正義の味方と特売日
夕暮れの中、赤、青、緑、黒、黄色の頭からつま先までを完全に覆う魔法スーツに身を包んだ五人が化け物と戦っていた。
いや、正確に言えば赤の魔法スーツの者一人が翼と鋭い爪を持った化け物に猛攻撃しているのを少し離れた所で他の四人はコソコソと話しながら見守っていた。本来ならば彼ら四人も当然に戦いに参加しなければならない。いくら赤の彼がこの精鋭とも言える戦闘部隊、世の人からは正義の味方と呼ばれている自分たちのリーダーと言えども全てを押し付けて良いはずがない。
だが、赤の彼から発せられている憤怒のオーラとその猛攻撃っぷりに仲間である彼ら四人は思わず引いてしまった。そして加勢に駆けつける気力が奪われてしまっているのだ。
正義の味方である彼——レッドが悪の組織から送り込まれた化け物の襲撃に怒るのは当然のことだ。
しかし今回はそれとは少し事情が違っていた。
「なぁ……」
ぼそりと呟いたブルーにその場でともに見守っていた他の三人が注目する。マスクで顔は分からないが全員自分と同じような表情を浮かべているだろうなと思いつつ、ブルーは続けた。
「そろそろ、ジェイの奴止めたほうが良くないか?」
「え、いやー……」
「でも俺たち、一応正義の味方だからさぁ。化け物ぶっ殺さなきゃでしょ? 止めるってのも変じゃないか?」
「一応って何だよ……。一応って。まあ、それはともかく頭に血がのぼりすぎなのは確かだからちょっと声かけてみるか……。おーい、ジェイ!」
その場の四人を代表してブラックが猛然と翼の化け物に斬りかかるレッドへと声をかけた。レッドはブラックの声にも動きを止めることなく化け物を斬りつけた。青い返り血を浴びながら、振り返ることなくレッドはブラック達に叫び返す。
「任務中は名前で呼ぶなって言っただろうが!」
「あー、ごめん。レッド。あのー……」
ブラックの呼びかけも虚しく、レッドことジェイは更に化け物を斬りつけながら言った。
「邪魔するな。この忌々しいくそったれな悪の組織アカエスの飼い犬……飼い鳥を始末してから聞いてやる!」
自分たちの言葉を聞きもせず化け物退治に専念するレッドを何とも言えない気分で見守りながら、イエローがぼそりと言った。
「なぁ。あれってさ。私怨だよね」
「私怨だな」
グリーンはうんうんと頷いた。
「私怨って、あれか? こいつの襲撃が終業時間ぎりっぎりだったせいで、娘のリアちゃんの幼稚園のお迎えに行けなかったことか?」
首を傾げるブラックに顔は見えないが呆れた声でブルーが言う。
「それもあるけど……忘れたのか? 今日はジェイの奴が待ちに待った『あの日』だぞ。今日昼飯の時に奴は熱く語ってたろうが……暑苦しいほどに」
ブルーの言葉に昼食時のことを思い出し、レッドの怒りの理由に気付いたブラックはマスクの下でその顔を引きつらせた。
「そうか……! 今日はあいつの行きつけニコニコマートの特売日!」
「……って言うか。そろそろ、終わりっぽいね」
イエローの言葉に他の三人がレッドと化け物に視線を戻す。化け物は翼を二つとも失い、全身に刻まれた傷から青い血を撒き散らしながら地に落ちた。巨体が地に叩きつけられ、やっと終わったかと思ったその時。
突如化け物の死体が黒い靄に包まれた。死体の横たわる地面に禍々しい赤い光を放つ魔法陣が浮かび上がっている。
四人はレッドが空を見上げているのに気付いた。彼の視線を追い、空を見上げればいつの間に現れたのか彼らの真上に巨大な魔法船が浮かんでいる。その漆黒の空飛ぶ魔法船には見覚えがあった。
「アカエスの船か!」
「回収しに来たんだろうな」
「でもあれ死体だよ?」
「再利用するんだろう。資源は大切に、だ」
四人は口々に言いながら、化け物の死体の目の前に立つレッドの様子を伺う。悪の組織アカエスが刺客として送り込んだ化け物の死体を持ち去ろうとするのを邪魔する気配はない。だがその代わりにレッドは空高い場所を飛ぶ船をびしっと指差して叫んだ。
「おい、お前達の総帥ゼドに伝えておけ! いいか? 俺たちの組織エッセエンメの職員就業時間は朝九時から夕方五時! 曜日は月曜日から金曜日までだ! 今日みたいに終業時間に襲撃してくるな! お前らのせいでニコニコマートの特売に行けなかっただろうが!」
どんどん化け物の姿がそれを包み込む靄ごと薄れていく。四人はレッドが船に向かって怒鳴り散らすのを固唾を飲んで見守った。
「くそっ! 今日はキャベツが底値に近かったのに……ふざっけんな! この恨みは忘れないからな!」
覚えてろよとレッドが叫んだその時、化け物の死体が完全に消え、悪の組織アカエスの飛行船もその場からかき消えた。
***
ジェイは足早に自宅への道を進んでいた。
その表情は厳しい。もともとすれ違ったお姉さん、おばさん達に『あら素敵』と言われる容姿の彼は、元々切れ長の鋭い目つきをしていた。今はそれに忌まわしい悪の組織への怒りが加わり、さらに凶悪な目つきになっている。そのせいで今の彼は近づき難い雰囲気を放っていた。
「キャベツ……キャベツが……」
思い出すだけで腸が煮えくり返る。
本来ならば今日は特売のキャベツを使ってキャベツグラタンを夕食に作るつもりだったのだ。その予定も狂ってしまったとジェイは肩を落とす。
おもむろに彼はシャツのポケットから折りたたんだ紙を取り出した。これは今日仕事終わりに行く予定だったニコニコマートのチラシだ。激安という赤文字が尚更彼の心を落ち込ませる。このチラシが入ったその日から今日を待ちわびたのだ。チラシの表裏をくまなくチェックし、冷蔵庫の中身とも相談し、しっかり買うものを決めていたのに。その買うものの中には今年五歳になる娘リアの好物もあったのだ。
「リアにもアイス買ってやるって言っちゃったのになぁ」
ジェイは思わずため息をついた。
彼のこよなく愛するもの。それはまず娘のリアであり、節約と貯金と料理であった。
出撃前、組織の女性スタッフに自分の代わりとして家にいてくれるように頼んでいた。だからリアが家でひとりぼっちで寂しい思いをしているということはない。しかし事情を知らない愛娘はアイスクリームを期待して待っていることだろう。楽しみにしていたアイスクリームがないと分かったらショックを受けるに違いない。
悪の組織の手下と戦っていたと言えれば良いが、ジェイがエッセエンメに所属する正義の味方レッドであることは秘密だ。彼は表向きは団体職員、一般人として生きている。実の娘であるリアに対しても、だ。
そういうわけでリアへ事情を説明することができない。言えるのは残業になったから、くらいである。
ジェイが何度目か分からないため息をついて顔をあげると、彼が娘と二人で暮らすアパートが目に入った。
「仕方ない。今日はリアの好きなハンバーグにしよう」
つい先日作って焼いてから冷凍しておいたハンバーグが冷凍庫にある。それを使った煮込みハンバーグはリアの好物だ。娘の好物を今日の夕食のメインにすることに決め、ジェイは力強く頷くとアパートの階段をのぼりはじめた。
***
覚悟を決めて扉を開けたジェイを幼女特有の高い声が迎えた。
「パパ!」
たたたっと駆け寄ってきたリアはそのままの勢いでジェイに飛びついた。
「パパー、おかえりー! リアね、自分で幼稚園の制服からお着替えしたんだよ! ちゃんと自分で制服ハンガーにかけたんだよ!」
先ほどまで険しい表情をしていたジェイの表情がゆるむ。リアは偉いでしょ、偉いでしょと言いながら飛びついた状態のまま頭をぐりぐりと押し付けてきた。
「偉いなー。リアももう年中組だもんな」
頭を撫でてやるとリアはにっこりと笑い、ジェイに問いかけた。
「パパ、今日はサービスザンギョーだったの?」
「いや、今日は特別手当がでる」
「ふーん。じゃあ良かったね!」
「え、ああ……で、でもな。ごめん、特売行けなかった」
「にゃっ!」
ぱっと顔を見上げてきたリアから顔をそらし、密かに冷や汗を流しながらジェイは続けた。
「だ、だからアイスクリームは……。ごめん」
「う……」
「きょ、今日はリアの好きな煮込みハンバーグにするからな!」
「ハンバーグ!」
沈んでいたリアが一転し明るい声を上げる。その様子にジェイはそっと胸を撫で下ろした。
***
悪の組織アカエス 任務報告書。
『正義の味方を名乗る敵対組織エッセエンメの戦闘員リーダーレッドについて報告。
平日午前九時から午後五時の間を除く時間帯での襲撃→通常時より戦闘力が二割五分増し。
土日祝日の襲撃→通常時より三割五分増し。
レッドの戦闘力アップについては以前より報告されていたが、今回それに下記項目を追加されたし。
特売日→通常時より戦闘力四割増し。』