(15)ノアは願う(2)
アルキマが心配してるのは、考査中に起こしたタゥーザの暴力事件だ。
「考査中でも、意見の食い違いで暴力沙汰は多々あります。お互いに遺恨を残さないのであればいいのではないでしょうか?」
ドレイクが事も無げに告げた。
知らない者同士が組んで戦いを挑めば、摩擦は生じる。それは協会にとって想定内の範囲。
実際、ロジオンの組以外もそうした諍いが発生していた。
「あの状況でパニックや諍いが起きても、己を律し体勢を建て直し互いの力を認めて理性的に動けるかも、考査の内容に含まれていました。仲違いのまま何もしなかった、逃げた者は失格。バラバラになりながらも動いた者、諍いながらも動けた者は減点。協力しあえた組は加点。……あと、いざこざも起きなかった、でも何もしなかったのも減点でしたね」
「組で計算ではなく、個人点なんですね?」とアデラの問いにドレイクは頷く。
「――では、タゥーザ様は減点……ですよね」
アルキマが肩を落とす。
「正直、夜の考査は今の魔法使い達には難しかったでしょう。ほとんどの者が減点でした。やる気があるなら次の第四考査で挽回なさい」
「はい……我が主には、そうお伝えします」
「伝えなくても結果は送っております」
「どうやって?」という表情のアルキマとアデラにドレイクは、ポケットからコウモリの形をした折り紙を取り出す。
すると――動きがぎこちないながらも宙を飛び始めた。
「ああ……! 一次考査の結果を届けにきた『式神』の応用とかいう魔法!」
「第三考査を通過した者に点数付きで送りました。ロジオンにも――」
と、今だしたコウモリはノアの周りをひらひらと飛ぶ。
ノアが手の平を差し出すと、コウモリはそこに一枚の紙切れになって落ちた。
「後で見るでしょう」
とノアは手慣れた様子で下衣のポケットに入れた。
「貴方は自分の主人であるタゥーザに慰めより発破をかけなさい。その方が彼のためになる」
「そう、でしょうか……」
アルキマという青年は側に置くだけあって、タゥーザにとって使いやすい従者なのだろう。
無条件で全て主人の希望を叶えてやるとか、我儘を聞いてしまうとか――
主人を叱るとか、そういうことに慣れていないのは一目瞭然だ。
「貴方の主人への想い次第です。私は彼の従者でも保護者でもなんでもありませんから」
紅い目を据えて見捨てるような言い方に、
「は、はい……善処します!」
と、アルキマは慌てて背筋を伸ばした。
――強い者に靡く性格か
と心の内でアデラは呟いた。
それでもアルキマは、主人を案じて濃くて太い眉毛を下げる。
「……しかし、ロジオン様の様子がかなりおかしいと……タゥーザ様が心を痛めておいでなのです」
確かに事情を知らない者には、「殴られたショックでオネェっぽくなった」と衝撃を受けるだろう。
「それに、被害者であるロジオン王子の本心が分からないままですし……。同行して一晩を過ごした者達は現場を見ています。その者達が口を滑らせたりでもしたら問題になります」
「エルズバーグ側からきた魔法使い達には、その件に関しては口を閉ざすよう、伝えておきましょう。ロジオン様も親戚といえるタゥーザ様の不利になるようなことが広がるのは、良しとしないでしょう」
とアデラ。
「……はい」
渋るようアルキマが返事をする。不安を隠せようもないらしい。
「――では、口を塞ぐ手段は、こちらにお任せ願いませんか?」
ドレイクが提案してきた。
「『治療』をしますから、最終考査にはいつもの彼に戻るわ。あなたの主人にもそう伝えて」
イゾルテにもそう微笑まれて、只人のアルキマは異議など唱えようもない。
まるで「魅了」の魔法でもかけられたように、部屋から出ていった。
◇◇◇◇◇
「ドレイクは相変わらず腹黒いなぁ。何が『口を塞ぐ手段はお任せを』なんだか。する気なんてないくせに」
そう『ノア』が意地悪い笑みを浮かべてくる。
「ああ言っておかないと、いつまでもグダグダ言ってくるでしょう? 細やかな性格だから、タゥーザという坊ちゃまに好かれているようですが……。疑り深い性格でもあるようですので、彼から見て力のある人物からの話でないと、納得などしなかったでしょう」
(ああ、だから私では信用できくて微妙な返事だったのか)
アデラは納得する。
(まあ、ロジオン様といい仲だという情報は流さなくていいしな。――というか、流されたら困る)
一人突っ込むアデラ。
「それより貴女は何故、ロジオンがこんな時に表に出てきて我儘を?『ノア』出てくる気があるのなら、他の本体の彼が暇な時で構わないはずです」
ドレイクが尋ねると『ノア』はまたイゾルテに抱きつき、ドレイクに言う。
「まだもう少し、ロジオンの中にいようかと思ったんだけど。ユージンに説得はされるし、それにロジオンも魔導師として頑張るつもりみたいだし……『エクティレス』に対抗しないといけないし。もう一人、ロジオンの中にいる奴も面倒くさい奴だし。協力したほうが良いかなって」
そう『ノア』はカラカラと笑う。
自分が融合されることに、感傷などないように見える。
「……それにさ、仕方ない。『マルティン』の意志でもある」
マルティン――その名が出てきた途端、イゾルテの表情が消えた。
おそらく変わっていないがドレイクにも豊かな表情があったなら、イゾルテのように神妙な顔つきになっただろう――アデラは思った。
「……アデラはロジオンから話を聞いているから、分かるよね?」
『ノア』に急に話を振られたが咄嗟でも「はい」と答えられた。
どきまぎしているアデラに『ノア』は微笑んでくる。
それは、艶やかで当時の彼女の様子が伺える笑みだ。
(きっと、イゾルテ様のようにお美しかったのだろうな)
「――それで、考査の最中に出てきた理由は? 私達に会えるこの時に出てきたのでしょう?」
イゾルテが問う。
『ノア』が肩を竦めた。
「考査が終わってからでもいいかな? って思ったんだけどね……その、『マルティン』がそこまで許しそうもないの。だから、忙しいとは思ったけど最後に会いたかったのよ」
「あなたの中のマルティンは急いているのね……? 『アルヴァー』の中のマルティンもそうなのかしら?」
「言わないけど、そうじゃない? あの子が一番臆病でしょ? 自分から話しかけてこないし分からないけど……たぶん逃げた『エクティレス』なんかは今頃、必死に足掻いているんじゃないかしら?」
「そう……」
イゾルテの憂いの籠もった眼差しが落ちた。
「まあ! どうにかなるわよ! 私だって『ロジオン』の中に融合するんだし――これからの彼に期待して!」
どうやら彼女――『ノア』は前向きな性格らしい。
これからロジオンと融合されるというのに、明るい声で逆にイゾルテを励ましている。
「――じゃあね、イゾルテ」
「……ええ」
もう一度抱きしめあう。そして『ノア』の方から彼女の頬に口づけをした。
(――えっ?)
アデラは思わずムッとしてしまう。
(いや、いやいや。今は『ノア』だし……! でも……ロジオン様が起きてるなら……見てるんだし……)
それはさらにムッとする。
『ノア』はイゾルテから離れ、それから――ドレイクに向かっていく。
「――さあって! ドレイク! 本当に最後なんだから! してもらうわよ!」
『ノア』の言葉にドレイクは、あからさまに嫌な顔をした。
(あら……? 表情が……)
普段、表情のない彼がここまで顔に出すのは珍しいとアデラは感心した。
よほど嫌なことを要求するのだな、とどんなものなのか逆に期待してしまう。
「なんのために女の性に転生したと思ってるの!? 男の性には分からない色々なことを体験するためでしょう!」
ビシッとドレイクに向かって指をさす『ノア』
「しないと中の『マルティン』だって納得しないわよ!」
「……本体の『ロジオン』が納得しませんよ」
嫌悪している表情をあからさまにだし、痛むのかこめかみまで揉んでいるドレイクに『ノア』が飛び込んでいく。
その時、皆がいっせいにアデラの方を向く。
「……?」
その視線にアデラは首を傾げた。
「……アデラには刺激が強いから、一旦、外に出た方がいいかしら……?」
イゾルテが珍しく苦笑しながら言ってきた。
「私もそう思う。アデラは『ロジオン』の恋人だし。あとで喧嘩に発展しそうだわ」
「……なら、やらなければいいんです」
と、『ノア』とドレイク。
「えっ? これから何をするか分かりませんけれど、それで『ノア』様の思い残すことがなくなりロジオン様と融合できれば、それは最適な手段だとおもいますが……?」
慌てて返す。
これから何をやろうとしているのか――男女関係に疎いアデラには、雰囲気で何かあったと読む芸当が皆無である。
「どうぞ、ご遠慮なく」とアデラはすすめる。
ドレイクとイゾルテの視線が絡んだ。彼女の鈍感さにちょっと呆れてるように。
「アデラ」
「はい」
「衝撃過ぎて倒れそうになる前に、部屋からでて構いませんからね?」
なんて、イゾルテが優しく伝えてくれる。
「……? はい?」
ここまで言ってもアデラはピンとこないでいた。
――アデラには、想像のつかない世界だったのかもしれない。
後からロジオンは回想する。




