(16)ノアは願う(3)
「ほら、アデラも良いって! 早く!」
『ノア』がドレイクに身体をすり寄せながらねだっている。
――あれ?
その様子にアデラは首を傾げた。
いつのまにかイゾルテがアデラの隣にいて、労るように肩を寄せる。
「????」
「本当に倒れたらのために」
とイゾルテがアデラに向かって微笑む。
まだ訳のわからないアデラは、目を瞬かせながらドレイクと彼にしなだれかかっている『ノア』を見る。
こうして見ると男同士、身体をくっつけているようにしか見えない。
「何をするんです?」
何度もアデラは首を傾げる。
「……本気ですか?」
「だから、私が女の性のときにやればよかったんだよ――それをドレイクときたら!」
「好奇心が旺盛すぎます」
「しょうがない、それが『マルティン』だし彼の願いで私は女として生まれた」
ドレイクはそれはふかーい溜息を吐くと、『ノア』の――ロジオンの脇の毛を後ろに流し、そのまま後頭部を優しく掴む。
「――えっ?」
そこまでの一連の流れが艶っぽくてアデラは緑の瞳を見開いた。
『ノア』が潤んだ瞳を閉じる。
ドレイクがそんな『ノア』に唇を近づけ――
「えっ? ええっ? えええっ?」
『ノア』の両腕が甘えるようにドレイクの首にまとわり、背の高い彼にあわせるようにつま先をたてる。
ドレイクももう片方の手は『ノア』の腰に巻き付き、官能的に動いている。
「……あ、えっ? ……へっ?」
口から出る言葉は疑問詞の含んだ声音で、しかもアデラは口を金魚のようにパクパクさせている。
口には出ないが、アデラの脳内では言葉の螺旋が目まぐるしく回っていた。
――ロジオン様とドレイク殿がき、キス……! チューしてる!
――いやいやいや、今は『ノア』という女性だし!
――でも、身体はロジオン様で男だし!
――ていうか、何?あの情熱的な口づけは!
――もしやドレイク殿は、情熱的に口づけをしたいほどロジオン様を!?
――いやいや! 今は『ノア』だし!
顔は熱いのに、身体は冷えていく。
常識を越えてしまい、身体が揺れてイゾルテに抱えられたまましゃがんでしまったアデラだった。
官能的で情熱を含んだ口づけが終わりを告げ、そっとドレイクに何か耳打ちをして『ノア』が離れていく。
「……合格ね。非常に人らしい口づけで満足だわ」
ドレイクの方から忌々しいと、舌打ちの音が聞こえた。
「いい加減、その姿も慣れたものでしょう?」
「『あなた』には関係のないことだ」
ドレイクが珍しく吐き捨てるように『ノア』に言う。感情を吐露しない彼がこんな風にやさぐれたようになるのは珍しい。
「気持ちは分かる。まあ、今ちゅーした身体はロジオンのだしね」
「そういうことではない」
剣呑な眼差しで『ノア』を睨むドレイクを悠々と眺め、それからイゾルテに彼女は微笑む。
「なにはともあれ、希望は叶った。――私はロジオンと融合しよう」
「『ノア』ありがとう」
イゾルテの言葉にゆるりと『ノア』は首を横に振る。
「これからの試練は――ロジオンだけに留まらない。……心が壊れぬよう、願って止まない」
そう告げた刹那――カクン、とロジオンの身体が揺れる。まるで糸の切れた操り人形のように。
「ロジオン様!?」
その姿があまりにも人に見えず、水を浴びた感覚になりアデラの頭が一気に冷える。
立ち上がり、ロジオンを支えるかたちになる。
「ロジオン様! しっかりなさってください!」
目は開いているのに、心あらずの彼にアデラは必死に呼びかけた。
まだ心が戻ってきていないような輝きのない、空虚な瞳にアデラの不安は募る。
「――ロジオン様!」
応答にようやくロジオンが反応しアデラを見つめる。
少し瞳の光が戻り人らしく見え、ホッとしたアデラだったが――
「アデラー!! 口直し! 口直し頼む!!」
「えっ? ちょっ、ちょっと、まっ……」
問答無用! と抱きついてきたロジオンにアデラは唇を奪われる。
「んーーーーーーー! お待ちください!! まだ考査中!!」
アデラはロジオンの身体ごと無理矢理引き剥がした。
「気持ち悪っ! まだ口の中に感触が! 感触が残ってる!」
アデラ、と本気で泣く勢いでロジオンが迫ってくる。
顔を真っ青にして可哀想とは思うが、ドレイクとイゾルデの前でそれはアデラには無理な話だ。
「それはお互い様です。何故あなたと恋人同士のような口づけをしなくてはならないのか」
ドレイクが、あからさまに不愉快と言うように口を挟んできた。
「じゃあ、しなきゃいいだろう!」
「『ノア』が生きていた頃は『一晩恋人同士のように過ごす、寝台で』でを要求してきて迫ってきましたよ。貴方の中にいる時にもそれを切望するかと思いましたが」
「げっ!?」
「要求が緩くなってむしろ助かりました」
そう言うも、ドレイクも納得できていないようなそぶりだ。
「こんな時に、こんな茶番を繰り広げるとは思いませんでしたよ」
「それはこっちもだよ! ――ていうか、『ノア』が生きていたときにその願いを叶えてやれば、今頃こういう茶番をしなくてもよかったんじゃない!」
ロジオンの言葉にドレイクの方が口を噤む。
紅い瞳が一瞬閉じ、それから気分を変えるように息を吐き出した。
「……話はもういい。ポケットにねじ込んだ結果表を確認するように」
次の考査まで控え室にいるよう――とロジオンとアデラを部屋から出した。
「なんだよ? あれ?」
ぶーぶーと口を尖らせ、文句を言っているロジオンにアデラは、
「ドレイク殿も気持ちも分かる気がしますよ」
と擁護してきた。
「ドレイクの味方するの? 結構酷い目にあってんだけど、僕」
ロジオンがアデラに半ば閉じた目を向ける。
「その『ノア』というお方は生前、イゾルテ様によく似ていらしたのではないでしょうか? ロジオン様は男ですから、身体つきや顔立ちがやはり男のものです。『ノア』の性が女でしたら今のイゾルテ様とよく似ていらっしゃっていたのではと思います。ドレイク殿は忠誠心が高そうですから、難しい問題だったのでは?」
「……だろうね、それにドレイクはプライドが高いから、欲望に負けて主人を抱くなんてこと絶対しないしね――でも、そのあたりは仕事だと思ってさ……あれ?」
「ロジオン様?」
移動方陣の目の前で止まるロジオンと一緒にアデラも止まる。
「もしや、移動方陣が動いておりませんか?」
そっちの問題かとアデラは方陣を覗き込むが、「いや」と額を押さえながら首を振る。
「ぁあ……うん、融合したばかりだから『ノア』の意識が出ちゃってる」
「そうですか?」
「ドレイクが最後まで受け入れてくれなかったことに、すごく腹が立っていたみたいだ。『何のために女の性に生まれたのか意味がない』『マルティンが女としての性を一度、経験したいから私は生まれた』って」
「マルティン様……が?」
魔法の創始者でもあり、魔導率統率協会の創始者でもあるマルティン。
アデラにとっては神話の中の登場人物みたいな相手だったが――こうしてロジオンと関わるようになってから、それは神話ではないと思うようになった。
何せ、イゾルテ、ドレイク――という生前の彼を知っている者がまだ生きているのだから。
(そう考えたら……あのお二方、そうとう長く生きていらっしゃらないか?)
若い姿だから年齢が分からない。
「――まあ、今回は事故だと思うことにしよう!」
ロジオンが振り切るように大きな声で宣言する。
「ロジオン様」
「何?」
「私の忠誠心が低くてよかったですね」
「……えっ?」
ロジオンが、ブルーグレーの瞳を大きく開き驚いていたがアデラのいわんとしていることが分かって笑う。
「ドレイクと一緒にしたら駄目だよ。だって忠誠心よりプライドが高い人だから『忠誠心負ける欲情に矜持が許さない』だけだよ」
「でも、私の忠誠心が高ければロジオン様とはこういう関係になっていませんよ」
「――そこは別! ……にしてほしい、な」
「承知しました」
どちらともなく唇が重なり、少し余韻を残すように離れる。
そうして二人、笑いあいながら移動方陣に乗り込んだ。
書きためが・・・!




