃぐちゃだね……」
リアに頷き返しつつ、ジェイはジャボン国軍が動き回る現場の映像を見て内心ため息をついた。
今日はあまりに忙しかった。各地で次から次へと化け物が現れ、倒しては次の場所へ移動を繰り返していたのだ。移動は組織の研究所が開発した転送装置で一瞬だが、やはりそれでも最後に現れた鳥の化け物の元へ向かうのは遅れてしまった。結果、被害が大きくなってしまっている。
正義の味方が足りないんだ、とジェイは心の中で毒づいた。そもそも悪の組織アカエスの存在自体が問題なのだが、明らかにエッセエンメの抱える戦闘員は足りていない。博士の話では新しく創り出してはいるとの事だが、その彼らが育ち、現場に出られるようになるには時間がかかる。現に戦闘員のリーダーたるジェイが実戦訓練を担当してやれるまでになった弟とも言える後輩たちの数も今はまだわずかだ。
「リアたちもね、先生に言われてすぐシェルターに避難したんだよ。幼稚園がなくなっちゃわなくて良かった」
「そうだな」
リアの通う幼稚園は場所柄か比較的富裕層の子供が多い。そのために幼稚園の地下に頑丈なシェルターが作られている。三歳まで保育園に預けていたリアを名門と名高い今通う幼稚園へと入れた理由の一つでもあった。
確かに学費は高い。だが娘の安全には変えられない。
組織が敷地内に保育園を作ってくれれば良いのにとジェイはいつも思っている。人口減少と少子化は深刻な問題だ。世のため人のため戦う正義の味方の福利厚生を充実させても何も悪いことはないだろう。職員食堂で他の子持ち女性たちと顔を合わせるたびに話題になることである。兼業主夫ともいえるシングルファーザーのジェイの意見は兼業主婦である女性職員たちと一緒だ。彼女たちと何度か組織に働きかけたが、今だに組織内保育施設は実現されていない。
「リア、テレビばっかり見てるとご飯こぼすぞ」
「はーい」
テレビの画面に五色の魔法スーツを着て戦っている自分たちの姿が映し出されたのに気づいて、ジェイは慌ててリアに声をかけた。全身を魔法スーツで包み隠されているから、リアがテレビに映る正義の味方の正体に気付くわけがない。だが後ろ暗さで一杯のジェイは気が気でないのだ。
テレビ画面から目の前に座る娘へと視線を移す。リアはぽりぽりと浅漬けの大根をかじっていた。赤い髪と瞳の持ち主であるジェイとは違い、彼女は金髪に近いくらい明るい茶色の髪と瞳の持ち主だ。顔立ちそのものもあまりジェイには似ていない。明らかに母親似だ。
ふとジェイは久しぶりに失踪した妻のことを思い出した。
五年前、まだ二十三歳だった頃に結婚したリアの母親である妻レイチェルは四年前のある日突然姿を消した。待てど暮らせど帰ってこない彼女を組織の力も利用して探したが見つからなかった。近所の住人に黒塗りの車に乗り込むところを見られたのを最後に、彼女の姿を見た者は誰もいない。
入念な調査で分かったのは、彼女そのものだけでなく、『レイチェル』という存在に関わる全てが完全に消えていた。彼女の親族、紹介された友人、彼女の過去。その全てが彼女が姿を消すとともに消えた。
それが分かった時に、ジェイは悟ったのだ。
もう妻がここへ、ジェイとリアの元へ戻ることは決してない、と。
それまで彼女に疑いを持つことはなかった。彼女と知り合った時、身辺調査は念のためにしてあった。だが今から考えれば、ジェイ本人も誰かが調べても気づけないほど完璧につくられた過去、生い立ちを持っている。正義の味方である本来の姿を隠すために。彼女を調べても何も出てこなかったのはそれの同じなのだ。
もしかしたらもう二度と彼女と会うことはないかもしれない。それならばそれで良い。だがもしかしたら、望まぬ形で再会する可能性もある。
もっともその時の彼女はもはや『レイチェル』ではないだろう。
物心つく前だったリアが母親のことを全く覚えていないのだけが不幸中の幸いだ。
***
食後、食器を洗い、リアと一緒に風呂に入って、彼女を寝かしつけた。洗濯物を畳んでから、ジェイはおもむろにノートパソコンを開いた。
ジェイには行きつけのスーパーマーケットが近所に二軒ある。そのスーパーのネットチラシを確認するのだ。手元にはメモとペンがある。
「ニコニコマートは……っと。お、めんつゆが安い。これは当然買いとして……」
何かと味付けによく使うめんつゆだ。一本ストックはあるが、使いかけのそれは底に近いくらいの分量しかない。間も無く使い切るだろう。
「イチゴも安いな」
自分はあまり果物を食べないがリアは喜ぶだろう、とリストに追加する。そこでジェイは普段は決して買わない高級アイスクリームが四割引きの値段になっているのに気づいた。今日、リアに買ってやると約束していたのとは別のメーカーのアイスクリームではあるが、これもまた美味しいのだ。
「何々、お一人様三個までか。そういえば、この日は土曜日か……。よし! リアと二人で並ぶか……」
残っていると良いがとブツブツ言いつつ、リストにアイスクリームも追加する。他にも最近高くなってきた野菜などを入念にチェックして、リストへと加えて行った。
今週の土曜日にあたる特売日に買うものリストを完成させ、次は家計簿を開いた。その時、テーブルに置いておいたジェイの携帯電話が鳴った。メールの着信だ。着信音から判断するとママ友からのメールである。
家計簿の今月の食費欄を厳しい目で一瞥し、ジェイは携帯電話を手にして届いたメールを確認した。リアと仲の良い幼稚園のお友達の母親からであった。
「お、ヴァン君のママからか」
メールの文書を読んでいたジェイの表情が真剣になる。
『とても良さそうな実績ある幼児教室を見つけました。まだ年中さんだからお受験まで時間はありますが、なるべく早めに始めるほうが本人への負担も軽いと思います。そこで今度体験入校にヴァンを連れて行こうと思ったのですが、もし良かったらリアちゃんのパパもどうですか? ステラちゃんとユーリ君のママもお誘いしています』
その文書の後には彼女が息子を連れて行こうと考えている幼児教室の名前も記載されていた。
ヴァン、ステラ、ユーリはリアが幼稚園で特に仲良くし、私生活でも一緒に遊ぶお友達である。幼稚園児四人が以前から同じ初等科に行きたいと言っていたのをそれぞれの親は知っていて、その上でのお誘いだろう。
「お受験かー。最近年中さんになったばかりだから、まだ先だと思ってたんだがなぁ」
そう言いつつもジェイは再びノートパソコンを開いた。ママ友が送ってきたメールに書かれていた幼児教室を検索するためだ。瞬く間に幼児教室のホームページが見つかった。ざっと授業内容を確認し、そして肝心の授業料のページへと移動する。年長向けのコースは色々と分かれていたが、年中向けは一つだけだ。
「う……! さ、さすがに高いな。何々、月四回で月謝が三万三千イェン……」
ジェイはがくりと項垂れ、片手で顔を覆った。しばらくそうやって俯いていたジェイは意を決したように勢い良く顔を上げると、携帯を取り上げる。そして真剣な面持ちでヴァン君ママへの返信メールを打ち始めた。
「えーっと。『幼児教室のホームページ拝見しましたが、良さそうな学校ですね。是非御一緒させて下さい』」
ジェイはメールの文面からノートパソコンの幼児教室のホームページへと視線を移した。トップページには大きな字で今ならば体験入校が三千イェン引きだと書いてある。これは見逃してはならない。この教室に通うかどうか体験してみなければ分からない以上、そのお試しの金額は抑えられるに越したことはないのだ。
確かにジェイは節約と貯金をこよなく愛している。だがそのために娘の教育費をケチるつもりはさらさらなかった。
とは言え、当初は初等科の受験は考えていなかった。近隣にある、ジャボン国が設立した公立の初等科で良いと思っていたのだ。受験は中等科に入る時でじゅうぶんだと。それを考え直させたのは今回のメールの主、ヴァン君ママである。
ヴァン君ママは開業医の奥さんで教育熱心なママだ。その彼女が公立の初等科にというジェイに難しい表情で言ったのはこうだ。
昨今、中等科の入試は熾烈だ。良いところへ入ろうとすれば本人の負担も大きい。それに公立の初等科は教師によって当たり外れが激しく、とんでもない教師にあたったらその学年の一年間がとんでもないことになる。その点初等科でしかるべき学校に入れておけば、安心だし、本人の負担も少ない。初等科の入試はペーパーテストもあるが、行動観察のような他の子と仲良く遊べるかなど学問以外のところでもチェックされる。頭は良くても意地の悪い子は落とされるものだから教師だけでなく他の生徒に関してもある程度は安心できる、と。
とは言え、ジェイはリアの気持ちを無視して受験させるつもりはなかった。だがリアが他の子と一緒に初等科に行きたいと言い出したため、初等科受験を考えざるを得なくなったのだ。
「あーあ。学校側が正義の味方枠とかで特別に入学させてくれれば楽なのに……」
頬杖をつきながら一人愚痴る。そういえば同じことを以前ブルーに言ったら、それは裏口入学だと突っ込まれたのだった。
「土曜日の特売日にも幼児教室の入校日にも奴らの襲撃がなきゃいいけど。最近やたらに多いからな」
ブツブツと呟き、嫌な予感が的中しないよう祈りながらジェイはヴァン君ママにメールを返信し、ノートパソコンを閉じた。