(7)豹変
(結局、女なら誰でも良いんじゃない! 師匠と同じ女たらし、最低だ!! 若い子がいるとそっちばっかりに興味がいって! どーせ年上のババアですよ! 十代じゃありませんよ! あーときめいて損した!!)
どこまでもズンズン進み、ハタとアデラは止まる。
「……初めての口付けだったのに……」
そっと自分の唇に触れる。
恋愛経験をしとけば良かったかな──真面目でも火遊びでも。
そうしたら、嘘か本当か区別が付いて、もっと冷静でいられたかも知れない。
涙腺が緩む。
視界がぼやけ、アデラは曲がり角の所で止まり、慌てて目頭を手で拭った。
(考えてみてよ、アデラ。相手は大国の王子。自分の主人。身分違いだし、魔法の使い手。生きる長さも違う。世界が違うの)
のぼせて舞い上がっていたんじゃない?
もう世間の理屈が分からない歳じゃない。
「……明日も早朝練習だ。頑張ろう」
幸い、明日から交代がいる。午前中はゆっくり寝れる。自分自身に言い聞かせるように何度も呟く。
一晩寝れば大丈夫。ロジオン様は私の主人。
身を呈して主人を守る義務はあるけど、心を捧げる義務はない。
廊下のヒンヤリとした冷気にあてられ、心なしが熱が冷めてきたきた気がする。
これ以上ここでメソメソしていたら風邪を引くかもしれない。
(部屋へ戻ってさっさと寝よう……)
アデラは今だ萎えている心を無理矢理奮い立たせ、一歩足を前へ出した時だった。
突然の後頭部の激痛に前屈みになった。
「──!? なっ!!」
ブンッ、と再び振り落とされる音に反応に逆方向に避ける。
しかし、最初の一撃が利いていて、頭と視界がくらくらしている中だ。
夜目が利くアデラでも、自分を殴った犯人の顔がぶれて見定めづらい。
クラクラと身体が揺らぐ。数本の腕がアデラの身体を押さえ、布で鼻と口を塞がれた。
──麻酔?
分かった瞬間、アデラは息を止める。
──気を失った振りをして、やり過ごさなくては。
アサシンとして身に付けた技。
ぐったりしたアデラを見て
「よし」
と一人が短く声を出した。
素早く縛られ、袋に詰められ、閉じられる。
──荷物扱い……
手と足、動きで五人いると分かった。そして、全くの素人だと言うことも。
訓練を受けた者達じゃない。
それに、短く発した言葉にアデラは聞き覚えがあった。
(例のあの五人なら、素手でも捕縛出来よう)
―─取り合えず搬送先でだな。
アデラは、余計なところ触るんじゃないと心の中で怒鳴り付けながら、大人しく気を失った振りをし続けた。
**
下ろされた先は何かの袋の上だった。身体に受けた感触が、細かい物が密集して詰められているイメージ。距離からして、そんなに運ばれていない。
魔法管轄処内である北棟の何処かだろう。
「おっもかったなー! 何、こいつ。マジで女かよ」
一人が呆れたようにぼやいた。
―─悪かったな! 鍛えてんのよ!
もやしっこの癖に、誘拐・監禁何て考えるからだ!
ブツブツと心の中で怒鳴るアデラ。
もう、完璧に分かった。
あの良家ゴロツキグループだ。大人しく自室にいろと言うロジオン様の命令に背いて、犯罪重ねて何やっとるんだか!
「でもさ、ゾウル。この女を縦にしたら、本当にあの王子が俺等の言うこと聞くかな?」
ゴロツキの一人が不安そうに聞いている。
「この女、王子の愛人だってよ。どれくらいの惚れ具合かは知らねえけど、俺等を無下には出来ない位の待遇は考え直すだろ」
―─愛人じゃないし、惚れられてもおりません。全て幻想です。
―─そうじゃなくても、こんなことしたのバレたら否応なしに首だよ、君達。
「コリン。ちゃんと見張ってろよ。『透視』や『追跡』を施行されても分からないようにしておけ。お前しか魔法使えねえんだから」
―─コリン? あの娘まで仲間に?
パタン、と扉の閉まる音がし、シーンと静かになる。
直ぐ近くにいる気配は感じるけど、微動だにしない。生気を感じない。
すっ、と立ち上がる気配。
音も立てずに歩き、棚があるのか? そこを弄り何かを探している。
探し物が見つかったようで、こちらに戻ってきた。
入れられた袋の口が外された。アデラは身体を揺らし袋を腰まで下ろす。
「……やっぱり。効かなかったのね、眠り薬」
呆れた口調だが、コリンの表情は全く無い。
「貴女、アサシンとして訓練を受けたんですって? 聞いたわ」
コリンの言葉に、アデラの目が大きく見開いた。
―─聞いたって、誰に!?
アサシン部隊がいることは機密中の機密だ。知っているのは、トップの一部だけのはず。
アデラは顔と手を動かし、口と手の拘束を外そうと躍起になる。
「駄目―─外させないわ。例え貴女が、縄解きの術を知っていてもね」
コリンの握っている物が、闇の中で鈍く光った。
それが注射器だと分かった刹那アデラに向かって振り落とされる。
「私とあの方の将来の為に犠牲になって!」
**
「―─ほら、さっさと歩きなさいよ」
ドスの利いた声音がロジオンの後ろから聞こえ、その度に心臓が萎縮する気がした。
眉どころか目も釣り上げてロジオンのケツを叩き、歩くはラーレ。
向かう場所はアデラの自室である。
アデラが帰った後、ラーレに詰め寄られ、今までの事を吐いたロジオン。
途中からラーレを取り巻く怒りの熱気が、熱風に変わった時
「そこに正座!」
と、床に座らされ厳しいお叱りを受けた。
『姉を弄んだんですか!? 』
『そんなことは無いよ!』
『でも、現に傷付いていましたよ? 姉は馬鹿が付くほど生真面目なんです! 生真面目すぎて恋愛なんて経験ゼロなんです! そんな姉だと分かってましたよね!?』
『……はい』
『分かっててキスしたり、思わせ振りな態度を取ったりして楽しんでいたら! それは弄んでるんです!』
『だから……からかう気じゃなくて……』
『からかう気じゃなかったら、摘まみ食いして『ポイッ』する気でいたんですか? 庶民だと思って舐めてんじゃありませんよ! 私達庶民がいないと生活出来ないくせに!! つーか、アサシンなめんな!! 裏で国を支えてきたのは私らです!』
『僕だって……騙されてキスされたのにぃ……』
『男慣れしてない姉と、百戦錬磨のロジオン様は違うわ!』
『……事実無根だよ……』
―─とにかく謝れ、ひたすら謝れ。誠心誠意謝れ。
早ければ早いほど拗れなくて済むから。
『それから、これからどうしたいのか。姉ときちんと話し合ってください』
途中で逃走するかもしれないから―─と、ラーレが付いてきた。
(確かに……僕の態度が悪かったけど……)
正座説教に、タラタラ歩くと後ろからどつかれるって―─。
アデラにも初っぱなに脇腹パンチされたし、エクティレスに身体乗っ取られた時も、格闘技技をきめられたし。
「なんちゅうエスな姉妹……」
「―─は? 何か不満でも?」
やさぐれた声音が返ってきて
「いいえ……何でも……」
と、びびるロジオンだった。
**
女子寄宿舎は男子禁制である。
だが―─それは王家の者には通用しない。
『王家の持ち物の敷地内に建っているのだから当然』
と言う発想からだが、だからと言って用もないのにヒョイヒョイ寄宿舎に来る王家の人間はそういない。
その辺りは、王家の人間もちゃんとモラルを持っている。
そんな静まり返った寄宿舎に、項垂れて歩く王子・ロジオンと捕縛人・ラーレ。
「ところで……アデラの部屋……どこ?」
「3階の1号室です」
寄宿舎は上に上ると待遇が良くなり、一人部屋になる。
もっと良くなると宮廷内に個室が貰えるのだ。侍女頭や筆頭に副など役職が付いている者。
そして、魔法管轄処勤務の魔法の使い手や研究者。
―─などがそうだ。
足音を立てないように気を使いながら階段を上り、三階の一番端にある部屋の前で止まると、ロジオンはラーレと顔を合わせた。
―─早く
顎でフン、とやられ、思い切って扉を叩く。
返事が無い。
「……アデラ、僕だけど……夜分遅くすまないけど……」
やはり返事が無い。
「拗ねてんのかしら? お姉ちゃん、私よ」
ラーレが扉を叩きながら呼ぶが、応答がない。
「帰ってきてないね……」
「部屋に戻らないで、別な場所にいるのかしら?」
ベルの部屋かも、とラーレは呟くと同じ階の反対側へ歩いていく。
ロジオンは、違和感を感じ始めていた。
部屋にいない時点で『透視』と『追跡』を施行しているのに反応もアデラの気配も感じない。
宮廷内に範囲を広げても、引っかからない。
胸騒ぎにロジオンの眉間に皺が寄った。
「ベルのところにもいないわ……何処に行っちゃったんだろう?」
戻ってきたラーレが不思議そうに話す。
姉の性格からして、仕事に差し障る前日の夜更かしや寄り道はしない。
(やっぱり……よっぽど傷付いたんだわ)
何だかんだ叱られても、頭きて嫌みを言い返しても、大事で大好きな姉だ。
姉がこの魔法王子が好きだってことは分かった。
魔法王子も心憎からずに思っていることも分かった。
身分違いで、いつか破局が待っていようと出来るだけ応援してやりたい。
―─それなのに、自室に戻れないほど心が乱れてるってことかも知れない!
(ああ! もう! どうしてくれるのよ! このボンクラ!)
キッと目の前にいるロジオンを睨む。が、途端にギョッとして口を開けた。
ノブに手を掛けた瞬間にカチリと鍵が空き、堂々と中へ入っていったのだ。
「ロジオン様!無断で姉の部屋に入らないで下さい!」
目ぼしいものを捜しているのか、小物を掻き回すロジオンに激しく注意をする。
何事かと隣の部屋の女子や、アデラの友人のベルが覗きにやって来た。
「あれ、ロジオン王子じゃない? 魔法の」
「ラーレ、どうしたの?」
こんな夜中にやってきて、人の部屋を掻き回すなんて普通じゃあり得ないよ? と言いたげに、少々侮蔑を含んだ目付きで成り行きを見つめる。
あっという間に、扉の前に人だかりが集まってしまった。
それに気にせずロジオンは捜す。
―─アデラの気を多く含んだ物を。
(髪留めじゃ駄目だ。もっと自然なもの……)
ハッと気付き、枕を掴むと引き裂いた。
「ロジオン様! 何を!」
宙を浮く羽根を一枚手に取る。
ロジオンの瞳が闇の中煌いて、ラーレはぎょっとして固まってしまった。
うっすらとロジオンの身体も、浮いている羽も柔らかな青い光りに包まれている。
「お前の羽根に埋め、安息を取る者、アデラ=ビアスの息を探れ。彼女の安息を妨げる者在れば、攻撃せよ!―─Jotkut vain järkevää(アルギズ)!」
羽根から手を離した瞬間、それは白い鳥に変身を遂げた。
宙を舞っていた他の羽根も次々と鳥に変化し、窓を通り抜け隊となって空を駆け巡る。
ロジオンは床に落ちた羽根を一枚取ると、うわーっと感嘆の声を上げる人の波を押し退け、寄宿舎を駆け出した。
(魔法管轄処内じゃないか!)
何か事件に巻き込まれてる!
胸がチクチクと痛む。
―─あの時、直ぐに追い掛けていれば!
自分の意気地の無さにロジオンは、血が出るほど唇を噛み締めた。